0054
ミレイユ母上に言わせると、魔巧機と機械は全くの別物らしい。
前者が魔法の補助して絡繰りを活用するのに対し、後者は魔法を介さずに動く機構、なのだそうだ。
個人的には違いが良く分からないので、便利な機械という認識に留めてる。
重要なのは、魔巧機が便利という事実だ。
現代日本の家電製品並みに便利な物もあれば、地球の科学文明でも再現不可能な現象を起こすものもある。
魔法を除けば中世レベルの技術しかないこの世界では、まさにオーバーテクノロジーの代名詞と言える魔巧機。その中でも僕の心をくすぐるのは、魔巧バイクだ!
「――母上、これ、これ欲しいです! お金払うので1台ください!!」
地球で例えるならハーレーのような大型魔巧バイクに、興奮を隠せない。
だって、このままでも時速200キロは出て、カスタマイズすれば時速300キロも夢じゃない高性能なバイクだよ! ブラヴェ伯爵にティーセットを売り払ったお金があれば、1台買ってもお釣りがくるんだよ!
興奮しない方がおかしいって!!
「ダメ。絶対」
ナマモノな姉上の頬をぺちぺちする母上が、一刀両断で却下する。
「大丈夫です母上魔巧機の扱いは素人ですけどバイクのためなら死に物狂いで修得しますから壊れても母上に泣きつくようなことはしませんからちゃ~んとトリムに修理方法も学びますから売って欲しいのお願い母上!」
「ダメ。絶対」
取り付く島もない。
こうなったら、土下座するしかないのか?
それとも、母上を抱っこしながら頭を撫でて媚を売ればいいのか?
「ミレイユ様が頑ななのは、何か理由があるのかしら?」
「……セドリック様は昔、魔巧バイクに乗って死にかけたことがありまして……」
「死にかけたにしては、トラウマらしきものが見えないわね」
「……事故に遭ったのではなく、事故を起こして死にかけまして。……具体的には、少し乗れるようになったら調子に乗って、100キロオーバーで城壁に激突しました……」
「意外ではないけれど、見た目以上にヤンチャなのね。殿下にひるまずに言い合っていましたし、気性が荒い……わけではないわね。荒く見せていただけで、冷静に見えたし……」
何やら視線が痛いけど、関係ない。
姉上に黙って買ったら後が怖いし、トリム達にねだっても却下されるしで、魔巧バイクを手に入れられないんだ。
母上が売ってくれるって言ってくれるのが、最後の希望なんだ。
「そもそも、何でいるの? マリちゃん、来ちゃダメって、言ったでしょ?」
「ソリティア母上にヴィクトリア姉上を託されたからです。マリアベル姉上の許可も取ってここにいるから問題ありません。だから魔巧バイクを売ってください!」
「本当……?」
あ、母上が僕の後ろを見てる。
メイドたちは無言だけど、ここで無言はやめて。勘違いされる。
「嘘ついちゃ、めっ」
「……ご、ごめんなさい。相性の悪い甥っ子と揉め事を起こして、僕がここに来るのを許可せざるを得ない状況を作りました。でもヴィクトリア母上を連れてきた理由は本当ですので魔巧バイクを売ってください」
「悪い子は、お仕置き」
――パンッ、と。
いつ取り出したのか視認できない早業で、僕の額が撃ち抜かれた。
「ふぎゅぅ――……」
実弾ではなく、麻痺弾だから命の危険はない。
ただ1時間くらい動けなくなるので、母上はお仕置きとしてよく使う。
「反省、しなさい」
「…………ぎにゅぅうう……!」
だが、この程度は予想済み!
アンリに鍛えられた僕の循環器系マナ回路は、生存に特化している。体力の高速回復はもちろんのこと、麻痺からの即時回復も訓練済みなのだ!
