0016
王立学校の入学式である今日は、オリエンテーリングの日。
4つの専門課程ごとに集まって必須と選択科目の説明を受けた後は、歩き回って施設の説明を受ける。
施設といっても、図書館だとか鍛錬場だとか、授業に関わるもの。
それ以外の施設は入寮時の説明や、寮の先輩たちに聞いているので必要ないらしい。らしいと他人事なのは、入寮時の説明も、寮の先輩たちからの説明も受けていないから。僕はその事実を、同じ領主科にいる3人の友人から聞いたのだ。
「常時100種類のメニューがあるだなんて! しかも王国各地の郷土料理まで網羅してる!」
朝昼晩の3食利用可能な食堂で、僕は興奮していた。
料理が趣味の僕としては、王国の東部・西部・南部・北部の郷土料理が並ぶ食堂は、テーマパークと同じ。北部の料理は全部知ってるから後回しにするとして、絶対に全種類制覇してやる。ノートと万年筆を手にして、味を盗んでやるんだ。
「川魚の料理はやめた方がいいぞ」
「なんで?」
「あたいも食べたんだけど、臭みを抜いただけって感じがして物足りないんだ。多分、臭み抜きにハーブしか使ってないんだと思う」
「あー……泥抜きって、スペースと時間使うからね。――でも、投資する価値はあるかも。漁業組合とか老舗料理店に話し通してブランド価値を高めれば、うちで取れた魚も高く売れるよな。高く売れるなら採算が取れるから、販路も拡大するし」
「セド様は相変わらずだな。そのまんま考えてていいから、先に席を取りに行くぞ。――お前らは適当に頼んどいてくれ。肉料理な」
カーチェに手を引かれて、空いているテーブルに座る。
どんな料理が来るのかは楽しみではあるけど、今は商売のアイデアの方が重要だ。
領地貴族は、一種の独立国家だ。広大な領地を持つ大貴族ともなれば、領地単体で経済を回せるほどの力を持つ。エルピネクトも爵位こそ子爵ではあるが、実質的な権限は辺境伯にも匹敵する。
なぜ子爵止まりなのかと言えば、政治的判断としか言えないので置いておく。
重要なのは、領主の役目は領地の守護と発展という部分だ。
貴族の中には商人を金に汚い連中と蔑み、商売をする領主をバカにする連中がいるが、僕から言わせれば阿呆にほかならない。貨幣経済を採用している以上、カネは血液と同じだ。商人とはカネを運ぶ血管であり、経済はカネを動かす心臓。
つまり新しい商売を生み出すことは、領地を発展させることに他ならない。
だから僕は、常に内ポケットに入れている革製のシステム手帳(蝶の刻印付き)を開き、思いついたアイデアを万年筆を使って書き殴った。
頭が良くないから、そうしないと忘れるんだよね。
あと話変わるけど、魔巧文明最高! あの時代に発明された文房具の数々のおかげで、日本とあんまり変わらない水準でメモが取れる。最初は、羽ペンと羊皮紙じゃないなんて異世界っぽくないって思ったけど、実用性が高い方がいい。
特に万年筆は良いね! シャーペンとかボールペンと違って力が要らないし、書き味が気持ちいいから書くという行為が官能的になる! 手間暇はかかるけど、なんで日本にいるときに万年筆を使わなかったんだって、転生してから悔しがるとは思わなかったな。
「……む、良い匂いがする」
システム手帳に一通りアイデアを書き、万年筆(ペン先に蝶のマーク)のキャップを締めると、分厚い肉が焼ける匂いが鼻を刺激する。
「やっと戻ってきな。皆、セド様を待ってたんだぞ」
「ごめんごめん。つい、クセでね。じゃあ、食べよっか」
僕がナイフとフォークを手に取ると、皆もそれにならう。
目の前にある分厚い肉はステーキだ。肉の焼き色からして牛肉。上にかかっているソースは匂いから察するに玉ねぎを使用したシャリアピンソースだろう。固めの赤身肉ではあるが、玉ねぎの酵素で簡単に噛み切れるほど柔らかい。
焼き加減はレア。それも本物のレアだ。
下手な人間は、表面に火を入れるだけの簡単な焼き加減だと思うかもしれないが、表面だけ焼いたのはブルーという焼き加減。本物のレアは、火をちゃんと入れても赤いまま、という非常に難しい焼き方なのだが、このステーキはまさに本物のレア。
実家の料理人に100回くらい説明して、実践させてようやく身に付けさせた焼き方が、まさか学生食堂で食べられるとは、恐るべし王立学校。
「文句のつけようがない、素晴らしいステーキだ。星1つを付けるに値する」
これは完全に余談だけど、趣味の料理が高じて店の評価もしている。
基準は、前世のミシュランをそのまま持ってきた。
このステーキは、まさにステーキとして優れた料理と言えよう。
「星って最大3つだったよな? 1つって、文句があるって言ってるようなもんだぞ?」
