0070
お仕事は、夕方に終わった。
慣れない面接の他にも、大量の書類仕事を終えた僕は、
「もう、ヤダ……仕事、したくない……」
ソファーと一体化していた。
「今日はもうないので安心してください。――どうぞ、ハーブティーです」
「……気持ちを落ち着けろと?」
ノロノロとした動きでカップを手に取る。
ミントのスッキリとした香りが、精神を解きほぐしていくようだ。
「小腹が空いた……」
「クッキーで良ければ用意しています」
トリムが並べたクッキーは、動物型の可愛らしいものだった。
どれを食べようかを手を彷徨わせて、一枚目はクマさんにすると決めた。
「甘さが強めだけど、ミントのスッキリ作用が際立つ組み合わせ。実に美味」
「用意したわたしが言うのもなんですが、よく食べれますね?」
「リアルな熊だったら少しは躊躇するけど、ファンシーにデフォルトされたクマさんは別物だよ。――よし、次はネコさんにしよう――っ!?」
噛み砕いたネコさんクッキーが舌の上にのると同時に、衝撃が走った。
なんとなんと、クマさんと味が違うのだ! 甘さ控えめで上品な苦味が口いっぱいに広がり、ハーブティーで洗い流すと、その苦味が名残惜しく感じる一品。
「ま、まさか――全部味が違うの?」
「ええ。どれがハーブティーに一番合うか、試していただきたいと思いまして」
「……っく、なんてことだ……今日はもうペンを持ちたくないのに、こんなものを出されたら僕は、僕は……っ!」
事細かに記録して、点数化したい衝動が僕を襲う。
まあ、ハーブティーを一口含めば、すぐに霧散する程度の衝動だったけど。
「時に若様、身体の痛みはどうですか?」
「ほとんどないよ。昨日あんだけ痛かったのが嘘みたいに」
「それは良かったです。では鍛錬は、明日の朝から再開ということで」
「……嘘みたいに、すっごく痛くなってきたって言ったら、信じる?」
満面の笑みだけが返ってきた。
ダメですか、そうですか……。
「いつもどおり、アンリが相手してくれるんだよね?」
「実は今日、騎士の方々が内々でトーナメントを開いていたんですよ。優勝商品として、若様と試合をする権利があったような、なかったような」
「……腕と足を折れば」
「クラーラ様が治してしまうでしょうから、痛いだけ損しますよ」
カップをソーサーに置いた僕は、再びソファーと一体化した。
そうですね。神官のクラーラ母上なら、部位欠損も完璧に治しますね。骨折程度、朝飯前でしたね。
「騎士となんてやりたくない……アイツら、アンリと違って手加減しないじゃん……」
「若様って、殺しても死なないレベルになってますから。でも安心してください。優勝したのは騎士ではありません」
「え? うちの騎士より強いって、もしかして……父上?」
「いえ、当主様は王都におりますので――まさか、知らなかったのですか?」
ちょっと待って、父上がいないって初耳。
でも、よくよく考えたら仕方ない? 初日は椅子に縛られ、二日目は縛られた疲労で倒れて、三日目は幻獣退治の旅に出発。昨日は大事を取ってマリアベル姉上とアンリ達以外とは会ってないし、今日はずっと仕事、と。
「誰も教えてくれなかったし……でも、父上じゃないなら誰が? まさか、魔術師組?」
「――マリアベル様です」
「パピヨンリリース――!!」
反射的に魔剣グロリアを握り、自分の左腕めがけて振りおろ――
「早まらないでください若様っ!!」
そうとして、トリムに押さえつけられた。
「見逃して! お願いだから見逃して――!!」
「腕を斬り落とそうとする人を見逃すわけ無いでしょう! あと、クラーラ様が治しますし、お説教が追加されるだけ良いことなんて全くありません!!」
「姉上とやるのは、父上とやるのよりヤダァァァ――!!」
だって手加減下手なんだもん。
父上は、異次元過ぎて参考にならないけど、手加減は上手い。きっちりと生かさず殺さずを実行する。具体的には首の皮一枚しか斬らない。
でも姉上は純粋なパワー型で、技量の低さをパワーでゴリ押しするタイプ。
つまり、僕が潰れたトマトになる確率がすっごく高い。
「ワガママを言わないでください。若様が幻獣を一人で討伐しちゃったのが原因なんですから」
「……何? 次期領主の分際で、俺たちの手柄を取ってんじゃねえよ、ってこと?」
「幻獣に勝てるなら、思う存分斬り合っても問題ないってことですよ。王子殿下たちがいるというのに、収拾がつかないくらい盛り上がってしまい、最終的にマリアベル様が薙ぎ払いました」
血の気の多い連中め。
そして姉上は、文字通り薙ぎ払ったんですよね。いったい、何メートル吹っ飛んだんだろうか?