「……売って、くれたら反省する、から……魔巧バイクを……」
「ちょっとビックリ」
――パンッ、パンッ、と。
またもや容赦なく額を撃ち抜かれた。
今度も麻痺弾だけど、マナ回路の活動を阻害する弾丸もセットだ。
これじゃ、麻痺しっぱなしだ……。
「ちゃんと強くなってて、えらいえらい」
姉上の頬をぺちぺちするのをやめ、僕の頭をなでなでする。
ちょっと――いや、かなり嬉しい。褒めてくれる人って、少ないのよ、僕。ちゃんと褒めて甘やかしてくれるのは、ミレイユ母上くらい……。
どうしよう。父上がミレイユ母上に手を出した理由、少し分かる。分かりたくないのに分かってしまう。
「……ら、ぉいわぃに、……バイ……」
「ダメ。絶対」
厳しい。
というか揺るがない。
なのに可愛い。
何この反則的な生き物は。これが母上だなんて、世の中は不公平だ、ぐすん。
「あなた、誰?」
「申し遅れました。フォスベリー辺境伯の孫娘、ロズリーヌと申します」
「第三王子の婚約者……いいの?」
「婚約者としてここにはいないので、問題ございません」
「なら、座る?」
見えないけど、母上が席をぽむぽむする音がする。
ロズリーヌさんは促されるままに席に着く。
姉上が付けたメイドたちは、どうやったか分からないうちにお茶を淹れて母上とロズリーヌさん、そして僕の目の前にお茶を置く。
……飲めないから、置かなくていいよ。
「紅茶は、好き?」
「はい、好きです」
「これは、そのままが美味しい。加えるなら、ミルクだけが、おススメ」
今日のお茶は、香りだけなら87点。
味によっては70点代になる可能性はあるけど、さすがは姉上。うちでもトップクラスのメイドを付けたな。
「セドリック様に出していただいたものと、味が似ています」
「そう、セド君好みの美味しい紅茶。10歳の時に、ブラヴェ伯爵をイジメてから、うるさくなった。でも、紅茶が美味しくなったから、嬉しい」
「10歳というと、5年前……確か、ブラヴェ伯爵が……なるほど」
あ、ロズリーヌさんにバレた。
別に隠してるわけじゃないけど、黒歴史の1つがバレた。
「あと、川魚、美味しくなった」
「川魚は苦手です。泥臭さが、どうにも……」
「大丈夫。セド君の川魚は、臭くない。最近は、鯉がおススメ。セド君がいるから、多分、晩御飯に出る。楽しみ」
「……鯉は、特に苦手です」
泥ごとエサを食べるから、鯉は泥臭いのだ。
王国では庶民の食べ物とされ、貴族はまず食べない。食べたとしても、領地の伝統料理になっていて義務的に食べる感じ。
でも僕は知ってる。
泥臭さを抜いた鯉は、とっても美味しいのだ。日本でも、清流で育った泥臭くない鯉なら、洗いでだって食べられる。前世で食べたことがあるから、僕には分かる。泥臭くない魚の養殖に成功すれば、絶対に大儲け出来るって!
「……こぃ、ぃつ食、べ……ました?」
「1週間、前。唐揚げで、逆鱗みたいな鱗が、最高」
「鱗、ですか……!?」
驚くのも無理はない。
鯉で一番美味い部位は、実は鱗なのだ!
煮ればゼラチン質の旨味が出汁に溶けだすし、揚げれば香ばしい濃厚な旨味を楽しめる。もちろん、泥臭くないという前提があればだが。
「セド君は、美味しい物を、知ってる」
「分かりました。セドリック様とミレイユ様を信じて、鯉をいただきます」
「大丈夫。毒見は、責任を持って、する」
単に、母上が鯉を食べたいだけじゃないのか?
鯉の養殖はまだ確立しきってないから、エルピネクト家でも数が出せない。メイドたちから姉上に話が伝わるようにして、出る可能性を上げてないか?
僕がいるから、多分出るけど。
「……さすがに、嫌いな物は出しませんよ」
やっと声が出るまでに回復した。
マナ回路を阻害するから、まともになったのは声だけ。手足や首は微動だにしない。
「覚悟は決めたから大丈夫よ。ミレイユ様がここまで言う鯉、気になるわ」
「あー、誰か厨房に、僕が帰ってることと、鯉料理の新作を楽しみにしてるって伝えてきて」
「では、私が伝えてまいります」
メイドの1人がラボを出る。
これなら確実に鯉料理が出る。どんなものを出してくるか、今から楽しみだ。
「セド君、大好き」
「母上の頼みですからね。その代わりに魔巧バイクを」
「ダメ。絶対」
食べ物で釣る作戦も失敗。
だが諦めない。ミレイユ母上は手ごわいけど、1週間土下座外交を続ければ。
「――セドリックはここですね」
「…………なんでしょうか、マリアベル姉上」
聞きたくない声が耳に届いた。
耳を塞いで身を隠したいのに、麻痺しててどれも出来ない。
「あなたの所為で面倒になりました。責任を取って収束させなさい」
「僕の所為と言われても、心当たりが全くない」
「フレデリカなる王立学校の女生徒が、あなたの名前を出して我が家を訪ねました。加えて、ブラヴェ伯爵の孫と、第三王子殿下が女生徒を間に挟んで言い争っています。ハルトマンとレオナルドが仲裁していますが収まりません。もう面倒なのであなたがどうにかしなさい。いいですね」
何、人の家で、くだらない揉め事を起こしてるんですかね?
特に甥っ子。婚約者が近くにいるのに、女を巡って争うとか頭が花畑なのか?
「……母上、仕事が入りましたので、麻痺を抜いてください」
「分かった」
――パンッ、と。
またもや額を撃ち抜かれる僕。
魔法を封印した特殊な弾丸を生成するのも魔巧技術ってのは分かるけど、心臓に悪い。
でも今は心臓よりも、頭が痛い。
もしやこの状況が、頭痛が痛いって言うのかな?