0113
日の昇らない、常夜の世界。
夜の明けぬ国を統治するのは、夜と同じく永遠を生きる貴人。
数多の脅威からか弱き民を守護し、民の安寧を保つ貴人が住まうのは、民の献身によって建てられし館。紅き月に照らされた永遠の館を、年端もゆかぬ少女が訪れる。
白磁のごとき白く滑らかな髪と肌。小さく華奢な身体はとても儚げで、瞳には不安が色濃く出ていたが、それも仕方のないこと。少女は、村に迫る脅威があることを、館の主である貴き方に知らせに来たのだ。
失礼のないようにと選ばれたのは、村で最も見目麗しい少女。
精一杯に着飾った少女は、ついに出会えた貴人を前に、怯えを隠せなかった。空に浮かぶ赤き月のように美しき貴人の目が、獣のように鋭く光り、守護すべき少女へと牙を――。
「――なに、この流行らない三文小説みたいな展開は?」
「ちゃんマスのご想像の通り、塵芥の記憶だよ♪ 吸血鬼の転化って、魂を分け与えるようなものでね。当機みたいな万知万能の手にかかれば、解毒の過程で記憶を読み取って保存するなんて容易いことだよ」
「ふーん……ところでさ。この押し倒された白い幼女、もしかして白いの?」
「そうだよ。この後、塵芥は彼女を転化させた責任を取って、彼女を教育することになる。愛しき娘って呼んでたのはそのためだけど、良好な仲とはとてもとても」
感情がないクセに、人間らしい仕草をするグロリア。
でも気持ちは分かる。三文ホラー小説から、売れない昼ドラに変われば、ね。
「音量を少し落として。塵芥の慟哭がうるさいからさ」
「確かにうるさいね。自分のやったことが罪深いことだって嘆くのは、別にいいんだけど。うるさいのはね~」
と言いつつも、グロリアは音量を下げてくれない。
「……うるさいんだけど」
「そうだね~。でも残念ながら、音量調整できるほどの編集はまだでね~」
お詫びのつもりか知らないが、新しい飲み物が手渡された。
とりあえず飲んでみると、冷やしたロイヤルミルクティーだ。僕は「二〇点」と呟いて、グロリアの顔に投げつけた。
「塵芥の素って、こっちなんだろうな。感情的と言うか、悲観的って言うか。人間のことを家畜と見下してたヤツと、同じとは思えないな」
「当機は、普段のちゃんマスと、お茶が絡んだちゃんマスとが同じとは思えないよ」
反省がないようなので、リンゴジュースを頭から飲ませてあげた。
ついでに、コップが空になったのでリンゴジュースをお替りした。
「……真面目な話をすると、冥導星の吸血鬼は本来、人間を家畜扱いしてないよ。愚直なまでにノブレスオブリージュを追及してる。こっちに堕ちてくるのはあくまでも、向こうの社会から弾かれた連中だから」
「それはそれは、随分と生きにくい世界のようだ」
吸血鬼ってのは、総じて人以上の存在だ。
塵芥の姿を見る限り、冥導星でも人を襲う衝動はある。それを隠しながら、高貴な存在として振舞い、人間を守護するだなんて。こっちの貴族社会の闇を煮詰めたような、そんな歪さを感じる。
『――その声は、セドリック・フォン・エルピネクトかっ! どこだ、どこにいる!!』
衝動のままに白いのを襲い、鬱陶しく嘆いた塵芥がそんなことを騒ぎ出した。
とりあえず唐揚げを自分の口に放り込む。うま味がじわっと口に広がるので、どうやら僕は正気のようだ。
「グロリア、あれ何?」
「分解しきれなかった、塵芥の自意識だね。どういう理屈かは不明だけど、当機達の会話を認識しているようだね。魂の不思議ってやつ?」
「不思議がるなよ、万知万能。……気持ちは分かるけど」
僕とグロリアは、同時にため息を付いた。
『……いや、思い出した。小生は、貴様に負けたのだったな。ならばここは貴様の中か』
「気持ちの悪いことを言うなロリコン野郎。僕に男色の趣味はない!」
女の子の相手をするのだって面倒なんだぞ僕はっ!
エルピネクト家の次期領主だからって、複数人を娶らないといけないんだぞ、コンチクショウッ!! 心労で胃が痛くなって穴があくっての!!
