0066
目を覚ますと、とても見慣れた天井があった。
間違いなく、僕の部屋だ。
一五年間のほとんどを過ごした、エルピネクト城の僕の部屋。
(……もしかして、回収された?)
だとしたら、幻獣と戦ってから結構な日数が経ってる?
村から城まで距離あるし、お日様も高いし、最低でも丸二日は寝てたかも。
(誰かに聞いて……痛っ)
身体を動かそうとしたら、全身に痛みが走る。
涙が出そうなくらいの痛さだ。幻獣との戦いの怪我が原因って考えるのが普通なんだけど、ありえない。だって、熊型の幻獣から攻撃をもらってないもん。受け流したときの衝撃で多少は体内にダメージ入ったけど、一日もあれば完治する程度。
(かすっただけで、死ぬような攻撃だったからな……)
思い出したら、勝手に身体がブルルっと震えた。
また泣きそうなくらいの痛みが走ったけど、今は別の意味で泣きそうだ。
「――おはよう、若様。今日は随分と寝ぼすけさんだな」
「おはよう……アンリ。こっちに来てたんだ」
僕付きのメイドで、幼馴染でもあるアンリが座っていた。
おそらく、寝込んでた僕の看病をしてくれてたんだろう。いや、病気じゃないから、ただの世話か。僕付きのメイドだからエルピネクトに来ても不思議じゃないけど、早くない?
もしくは、王都からこっちに来ても不思議じゃない時間が経過しているとか?
「若様が飛ばされた翌日には飛ばしてもらったが、ちょうど椅子に縛られていたからな。私達も到着してすぐに、マリアベル様に仕事を振られて外に出ていたから知らないのも無理はない」
「姉上が仕事を? 珍しいね」
領主代行という権力を握っているからか、マリアベル姉上は所属を重視する。
アンリたちの所属は僕付きなので、僕を飛び越えて指示を出すのはよっぽどのことがない限りありえない。
「若様に幻獣討伐を命じると聞かされ、安全確保のためにさっさと討伐しろと言われたら、受けないわけにはいかないだろう?」
「幻獣……討伐?」
それは、間違いなく僕に関する仕事だ。
アンリたちに任さるのも理にかなっているけど、あれ?
「それって、黒羽衆が動いたんじゃなかったっけ?」
「……まさか、気付いていなかったのか?」
呆れ顔のアンリ。
詳しく話を聞いてみると、なんとビックリ。アンリ達三人の所属は黒羽衆だというではないですか。
「護衛を兼ねているのは知ってたけど、数が少ない黒羽衆をよく外に出したね?」
エルピネクトの最精鋭である黒羽衆は、二〇人もいないのだ。
つまり六分の一を僕の護衛に割いている計算になる。
「自分の価値を理解しているようで抜けているな。いいか若様。仮にエルピネクトの次期領主が死んだとあれば、最悪――王国が割れるぞ」
あ、これ怒ってる。
起きたばっかりだから手が出ないだけで、絶対に怒ってる。
「スペアとしてなら、ジークがいる」
「確かに。マリアベル様の長男であるジークフリート様なら、後継ぎの資格はあります。――ですが、若様よりも立場が弱い。他家の介入を防ぐほど絶対的な正当性があるわけでもなく、エルピネクトの家臣団も一枚岩とは言えない」
「三人集まれば派閥ができるって言うしね」
仕方ない部分があるとは言え、共感はしにくい。
特にエルピネクトの後継ぎ問題に口を出す輩のことは。他家はまだ分かるんだよ。貴族ってのは自分の権力拡大を狙うのが本能だから。でも、エルピネクトの内部で口出す輩のことは、理解できない。
僕が後継ぎの残さないで死んだら、ジーク以外の選択肢なんてないでしょ。
一〇人いる兄上は全員が姉上に逆らうはずなんてない。姉上方の中には他家に嫁いだ人もいるけど、その子どもを入れるなんて認められるはずもない。
「でも、うちに干渉しようとする気持ちは、よく分からないな」
エルピネクトの危険度は、他の領地とは比べ物にならないのだ。
僕が戦った幻獣は、第四位の冒険者を打ち倒すほどに強かった。他の領地であんな幻獣が暴れるなんて、数十年に一度あるかないか。でもエルピネクトでは、最低でも年に一回はあのクラスの騒動が起こる。
そして一〇年に一度は、奈落領域から化け物たちが溢れ出る。
脅威を取り除くためにの軍事費は多額で、幻獣とか奈落領域関連の被害で収入な中々上がらないし、人材の損耗が激しくて慢性的な人手不足だしで、旨味なんてすくないのがエルピネクト領なのだ。
「いいか、若様。世の中には想像を絶するバカが一定数いて、リスクを見ずに利益だけを見る阿呆はもっといて、自分は優秀で他の連中とは違うと自意識過剰な愚か者は掃いて捨てるほどいるんだ。武功を欲しがる連中は特に多い」
「そういえば、冒険者達も手柄にこだわってたな」
あ、思い出した。
猪骨スープ作りかけだった!
