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0022

 エビ泥棒改めユリーシアさんとの挨拶と、憂鬱だった剣術の授業以外、特に波乱もなく授業初日が終わった。

 魔巧機械の馬が引く馬車に乗り、寄り道せず真っすぐにタウンハウスに戻る。

 そこでまず、僕が行ったことは、


「……し……うっぷ」


 えずきながら、自室のソファーに寝そべることだ。

 本音を言えば胃の中を空にしたいが、酸っぱい思いをしてまですることじゃない。


「お水、飲めますか~?」


「……る」


 顔を横に傾けて、ネリーから受け取ったコップから水をすする。

 水を嚥下するたびに吐き気は収まっていくが、身体のダルさは収まらない。馬車に乗った後はいつもこうだ。本当にイヤになる。これだけで、不登校になりそうだ。


「学校はどうでした~? 授業にはついていけそうですか?」


「……赤点にはならないと思う。一応、姉上やアンリにしごかれてるから」


「あはは~、アンリのはちょっとキツイですからね。アレと比べられるのは、精鋭部隊の訓練ぐらいですよ。……マリアベル様のは、控えめに言って地獄ですけど」


 へー、精鋭部隊レベルなんだ。

 そんだけキツイしごきを受けて、なんで僕は痩せないんだろうか?


「赤点回避は分かりましたけど、手ごたえはありましたか? トップを取れとは言いませんが、真ん中ぐらいにはなってほしいですね。その辺はどうです?」


「トリム、気が早過ぎだよ~。まだ初日なんだから、どのくらいかなんて分からないよ」


「初日だからこそ聞いているの。分からないところは早めに潰す。それが良い成績を取るコツですよ。――というわけで、どうですか?」


「武芸科目以外は、真ん中は行けると思うよ……」


 数学もちょっと不味いけど、図形関連が出なければいける。

 計算自体は出来るからね。方程式さえ覚えておけば点数は取れる。


「分かりました。でも、危なくなったらすぐに言ってくださいね。すぐにでも勉強会を開きますので」


「それ、鍛錬の時間と交換だよね?」


「もちろん、自由時間を削って確保しますよ」


 ヤバいな、成績が下がったら睡眠時間を削ってでもって意味だよこれ。

 面倒くさくても、予習と復習はしっかりしないと。


「若様、少しいいだろうか?」


「何、アンリ?」


「ハルトマン様がいらっしゃったんだが、ここに通せばいいか?」


「ハル兄上が! ここじゃなくて客間にお願い。僕が移動すりゅ……ぅ……」


 ダメだ、動いたらソファーから落ちる。

 これはバランスの問題だから、マナ回路で身体能力を強化しても無駄。


「難しそうだから、ここにお呼びしよう。ネリーは若様の身体を起こしてちゃんと座らせる、トリムはお茶とお菓子の準備だ」


 アンリが指示を出すと、幼馴染のメイドたちはテキパキと動き出す。

 僕に出来る事は、ネリーに手助けされながら身体を起こし、お客様を出迎えても大丈夫な感じで座るだけだった。


「久しぶりだね、セディ。冬に帰って以来だから、4ヶ月ぶりぐらいかな?」


「久しぶりです、ハル兄上。入学したにも関わらず、ご挨拶ができず申し訳ありません」


 ハルトマン・エルピネクト。

 エルピネクト子爵の26子9男で、ヴィクトリア姉上と同じ母から生まれた腹違いの兄。

 それ以外の情報としては、背が高い。人間の成人男性の平均身長である170cmを軽々と超える188cm。小太りの僕と違い、体型も細身。ただ、高身長の割に痩せすぎなので、シルエット見ると頼りなさげ。

 しかし、それを補って余りある美貌を持っている。

 冬に実家に戻ってきたときなんか、使用人たちの多くがハル兄上に見蕩れて仕事が滞ってしまい、マリアベル姉上に雷を落とされたほどだ。

 もし血の繋がった兄でなければ、嫉妬で刺してしまったかもしれない。


「いやいや、挨拶に動かなければいけないのは私の方だ。エルピネクト家の嫡子はあくまでもセディ。例え兄であっても、いや兄だからこそケジメを付ける必要がある。入寮してくれれば初日に顔を見ることが出来たんだけど、こっちじゃ準備があるだろうからね。今日まで待たせてもらったよ」


