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アズライト王国の首都である、王都マラカイトは人口8万人の大都市だ。
前世では現代日本に住んでいた身としては、8万人で都市なの? と疑問を持ったものだ。なんせ江戸時代の江戸でも人口100万人規模。現代日本で8万人といえば、小さな町レベルでしかない。
でも僕がいるのは、中世レベルの異世界。
大きな街で人口数千人、1万人もいれば立派な都市なのだ。
そして王都マカライトの人口8万人という数字は、周辺諸国で最大を誇る。
「王都には初めてきたけど、やっぱり規模が違うね」
「周辺諸国最大の都市、は伊達ないということですね。蝶都も人口1万人規模の都市なので驚かないとは思いましたが……都市の規模が本当に段違いで、比べるのもおこがましいレベルです」
「新鮮な魚介類も多いね〜。蝶都は山間部だから塩漬けが基本だし、川魚は泥臭いから人気ないし」
蝶都っていうのは、エルピネクト子爵領の領都のことだ。
グロリアスパピヨン――栄光の蝶――なので、蝶都。けったいな名前だとは思うけど、差別化が出来ているっていうのはいいことだと思う。そう、思うことにしてる。
「二人はともかく、若様までお上りさんになるのはやめてくれ。一応、子爵家にもメンツというものが」
「え〜、アンリだって本当はキョロキョロしたいんでしょ〜? 一緒にしようよ〜」
「そうですよ。いつもお姉さんぶっていますが、興味津々だって分かってるんですよ。幼馴染を舐めないでください」
馬車の中と御者台で、幼馴染が楽しいおしゃべりをしている。
僕は、馬車の窓から街を眺めるだけで口を挟まない。なんかこう、口を挟むと絶対にこっちに飛び火する。誰の味方をするんだとか、子爵家の跡取りとしての自覚がとか、色々言われそう。
ただ、何も言わないと言わないで面倒事になるので、声をかけるのはタイミングを見て。
「うちのタウンハウスまで、後どのくらいかな?」
タウンハウスとは、貴族が首都に滞在するための邸宅のこと。
広義では都市にある家を指す言葉だが、わざわざ分けて使用する者など貴族くらいだ。
「このペースなら、昼時にはつくだろうな」
「お昼か〜。なら、何か買ったほうがいいかな? 保存食ばっかりだったから、新鮮なのがいいよね?」
「ちょうど、市場に近い位置ですからね。野菜は必須として、メインの肉は何にしましょうか?」
「あ、選べるなら魚介類がいいな」
元日本人としては、やっぱり海魚が食べたくなる。
ムニエルもいいし、アヒージョもいい。ホイル的なものに包んで蒸すのもいい。
「若様って、海のお魚が好きですよね〜」
「だが、魚料理は自信がないな。肉料理ならともかく」
「扱うことはありませんでしたからね。川魚なら多少は扱ったことはありますが、海魚とは全く違うといいますし」
「大丈夫、僕が作るから。知識なら仕入れてるし、材料さえあればちゃんとしたのが作れるから、魚介類がいい。というか魚介類が食べたい!」
貴族らしからぬ特技だけど、実は料理が得意です。
裸一貫で山に放り込まれて以来、一人でも美味しいものが食べられるようにと腕を磨いてきた。穴だらけではあるが、前世の料理文化の知識も多少あるので、それなりのものが出来る。
「ふむ、そこまでして食べたいというのなら、魚にするか。――ただし、若様一人で調理すること。タウンハウスの手入れや荷解きなどがあるからな」
「もちろん!」
「買い物にも出てはいけませんよ。料理は趣味の範疇で済ませられますが、市場での買い物など護衛の観点から許可できませんので。いいですね」
「……分かった。その代わり、白身魚を所望します」
「じゃあ、ひとっ走りして買ってきますね〜。ところで、白身魚ってなんですか? 種類ですか?」
「…………お店の人に聞けば分かるよ」
不安になってきたけど、出ていくわけにはいかない。
僕みたいな戦闘力のない貴族のボンボンなどいいカモだ。魔剣グロリアをスられたりでもしたら、大惨事どころの騒ぎじゃない。
僕の不安をよそに、ネリーは御者台から飛び降りる。
王都の街道は交通量が多い。時間帯によっては、人が歩くくらいの速度にしなければならない。それはちょうど今くらいの時間なのだ。
「荷物さえなければ、歩いた方が速いよね」
「貴族が言うべきセリフではないですよ、気持ちはわかりますが」
領地というか、蝶都を馬車で動くようなことはなかったからな。
遠出をするなら話は別だけど、やっぱり手間がかかるから。
「ところで、若様はどんな料理を作るつもりなんだ? 種類を指定したということは、もうメニューは決まっているのだろう?」
「指定ってほどの指定じゃないけど、ムニエルにするつもり。小麦粉を付けた切り身をバターで焼くの。そうすると外はカリッと、中はふんわりって食感になる。ハーブで香り付けをするとなお美味しい。付け合せはまあ、適当に」
「それは、聞くだけで美味しそうな料理だな。楽しみにしているよ」
料理の腕を披露するのは初めてではない。
姉上の地獄のしごきを受けて精神がまいっているときには、気分転換を兼ねてよく料理をした。心を無心にして、機械のように作るだけでも気が紛れるものだ。あとは、前世の料理を可能な限り再現して、自分は生きているんだよなって実感するために。
そうして作った料理は、大体が幼馴染の三人と僕のお腹に収まったものだ。
「美味しいかどうかは、まだ分からないよ? 素材の良し悪しもあるし、僕の腕の問題もあるし」
「なら、なおさら問題ありませんね。野外ならともかく、屋内での料理の腕は知っています。貴族が食べるような豪華絢爛な料理とは違いますが、暖かくて家庭的な、とてもおいしい料理ですから」
ぷいっ、と。
窓の外へと顔を向ける。
なんだか体温が上がったような感じがするけど、きっと、旅の疲れが出ただけだ。
そうに違いない。