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時間はあっというまに過ぎ、僕ことセドリック・フォン・エルピネクトは15歳になりました。
この世界で15歳になるということは、大人の仲間入りをするということ。つまり成人だ。平民であれば丁稚奉公に出たり、自分の畑をもらえたりするが、貴族は少し違う。
王都にある学校に入学をするのだ。
この学校は前世で通っていた義務教育の学校とは違う。貴族ーーというか領主に必要な知識を身に着けたり、貴族の横の繋がりを作るための社交場だったりする。また次期領主だけでなく、王宮の官僚や騎士、宮廷魔法使いになるための知識を得るための学科もあるので、専門学校に近い性質がある。
で、そんな王立学校の入学式がある春。
準備を色々と終え、王都に出立する前日、エルピネクト子爵である父に呼び出された。
「父上、セドリックです。入りますよ」
父の自室のドアをノックしてすぐに開ける。
こうしないと、向こうからドアを開けてしまうから。無作法だとは分かっているけど、60過ぎのおじいちゃんにそんなことをさせると、僕の心が痛むのである。
「ああ、よく来たね、セドリック。そこに座って一緒にお茶を飲もう」
自室、と言っても子爵様の部屋だ。天蓋付きのベッドに、本棚と執務机、来客を招くためのソファーとテーブルにティーセットなどなど、色々揃った広く豪華なお部屋だ。
……あ、余談になるけど、なぜか僕の部屋も同じくらい豪華なんだよね。姉上の部屋は、そこまでじゃないのに。
「明日、出立することになるけど、やっぱり緊張してるかい?」
「そりゃ、領地の外に出るのは初めてですからね。……念の為の確認ですけど、王都って文明的な生活ができるところですよね? 裸一貫で山の中に放置された時みたいなサバイバル、する必要ないですよね?」
思い出すだけで、あの時の寒さと恐怖で身体が震える。
一応、山の中でも作れる服とか家とか石のナイフとかの知識はあったけど、実践させるっておかしくないかな? 次期領主に経験させることじゃないと思うんだけど、……あ、ダメだ。トラウマが、トラウマが出てくる。思い出さないようにしよう。でないと、姉上の顔、見ることができなくなる……。
「ははは、さすがにそれはないよ。グロリアスパピヨンよりも都会だからね。お金さえあれば大陸の反対側の物だって買えるよ。仕事だって選ばなければ、どうにかなるしね」
「そうですか、安心しました」
けど、都会なら都会で不安があるんだよね。
だって僕、この国のお金触ったことないんだもん。金貨とか銀貨を使ってるのは、貸借対照表とか触ってるから分かってるんだけどね。でも単位がね、桁違いなの。領地経営って視点でのお金だから、もう大っきいの。天文学的……とまでいかなくても、国をまたにかける商会と比べられるレベルなのは間違いないな。
つまり、金銭感覚が麻痺しているのです。
「ところで、僕を呼び出した理由はなんですか? 息子を心配してお茶に誘うなんて、父上のすることじゃないですよね?」
「ヒドいな、俺だって人の親だよ。大切な息子を心配して何が悪いんだい?」
「悪いとは言ってません。ただ、お茶だけが出てくるのがおかしいって言っているんです。父上は甘いですから、こういう時はお菓子が出てきます。ええ、そりゃもう、食べきれないくらいいっぱいに。手作りの特製お菓子を、山のように。――でも、真面目な話をするときは出てきません。今日みたいに、お茶だけが出てくるんですよね。気づいているかは知りませんが」
そう、父上は甘いのだ。
孫を前にしたお祖父ちゃんレベルで甘いのだ。
シワが多く、小太りと言うには大分ふくよかな……いや、正直に言おう。かなり太っている姿は、仕事からリタイアして引退したお祖父ちゃんにしか見えない。おかげでこの実の父親のことを、父と思ったことはほぼない。彼が君の祖父だよ、と言われた方がしっくりくる。
