0038
カーチェの手を引いたまま、僕は馬車に乗り込んだ。
「アンリ、今日は陶器屋を見て回るから、片っ端から回って。ネリーとカーチェは僕の付き添い。トリムは、ブラヴェ伯爵に出す手紙の草案を作って。帰ったら僕が本書きして、明日の朝一には出したいから急ぎで」
「手紙の内容はどのようにいたしますか?」
「5年前のことを謝罪するためのお茶会に招待したい。お孫さんと揉めたのでアドバイスが欲しい、とびっきりのお土産を用意して待っていますって感じで」
「分かりました。移動中に草案を完成させます」
そんな感じで馬車は動き出して、僕はすぐにグロッキーになる。
いつも通りなら、トリムの膝にダイブするところだが、今は仕事中。なので、隣にいるカーチェの膝に頭を乗せた。
「あたいに断りもなく膝枕だなんて、どういう了見だ?」
「馬車、苦手……」
「答えになってねえぞ。まあ、セド様なら別にいいけど」
トリムとは違う膝の感触に、瞼が重くなる。
こみ上げてくるような吐き気から逃げるために、このまま目を閉じてしまいたくなる。でも膝の気持ちよさを考えると、間違いなく寝てしまうので我慢する。
「若様~、カーチェ様~、1軒目のお店に到着しましたよ~」
「おう、分かった。ほらセド様。肩貸してやるから行くぞ」
「……だい、じょぶ」
口を抑え、フラフラとしながらカーチェとネリーの後を付いていく。
1軒目のお店は、見るからに貴族御用達の高級店。質の良い茶器が見栄え良く並んでいた。
「本日はようこそおいでくださいました。どのような商品をお探しでしょうか?」
「……百合の、うぷ……花の装飾があるティーセット。……うう、いくつか見せてほしい」
「かしこまりました。百合の花の装飾、でございますね」
店員は奥に下がると、注文通りの品を5つほど持ってくる。
個々のティーセットの説明をしているが、真剣に聞いているのはカーチェのネリーの2人。僕は右から左に流しながら、1つ1つ、お茶会で使う姿をイメージする。完全に物の価値が分からない客の姿そのものだけど、仕方ない。
正直、茶器の素性になんか興味ない。
分かることは、僕の琴線に触れたティーセットが2つあることだけだ。
「これとこれ、いくらですか?」
「……こちらと、こちらのお値段ですね。それぞれ――」
饒舌に説明しているところぶった切って値段を聞いたからか、店員の表情がわずかに曇る。
自分でもどうかと思う態度だから、表情の変化は不問にする。多分、僕だって同じことをするから。
だけど、それもティーセットの値段を聞くまでだった。
「――なるほど。やはり品質なりの価格になりますか」
「これでもお勉強をさせていただいているのですが、これ以上は。もしよろしければ、取り置きをすることも可能ですが」
「いえ、今回はご縁がなかったと諦めます」
踵を返して馬車に戻る。
途中、カーチェが何か言いたげにしていたけど、黙って後を付いてきてくれる。
彼女が口を開いたのは、馬車が走り出してからだった。
「……あれ、買わなくて良かったのか?」
「柄とか品質は問題ないんだけど、店員の性根が腐ってたからね。――トリム、は仕事中だから、アンリ。今の店、出禁リストに加えといて」
出禁リストに加えるということは、エルピネクト領、特に蝶都グロリアスパピヨンでは商売が出来なくなることを意味する。これがもう一段重くなると、エルピネクト家の寄子にまで効果が広がるのだけど、今回はそこまでではない。
あくまでも、エルピネクト家のみの出禁だ。
「腐ってたって、何があった? セド様の要望通りの一級品だったじゃねえか」
「値段だよ。適正価格の3倍をふっかけてきたのはやりすぎ。茶器は嗜好品だから、2倍までなら許すんだけど、3倍はいくらなんでも舐めすぎだよね」
「茶器の相場なんていつ……ああ、だからネリーを同行させたのか」
そうなのだ。ネリーは陶器だとか芸術関連の造詣が深いのだ。
食材選びと食べること以外はからっきしな身としては、ネリーの知識には大変助けられている。今日だって、彼女がいなければ茶器の品質だけを見て購入を決めてたな。
「でもどうすんだ? あそこは王室御用達の店だぞ。最近は植物柄は人気ないし、百合の花なんてピンポイントな指定、他の店じゃセド様の目に適う品があるかどうか」
怖いことを言ってくれるなよ。フラグになったらどうするんだよ。
と思ったらフラグでした。百合の花じゃなかったら、買ってもいいと思える品はあったんだけど、今回は百合の花じゃないとダメ。
だって、ブラヴェ伯爵家の家紋が、百合の花なんだもん。