 いや本当、ヴィクトリア姉上と同じエルフとは思えないくらい、出来た対応だ。

 姉上がエルフの評判を落とすエルフなら、兄上はエルフの評判を上げるエルフ。31人姉兄に2人しかいないエルフの片方がこれで、本当に良かったと思う。


「あははは、準備はまあ、大変でしたね。内装はまだ良かったんですけど、外が……」


「外と言うと、庭か。あれは一体、どうしたんだ? 前に見た時は、うちの家格に見合う立派な庭だったんだが、今は更地同然……」


「タウンハウスの管理人が、ゴーレムに世話をさせた結果です。手が付けられないくらいヒドかったので、まっさらな状態にするしか出来なかったんですよ。ゴーレムを使うなら、更地にするような大雑把な使い方に限定してほしいんですけどね」


 ちょっとだけフォローはしておく。

 外はともかく、屋敷内のゴーレムは完璧な仕事をしてくれるし、庭の修繕費は姉上が全額負担してくれるって約束してくれてるから。


「……庭師の手配は必要か?」


「急ぎじゃないので大丈夫ですよ。なんなら、兄上が所属するガーデニングサークルに提供しましょうか? 1年くらい」


「魅力的だけどやめておこう。期限を区切ったところで、また触らせてくれと在学中延々と付きまとわれることになる」


「面倒な手合いでしたか。じゃあ、やめておきます」


 ハル兄上の知り合いなら大丈夫かと思ったけど、ダメか。

 庭師に限らず、使用人に求める最低条件は信用できること。使用人から貴族の情報が洩れるなんてのはよくあること。多少なら外に流出することは覚悟の上なんだけど、最悪なのは密偵紛いのことをする輩だ。

 そんな危ない連中に引っかからないためにも、雇用は紹介制が基本なのだ。


「お茶をお持ちしました」


 庭の話がひと段落して、トリムがお茶を淹れてくれる。

 カップを持たずとも鼻孔をするぐる豊かな香りが、気持ちを落ち着かせてくれる。一口含むだけで香りが身体全体にいきわたり、不思議とダルさが軽減される。腕を動かす活力も戻ってきたので、クッキーにも手を付ける。


「――ああ、幸せの味がする」


「本当にお茶が好きだね。――でも、このクッキーは本当に美味しい。どこで買ったんだい?」


「これはトリムの手作りですよ」


 実家だと調理場を勝手に使えないから、手作りのお菓子は滅多に出ない。

 でもタウンハウスにいる使用人は、トリム達3人だけ。美味しいお菓子屋さんの情報が少ないことも合わさり、最近は手作りお菓子が出てくるのだ。


「美味しいお茶と手作りお菓子が出てくるとは、実に羨ましい環境だ。こういう所に、嫡子とそれ以外の差が出るものだね」


「……寮生活よりも良い環境ってのは同意しますけど、姉上の愛の鞭ですよ、これ」


「愛の鞭? 確かに姉様はセディに厳しいけど、タウンハウスは好意が強いと思うよ?」


「いえいえ、寮生活よりキツイ点が3つもあります」


 僕は指を立てた。


「1つ目は、馬車通学。兄上も知っての通り、僕は車酔いがヒドいです。それを毎日とか、地獄でしかありません」


「……そうだね」


 兄上が露骨に顔を逸らした。

 人前で戻したことはないけど、僕がいるだけで馬車での移動に倍の日数がかかることを思い出したのだろう。


「2つ目は朝晩の鍛錬です。今日、剣術の授業を受けましたが、アンリの鍛錬の方がキツかったです。アレを毎日続けると考えたら、今までの人生について少し考えたくなりました」


 本当に、自分の人生について考えました。

 小柄で小太りで、武芸の才能なんてからっきしの僕がなんで、軍隊と比較できるレベルの鍛錬をしているのかってさ。領主としてはある程度必要だとは思うけど、兵卒の鍛錬じゃなくて指揮官の勉強をすべきじゃないかな?