「なるほど。確かにコレの準備に忙しくて、お菓子を作る時間がなかったな」
父上が僕の前に差し出したのは、封蝋のついた羊皮紙となんの飾りもない腕輪だった。
「俺から君への餞別だ。父親らしいことはあまりできなかったが、このくらいはと思ってね」
確かに、父上は父親らしいことはしてこなかった。
父上が僕たちにしてきたことは、お祖父ちゃんらしいことだったからね。
「封蝋付きの羊皮紙って、公文書に使うやつですよね。餞別にしては大仰じゃないですか?」
公文書で封蝋を使うのは、機密保持以外にも理由がある。
それは――封蝋がある方が本物っぽいからだ。なんだそのバカバカしい理由は、と思うかもしれないが、これはマジな理由だ。見た目が美しく豪華で手間のかかった物を使うことで、一目で本物と思わせる効果があるという訳だ。
ぶっちゃけると、すかしの技術とかがないので本物っぽさとか、美しさ以外で見分ける方法がない、ということだ。
そんな背景を踏まえて、目の前の羊皮紙を見る。封蝋として使われている印は、エルピネクト家の家紋である《羽ばたく蝶》。崩さないようにナイフを入れ開くと、花畑と蝶の装飾画や刺繍があり、砕いた宝石を混ぜたインクで文章が綴られている。
……正直に言おう。これ、国家間の条約で使われても不思議じゃないレベルだ。
エルピネクト子爵家の意地と誇りを詰め込んだような公文書の中身を、恐る恐る読んでみる。芸術性を重視した崩し文字は読みづらいが、時間をかければ解読できる。これも地獄のような教育の賜物なのだが、おかしいな。僕はいつから文字が読めない子になったのだろうか。
「父上、選別の書類を間違えるなんて、ついにボケましたか? 母上や姉上に伝えるのが怖いのでしたら、僕から言いますよ。もし母上達からの愛が離れてしまうって心配してるなら、大丈夫です。息子から見ても年を考えろバカップル共って思うくらいラブラブですから、ちゃんと介護してもらえますよ」
「息子からどう思われているのか、よ〜っく分かったけど、間違っていないよ」
ふむ、ボケたわけじゃない、と。
ボケていてくれた方が嬉しかったんだけど、現実を直視しないといけないってことか。
「……じゃあ、僕を男爵に叙勲するってのは……」
「もちろん事実だとも。アイリスやマリアベルも承認しているぞ。ほら、連名でサインがあるだろう」
アイリスとは父上の正室で、僕の実母の名前。
マリアベルは、父上と正室の間に生まれた長女で、31人姉兄の長子の名前。つまり、僕に地獄の教育をほどこした恐るべき――否、愛すべき実の姉上である。
「これはつまり……父上の後継者は僕である、と外部に喧伝するための叙勲ですか?」
「実の息子にボケの心配をされるような歳だろう? もしも後継者を定めずにポックリ逝ってしまっては、強欲貴族が継承に介入するかもしれない。そうならないためには、爵位を使った意思表示も必要なんだ」
複数の爵位を保有する貴族であれば、普通のことだ。
最も高い爵位は当主が持ち、次に高い爵位は次代当主が持つことは、貴族世界の常識といってもいい。父上も男爵位と子爵位を1つずつ持っているので、次代である僕に男爵位を授けるのは普通というか既定路線。だから僕が問題にしているのはそこではなく。
「普通、学校を卒業してからですよね、叙勲するの。在学する前から叙勲なんて異例じゃないですか?」
「そんなことはないよ。諸事情あって家を継がなければいけない子なんかは、正式な貴族として入学している」
「それは未成年が当主にならざるを得ない特殊な事例ですよね? 僕みたいな次代とは違いますよ」
「王家には話を通しているから問題ない。同年代からの嫉妬なんかは、俺からの試練だと思って頑張れ。マリアベルよりはまっとうな課題だろう?」
「それは、そうですけど……」
あれ、おかしいな。姉上からの課題って言われただけなのに、なんで身体が震えるんだろう?