「幻獣と戦ったくらいで、なんで人気が出るんだろうか? ――パピヨンストレージ」
よくよく考えたら、トリムに押さえつけられたままというのは、マズイ。
身体に直接触れられるというのもマズイし、女の子特有の匂いがするというのもマズイ。仕事が終わった直後の疲れ切った頭じゃ、理性的になるのも限界がある。
「騎士にとって、主君が強いというのは嬉しいのです。自分たちと同じという同族意識以上に、戦いになっても勝たせてくれると思えますから」
「僕もその部類にカウントされたと? 個人技と集団指揮は別物なんだけど……」
「若様は、同族意識カウントです」
つまり、どっちが強いか競いたい的なやつか。
王都にいる間はアンリと一対一だったけど、王都に行く前は騎士団の鍛錬に(無理やり)放り込まれたりもしたからな。
「あと、グロリアと戦いたいってのもあるかもしれません」
「そっちが主目的じゃない?」
グロリアって、すっげー分かりにくい魔剣だから。
基本的に、杖なんだもん。剣の形した杖なんだもん。製作者に言ってみたいよ。最初っから杖の形でいいじゃん、ってさ。なまじ剣の形してるから、マナの貯蓄とか、記録されてる魔法を使うってことに目が向かないで、剣として振り回すヤツがほとんどだもん。
僕も上手く活用できてるとは言えないけどね。
「魔剣は憧れのまとですから、仕方ないですよ。ましてグロリアは、当主様のブレイブと並ぶ魔剣です。騎士でなくとも、気になるというものです」
「今は慣れたけど、アンリも最初はバグったように騒いだからね……」
あれは正直、鬱陶しかった。
「あの時のアンリレベルでウザいのが相手になったかもって思うと、姉上で良かっ……良…………良かったって思えない……」
ウザいヤツを相手にする方が何万倍もマシ。
だって連中なら、間違っても僕を潰れたトマトにはしないもん! 能力的な意味で。
「もう決まったことですから、諦めて姉弟の心温まる触れ合いをしてください」
「ハートフルじゃなくて、ハートフルボッコだよ……」
気分がどんよりしたら、トリムがどいてくれた。
腕を斬る元気がなくなったって判断してくれたんだろうけど……危なかった。あと少し遅かったら、色々と危なかった。
「お茶冷めてる……」
「淹れ直しますね。要望はありますか?」
「いつもの紅茶で」
紅茶自体はあまり好きじゃないけど、飲まないと気持ちが落ち着かないんだよね。
これがいわゆるカフェイン中毒かな?
「やっぱり、トリムたちが淹れるお茶が一番だ」
「若様がうるさいのが悪いんですよ。おかげで専属のわたし達以外、面倒くさがって淹れたがらないんですから」
「でも、こっちのが美味しいでしょ?」
「砂糖とミルクを入れない飲み方に、困惑する方の方が多いです。……美味しいですが」
ふふふ、分かる人には分かる美味しさなのです。
砂糖とミルクなんて、味と香りをボヤけさせる効果しかないもの。
――コンコン
「対応しますので、少々お待ちください」
トリムが離れた間に、クッキー(イヌさん)を摘む。
ハーブティーに合わせた味付けだから、紅茶とちょっと合わない。でも美味しい。
「若様、フレデリカさんがお話があるとのことですが、いかがしますか?」
「……通していいよ、仕事ないし。お茶でも淹れてあげて」
フレデリカさんは、マリアベル姉上のもとで扱かれてるから……。
少しはねぎらってあげないと、僕の心が痛む。
「何も言わずに、お茶とお菓子をどうぞ」
「はい、ありがとうございます?」
困惑気味だけど、口にした瞬間笑みがこぼれた。
やっぱり、疲れてるんだな……。
「それで、何か用?」
「――はい。実は、クラーラ様を紹介していただけないでしょうか?」
クラーラ母上を?
誰か怪我したとか――いや、違う、アレだ。
未確定の魅了体質的な何かを、どうにかするつもりなんだ。
「……そうだね。トリム、クラーラ母上って、いつ空いてるかな?」
「いつものストライキ中ですから、いつでも」
「じゃあ、すぐに行こう。ストライキ中なら、ヒマだろうし」
フレデリカさんの体質のことなんて、すっかり忘れてたことを誤魔化すために行動を開始する。
「……あの、ストライキ中、とは?」
「行けば分かるよ」
ある意味、エルピネクト家の汚点だから、詳しく説明したくないのです。
見れば分かるので、楽しみにしててください。