0025
お茶の勉強会開催を決めた後、僕は生徒会室へ向かう。
廊下を歩いていると、各教室から授業を行う教師の声が聞こえる。
授業時間中なのに教室にいないとサボっているように思えるが、別に自主的なボイコットしたわけではない。単純に、この時間に授業を入れていないだけだ。
王立学校の授業は選択制なので、時間割は個々人で違うのだ。
だから日本の学校ではなかなか味わうことのできない、授業中に廊下を歩くという背徳感あふれる行為を合法的に行えるのだ。
「――領主科1年のセドリック・フォン・エルピネクトと申します。入室してもよろしいでしょうか?」
重厚な造りのドアをノックして、所属と名前を言う。
これが、王立学校における入室の手順だ。
「――入れ」
「――失礼します」
生徒会室に1人だけいるハル兄上は、なぜか不機嫌そうだった。
細めた目で僕を見ているので、多分、僕が原因。でも、理由は分からなかった。
「約束したというのに、随分と遅いじゃないか」
「アポイントを取った覚えはありませんよ? それに、この時間はハル兄上1人だけだから、話があるならいつでもいいって」
「そう、いつでもいいって言ってから、1ヶ月も経っているんだぞ。遅いにもほどがある」
「……子どもみたいな理由で拗ねないでください」
エルフの寿命は、人間の5倍~6倍。
だが青年期までの肉体的、精神的な成長速度は人間と変わらない。
魔法科3年生のハル兄上は、間違いなく人間の17歳と変わらない精神をしているのだが、たまに子どもっぽくなる。
「お茶とお菓子があるけど、いるかい?」
「不味いお茶を飲んだばかりなので、どっちもいらないです」
「私のお茶が不味いと言うのかい?」
「95点以上のお茶じゃないと口直しにならないだけです」
ハル兄上の最高点は91点、平均点は84点だから期待できない。
今、僕の近くで95点以上を確実に出せるのは、幼馴染の3人くらいだ。
「じゃあ、お菓子は? 王都でも評判のお菓子屋さんのものだよ」
「お昼を食べたばっかりなのでお腹いっぱいです」
食べようと思えば食べられるけど、太りそうなのでやめておく。
今も太ってるじゃないかという意見には耳を貸しません。これ以上痩せないというだけで、太ろうと思えばいくらでも太れる身体なのです。だから節制できる部分は節制してくのが僕のスタイルなのです。誰にも文句は言わせません。
「お茶もお菓子もいらなんて、何のために来たんだい?」
「自分から色々と動こうと思いましたので、報告と情報集のために」
「……あ、そう」
ハル兄上のテンションが急激に落ちていく。
この人、僕が遊びに来たとしか思っていなかったな。
「セディは自分から動くって言ったけど、生徒会としての許可が必要なことかい?」
「自主的な勉強会を、うちのタウンハウスで開くだけです。姉上たちはべつにしても、ハル兄上が知らなかったら信憑性がなくなると思ったので」
「その言い方をするってことは、北部以外の人を集めるのか。どの派閥だい?」
「さあ? カーチェたちに任せてますし、横の繋がりを得ることが目的なのでどこでも」
そういえば、ユリーシアさんがどの派閥なのか知らない。
近衛騎士を輩出するって言ってたから、王室派かな? 保守派でも改革派でも構わないけど。
「……ちなみに、何の勉強会だい?」
「お茶の淹れ方です。久々に不味くて飲めたものじゃないお茶を飲んで、うちで勉強会を開いたら先生のポジションと一緒に、人脈と恩も売れるんじゃないかなって」
「……セディが先生をするのかい?」
「まさか。頑張っても80点代のお茶しか淹れられない僕じゃ不適格です。教師はカーチェに任せますよ」
「カーチェちゃんが先生なら、まともな勉強会になるな」
まるで僕が教師だと勉強会にならない、と言っているようだ。
正しくはある。僕はお茶の教師になれる知識はあれど技術はないからだ。