本能的にこの話を続けるのは不味いって身体が訴えている気がするから、素直に従おう。
「まあ、いつかもらうと覚悟していたものです。ありがたくいただきます。――で、こっちはなんですか? ただの腕輪、なわけないですね。マジックアイテム?」
「マジックボックスの一種だよ。1つだけ収納することができるタイプでね、中身ともどもセドリックに譲ろう。取り出すときは『パピヨンリリース』、収納するときは『パピヨンストレージ』だ」
合言葉で起動するマジックアイテムは珍しくない。
また熟練の魔法使いであれば、合言葉を変更することもできる。
そして重要なことだが、エルピネクト家には合言葉を変更できる熟練の魔法使いが何人もいる。
「貴族にとって紋章が重要なのは知っています。父上が《蝶》に並々ならない思いを持っていることも知っていますが、この合言葉はありえません。悪趣味にもほどがありますよ」
僕は顔を露骨に歪ませた。
王国では、蝶=エルピネクト家と連想されるほど、我が家と蝶の関わりが深い。領都の名前がグロリアスパピヨン、騎士団の名前がブレイズパピヨンなことからも、それは伝わるだろう。
この名前を初めて知った時の僕の気持ちも、察してくれると嬉しい。
「……ソリティアが勝手にやったことだ。俺は知らない」
「ソリティア母上ですが……そうですか……」
4人いる父上の側室の1人のことである。
大陸有数の魔法使いであり、5人の子持ちで、度を越した自由人。放浪癖があり、領地から15年間出たことのない僕が4度しか遭遇したことがないと言えば、どんな人物なのか断片的には伝わると思う。ちなみに外見は永遠の14歳で、1度見たら忘れられない美少女だ。年齢は……父上よりも上、とだけ言っておこう。
「……ここで、中身を取り出してもいいでしょうか?」
「もちろんだとも。セドリックもきっと気に入ってくれると思うよ」
「ではお言葉に甘えて――パピヨンリリース」
ゴト、と重そうな音を立てながら、一振りの剣がテーブルに落ちる。剣の開放位置さえ身体に覚え込ませれば、開放と同時に装備することができると思うが――おい、待てや。
「これ、レプリカですよね? よく出来た家宝のレプリカ、で、いいんですよね!?」
僕は必死だった。
コレがレプリカでないのなら、男爵位の授与以上の問題だからだ。
「ははは、面白い冗談だな。魔剣グロリアのレプリカなんて造る意味がないことは、セドリックも分かっているだろう。これは正真正銘の、魔剣グロリアだよ」
「ですよねー、分かってましたよコンチクショー!! ……と、こほん、失礼しました」
おっといけない。
前世時代の荒んだ言葉遣いが出ちゃったぞ。
「これが本物であることは理解しましたが、なぜ、今、僕に渡すのですか? 父上の魔剣ブレイブに並ぶ、アズライト王国最強の魔剣の一つではないですか。凡才の僕に渡したところで、宝の持ち腐れ以外のなにものでもないですよ」
そう、異世界転生を果たした僕ではあるが、チートなんてまったくなかった。
武術の才能も、魔法の才能も、政治の才能も、商売の才能も、農家の才能も、全くと言っていいほどにない、ただの凡人だ! ……いや、ちょっと見栄はりました。前世の知識や経験がなければ、僕はただの落ちこぼれです。
前世のブーストがあってようやく凡人という、スペックだめだめ人間ですコンチクショー!!
「セドリックの才能に関しては、ある程度理解しているぞ。お世辞にもあるとは言えないが、腐らずに努力する姿は『この人を放っておけない』と思わせるから、領主としての適性はある。これは俺だけでなく、マリアベルも太鼓判を押しているからな」
「……複雑な気分ですが、ありがとうございます」
「その上で言わせてもらうが、お前以上に魔剣グロリアを使いこなしたヤツはいない」
「なんですって?」
「だから、これを渡そうと思ったのは、次期当主とか関係なく適性的な理由からだ」
おかしい、本当におかしい。というか、ありえない。
60過ぎで、シワが多く、ぶっちゃけ太ったおじいちゃんにしか見えないが、父上は王国最強の剣士。昔の話じゃなくて今の話で、王国最強だ。その父上から、魔剣を扱う才能があると言われるなんて、絶対にありえない。どんな裏があるっていうんだ!?
「嘘つかないでください。適性なんていつ見たっていうんですか……」
「いつもなにも、10歳のころに触っただろう。その時に、だ」
「教育の一環で、家宝の魔剣の特性を知るために使いましたけど、全然だめだめでしたよ。ブレイブは野菜も切れませんでしたし、グロリアも弱い魔法を吸収しただけで」
「戦士でその吸収ができる人はほとんどいないんだよ。だから持っていきなさい。箔付にはなるし、下手な武器を持つよりもよっぽどマシだからね」
当主というか、魔剣の所有者にそこまで言われてしまえば、断ることもできない。
それに、ちょっぴりだけど、自分の魔剣を持つっていうのは憧れた部分でもある。それがアズライト王国最強の魔剣の一振りともなればもう、テンションが上がる。
意味なんてないかもしれないけど、武術の鍛錬をもう少し頑張ろうかな。