0064
逃げる準備を終えて外に出ると、二ヶ所から剣呑な気配を感じ取った。
一つは、斥候役の軽戦士が走っていった村の外側。
もう一つは、僕が行こうとしていた村長宅の方向だ。
「――セドリック様、ご無事でしたか!」
「まあ、ね。料理してただけだから。……そっちは、集まりが良いね」
「村の危機ですから、無論です」
僕の調理を手伝っていた子どもたち以外の全員が集っていた。
誰も彼もが槍や弓、杖で武装をしていて、実に物騒だ。
「もしかしなくても、幻獣とやり合うつもり?」
「我々はエルピネクトの開拓民です。幻獣に一矢報いずに逃げたとあっては、散っていった祖先に顔向けができません」
「……だよねー」
普通なら無謀だって止めるところだけど、ここはエルピネクト。
領民の大多数がマナ回路を鍛えており、実力も農民とは思えないほどに高い……というか、王立学校の武官科の生徒より強いのが多い。まともにやり合えばカーチェでも負けそう。
(強いけど、幻獣に勝てるかは別……)
冒険者を雇ったのがなによりの証拠。
幻獣を討伐するにはまず、どこにいるかも知れない幻獣を見つけるところから始めなければいけない。また見つけても、幻獣のテリトリーという不利な条件で戦わなければいけない。今回は幻獣がこちらのテリトリーに入ってきているが、こっちが有利なわけではない。
生まれながらにして循環器系マナ回路を備える幻獣は、控えめに言って化け物だ。しかも今回の幻獣は熊型。肉食獣の凶暴性に加えて、ただの熊を何倍にもした怪力を振るうのは間違いない。
おまけに幻獣は総じて頭が良い。
人里に降り村を襲っているのは、勝算があると判断しているからに他ならない。
「一矢報いるって言ってもさ、具体的にはどうするつもり? まさかとは思うけど、鎧もないのに近接戦を仕掛けるつもり?」
「そこまで無謀ではございません。遠間から槍や弓、魔法で飽和攻撃をします。仕留められずとも、手強いと思わせれば退くはずです」
「退かなかったら、被害がどれだけ出るか分からないってことだよね、それ」
僕が指摘するも、誰一人として揺らがない。
これが開拓民の意地と誇りかと、戦慄とともにため息を吐きたくなった。
「エルピネクト家の一員としては、人的被害を出すことは避けて欲しいんだけど、この雰囲気じゃ聞いてくれないよね?」
「次期領主としての言葉であれば、従わざるを得ませんね」
「残念なことに、今はバカンス中だからね。エルピネクト家のセドリックとして命令を出すことは出来ない」
「マリアベル様からの指示を、気にされているのですか?」
いや、まったくしてない。
口に出したら白けるから言わないけど、今の僕に領民をどうにかする権限なんてない。次期領主としての権威に従ったとしても、権限がないため彼らを保証をすることが出来ないのだ。ゴリ押しすればできるだろうけど、マリアベル姉上の築いた秩序が壊れるからヤダ。
「……領主代行からは、幻獣に関わるなって厳命されてるからね」
答えになってない誤魔化しを口にした。
姉上を恐れてるって評判がたちそうだけど、別に構わない。
「セドリック様はエルピネクトの要でございます。このような些事でお命をかける必要はございません。我々のことは気にせずに、どうぞお逃げください」
村長の声に、村人全員が頷いていた。
今が逃げ時だな。要うんぬんは、間違いなく村長の援護射撃。魔巧バイクに乗ってさっそうと去ってしまえば、村人総出で足止めをして安全に逃げられる。
「そうだね。ここが砦で、僕を守る義務がある兵士がいるなら、尻尾巻いて逃げ出すよ」
「何をおっしゃって……?」
「でもここにいるのは、エルピネクト家が守る義務がある領民たちだ。困ったことに僕が作った料理を美味い美味いと食べて、子どもたちに至っては一緒に料理までしてる。義務とか関係なしに、情が移ってるんだよね」