「文句があるなら星は出さないよ。これ以上ってなると、食材を厳選したり、店の雰囲気も総合的に高める必要があるからね」
蝶都で三ツ星を出した店が1つあるけど、あれはヤバい。
貴族御用達ってレベルじゃ足りない。各国の要人を集めた国際会議で使えるレベルの店だ。あまりの素晴らしさに、オーナーシェフに対して五体投地をして困らせたほど感動した。
「でも、こうなると不思議だな。このレベルのステーキを出せる料理人がいるのに、川魚料理をカーチェにダメだしされるんだろうか?」
「あたいの舌をどう評価してんのかはよーっく分かったけど、仕方ないだろう。王国で泥抜きを始めたのはセド様が最初で、北部でようやく広まった最新の工夫だぞ。自然に広まるのを待ってたら、10年はかかるんじゃないか?」
「なるほど、まだ広まってないと。――なら、今のうちに独占状態を作っちゃおう。どこまで人気が出るか分からないけど、コネと知名度は確実に手に入る」
特にコネは重要だ。
泥抜きの技法で貴族とのコネは難しいだろうけど、漁師や商人との繋がりができる。生産と流通に影響力を持てば、色々と有利なのだ。
「ご飯を食べているときに、悪だくみをするのはいけないことよセディ」
「そうですわ。食事時には食事に集中すること。それが料理人に対する礼儀ですよセディ」
ふにゅん、とした柔らかな感触が頭に押し付けられる。
健全な男の子なら赤面するか劣情を催すのが普通なのだが、残念ながら僕は呆れるしかできなかった。
これは僕が健全でないから、ではない。
「……ステーキ、食べたいんですか? ヴィオラ姉上、アルト姉上」
柔らかな感触を押し付けるのが、血のつながった実の姉2人だからだ。
「姉上だなんて、他人行儀な呼び方はいけないことよ」
「そうですわ。ちゃんと、ヴィオ姉、アル姉、と呼ぶのが礼儀ですよ」
「礼儀を弁えてるから、姉上と呼んでるんですよ、ヴィオ姉、アル姉」
困ったことに、ため息しか出ない。
自由奔放と言えば聞こえはいいが……いや、あんまり良くないか。ともかく、貴族社会で求められる淑女からは少しばかり遠いところにいるのが、ヴィオラ姉上とアルト姉上だ。
本当に王族の血が入っているのかと疑いたくなる。
「それで、なんの用ですか?」
「まあ、可愛い末っ子に会いに来るのに、用事が必要なのかしら?」
「ヒドいわ、セディ。アルトお姉ちゃんは、悲しくて涙が出てきてしまうわ」
ハンカチで目元を抑える小芝居を始める姉2人。
当然、涙なんて流れてないのでハンカチは乾いたままだ。
「姉上達の性格からして、休みの日はゴロゴロするか、レオ兄上を玩具にするはずです。わざわざ僕に会いに来た時点で、用事があるのは明白です。マリアベル姉上からの伝言ですか?」
小芝居に付き合ってると話が進まないので、勝手に進める。
するとハンカチをしまい、2人そろって「やれやれ」と首を振る。
「もう、セディはレオと違って固いわね。それでは女の子にモテないわよ」
「ヴィオラの言う通りですわ。あんまりに固いと、お目当てのご令嬢に振り向いてもらえませんことよ」
なぜか僕がモテるモテないの話になり、お説教が始まる。
色々と面倒になったのと、お腹がまだ空いているので、適当に相槌を打ちながらステーキを切り分けて口に運ぶ。
なお、カーチェを含む北部メンバーは、2人をいないものとして扱っていた。
姉弟の会話を邪魔しないという配慮と、寄親の姫にイジられるという対応に困る事態を避けるという保身から。あまりの頼もしさに、ステーキを食べる手が止まらない。
「――ということよ。分かった、セディ」
「――ということですわ、セディ」
「ハイ、分カリマシタ。――ところで、マリアベル姉上からの伝言はなんですか?」
鉄板に乗ったステーキがなくなる頃、姉上の話が終わる。
なお、頼もしい友人たちは、自前のティーポッドで紅茶を入れていた。
「マリア姉さまからの伝言? ……アルト、覚えていて?」
「もう、ヴィオラ。忘れてはいけないことですわ。セディの選択科目に関することですよ」
「……ああ、思い出したわ」
うん、紅茶が美味しい。
ステーキで重くなった舌を、紅茶が洗い流してくれるようだ。
「マリア姉さまからの伝言は――1日1コマ、必ず武芸科目を入れなさい、よ」
ティーカップに残っていた紅茶を一気にノドに流し込み、音を立てずにソーサーに置く。
「……なんて、言いました?」
「マリア姉さまからの伝言は――1日1コマ、必ず武芸科目を入れなさい、よ」
「なぜ……?」
「理由までは聞いていないから、知らないわ。ねえ、アルト」
「ええ、理由までは教えてくれませんでしたわ」
食堂には多くの人がいたので、僕は固まるしか出来なかった。
もし、人がいないのであれば、絶対に叫んでいた。
「コンチクショ――!!」
って。