0114
白い吸血鬼は窓縁に腰を下ろしていた。
鈴を転がしたような声で奏でる旋律は、月の女神を讃えているよう。
歌が終わる待って、僕は拍手……出来なかった。よくよく考えたら、一ヶ月も寝たきりだったんだら、筋肉が衰えていて当然。仕方がないのでマナ回路を起動し、精一杯の拍手を送った。
「もう一曲……」
「歌いません」
「それは残念」
何度でも聞きたくなるくらい、透明感のある歌だったのに。
「お世辞を言われても、嬉しくありません」
「言わないって。君にお世辞言ったって意味ないからね。本当に残念に思ってるんだよ。一ヶ月ぶりに聞く音としては、文句なしに最高だった」
もう一度、拍手をしながら讃えると、白いのは目を丸くした。
「状況を認識しているのですか?」
「塵芥が消滅して、一ヶ月も経ってるってこと? 筋力の衰え方から大体の時間は分かるよ」
本当は、グロリアに教えてもらったから知ってるんだけど、見栄くらい張りたい。
「それもですが……その……」
「――ああ、僕が噛まれたってことね」
言いにくそうな態度で、分かってしまった。
思えば、塵芥に吸血鬼にされたのが白いのだし、白いのは吸血鬼だ。転化の兆候が分かってもおかしくはない。
「もしかして、まだ帰ってないのは僕が噛まれたから?」
「アレが復活する可能性がある以上、私に帰還するという選択はありません」
「なら、報告をしよう。――塵芥は、僕の中から完全に消えたよ」
「そのようですね……」
月明りに照らされる彼女は、夜闇にこそ映える花のよう。
だからこそ、愁いを帯びた顔がよく見える。
「襲われて娘にされたとはいえ、親のことは気になる?」
「――っ、…………何を、見た」
塵芥の首を幾度となく斬っただろう戦斧が、僕の眼前に迫った。
「吸血鬼の転化って、魂を譲り渡すようなものでね。分解する際に、記憶の一部を除いたんだ。覚えていることは少ないけど、その中に、君と塵芥があった」
全部グロリアの受け売りで、それ以外見てないんだけどね。
彼女の手に力がこもっていくのは怖いけど、グロリアを盾にするつもりはない。
「――アイツ、鬱陶しいくらい嘆いてたよ。理想の自分と、現実の自分とのギャップにね。その果てにここまで堕ちてくるんだから、救いようがないよ」
「――黙れ」
「黙らない。僕には文句を言う権利があるからね」
実を言えば、白いのをどうにかするくらい、簡単なんだ。
僕が寝ていたベッドの脇にグロリアがあるから、握らなくても指示を出せば、それだけで終わる。
「アイツとは、短いながらも濃密に語り合ったと思う。僕の行動原理とか、目標とか、そうした深い部分を晒した。アイツも、同じくらい深い部分を晒した。――だから、分かるんだ。アレは僕の、失敗した姿だって。信頼できる人を見つけられなかった僕だって……」
僕は思わず、息を呑んだ。
眼前に迫った戦斧を握る手が、震えているのを見てしまったから。
「…………んで、いつも。……私を…………」
白い吸血鬼は、僕を見ていない。
俯き、何かに耐えるように震え、頬からは一滴の――
「……命ってさ、重いんだよ。普段は死んでしまえって思うくらい嫌いな相手でも、実際に死にそうになったら手を伸ばしちゃうくらいにさ。嫌いな相手でさえそれだ。愛娘って呼ぶくらい情が移ってたら…………破滅するって分かってたら、一緒にはいられないよ」
「……でも……それ、でも……娘と呼んだなら……」
僕には何も出来なかった。
塵芥の遺言をどう伝えればいいかさえ分からないのに、何が出来るというのか。
彼女の、声にもならない声を、聞き流す以外に。何が出来るというのか。
「私達は、どこで間違えたのだろうな……」
月を見上げながら、彼女は問う。
陶磁のように滑らかな白い目元を、赤く腫らしながら。
「厳しいことを言うなら、認めなかったから。自分は理想とはほど遠い存在だって認めないから、精神的に追い詰められる。永遠なんてものはどこにもないって認められないから、禁忌に触れて追放される。君がただ守られるだけの存在じゃないって認められなかったから、こんな所まで追わせてしまった」
個人的には、永遠がないって認められなかったのが致命的だったと思う。
前世の日本で言う所の「諸行無常」だったかな? 万物は常に流転して、神様であっても永遠ではないって。なまじ不老不死になっちゃったから、実感しにくいだろうけど。
「最後のは君にも責任はあるかもね。塵芥に対して、ちゃんと反抗した? 反抗期ってのはね、親と子、どっちにも大切なものなんだ。親は子どもが従順なだけじゃないって気付いて、子どもはアイデンティティを形成する。――まあ、最後の最後に出来たのはいいんじゃないかな。君の人生は今後も続くんだし」
