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0065 獣

 獣は、生まれながらに強者であった。

 同族の中でも一際強大なマナ回路を有し、肉体も年月を経るごとに強靭になってゆく。いくつもの山々を縄張りとして支配し、獣たちの盟主となるほどにまで成長し、


 ――なんの前触れもなく、敗北をした。


 それは異形であった。

 山林の獣でもなく、ましてや時折山に入る人間でもない、異形の化生。

 獣にとっては、何もかもが異質で異常な存在であった。縄張りに住む配下の獣や同族を殺すだけならまだしも、土地そのものを獣が住めぬ領域へと変質させたのだ。

 獣は軍勢を率いて異形に挑み、ことごとくが滅ぼされた。

 抵抗らしい抵抗など出来ずに擦り潰される軍勢を前に、獣は逃げ出した。無敗であった誇りも、盟主としての責任も何もかも捨て、ただの矮小な獣として逃げたのだ。いくつもの森と山を越え、異形の気配が遠のいたところで、獣は立ち止まった。


 ――立ち止まり、理性を取り戻してしまった。


 縄張りを奪われ、同族と配下を滅ぼされた恨み。

 全てを見捨てて、逃げ出した己への怒り。

 それらを燃やし奮い立とうとし、再度恐怖に囚われた。

 本能が肉体を縛り、理性が復讐を叫ぶ中、獣は思考する。自らに許された行動の中で、異形の化生を滅ぼす術がないかを。思考は数十年に及び、一つの可能性を見出した。

 獣がまだ、山林の盟主であったころ、一度だけ姿を見た人間がいた。

 人間の男としては小さく、山を探るには太りすぎた男を視界に入れた瞬間、獣の身体は強張った。異形とは違い、敵意を向けられたわけではないのに、獣は臨戦態勢となったのだ。幸いなことに男は獣に興味を示さずに、縄張りを抜けていった。


 ――かの男であれば。


 男を動かす方法を考えて決断した。山林の掟の一つを破り、人里を襲うことを。

 人は、襲われたならば集団となって反撃をする。山林の盟主にもなった力ある獣に襲われたとなれば、人は必ずや原因を探ろうとするだろう。人の多くは獣よりも脆弱であるが、その知性は獣以上。

 であれば、人は必ずや異形の化生という元凶に辿り着き、滅ぼすために動くはず。

 かの男ほどの英傑であれば、異形を滅ぼすための軍勢に入るであろう。たとえ入らずとも、男に匹敵する強者が動く。

 獣は立ち上がり、人里へと降りた。

 人に見つからぬよう移動し、多くの者に目撃される時間と場所を選んで襲撃をする。自らの凶暴性を示すように人や建造物を破壊し、目撃者は必ず複数人逃がした。逃亡者を出せば、獣の危険性を憎悪とともに広め、だんだんと獣を追い詰める体勢が整っていく。

 はじめのうちは狩人に補足されたり、傷にもならない罠にかかる程度だった。

 だが時間が経過するごとに、襲撃に失敗する確率が増え、命の危険を感じるような強者が現れるようにもなった。


 ――なんだ、あれは?


 その日は、いつもと違っていた。

 自らに立ち向かう五人の戦士に止めを刺そうとすると、槍が飛んできた。

 強靭な毛皮を貫く威力があるそれを躱し、獣が飛んできた方向を一瞥すると、一人の人間が近づきつつあった。

 人間の男にしては小柄で、戦うには不向きな太った体格。

 獣が探し求めた男に似た特徴を持っていたが、比べるのも馬鹿らしくなるほど弱かった。マナ回路の質も、身体の動かし方も、体幹のブレも、その全てが男の弱さを証明していた。止めを刺そうとしていた戦士の方が、万倍もマシと思えるほどに。

 脆弱な男を、少しでも求める強者に重ねた自分を恥じるように、獣は爪を振り下ろした。

 数多の鎧や盾、建造物を切り裂いてきた獣の一撃は、


 ――痛い?


 ただ、空を裂いただけだった。

 それだけでなく、獣の強靭な肉体が深く斬られていた。

 ゆっくりと振り返った先には、一本の剣を正眼に構える脆弱な男の姿があった。

 獣の血が付着した真珠色の剣は、獣の本能が警鐘を鳴らすほどの力が秘められている。だが持ち主である男からは、何一つ脅威を感じない。獣がこれまでに屠ってきた弱者と同じで、狩られるだけの存在のはず。

 それなのに、弱者である男は無傷で、強者である獣が傷ついた。


 ――解せぬ。


 真珠色の剣に斬られたことは不思議ではない。

 人と戦う中で時たま振るわれた、魔剣と呼ばれる武器だからだ。多くは武器の強度を上げるものであったが、五人の戦士の一人が振るった熱を放つ槍のように特殊な魔法を使う武器もあった。

 真珠色の魔剣もその類であると考えれば、自らの肉体を傷つけることに不思議はない。

 だが魔剣が武器である以上、使用者も強者でなければ獣に届くはずがない。熱の槍は確かに獣を絶命させる力を秘めているが、実際には毛皮を焦がす程度の結果しか出せなかった。獣の強さが、使用者の強さを上回ったからだ。

