0061
結論だけ言おう。
僕の尊厳は守られた。
「……まったく、ヒドい目にあったよ」
今は、折檻から開放されて一夜明けた朝。
胃液以外何もなくなったお腹をさすりながら、食堂でうなだれていた。
「マナ回路の使い方が上手くなりましたね。まさかあの状態で醜態をさらさないとは思いませんでしたよ。もう完全に私を超えたのではないですか?」
「恐ろしいことを言わないでくださいよ。マリアベル姉上の鬼神のごとき膂力を生むことは僕には出来ません」
「膂力や瞬発力ならそうですが、繊細さとは無縁ですよ」
「二つのことが出来ない不器用な弟に対して繊細だなんて、面白い表現を使いますね。領主の立場には武勇だけでなくユーモアが必要ということですか? それとも、事実を自分の都合が良いように捻じ曲げる頭の良さですか?」
「全て、と答えるしかないわね」
僕の機嫌の悪さと反比例するように、マリアベル姉上の機嫌が良い。
多分、ロクでもないことを考えてる。普段は控えている使用人さえ追い出して、広い食堂に僕と二人っきりというのが証拠だ。
雑談をしているのは、料理が並んでないからに過ぎない。
「領内における領主は立法、行政、司法、軍事の全てを握る上位者です。全てを一人で担う必要はありませんが、十全に機能しているかを見極める目が必須となります」
「だから全てと答えるんですよね」
これまでに何十回と聞かされ続けてきた姉上の持論だ。
主に、剣術の訓練でヘロヘロになった状態で聞かされ続けてきた。
「姉上に鍛えられてきたので、政治とか経済なら実務を回せる自信はありますが……軍事関連は不安があるんですよね」
一兵卒として従軍するのはもちろんのこと、将として指揮することも同様に。
奈落領域と接地しているエルピネクトの次期領主としては、この不安は解消しないといけないんだよな。
「最悪、戦場に出る胆力と殺されても死なないしぶとさがあればいいでしょう。セドリック以降の代であれば、武功よりも内政が重要です」
「僕も下手な指揮で自滅するよりは、部下に任せるつもりですよ? でもうち、というか北部全体が脳筋の集まりじゃないですか。まともに戦えない僕に御せるかどうかが……はあ」
「支持については心配していません。可愛い弟と妹達は私が徹底的に叩き潰したので反論など出るはずがありませんし、北部貴族の大半もセドリックに畏怖の念を抱いています。夏休み前のパーティーの反応がその証拠ですよ」
叩き潰したと言っても、別にマリアベル姉上が誰かを殺したとかって話じゃない。
自分が領主になれるかもと甘い夢を見た兄上方に対して、仕事を押し付けて徹底的に扱いただけだ。それも部下じゃ裁定が甘くなるからと、姉上自らの手で。
当然のように僕も受けた……じゃなくて現在進行形で受けている最中なんだけど、はっきり言って地獄。正室腹唯一の男児という肩書がなかったらとっくの昔に逃げ出しているし、扱かれた兄上方は例外なく逃げ出した。
「そりゃ、パーティーの時は耳触りの良い夢物語を口にしましたからね。あれで支持されないんだったら、僕は姉上から後継者失格の烙印を押されています。――後、畏怖の念があるとしたら、僕の後ろに姉上と父上がいるからです。子爵を正式に継ぐまでに二人に何かあったら、……首と胴が分かれる可能性も……」
「……自己評価が低いにも程がありますね。心配しなくても、お母様から継いだ王族の血と、エルピネクト男爵の爵位があなたの継承を担保します」
「王族の血、ですか。僕が王位継承権第一〇位だって、知ってる人いるんですかね?」
「セドリックは中央に関わっていないので、実感している貴族はいないでしょうね。アイザック殿下やその取り巻きも、セドリックが継承権を持っているという前提では動いていませんし」
アズライト王家には、他国にはないある慣習がある。
それは、継承権を持つもの同士が決闘をした場合のことだ。継承権が下位の者が勝てば継承権が入れ替わり、上位の者が勝てば下位の継承権が剥奪されるというもの。
国王は戦いに精通していなければならない、という奈落領域に侵攻される国の慣習だ。
エルピネクト領が出来て四〇年以上が経ってるけど、未だに有効なんだよね。
「上しか見えないバカなのか、北部の辺境に興味がない驕りなのか、どっちだと思います?」
「その二つに加えて、情報を多角的に見れない近視眼、を付け加えるべきですね。――分かっていると思いますが、無闇に王位継承権のことを言ってはいけませんよ」
「王族の血が流れてるってことも、滅多に言ってませんよ。そもそも僕、中央と関わる気はほとんどありませんので」
「あなたくらいの歳の子は、中央に憧れるものですがね」