「そんなことは聞いていない」
「それだよ、それ。相手を否定――というより、自分の意見を言うことがとても大事だ」
彼女はやっと、月から目を逸らした。
僕はつい、クスリと微笑んでしまう。
「永遠がないと言ったが、不老不死の我々でもか?」
「もちろん。塵芥が証明――なんて言わないよ。一番分かりやすい質問は、うん。君たちの世界に歴史はあるかい?」
「当り前だ。要望があるなら語って聞かせてもいい」
「その歴史は、永遠と呼べるほど変化のないものかい? もしそうだって言うなら、永遠はあるって断言してあげよう」
白いのの顔に、答えが書いてあった。
「月は中天にかかったばかりか。夜明けまでまだ時間もあるし、質問があるならいくらでも答えるよ。一緒に死線をかいくぐった仲だし」
「ない」
「僕が寝ている間に、塵芥の残り香と会話してたとしても?」
「……ない」
「じゃあ、僕の方から質問させてもらおうか」
質問しなきゃいけないことなんて、何もないけど。
もう少しだけ、続けたい気になっていた。
「好きな食べ物は?」
彼女は答えない。
「綺麗な歌だったけど、歌うの好き?」
彼女は答えない。
「この斧、塵芥と戦った時にも使ってたよね。吸血鬼って見栄っ張りだから剣を使うイメージ合ったんだけど、斧にしたのって身体の小ささをカバーするため?」
彼女は無言で戦斧を消した。
「取り付く島がないってのは、君みたいのを言うんだろうね。うん、分かった。質問は後二つだけにしよう。そしたら、好きにしていいよ」
彼女は迷惑そうに眉をひそめた。
「まず一つ目。――学校祭は楽しかった? 皆、ちょっと君を怖がってたけど、頑張ってコミュニケーションを取ろうとしてたよね。お茶の淹れ方も、最後には様になってたし。僕は楽しそうだなって思ったけど、どう? どんな答えでもカーチェを通じて皆に共有してもらうから、気楽に答えてよ」
「……卑怯者」
「了解。そう伝えとくよ」
夜の静寂でなければ届かなかっただろう、そんな答えだった。
「次が最後ね。一度しか言わないし、やり直しは出来ないから心して答えてね。――塵芥から君への遺言がある。聞きたいなら言うし、聞きたくないなら言わない。どっちにする?」
彼女の時が止まった。
理由は言うまでもないだろう。殺すためとはいえ、塵芥を追って冥導星からここまで来たのだ。ただ使命だとか、怨んでるだけとか、そんな薄っぺらい言葉で言い表せない相手が、自分に残した遺言。
色々と考えてしまってもおかしくはない。
まして遺言を預かってるのが大っ嫌いな僕だからね。
「…………き…………っ、……く」
「そんなに睨まなくても、ちゃんと言うから」
殺気がなくても怖い。
異様なくらい白いから余計怖い。
「……少し待って」
睨んだまま、こっちに来る。
無言でベッドに乗り、僕に体重を預け、顔を首筋に……
「ねえ、それトラウマもの。吸血鬼が首筋って、ちょっと待って」
「早く」
ただでさえダルい身体が、変なこわばり方をする。
真っ白な髪からは、理性を溶かすような甘い香りが漂っている。吸血鬼が首筋に顔を近づけるという根源的恐怖がなければ、僕は本能に負けたかもしれない。
「見事だった……と。愛娘に」
僕は何も聞いていないし、見ていない。
ただ、預けられた身体が、少しだけ震えていたのは覚えている。
僕は何もしない。彼女が何かを言うまでは、何もする気がしなかった。
「ヘタレ……」
「うるさい。僕は父上みたいなロリコンじゃないんだよ」
貴族としての義務を果たすためなら大抵のことは受け止めるけど、ロリはない。
まあ、あえて言うなら、歳が近い人がいいな……。
「夜明けまでなら、ヒマだから付き合うよ?」
「いや、もう充分。モラトリアムは充分にもらった」
彼女の唇が、僕の首筋に触れた気がした。
「セドリック・フォン・エルピネクト。貴卿に感謝を。貴卿がいなければ、――小生は使命を果たせなかった」
彼女は、もうどこにもいなかった。
鼻腔をくすぐる甘い香りと、首筋に残る熱さだけが、白い吸血鬼がここにいたことを証明している。
僕は身体を起こすのに使っていたマナ回路を切り、ベッドに体重を預けるのだった。
吸血鬼はコレで終わりです。
思ったより長くなりました。誤算はセドリックがお茶会をしたり、グロリアがちゃんマス呼びしたあたりかな。映画館を作る予定もなかったし……うん、分かった。セドリックが茶狂いなのが全部悪い(笑)。