いや、別にいいんだよ。あんな雑で調味料も満足に使えない野外料理、味はそこそこに決まってるもん。でも、せっかく作ったんだし、食べたかったな。
「そうだ。冒険者や騎士は武功こそがよりどころだが、領主も同じくらい欲している。若様も分かるだろう?」
「まあ、多少はないと騎士たちが言うこと聞いてくれる保証ないし……」
あの手の連中は、力こそ全てだと思ってる。
命懸けで戦う職業だから、自分たちを勝たせてくれる人の下に付きたいってのは分かるけど、たまにそれを第一にするのが出るんだよ。
エルピネクトは危険度が高い分、そういった連中が出やすい傾向にある。
「うーん、幻獣を倒した武功なんてなくても、若様なら問題ないぞ。当主様の剣を、二度も受け止められる時点でな」
「充分に手加減されて、守り以外を全部捨ててようやくだよ?」
「それで充分すぎる武功だよ。後は――ブラヴェ伯爵を言葉で追い込んだことも理由だな。他家の干渉を跳ね除ける力があるのは、かなりのプラス要素だ」
「……あの後、皆の前で姉上に絞られたんだけどな……」
山から降りてきたばっかりで、荒れてたから。
「だからな、若様。――幻獣を一人で足止めする必要なんてどこにもなかったんだっ!」
ほっぺたが伸びる。
マナ回路は起動してないけど、相当な力が入ってて痛い。
「僕が身体張らなかったら、被害が大きかった」
「領民を守るのは領主の義務ですが、自分が動く必要はありません。依頼を受けた冒険者が近くに居て、黒羽衆まで動いている状況なら、若様の仕事は逃げることだ」
言われるまでもなく、分かっている。
村長どころか村人全員から逃げろと言われたし、勝てる保証なんてどこにもなかった。
「心配させて、ごめん」
「あんな無茶、もう二度としないと誓えるか?」
「それもごめん――無理」
鋭い眼光が、僕に突き刺さる。
本能が耳を塞ぎたくなるほどの大音量で警告音を鳴らしてくるけど、目はそらさない。
「今回のことで確信したけど、僕はどうもお人好しの部類みたいだ。少しでも情が移ったら、動かずにはいられない。人の命がかかってるならなおさらに」
下手に論理武装をしても論破されるのがオチだし、これは感情の話だ。
困ったことに、理屈なんてないのだ。
「動いた方が、被害が大きくなったとしてもか?」
「僕が動いても問題ない大義名分があれば、動くと思う」
「――…………はあ、自分の中に線引きがあるなら、私から言えることはないな。これでも一応、若様のメイドだし」
「一応ってなにさ。皆の給料は、僕の懐から出てるんだよ?」
まあ、元を辿れば子爵領の収益だから、一応なんだろうけど。
「一応は、一応だ。なにせメイドである前に黒羽衆で、それよりも前に妾候補だぞ?」
「……最後のは、忘れててくれると助かります」
思春期まっただ中ですからね、僕。
前世から数えればおっさんだろうって意見があると思うけど、精神って割と肉体の影響を受けるのだ。あと付け加えると、おっさんも割と少年の部分があるんだよ? なにせ、年食った少年がおっさんだからね。
つまり何が言いたいかって言うと、意識すると悶々とするから自覚させないでください。
「若様がそう言うなら、ただのメイドに戻るとしよう」
伸びていたほっぺたが、元に戻る。
「マリアベル様たちに声を掛けてくるから、おとなしく待っているんだぞ。――あと、ベッドの側にグロリアがあるから、仕舞っておいてくれ。私達が腕輪に仕舞おうとすると、抵抗して大変だったんだ」
優雅に一礼して、静かに出ていった。
誰もいなくなった自室で、僕は首を動かす。アンリの言うとおり、抜身のグロリアがベッドの側に立て掛けてあった。
「……待っててくれてありがとう、グロリア」
痛みにこらえながら腕を動かし、グロリアの柄に触れる。
「――パピヨンストレージ」
真珠色の魔剣が腕輪に仕舞われるのを見届けて、また天井を見上げる。
眠気を吹き飛ばすような痛みに身を委ねながら、ただ天井を見上げたい気分だった。