0047 カーチェ
あたいは一体、何をしてるんだろう?
膝の上で寝ていたセディを送り出し、1人で観戦しているはずなのに、
「フランベル様、今のは私を倒した時の突きですよね? 試合中は何をされたのか分からなかったのですが、外から見ても分からないのですね。あの凄さが分からない方が多いことが不思議だったのですが、これならば納得です」
「エルピネクト様の技量は良く分からないけれど、ならばそれを避けたブラヴェ様も称賛に値するのではないかしら? フレデリカさんが反応できないものに反応したのですから」
「……フォスベリー様の言う通りですが、人には贔屓目というものがありますので……」
「気持ちは分かるわ。でも露骨すぎると迷惑をかける人が出てくるからほどほどにね」
なんでフレデリカと、殿下の婚約者様に挟まれてるんだ?
百歩譲って、フレデリカはいいとしよう。本当はイヤだけど、あの連中から逃れるためって考えればギリギリ……。
けどフォスベリー様はなんでだ?
大義名分がない――いやあれか? セディがフォスベリー辺境伯と面会したいって言った件か? 見極める為ってことなのか?
「先ほどから静かですけど、フランベル様は緊張しているの? 愛しい婚約者が劣勢に立たされているのですから、仕方ないでしょうが」
「セド様は婚約者ではないですよ。あと、フランベルでなくカーチェと呼んでください」
「あれだけ仲が良いのに、婚約者でないというのは意外ね。カーチェさんは、何か思うところはないの?」
「まあ、側室候補の中では仲良いですし、今の間柄に不満はないですよ」
あたいには膝枕とか平気でさせるけど、誰かれ構わずじゃねえんだよ。
知ってる限りだと、あとはネリー達3人くらいか。あたいに対してはかなり軽いけど、あれってセディなりの信頼の証なんだよな。あたいもセディのことは信頼してるし、嫌いでもないから不満はない。
「そう、婚約者との仲が良好というのは、羨ましいものだわ。何かコツやアドバイスのようのなものがあれば教えて欲しいのだけれども?」
「アドバイスって言われましても、最初っから気が合いましたからね。友人として交流して、仲が良いからって理由で側室候補になってて、気付いたらって感じなので参考になりませんよ」
「婚約者だから良好ではなく、良好だから婚約者になったのね。……確かに参考にはならないわ。やっぱり、地道な積み重ねしかないのかしら……」
困ったような声なのに、表情が全く変わらない。
これじゃ、演技なのか素なのかがまったく分からない。
「あの噂は本当のようですね……」
「あら、北部には届いていないの? もう何年も前からよ。第3位でなければ、当の昔に切り捨てているくらいには」
腹の底から身体が震えた。
人形のように美しい人だが、人形のように気持ちが悪い人でもある。そんな人の口から、無感情に切り捨てるという言葉が出たのだ。初夏の日差しに照らされていても、寒さを感じないわけがない。
あたいもよく、黙ってれば人形みたいって言われる。大体が悪口だから言ったやつを睨み付けるんだけど、フォスベリー様を見た後ではこんなのと一緒にするなと文句を言いたくなる。
「他派閥のあたいに言って、良いんですか?」
「何かするつもりなの? エルピネクト様は、フォスベリー家との繋がりを求めていると明言したのに?」
「するわけないでしょう、ただの確認です」
分かってたけど、この人すごい怖い。
絶対にセディの同類。好意的な相手には好意的に、敵対的な相手には徹底的にってタイプだ。そりゃ、第三王子とそりが合うわけない。
「別に平気よ。知っている人は知っているもの」
「知らない人は知らないんですね。――それで、あたいを巻き込んでセド様に何をさせようとしてるんです?」
あたいの試合はまだ終わっていないが、関係ない。
循環器系マナ回路を励起させ威圧する。熊くらいなら裸足で逃げ出す圧をフォスベリー様だけに向けたが、眉1つ動かさない。
「何をって、エルピネクト様のお茶会に招待されたでしょう。あれほどの方のお茶会に、何の準備もなく出席するなんて無謀だもの。だから、婚約者のカーチェさんを通して、あの方について調べているだけよ」
マナ回路も、戦闘の心得もないにも関わらず、淡々と言葉を紡ぐ。
セディの同類が鈍いはずがないから、それは胆力や自制心の結果なのだろう。
「……質問が1つあるのですが、答えてもらえますか?」
「答えられることなら」
「今日よりも前に、セド様と会ったことがあるな」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
気を抜けばマナ回路が荒ぶるほどに、感情も高ぶっている。
「確か、エルピネクト様がブラヴェ様と揉めた日だったわ。魔剣を抜いて、不満を叫んでいるところをたまたま見てしまっただけだけど――なぜ分かったのかしら?」
「セド様は直接顔を見てない相手の名前を当てられないんですよ。なのに、フォスベリー辺境伯の縁者だって言い当てたことが理由です。……ところで、セド様の魔剣のことは」
「対価はお茶会でお話を聞くことなの」
唇に人差し指を当てるが、やはり表情が変わらない。
人間らしい仕草のはずなのに、作り物めいた気持ち悪さが前に出る。
「あのセド様らしくない提案は、そういうことか……」