お土産として渡すなら、家紋に由来する物の方がいいに決まってる。
「……骨董品屋も、回って」
「セド様が妥協できない性格なのは知ってるけど、骨董屋はやめないか? アンティークの知識はねえし、相場もあってないようなもんだ。場合によっちゃ、貴族の屋敷が買えるようなのもあるんだぞ」
「値段によっては……諦める。でも、最後まで妥協はできない……」
「分かったって。諦める基準があるならそれでいい。最後まで付き合うよ」
カーチェにはいつも迷惑をかける。
主君に対してやめるように進言するのって、イヤな役だよね。覚えが悪くなれば冷遇されてもおかしくないけど、誰かがやらなければいけない。そして主君は、進言を真摯に受け止めなければいけない。
イヤだからと進言する者を遠ざけてしまえば、イエスマンしかいなくなるからだ。
「……ありがと……門限までには、どうにかする」
そう決意するも、なかなか目当てのものは見つけられなかった。
合わせて20軒以上を見て回り、30軒に届くかもしれないと思ったところで、僕たちは運命の出会いをする。
「――店主、これは売り物か!?」
ハッキリ言ってしまえば、地味な一品。
シンプルイズベストとでも言いたげなほど、装飾がない。百合の花の装飾こそあれど、陶磁の白さを活かすために、渋々白ユリを書いたみたいな印象さえ受ける。
だが、そこがいい!
このティーセットでなければ、僕が理想とするお茶会が出来ないくらい完璧な品。
ブラヴェ伯爵のお土産にするのは、ワインに泥水を注ぐような愚行だと思うけど、だからこそ確実に仲直りができる、はず。
「坊ちゃん、それが何か分かるのかい?」
「由来とかなら全く分からない。でも、このティーセットは完璧なんだ!」
そこから僕は、僕が理想とするお茶会にどれだけ必須な物かを語って聞かせた。
多分小1時間くらい、息継ぎする間もなくペラペラと。語り終わったときには酸欠気味で、ネリーがいつの間にか入れていた紅茶で一息入れたくらいだ。これは余談だけど、アンリとトリムも合流して、お茶を飲みながら僕の一人語りを聞いていたみたい。
「そうか、ならいくら出す?」
優雅にお茶を飲む壮年の店主は、そう切り出した。
これは非常に難題だ。あえて僕に聞くということは、どれだけの価値があるのか、どれだけ評価しているのかを聞いている。何度か言っているが、僕は茶器の価値が良く分からない。そんな見る目のない僕に出来ることは、1つだけ。
「……僕が出せる、限度額で何とかならないでしょうか?」
提示したのは、今日の予算の限度額ではない。
当初の予算に加え、僕が自由にできるお金も全てつぎ込んだ。
これでダメなら、諦めるしかない。
「金は明日でいい。持っていきな」
「――店主、恩に着る。支払いは明日早くに持ってこさせる」
僕は上機嫌で馬車に乗り込んだ。
鏡を見れば、ほくほく顔になっていたはずだ。ティーセットは厳重に梱包しているから、取り出さない限りは割れないはずだ。
「粘って良かった……良い買い物が、出来た……」
「……コレに、そんな価値があるのか?」
「さあ? ただ、駆け引きなんてしてる余裕はなかったから、限度額を提示しただけだよ」
カーチェが呆れた顔をするけど無理はない。
僕だって、なんであんな額出しちゃったんだろうって、ちょっとだけ後悔しているし。
「お2人共、見る目がありませんね~。いや、若様は感覚で理解してるんでしょうけど、値段が分からないにもほどがあります。このティーセットは、アンティークの中でも最上級品です。しかるべき場所に出せば~、10倍の値段が付きますよ」
僕とカーチェは、仲良く揃って固まった。
10倍って、何? 大貴族だとしても、ティーセットにそんな金額払わないよ。
払うとしたら見栄のためとか、報酬のために保有するくらい。
「10分の1の値段でよく、売ってくれたな……」
「お茶会に使うって部分に、共感してくれたんだと思いますよ~。あたし達が聞き流してた若様の演説を、熱心に聞いてましたからね~」
ネリーの聞き流した発言に、ちょっと傷付いた。そして熱心に聞いてくれた店主への好感度が上がった。
今度、あの店に普通に買い物に行こう。
「……ブラヴェ伯爵の土産にするために買ったけど、本気で渡すのか?」
「…………わ、………………渡す……よ」
未練たらたらだけど、ちゃんと渡しますよ。だって、新しいティーセットを買うお金、ないんだもん。……ないから、渡すしかないんだもん……。
なぜか目頭が熱くなってきたので、僕はカーチェの膝に顔をうずめることにした。