0014
カーチェに手を引かれて講堂に入る。
山猿――もとい、山猫のように野蛮――ではなく活発な性格に見合った筋力をしているので、手が痛い。騒いだから多少は力を抜いてくれているけど、それでも痛い。
「おー、いたいた。お前ら、セド様拾ってきたぞー」
おいこら、拾ったってなんだ。
山猫に手をひかれた捨て猫だっていいたいのか?
「久しぶりだな、若様。顔色悪いけど大丈夫か?」
「本当に悪そうだべ。セドリック様、食堂でも顔見なかったけど、無理してねーだか?」
「いやいや、食堂どころか寮でも見てないぞ。カーチェ、どこで拾ったんだ?」
「ロビーでダウンしてたんだよ。着てるもんは立派なのに、とても貴族の跡取りには見えなかったな。――ま、それはあたいらも一緒なんだけどな」
はははは、っと、僕も一緒になって笑った。
そもそもの話、エルピネクト子爵領がある王国北部には、ほとんどが零細貴族だ。
男爵家以上の貴族なんてエルピネクト家しかなく、人口500人以下の騎士爵が細々と食いつないでいるような辺境。そんな土地を開拓して、数万人規模の都市を築いたんなら、そりゃ爵位を2つも授与されるか。
そんな土地柄なのか、貴族の多くが豪農レベルでしかないんだよね。
よく言えば素朴、悪く言えば垢抜けない田舎者。まあ、さすがに多くないんだけど、僕の周りにいるのってそんなのばっかりなんだよね。なんでだろう?
「それはそれとして、だ。若様は寮にいるんだよな?」
「いや、タウンハウスから通学してる」
「もしかして、領地貴族の当主はって規則を利用してるだか?」
「そうなると――ああ、男爵位を正式に継いだのか」
貴族らしくはないんだけど、皆、僕より頭良いんだよな。
寮に入らなくてもいい規則なんて、普通知らないよ。僕が子爵家を継いだ後、北部盟主としてまとめなきゃいけないんだよね。下手に言質取られないようにしないと。
まあ、バカを相手するよりはマシか。
「……一応、上に30人もいるでしょ? マリアベル姉上の子どもは来年10歳。成人を機に僕が跡取りだって、対外的に示したいって思惑から、無理やり。領地を出る前日に、急に渡されて……」
魔剣グロリアも一緒に渡されたことは、さすがに黙ってる。
だって、4000年前に滅んだ魔術文明時代の魔剣だよ? 美術的価値はもちろんのこと、武器としての性能もピカイチ。使いこなせればって前提はあるけど、神殺しの可能性を秘めているので、僕が持っているのを知られたら絶対に狙われる。
だから、これを持ってるのは秘密にしないと。
「大貴族様ってのは、やっぱ面倒なんだな。セド様のとこは、マリアベル様が掌握しきってるからまだマシなんだろうけど」
「……正直、姉上の傀儡にならなってもいい。可愛い甥っ子から子爵を譲れって脅されたら、喜んで渡してもいいって思ってる」
「危険は発言はやめろよな。誰かに聞かれたらどうすんだよ」
だから小声なんだよ。
でも、姉上に限ってそれはないな。跡取りの僕が生まれたと姉上の耳に入って「よっしゃー!」と貴族令嬢らしからぬ叫び声を上げたらしいから。その後に実家に戻って、懸想をしていた庭師の幼馴染と強引に婚約し、次の年に結婚したから、子爵を継ぐ気がまったくない。甥っ子への教育も、僕の家臣になるように徹底しているしね。
あとはまあ、何だかんだでここにいる子たちのことは、信頼してるし。
「危険なグチを言いたくなるくらい、大貴族様ってのは面倒なんだよ。飼い殺しがイヤで当主を狙う次男も多いらしいけど、別にいいじゃん。働かなくても生きていけるって、最高の環境じゃん。僕もそうなれるならなりたいよ」
「んなバカなことを言うの、きっとセド様だけだぞ」
自覚はしてる。
けど、元日本人の小市民としては、ニートでも生きていける環境には憧れる。
貴族に生まれたと聞いて、嫡男だと知って、人生勝ち組だと一度は思った。でもね。姉上の教育が始まってから思い知った。貴族家当主はストレスが多くて、仕事の種類も量も多いってことに。
あと、貴族のたしなみという名目で行われた、ほぼ虐待と呼べる特別訓練……。
「……叶うなら、川魚と海産物を扱う仕事だけしたいな。……裸一貫で山に放置されるなんてこと、これから先はないといいな……」
おかしいな、目元が熱いや。
なんか汗も頬を伝ってくるし、おかしいな。
「あたいが悪かったから、ハンカチで顔を拭け。もうすぐ入学式が始まるぞ」
「……うん、ありがとう、カーチェ」
ハンカチを受け取って、目から流れる汗を拭く。
これをそのまま返すのは悪いから、胸ポケットにあるハンカチを渡そうとしたんだけど、カーチェは僕の手にあった濡れたハンカチを奪い取った。
そんなこと気にするなって、遠回しに言っているのかな?
ただ不思議なことに、ハンカチを返して顔を上げると、もう入学式は終わっていた。予定よりも早く終わったのかな? と、フタに蝶の意匠が施された懐中時計を見るが、入学式は予定通り進行していた。
不思議なこともあるものだな、と首を傾げながら、友人たちと一緒に講堂を出た。