 ならば、獣を斬り裂いた男が強者だったかと言えば、そのようなことはない。

 膂力、俊敏性、動きの滑らかさ、マナ回路の質、全てが獣に劣っている。獣の本能と理性の両方がそう判断し、再び爪を振り下ろしたが、結果は同じだった。


 ――道理に、合わぬ。


 そこからは、同じことの繰り返しだった。

 最初は困惑し、次に憤り、その結果を認めることが出来ずに混乱する。何度も何度も爪を振り、牙を突き立て、巨体で押し潰そうとするが、弱者であるはずの男に届かない。

 また獣にとって鬱陶しいことに、どこからか槍や弓、魔法が飛んでくる。

 幾度かの攻撃は躱しきれずに受けてしまったが、男の付けた傷よりも浅い。その事実が、獣をより困惑させた。

 それを何度か繰り返すと、獣にふと冷静さが戻った。


 ――血は、毒。


 獣が圧倒的強者であった、最大の要因だ。

 強靭な肉体を持つ同族の命を奪った、己が毒血。弱者である男は、それを何度も何度も何度も浴びていた。同族よりも効きが弱いのは、己が毒血が同族を殺すことに特化していたからだろうと結論を出し、戦い方を変えた。

 爪や牙が届かないのなら、毒を浴びせればいい。

 だんだんと弱っていく演技をして、わざと攻撃を受けていく。傷は増えて出血量は増えているが、致命傷になる攻撃だけは避けているので余裕はあった。獣の目論見通り、男は全身が真っ赤になるほどの血を浴びた。

 男の様子を注意深く観察すれば、疲労とは違う要因で動きが鈍るのが見て取れた。

 毒は間違いなく効いている。獣は己の策が功を奏したとほくそ笑み、思考に余裕が生まれた。男が弱り切るまでの時間と、自らの活動限界を天秤にかけるだけの理性を取り戻したところで、ある事実に愕然とした。


 ――マナが尽きかけている?


 それは、ありえるはずのない減少量だった。

 いかに混乱していようとも、己のマナ総量と消費量を見誤ることは絶対に無い。獣の強靭な肉体は、マナ回路を前提に成り立っている。マナが枯渇をすれば、獣は遠からず絶命する。故に、マナの残量を見誤ることはない。

 だが事実として、弱者が毒で動けなく前に、獣が動けなくなるほどに減少している。

 戦線を離脱しようにも、血を流しすぎた肉体では無理をするしかなく、逃げた先でマナが枯渇することは確定的。何百通りものパターンを思考するも、獣が生き残る道はどこにも存在しなかった。


 ――そうか。アレは、山か。


 獣は、男と距離を取った。

 死を目前に獣が思い浮かべるのは、己が暮らした山林。

 獣が盟主となる前、山は幾度となく獣に牙を剥いたのだ。縄張りの外にある山林を進み、予想外の場所にあった崖から落ちたことがあった。一匹では己に勝てぬ獣が、地形を利用して群れで自らを追い詰めたこともあった。

 男が行ったことは、まさにそれだ。

 自らの弱さを、自らの群れを、そして獣の傲慢さをも利用して、獣を滅ぼすための山を築き上げたのだ。


 ――なれば、これで見定めん。


 後先のことなど考えず、獣は全てのマナを解放し、マナ回路を酷使した。

 男どころか、己でさえも避けることが出来ぬ、死力を尽くした疾走。循環器系マナ回路を通して肉体が崩壊する代わりに、肉体の周囲に破壊の力場を形成する、獣の切り札。

 瞬く間も許さぬ破壊の疾走は、弱者である男に、傷を付けることさえできなかった。

 そればかりか、真珠色の魔剣が深々と突き刺さり、獣の心臓を破壊した。

 マナが尽き、命も尽きかけた獣は、


 ……解せぬが、悪くない……アレならば、必ずや……


 己が策の成就を確信しながら、眠るように意識を手放した。



    ***



 心臓が口から飛び出そうになりながら、僕はグロリアに語りかけた。


「……今、なにしたの?」


 間違いなく、死んでいたはずだった。

 幻獣の血に毒が含まれていたことは予想外だったけど、下剤を解毒したときの応用でなんとかなった。触れただけで内蔵が飛び散る幻獣の爪牙は、父上や姉上、アンリたちの攻撃よりも単調だったのでなんとかなった。

 でも、最後のはダメだ。

 僕の動体視力を超えた速度と、破壊に特化した魔法を合わせた突進は、どうやっても防げるはずがなかった。せめてもの抵抗として、心臓が通るだろう場所にグロリアを置いたけど、僕に出来たのはそこまで。

 幻獣と相打ちになって死ぬはずだたのに、僕はまだ生きている。


「グロリア、ねえ……今、何かしたよね、ね?」


 両手で握りしめているグロリアは、何も答えない。

 まるで、自分で考えろと言わんばかりだ。


「……たくっ、こういう時だけ黙るのって、卑怯だよ」


 マナ回路を通して、毒で弱った身体を無理矢理に動かす。

 熊型の幻獣からグロリアを引き抜くと、その巨体が崩れ落ちた。僕は巻き込まれないように急いで移動して、その場に座り込んだ。


「でも、ありがとう。おかげで助かったよ……」


 呪文を唱えて腕輪に仕舞おうとしたが、ダメだった。

 糸が切れた操り人形のように、身体も口も動かない。グロリアを構えたまま身体が横倒しに倒れて、意識も薄れていく。

 意識が途切れる直前、グロリアが反応を見せた気がしたけど、何を意味しているのかは分からなかった。

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