「誰かれ構わず誘うわけではない、ということかしら?」
「政治的に必要でなければ絶対に誘わないし開かないって、意味です。本人の言葉を借りるなら、紅茶はあまり好きじゃないそうですよ」
信じられねえけどな。
お茶に点数付けて、あたい等にまで強制させてるんだから、相当な茶狂いだ。
「好きじゃない……なるほど。だから茶狂いなんて言われるくらい、徹底できるのね」
分かったような物言いに、表情筋が動く。
この人相手に表情を読まれるわけにはいかないと、抑えていた表情筋が。
「フレデリカさんが怯えているわ。マナが漏れているのではなくて?」
隣に意識を向ければ、確かにフレデリカが縮こまっている。
原因は、意図しないマナ回路の起動。想像以上に感情を動かされた忌々しさと一緒に、マナ回路の一部を休眠させる。
「そこまで想える方が婚約者なのは、女として羨ましいわ」
「ふん……っ、婚約者ではありませんし、あなたにも分かることが分からない程度の女ですよ……」
心がささくれ立って仕方ない。
この人に感じる怖さは微塵も変化ないが、礼儀を忘れてしまいそうになる。
「分かったのは、同じことをしたことがあるからよ。あの方にとってのお茶が、殿下だっただけ。無理に変えようとしたから、嫌われてしまったのだと思うわ」
あたいがセディの同類と感じたように、この人もセディを同類と思っているのかもしれない。
同類同士は互いに嫌悪し合うのが相場だ。あたいも多分、というか絶対、同類の顔を見たら殺したくなる。なのにこの女は、同類のセディに嫌悪はない。むしろ、セディが出した結果を見て、自分の何がいけなかったのかを冷静に分析している。
セディだったら、この女に同情を向けるんだろうな。
「ところで、試合を見なくてもいいの? ブラヴェ様に対して劣勢のようよ」
「セド様が劣勢? 思い通りに相手を動かしているようにしか見えませんよ」
「そうなの……?」
素人目には分かんなくてもしょうがないか。
防御しかまともに出来ないセディと、一方的に攻撃するブラヴェ様。普通は、攻撃側が有利だからな。
「あの、フランベル様。よろしければ解説いただけませんか?」
「そうね、普通の試合とは違うようだし、解説が欲しいところね」
1人の男を取り合ってる女同士――あくまでも噂で、どっちの女も取り合うどころか男を遠ざけている――が同調しているのは、気持ちが悪い。
まあ、怖い女と会話するよりはマシだけど。
「可能な限り簡単に説明しますと、あれはセド様が攻撃を強要しているのです。ブラヴェ様としてはセド様の防御を破りたくて猛攻をしかけていますが、遠間から崩せるほど甘くないので膠着状態。これを打破するには近づくのが有効なのですが、近づくにはリスクがある」
「あの見えない突きですね」
「そう。アレは近づかなければ当たらない。遠間からなら、攻撃が当たらなければ絶対に負けないって思ってるんだろうが、――考えが甘すぎる」
あたいがセディの立場なら、この時点で詰みだ。
でもセディの場合、詰みにならないから怖いんだ。
この女の怖さが人間味を感じないことなら、セディの怖さは勝機があれば躊躇なく飛び込むところにある。
「甘い考えですか。近づかずに勝つ方法がある、ということなのでしょうが……」
「ああ、分かったわ。試合のルールで勝つつもりなのね」
「え、え? ルール……?」
フレデリカが分からないのも無理はない。
この試合はあくまでも、個人の技量を見るためのもの。正面切った斬り合いをすることが前提で、負けるにしても全力で斬り合った結果であるべきという暗黙の了解がある。
少しでも良い評価が欲しい人間ほど、ルールで勝とうとは思わないのだ。
「位置を見ろ、位置を。セド様はブラヴェ様をどう動かしてる?」
「……それは、ゆっくりと隅に、……あっ!」
そう、セディが狙っているのは場外。
近寄れば離れるという、ブラヴェ様の臆病っぷりを利用して、端まで誘導した手腕は見事の一言に尽きる。自分の弱さを利用した罠とか、引っかからない方が難しい。
「上手く追い込んだようだけれど、ブラヴェ様も気付いたようよ。あと少しだったのに、惜しいわね」
「いやいや、あそこまで追い込まれた時点で、ブラヴェ様の詰みですよ」
セディの戦略の根幹は、選択肢を奪うこと。
隅に追い込まれたブラヴェ様が勝つには、セディに近づくか、全力の突きの2択。どちらであってもセディの勝ち……
「あら、エルピネクト様の剣が折れてしまったけれど、勝敗はどうなるのかしら?」
「……双方に有効1が与えられ、時間切れで引き分けですね」
まさか、木剣が折れるとは思わなかった。
珍事中の珍事が起こるなんて、運の悪いこと。せっかくセディの勝利に賭けたってのに、ただの紙切れになっちまった。ま、フレデリカ戦に勝ってるから、収支はプラスだからいいんだけど、パーティーの質が落ちるな。
「さて、そろそろお暇させてもらうわ。楽しい時間をありがとう」
「もういいんですか? あたいの出番までは付き合ってもいいですけど?」
「目的は達したわ。――けど、そうね。お茶会に招待された時は、カーチェさんにも参加してほしいわ。殿下への言い訳のために」
ロズリーヌ・フォスベリーは、最後まで無表情のまま席を立った。
フレデリカもそのどさくさに紛れて消えた。
1人残されたあたいは、落ち込むセディをどう慰めるかを考えながら瞬きをした。