「最後の3つ目は、人脈作りです」


「人脈? 2つ目まではその通りだと思うけど、なんで人脈が出てくるんだい?」


「授業を受けて思いましたが、人数の少ない領主科でさえ、授業内での交流は活発ではありません。人間関係はすでに固まって、無理に入ることは難しいです。その理由、兄上なら分かりますよね?」


「寮での人間関係だね。寄子寄親の関係が1番強いけど、個人間の関係はほぼ寮で決まる。サークルとかゼミの関係もなくはないけど、寮に入らないってデメリットに比べれば」


 やっぱり、デメリットは大きいんだ。

 カーチェとドロテアさんの仲の良さを見て気付いたんだけど、気付かなかったら挽回するチャンスさえ逃していたかもしれない。


「――やっぱり、セディはすごいね」


「すごいって、何がですか?」


「授業初日で、寮に入らないデメリットに気付いたことだよ。人間関係の形成に不利になるなんて、私は気付かなかったよ。次期エルピネクト子爵としての教育の賜物かな?」


 ハル兄上から褒められるのは悪くないけど、なんかむずがゆい。

 色眼鏡があると思うし、身内びいきも多分に含まれてる。自分で言うのもなんだけど、末っ子として大分甘やかされて(マリアベル姉上の教育は除く)育ったから。


「そりゃ、マリアベル姉上からしごかれてますから。言葉は悪いですが、明日父上が死んだとしても問題ないようにって具合に」


「なら、エルピネクトの今後について、セディ自身の意見があるのかい」


「もちろんありますよ。どれを実行するかは、姉上や家臣団の皆と相談したり、その時の情勢で実行可能なものって条件は付きますけど」


「……学生の多くはね、複数のプランを用意するほど物事を考えていないんだよ」


 なんだろう。

 疲れたサラリーマンから出るような、悲哀のオーラを感じる。


「それは、次期領主が少ないからじゃないですか?」


「領主科でも同じさ。北部の子達は、基本的に姉上やアイリス様が鍛えているから、かなり上等な部類だって言えば、少しは伝わるかな」


 貴族の子息というのは、幼少期に他家で行儀見習いをする。

 多くは寄親の家であり、そこで寄子と寄親の関係を次代に繋げることになる。北部一帯はもちろん、エルピネクト領に出されるわけだ。

 なお、うちのように寄親が王家の場合は中央に行くんだけど、病弱だとか色々な理由を付けて領地から一歩も出ずに幼少期が終わった。山に放り込まれたのも、この行儀見習いの時期だったりする。


「いや、上等な部類ってのは知ってますよ。がさつなカーチェだって、頭はかなり良いです。というか、ほとんどの子は僕より頭良いですよ」


「そうじゃない。ほとんどの生徒は、親の指示という理由だけで寄親の取り巻きになっているんだ。なぜ寄親の取り巻きになるのか、もしならなかったらどんな不利益が生じるのか、そういった根本的な部分を理解していない。想像できていないんだよ」


「……それ、真っ先に教育する部分ですよね? 政治的な話の中でも身近で簡単な部類ですし、死活問題ですから」


「私もそう思うけど、理解してないからあんな問題が起こるんだ。その所為で、生徒会長なんてやってる私がどれだけの苦労を」


 そっか、ハル兄上の悲哀って、中間管理職の悲哀なのか。

 僕は領主になる予定だから上は少ないけど、いつかこうなるのかな?


「……兄上、聞きたくないですけど、教えてもらえませんか? 王立学校で何が起こってるかを」


 ただ、聞かないといけないことが出来た。

 北部の次期盟主が入学したからには、北部の生徒が不利益をこうむったら次期盟主が動かなければいけない。つまり僕だ。

 もし、正当な理由なく見捨てたりしたら、北部の結束が崩れ、エルピネクト領に多大な不利益が出てしまう。問題が起こらないはずがないとはいえ、どんな問題が起こるかを予測することは可能。

 そのためにも、正確な情報を集めなければ。


「もちろん話すさ。今日はセディへの挨拶に加えて、それを話すために来たんだから」


 政治的な重い話は嫌いだ。

 お茶とお菓子の味が分からなくなるから。


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