正しい認識をしている点は頼りがいがあるけど、なぜか釈然としない。
「しかしだ。その派閥に声をかけるのかを主催者が知らないのは問題だぞ」
「僕の目的は、あくまでもタウンハウスを会場にすることで顔見せを自然にすることです。お茶が苦手な人たちの間で噂が広がれば、派閥を超えた集まりになる可能性もあります。だからこそ、派閥で制限をするつもりはないんです」
「仲の悪い同士が顔を合わせたらどうするつもりだ? 刃傷沙汰になりかねないぞ」
「会場はうちですよ。揉め事が起こったら、それこそ貸しを作る絶好の機会じゃないですか。上手く運べば、派閥のトップが詫びをするという有利な形で交流できます。積極的に起こすとアンリたちに怒られるのでしませんが、起こったら起こったで別に問題ありません」
人間関係の構築では、ファーストコンタクトが重要になる。
寄子が北部盟主のタウンハウスで問題を起こして、寄親が謝罪したことがファーストコンタクトなら、確実に負い目を感じてくれる。そこで舐められない程度に誠意を見せれば、後々が楽になるというもの。
ただ、問題が起こってしまうと勉強会を開催できなくなるので、初回では起こってほしくないな。
「普段は味にうるさいだけのクセに、いざという時の肝は据わってるんだな。姉上の薫陶を1番に受けてるだけのことはある。――家に関わることについて私は何も言えないが、出来るだけ学校内を荒らさないでくれると嬉しいな」
「無駄に荒らすつもりはありませんから安心してください。――話は変わりますが、ピンク色のお花畑はどうなってますか? 不自然なくらいに、誰も話題にしないんですよ」
「それは当然だよ。色恋とバカの話が嫌いなセディに、両方が揃った話題を出すはずがない」
目からウロコがポロポロと落ちた。
確かに、ハル兄上から話を聞いた後、聞きたくなかったと思ったな。
「加えて、お花畑の一員になってほしくない、って意図もあっただろうね」
「個人的にはありえないって言いたいですけど、実績がありますからね」
何十人もの婚約者持ち貴族が、真実の愛に目覚めたと口走って婚約破棄、なんて悪夢以外のなにものでもない。
僕には婚約者はいないけど、色狂いになることは充分にありえる。
「本当にね。セディには度を越した茶狂いを治してほしいと思ってるのに、色狂いにまでなられたら廃嫡の可能性だって出てきてしまうよ」
「廃嫡はありえそうな未来ですから文句を言いませんが、僕は茶狂いではありません」
なんで皆、僕を茶狂いなんて言うのかな?
不味いものが嫌いってだけで、特に不味いお茶は飲めたものじゃないから文句を言ってるだけなのに。
「いや、充分に茶狂いだって。まあ同じ狂いでも、色狂いと違って廃嫡にならないだけマシか」
「まさか、本当に廃嫡になった人が出てるんですか?」
兄上の冗談だと思って流したのに。
でも一方的な婚約破棄、それも真実の愛なんて戯言が理由なら、廃嫡もあるか。
「全員ではないけれどね。しかし廃嫡があったからこそ、膠着状態のまま5人が残っている。このまま諦めるか理性を取り戻してくれればいいんだが、難しそうだよ」
「勉強会が堰を切るきっかけにならないことを祈っててください」
第三王子以外で、誰が色狂いになっているのかは知らない。
兄上が語らないということはロクでもない証拠だし、嫡子ではないのかもしれない。
あと僕の耳に入って、動きが鈍ることを嫌ったのかも。僕の邪魔をしたとマリアベル姉上が判断したら、どんな目に遭うかはわからないし。
「そうだね。――雨と嵐の女神プリュエールよ。私が卒業するまで、騒ぎが起こらぬよう見守ってください」
「自分勝手な欲望は、僕がいないところで口にしてくださいね」
やっぱり所々で子どもっぽいが、そこがハルトマン兄上の良いところだな。
親しみが持てるという意味で。