「ちゃんマス、論点がズレてるよ。気になるなら、こっち側に再構成するけど?」
「よし、やれ。僕達よりも前の席で、こっちに向けないようプロテクトをかけるのを忘れないように」
「よし来た。――当機は塵芥を再構成中です」
しばらくして、塵芥が最前列の席に現れた。
ジャララッ、と。胴が鎖で巻き付けられる音が聞こえたけど。
「……小生はすでに死んだ身だ。魂の虜囚となるのも文句はないが、囚人扱いは気に食わん」
「僕がお前の顔を近くで見たくないだけだ。食べ物と飲み物は僕と同じのを出してやるから、そのくらいはガマンしろ」
「このイモと肉とジュースのことか? 優雅さの欠片もないな」
「僕はお茶が嫌いで、そういうジャンキーな物の方が好きなんだよ。味は保証する」
渋々と、料理を口にする気配がする。
文句が出ることはなく、むしろ咀嚼音が途切れることなく続いている。
「お替りが欲しいなら、それっぽい合図を出すんだな。ここは僕の世界だから、いくらでも出してやるぞ」
「………………」
食べ物が、どっちゃりと出現する気配がした。
「ふっふっふ。何が貴種だ、何が貴き方だ。ジャンクフードに夢中になる、ただの卑しん坊じゃあないか」
「ちゃんマス、キャラが変わり過ぎ。マウント取れて楽しいんだろうけど、見苦しくて見てられないって、当機は忠告するよ」
「……分かった、気を付ける」
感情のないグロリアが、見苦しいと忠告するって、どんだけ見苦しいんだろうか?
「待て、当機だと。あの化け物がここにいるのか!?」
「あ、やっぱ認識してたんだ。もちろんいるよ。というか、この仮想空間を維持してるのも、その飲食物を出してるのも、お前の言う化け物の力だ」
顔が見れないのは残念だが、きっと苦虫を嚙み潰したようになってんだろうな。
まあ、口には出さないけど。グロリアに聞かれたら、巨大スクリーンに映し出すから。
「この空間を、か……そうか。ならば小生は、負けるべくして負けたのだな」
「どうした塵芥。急に殊勝なことを言い出して?」
「魔法のまの字も知らない貴様では分からんだろうが、世界構築は神域に通ずる秘奥だ。精神世界であろうとそれは変わらん。まして小生のような部外者を受け入れて崩れぬなど、時間改変に届いた小生でも位階が足りん」
「専門分野が違うからじゃない?」
「小生は位階と言ったぞ。例え専門分野が同じでも、理論を理解できるかすら不明だ」
ポテチをお替りするついでに、グロリアの顔を見た。
ロイヤルミルクティーやリンゴジュースをかけた跡は残っておらず、僕の視線に気づいてドヤ顔をしやがった。
とりあえず無言で、唐揚げを口に押し込んでやった。
「気持ちは分かるけど、理解は出来ないな。塵芥の場合は結果が出てるからアレだけど、別に劣ってるから負けるってわけじゃない。戦術で勝てないなら戦略で勝てばいいし、最悪負けなきゃ次に繋がるんだ。長い目で見て、勝つまで続けて、最終的に勝てば勝ちなんだよ」
「……そうだな。ただ一度の敗北で諦めていれば、今の小生はないからな」
「その敗北ってのは、白いののこと?」
「愛娘のことだけではない。その前にも、その後にも、小生は敗北し続けた。小生が真なる永遠を求め時間の禁忌に触れたのも、貴種たらんとする理想を叶えるためだ」
認めたくないけど、理想を追い求める気持ちは理解できる。
僕も、前世で経験した文明的な生活を諦めきれないから。せめて食文化だけはと、足掻き続けている人間だから。
「吸血鬼の常識とか倫理観は分からないけど、一つだけ言えることがある。――お前は、仲間を集めるべきだったんだ。お前の理想に共感して、同じ道を歩む仲間が。僕だけじゃお前に勝てなかったけど、仲間を一緒にお前を殺した僕が証拠だ」
もう、何の意味のないアドバイスをしたのは、黙ってられなかったからだな。
「…………そう、だな。せめてあの子に伝えていれば、あの子がここまで堕ちることは……」
アレは、あったかもしれない僕の姿なのだろう。
姉上に教育されず、前世の常識のみで行動をして、周りとの軋轢に押しつぶされたなら、あんな風に後悔したかもしれない。
(いや、後悔なら常にしてるか。バカな甥っ子を見捨ててれば、こんな苦労はしなかったんだろうから)
グロリアの相手をしなきゃいけないという、精神的にキツイ苦労は絶対になかった。
そう断言できるくらい、管制システムの起動条件は厳しかったから。
「……長居をし過ぎたな。そろそろ暇をするとしよう」
「もう少しくらいなら構わないよ。なんせ起きるまでに一日近くあるんだ。コイツと二人っきりよりはマシだからね」
「貴様がまだ目覚めぬ理由は、小生が残っているからだ。小生の意識が完全に消えたなら、貴様はすぐに目覚める」
そうなの? とグロリアに問いかけると、頷いた。
「遺言はある? 伝える相手がいるかは知らないけど」
「見事だった……と。愛娘に」
塵芥の身体が崩れ始めると、劇場の輪郭が暗くなっていく。
仮想世界が完全に闇に包まれると、これまで聞こえない声を聞いた。鈴を転がしたような美しい声が、旋律を奏でている。僕は意識は旋律に導かれるように浮かびあがり、月明かりが目に差し込む。
「………………まだ、居たんだ。白いの」
白い吸血鬼は僕を一瞥するも、歌うことをやめなかった。
吸血鬼モノがお好きな方には、「ドラクルージュ」というTRPGがオススメ。1600円+税で、お値段以上に楽しめます。