0018
憂鬱だ。
授業初日から憂鬱だ。
あまりにも憂鬱過ぎて、車酔いを忘れてしまったほどに、憂鬱だ。
「……サボりたい」
「ダメに決まってるだろう。マリアベル様からの指示ってだけじゃなくて、初日からサボったらセド様の評判に関わる」
「なら、ここで腕の骨折って。負傷なら合法的に」
「アンリ達なら、意図的に骨が折られたって分かるぞ。魔法で治療した後に骨を折るって作業を5回くらい繰り返されたいってんなら、あたいも考える」
「3回までなら耐えられるんだけど、どうすればまけてくれるかな?」
「なあ、普段どんな鍛錬をしてるんだ? 絶対にドン引くような内容だと思うけど、自覚あるのか?」
失礼だな、もう。
ガチな軍事教練レベルってのは分かってるよ。一般的な次期領主がやるメニューじゃないってことくらい、分かってるって。
「……そっか、自覚なしか」
カーチェが何か呟いたけど、良く聞こえなかった。
あと反省。
僕はカーチェの幼馴染だけど、主君でもある。そんな人間から腕を折れって命令されて、気持ちよく実行できるはずがない。僕の場合、王様から「サボりたいから腕を折れ」って命令されるようなものだ。
もし命令を実行したら、絶対に周りから白い目で見られる。
カーチェのためにも、考えなしで発言しないよう気を付けないと。
「カーチェはもう、武芸科目を受けたんだよね? 最初ってどんな感じ?」
「最初は体力測定だ。詳しい内容は、話すなって言われてるから話せないけど」
「予め知ってたら正確なデータが取れないもんね。――でも、少しでも成績を上げたい人たちは、裏取引とかしてそう」
あと学校で良い成績を取れれば、良い就職先が見つからね。
就職先が決まってる領主の子息だったとしても、成績が良ければメンツが保てるからね。
僕も次期領主だからメンツは大事なんだけど、見栄張ってもすぐバレるし、武芸科目は渋々取っただけだ。それなら自分を偽らず、身の丈に合った授業を受けるべきだ。
「勘違いしてるみたいだな。教えるなって言ってるのは、マリアベル様だよ。あたいを含めた北部の皆に、授業でセド様が有利になる情報は与えるなって」
「……姉上、ヒドイ……」
姉上からの愛の鞭は、いつも通りの痛さだった。
男の子だけど涙が出そう。
「セド様なら大丈夫だよ。ほら、そろそろ黙ってろ」
少しして、授業開始の鐘が鳴る。
「集まっているな。――これより剣術の授業を始める」
授業に参加するのは、約40人。
半分は武官科の生徒で、残りは別の科の生徒。
武官科以外の生徒が少ないのは、武芸科目が必須なのは武官科だけだから。
そして――
「まずは、武芸科目を初めて受講する者は手を上げろ」
班分けが始まる。
初日だけあって、初めての生徒は多い。というか、武官科の10人を除いた30人が初めてだ。
あと余談ながら、初めての中に北部の人間がいないあたりに姉上の意図を感じる。体力測定くらい1人で乗り越えろ、ということだろう。
「手を上げた者たちの中で、マナ回路を持っていないものはいるか?」
この質問に、手を上げる人はいなかった。
というかマナ回路を持ってない人が、武芸科目と魔法科目を取る方がおかしい。
でも、王立学校の生徒でも、持ってない人は多いんだ。マナ回路は後天的に獲得するものなので、教師役を見つける必要がある。獲得するための努力はきっついし、才能という壁も存在する。
だから農民の8割がマナ回路を持ってるエルピネクト子爵領は、例外中の例外なんだよね。
例外というか、異常というべきだな。辺境だから仕方ないけど。
「では、君たちは訓練場の外周を走ってもらう」
訓練の外周は、1周約1km。
カーチェは体力測定って言ってたから、長距離かな?
「質問があるものはいるか?」
「はい、先生。何周走ればいいのでしょうか?」
「私が良しと言うか、自らが限界と思うまでだ。他にあるか?」
長距離となると、全力の8割で走ればいいか。
ただな、全力でも遅いんだよな、僕の足。マナ回路の質が悪いのと、そもそも身体を動かすのが苦手だから、遅いんだよ。
「質問がないのならば――始め」
教師が手を叩くと同時に、僕は駆けだした。これはもう、条件反射の域だ。合図と同時に斬りかかられたりなんて、日常茶飯事だったから。
30人の中で最初に走りだした僕だけど、足が遅いからすぐに抜かれてしまう。毎日、朝晩に走ってるから最下位にはならなかったけど、下から数えた方が早い順位になる。終わるまでこのままの順位かな? っと思ってたけど、10分もすると脱落する人が増えてきた。
どれだけ走ればいいか分からないってのは、キツイものがある。
30分走り続けろとか、1時間走り続けろとか提示されていれば、それに合わせたペース配分が出来る。でも提示されないとなると、適切なペース配分なんてできない。自分で予測しないといけないからな。
僕の選んだ全力の8割ってのは、授業2コマ分である2時間は余裕で走れる。
授業1コマ分、1時間で力尽きるペース配分にしなかったのは、授業を跨いで走れと言われる可能性がゼロでないから。
「――そこまで!」
結果を言えば、僕の心配は杞憂に終わった。
授業が終わる少し前にストップがかかったからだ。
残っているのは、僕を含めて11人。
……あれ? 僕以外の10人、全員武官科の生徒なんだけど?
「君たち11人は、次回からの班分けでA班を選ぶように。これは剣術以外の武芸科目でも同じである」
体力測定の結果が出たところで、授業終了の鐘が鳴る。
というかこれ、あれ? 次回から、武官科と同じ班で授業を受けるってこと?
……腕、自分で折ろうかな。