若者が都会に憧れるのはいつの時代も同じ。
北部でも、武功を上げたい子は蝶都に、華やかな生活を夢見る子は王都に行きたがるものだ。
「――お待たせして申し訳ございません。朝食をお持ちしましたぜえ」
人払いをした食堂に、トカゲ顔の料理長が給仕に来た。
「おかわりはこっちに置いときましたんで、勝手にどうぞ」
僕と姉上の前に料理を配膳すると、さっさと出ていってしまう。
人払いをしているときは、最低限しか給仕しないのがルールだからだ。
「――リンゴのリゾット、か」
酸味を含んだ爽やかで甘い湯気が、皿から立ち昇っている。
腹の奥底からくる欲望に抗うことなくスプーンを持つと、そこから先の記憶が飛んだ。
「……もうない」
料理長の置いていったおかわりを自分の皿に取り分けで、また記憶が飛ぶ。
これを四度繰り返して、ようやく腹の欲望が鎮まった。
「はあ……満足、満足。やっぱり朝はリゾットだよね」
アズライト王国は海洋貿易の国なので、世界中の珍しい物が集まる。
その中には、リゾットに使われる米もある。ただし、日本で主流の単粒種ではなく、粘り気の少ない長粒種。おにぎりとかには全く向かないけど、リゾットやパエリヤで使えば美味しく食べられる。
他国の物なので麦よりも高いが、庶民向けの食堂でも出されるくらいには流通してる。
王都でも毎日食べようと思えば食べられるんだけど、朝に作らない理由は一つ。自分で作ったらマズイから。
「米、醤油、魚。――あなたはこれらに多大な執着を見せますが、前世に関係あるのですか?」
「え、なんですか急に?」
「気になっただけです。生の魚に醤油を付けて食べたら泣いたと聞いたので」
「……まあ、前世の故郷ではよく食べた物だったので、感情が高ぶりましたけど……」
姉上が僕の前世に触れるのって、これが二回目だ。
珍しいって問題じゃなくて、気味が悪い。一体、何を考えてるんだ?
「夏休みに入る前のパーティーであなたが語ったことは、私の耳にも入っています。最初は、私の教育は間違っていなかったと安堵しましたが、ふと、思ったのです。あなたの視野の広さは、前世での経験が影響しているのではと。あなたの目指す先にあるものが、前世で住んでいた場所の再現にあるのではないか、と」
この世界では、転生者は珍しくない。
僕のように異世界から転生した人がいるかは分からないが、魔術文明や魔巧文明時代の記憶を持った転生者がいたという記録があったりする。
ちなみに転生者で最悪な部類は、奈落領域の知性体が人に転生したケース。人として国の中枢に食い込み、最終的には国ごと奈落領域に落としたという前例がある。
姉上が心配しているのも、これがあるからなのだろう。
「僕が豊かさを求めるのは、前世の基準と照らし合わせて不便だからですし、前世でも人間でした。なので奈落領域とかは」
「勘違いしているようですが、その点は心配していません。ただ……あなたの聡明さに甘え、無理をさせているのではと考えただけです」
何この姉上、怪しすぎる。
裏で何考えてるのかが分からないけど、絶対にロクでもないことだ。
「姉上から出される課題はいつも地獄のような厳しさですからね。無理でしたら常日頃ですよ」
「そうですか。なら、さらに無理をさせても問題ありませんね」
ああ、実に姉上らしい良い笑顔だ。
これが怪力無双のゴリラ女で、領主代行の立場でなかったら、なりふり構わず逃げ出したのに。
「……僕でなければならない理由があるのですか?」
「可愛いセドリックに、武功を立てさせてあげようという姉心です。あなたも武功がなくて将来が不安だと言ったでしょう?」
「言いましたけど……ご存知の通り、僕は弱いですよ?」
「大丈夫です。ちょっと凶暴な熊型の幻獣の、縄張りと巣穴を発見するだけのお仕事です。別に倒せとか言いませんし、サバイバルは得意分野でしょう?」
あれ、おかしいな。
リゾットを食べて身体が温まったはずなのに、震えが止まらないぞ。
「……そ、装備は、出していたけるのですよね? 丸腰で探せなんて、無茶なことは言いませんよね?」
「今回はお仕事ですから当たり前です。ソリティア姉様が一週間後にはエルピネクトに帰ってくる予定なので、それまでには帰ってきなさい。成果がなくても、帰還は絶対です」
「行き帰り合わせて一週間って、物理的に難しい」
「足として、魔巧バイクを用意しています。もしも巣穴を発見したらご褒美にあなたにあげますよ」
「――全力で取り組ませていただきます!!」
元気いっぱいにそう答えた。
姉上直々に、魔巧バイクの解禁が宣言されるだなんて。こんな好機、いつやってくるか分かったものじゃない!
だって幸運の神様は、前髪しかないんだから。