ここで武器を取ってる連中はともかく、子どもたちを見捨てるのは、ねえ。
武器になるものが全く無い状況なら話は別だけど、魔剣グロリアが入った腕輪を常に身につけている。村人たちの言葉じゃないけど、剣を交えずに逃げたら絶対にトラウマになる。ご飯も不味くなるし、おちおち眠れもしないだろう。
「開拓民としての意地と誇りってのも、父上や姉上から耳にタコができるくらい聞いてる。マナ回路の質も申し分ない。間違いなく幻獣に痛手を負わせられるだろう――けど、防具が貧弱すぎる」
防具が整っていないのは、仕方ない部分がある。
武器に比べて用意するのが難しいのだ。人の身体というのは、案外大きい。それをカバーするだけの大きい素材を集め、頑丈に加工し、身体に合わせて調整する。僕が着ているのは革鎧だけど、村人の年収の半分はすると思う。
これが全身を覆うフルプレートアーマーなら、貴族でも購入が困難だ。
一度造ったなら、先祖代々の家宝として引き継がれるくらいには高価なもの。エルピネクト家は奈落領域の最前線ということもあり、一族として複数所有しているが、必要に迫られてのことだ。
なお僕が革鎧なのは予算不足だからではなく、動きにくくなって死亡率が上がるから。
「自殺行為を見逃して逃げられるほど、薄情じゃないんだよね。困ったことに」
「では、どうされるのですか?」
「決まってる。僕が盾になって時間を稼ぐから、君たちは槍になって」
僕は、そっと腕輪に触れた。
「――パピヨンリリース」
防御しかまともに出来ない未熟者にはもったいない、魔剣グロリア。
父上から押し付け――もとい、譲られてからほぼ毎日振っているので、真珠色の刀身にも見慣れた。両手持ちができる長い柄も手に馴染んでいるし、ロングソードと同じ重心にも慣れた。
自由自在とまではいかなくても、手足の延長で使えるようにはなった。
「厳しい戦いになると思うけど、頼んだよ。グロリア」
少しだけ、マナが吸われる。
任せろと言わんばかりの反応に、勇気が出る。
「幻獣のマナは――あの荒々しいのだろうな」
魔剣グロリアを握ることで、マナを視認できるようになる。
魔法の性質を見切った上で吸収するための機能なのだけど、溢れ出るマナからマナ回路の質を逆算するという使い方も出来たりする。
絶対ではないけれど、マナ回路は強さを測る上で重要な要素だ。
隠蔽するだけの力量があると至近距離でないと正確なことは分からないけれど、幻獣のマナはだだ漏れなので遠間からでも大丈夫そう。
「幻獣の足止めは一時間くらいは出来そうだから、皆はその間に……何しているの?」
荒々しいマナから意識を戻すと、村人が膝をついていた。
「我らが命、セドリック様にお預けいたします」
「そういうのいいから、仕事してくれたら何でもいいから。君たちが仕留めてくれないと、僕が死ぬから、ね」
そうでした。
エルピネクトの民は、開拓民として半端なく気合の入った方々でした。
それに、次期領主の初陣に同行するなんて、名誉中の名誉じゃん。初陣は普通、勝ち戦に近い状況なんだけど、今は敗色濃厚の無謀な状況。逃げたって誰も文句言わない中、グロリアを片手に参戦するなんて言ったら、士気が上がるに決まってる。
「無論、セドリック様の槍として存分に戦わせていただきます。――具体的な策はございますでしょうか?」
「……ないよ。僕がタンク役するから、各自の判断で攻撃して。あえて言うなら、邪魔だから近づかないで。幻獣の動きが読めなくなって、僕が死ぬから」
「御意のままに」
フレデリカさんを正式に雇ったら、こうなるのかな?
っていうか、エルピネクト子爵を継いだら、こんな連中が増えるんだよね?
ちょっと継ぎたくなくなってきたんだけど。
「……念の為に言っておくけど、冒険者の人たちが倒せそうなら、何もしないからね」
聞こえているのか分からないけど、それだけは言うことにした。