0036
抜き身のグロリアを抱きかかえて、僕は隣に座った。
「素晴らしい魔剣ね。魔術文明時代かしら?」
「父からは、そう聞いてます」
「なら、エルピネクト子爵様の冒険譚も、お聞きしたのかしら?」
僕の素性がバレてる。
いや、結界を張るときにグロリアって言ったもんな。
それに真珠の光沢がある時点で、隠せるわけがない。
「冒険譚よりも、母上達との馴れ初めを語りたがる人ですので、詳しくは……」
あれは聞きたくなかったなぁ。
母上が15歳の時に、マリアベル姉上を産んでる時点で、薄々気づいてたけどさ。
母上を結婚した時点で、母上よりも年下の恋人(現側室)がいた時点で、決定的だけど。
父親の性癖を、本人から直接聞きたくなかったなぁ。
「それは残念ね。もっとも美しい魔剣をどのように手に入れたのか、ぜひ聞きたかったのだけど」
声は悲しそうなのに、表情が全く変わらない。
その無表情っぷりが、より雪ウサギを連想させる。
「よろしければ、父上を紹介しましょうか?」
「それは出来わないわ。エルピネクト子爵は王室派。改革派筆頭の祖父を持つ身としては、勝手にお会いすることは出来ない。まして冒険譚を聞きたいだけだなんて理由で、許可が出るはずがないもの」
顔色1つ変えずにため息を付くだなんて、器用なマネをする。
でも、改革派筆頭の祖父か。現役の学生でこの条件に当てはまるのは1人しかいない。真実の愛だなんだと騒いでる連中の1人、第三王子の婚約者だ。
なんか色んな意味でドキドキしてきた。
「……父上ではなく、母上からは多少は聞いていますが……」
「そうなのですか? よろしければお聞きしたいです」
「話すのは別にいいのですが、結界の維持が難しく……」
毎日毎日、コツコツと溜めていたマナが、ゴリゴリ減っている。
「残念だわ」
また無表情のままかと思ったら、本当に残念そうに眉が下がってる。
北部の女の子たちはこんな顔しないから、悪いことしてる気分になる。
「後日、個人的なお茶会に招待しましょうか? 母上から聞いた範囲でよろしければ、グロリアにまつわる冒険譚をお話ししますよ」
「お茶会で、冒険譚を? それは素敵ね。……けれど、どう説得すればいいかしら?」
取り巻きとか、側付きの説得のことかな?
同じ派閥ならまだしも、僕とはまったく接点がないからね。大義名分がない限り、婚約者がいる貴族令嬢が、男と面会することは難しいのだ。
「エルピネクト家に、売り込みたいとかはどうですか? 僕はこれでも次期子爵です。根回しの一環ということにすれば、説得可能だと思いますよ」
「裏の理由としては完璧ね。でも表の理由にするには黒いわ」
黒いかな?
貴族が面会する理由としては常道だと思うけど。
「さっき、お茶会に強く反応していましたけれど、お茶会は好きなんですか?」
「ええ、主催者の意図を読み解くのが楽しいわ」
随分と変わった楽しみ方だな。
普通は、お茶とお菓子が目当てとか、お話が目当てなんだけど。
「先日、エルピネクト家でお茶の勉強会が開催されたことは知っていますか?」
「お友達の1人が、参加していたわ。この前、お茶を淹れていただいたのだけれど、とても美味しくてビックリしたの。けれど、お菓子の方がお茶に負けてしまっていたのは残念だったわ」
「お菓子が負けるくらい美味しいお茶に興味を持った。教えてくれた人のお茶会に参加したいから仲介してほしいって言えば、僕に辿り着くと思いますよ?」
「フランベル家のカーチェさんという方だと聞いているのだけれど、間違いだったのかしら?」
「間違ってませんが、カーチェにお茶を教えたのは僕で、勉強会で伝えたのは僕が教えた淹れ方です。なので、カーチェを紹介されたら、僕が教えたと聞いたって言えば、ほぼ間違いなく僕を紹介されますよ……ちょっと威嚇されるでしょうけど」
カーチェはね、僕に対して過保護なことがあるから。
ただカーチェだけじゃなくて、北部貴族全体の傾向なんだけど。皆、僕が関わると結構過激になるんだよね。フレデリカさんの騒動から僕を遠ざけたみたいに。
「やっぱり、噂なんて当てにならないわね」
噂とはなんだろう、と彼女の方を向くと、鼻が当たりそうな距離に彼女の顔があった。
「あの、……近いです」
「近いと、何か問題があるのかしら?」
無表情のまま、首を可愛らしく傾げる。
その露骨な可愛らしさに、僕は自分の感情が冷えていくのを感じた。
「その噂というのは、僕のことを試したくなるくらいヒドいものなんですか?」
「くだらないものが多いわ。勘違いしたお山の大将。まともに剣を振れない腰抜け。自己管理もできない豚。――でも、噂は噂ね。見る目がない人が多すぎるわ」
「予想以上に過分な評価ですが、見る目がないのはあなたの方かもしれませんよ?」
間違ってはいないかな、最後以外。
エルピネクト領は、王国北部にある数千メートル級の大山脈を超えなければならないから、お山といえばお山。剣術も防御だけで攻撃はまともに出来ないから、振れないっていえば振れない。
(ただ、この太った身体は遺伝だから違う! どんなに頑張っても、これ以上痩せないんだよ!!)
そもそも、太った人を豚と蔑む風潮は間違っている。
豚は綺麗好きだし、体脂肪率だって人間より低いんだ。太った人を豚だなんて言ったら、豚に失礼なくらいなんだぞ。
「噂が全て本当だったとしても、頭が回るなら関係ないわ。派閥の運営に駆け引き。貴族に恩を売りつつ望む方向に動かす手腕。今すぐにでも貴族社会で立ち回れるレベルよ」
「さすがに無理ですよ。貴族社会で立ち回るには人脈が必須ですが、僕は領地に引きこもっていたので全然足りません」
「そういう冷静な視点を評価しているの。――まあ、度を越した食道楽と茶狂いはマイナスにはなるけれど、大分マシな部類だわ」
「茶狂いは誰が言ったんですか!? 認めませんよ!!」
誰も信じてくれないが、僕は紅茶があまり好きじゃない。
でも貴族に必須の嗜好品だから、我慢して飲んで――いや、我慢しきれなかったから美味しく淹れる方法を研究しただけなんだよ!
「先日まで行われていた勉強会に参加した子が言っていたわ。特定の個人ではなく、知る限りの全員が言っていたことだから、信憑性が高い。――それに、北部出身の貴族も同じことを言っているけれど?」
「僕はこだわっているのは味ですので、食道楽は認めます。でも茶狂いではありません。いいですか。茶狂いって言うのは、茶葉だとか茶器だとかに信じられないくらいのお金を使う連中のことです。僕はそんなものに興味はないので茶狂いではありません!」
っていうか、茶狂いと呼ばれる人種にろくな奴はいない。
大抵の連中は茶器の値段を誇って、茶葉の希少性だけを見て、名店の菓子というだけでありがたがる。そんな薄っぺらい連中の見栄に付き合わされると、ついつい虫唾が走って、カップを叩き割りたくなるのだ。
「そうね。あんな自分の意見を持たない薄っぺらい連中とは違う本物だわ。――思わず嫉妬してしまうくらいに」
王国でもトップクラスの大貴族のご令嬢が、僕に嫉妬?
いや、不思議ではないか。大貴族には大貴族のしがらみってのがあるし、嫡子と令嬢とじゃ自由度も違う。でも、
「女性に嫉妬されても困ります」
「言葉が足りなかったわね。将来、あなたの隣にいるであろう女性に、思わず嫉妬してしまうという意味よ」
無表情かつ無感情にそんなことを言われても困る。
というか、もう少し色っぽく言われれば勘違いしそうなセリフなので、まったく嬉しくないのはどういうことだろうか。
「……実際に会ったことがない人のことを言うのはアレなんですけど、第三王子はそんなにアレなんですか?」
「王位継承権第三位でなければ、とっくに縁を切っている程度の男です」
婚約者にここまで言わせるとか、どんだけだよ。
フレデリカさんも生理的に受け付けないって言ってたけど、婚約者の言葉の方がよっぽどきっついんだけど。
「お茶会に来ていただければ、グチぐらい聞きますよ」
「なら、必ず取り付けさせていただきます」
彼女はそう言って、ベンチから離れていった。
ベンチに残された僕は、彼女の姿が見えなくなるまで、グロリアを抱え続けることにした。