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――懐中時計の幻影が、現れた。
――カチッ、と。針が逆巻く。
白い吸血鬼の戦斧が、吸血鬼の首を飛ばした。
――カチッ、と。針が逆巻く。
黒い魔剣により、胴が二つに斬り裂かれた。
炎の魔法により、全身を焼かれた。
気が付くと、ただの魔剣に首を落とされていた。
――カチッ、と。針が逆巻く。
針が逆巻くたびに、時間が戻る。
時間が戻るたびに、吸血鬼は死因を一つずつ排除した。
だが、吸血鬼の戦闘力は高くない。時間の理に干渉する禁忌を用いなければ、吸血結界を発動するまでに三〇回ほど死んでいる。
(あの男の息子を名乗るだけはある。我が愛娘まで巻き込む手腕、警戒する他ない)
吸血結界と時間干渉の双方を発動することは、吸血鬼の勝利を意味していた。
《告死蝶》にあっさりと殺されたのは、発動する間もなく殺されたからに過ぎない。双方を発動したならば、結界の内側にいる者が死滅するまで繰り返し続けるだけ。
その、はずであった。
(――よもや、小生の結界を反転させるか!? なんだあの魔剣――ぬっ、時間干渉の基点まで書き換わっているとは……)
吸血鬼の時間干渉は、ヘドロのマナを展開した瞬間を基点とし、それ以前に戻ることは出来ない。だが魔剣グロリアの干渉によって、真珠色の六芒星が描かれた瞬間に、基点が変更されていた。
(……いや、不足はない。時間干渉さえ行えるのなら)
それからの時間は、永遠を生きる吸血鬼にとっても長いものだった。
四桁にも及ぶ死を経験しながらも、吸血鬼は一つずつ、敵の戦力を減らしていった。
黒い魔剣を持つ神官の腕を飛ばした。
ただの魔剣を持つ女の足を潰した。
精霊魔法の使い手の腹部に大穴をあけた。
愛娘と呼んだ白い吸血鬼の心臓に、茨の杭を打ち付けた。
四桁にも及ぶ繰り返しの末に、吸血鬼はセドリックの顔面を蹴り飛ばした。
「……ぅあっ!」
魔剣グロリアは地面に突き刺さったまま、セドリックは壁に叩きつけられる。
「……グロ、リ……ア」
「無駄だ、セドリック・フォン・エルピネクト」
ヘドロのマナを固めた剣で、四肢と腹を串刺しにする。
吸血鬼が望む悲鳴は聞こえなかったが、堪える様なうめき声が漏れた事実に笑みを浮かべる。
「貴様の負けだが、誇るがいい。小生にここまで手間をかけさせた家畜は貴様が初めてだ。その事実に小生は、怒り以上の賞賛を覚える。――故に提案しよう」
首に右手を添えると、吸血鬼はそのまま持ち上げた。
「小生の血を受け入れよ。貴様を家畜のまま殺すのは大いなる損失だ。尊き血によって永遠を生きることこそが望ましい」
吸血鬼にとっては、どちらでも構わなかった。
セドリックの答えが、吸血鬼にとって好ましければ血を与えたであろうし、退屈な物であれば首をへし折っただろう。
「……ふはっ、あはは、ははははははは!!」
嘲笑でも、狂った末の大笑ではない。
勝利を確証させた者のみが上げる、雄叫びであった。
「何が可笑しいのだ、セドリック・フォン・エルピネクトっ!!」
首をへし折る寸前に、吸血鬼は答えを得た。
放置されていた魔剣グロリアが起こした、大爆発に巻き込まれるという形で。
――カチッ、と。針が逆巻く。
――魔法使用深度を確認、既定値を突破しました。
――マナ吸収量を確認、既定値の突破しました。
――規定により、管制システムを解放します。
吸血鬼の意識は再び、基点へと戻る。
四桁の死を費やして見つけた道筋には、勝利はないと判断したためだ。
セドリックへの飽和攻撃を中断し――魔剣グロリアに心臓を貫かれた。
「……なっ!」
魔剣グロリアを持つのはセドリック本人であったが、身体を動かしているのはセドリックではなかった。
「当機は、使用者の危機と確認しました。自己判断に基づき障害の排除を――前提条件の誤認を確認。誤認の是正を開始します」
「貴様、何者だ!?」
吸血鬼は、セドリックの身体を動かすナニモノかに、ヘドロの武具を殺到させる。
だが武具は、セドリックの身体に触れると同時にただのマナへと分解され、魔剣グロリアへと吸収された。
「現状の把握に成功。事象干渉、又は時間干渉の可能性大。対策を講じます」
「小生を舐めるな!」
ヘドロではナニモノかを傷付けられないと、吸血鬼はその鋭い爪を、動かせなかった。
真珠色の鎖によって吸血鬼は動きを封じられていた。
「吸血鬼の捕縛に成功。術式への干渉法を再検索――失敗。原因を模索、マナの不足を確認。補充を実行します」
真珠色の六芒星が強く輝くと、莫大なマナが魔剣グロリアへと流れ込む。
その流れは、マナの流れに鈍感な物でさえ感じ取れるほどのものだった。
「蘇生を禁止する呪詛を吸血鬼の内部に確認。干渉を開始します」
魔法使いでないセドリックが、莫大なマナを扱うという事態に、誰もが動けなかった。
異常ということ以上に、干渉のための手段を奪われていたからだ。吸血鬼と同じように、真珠色の鎖によって。
「……お、おい。カーチェ嬢。あれ、エルピネクト……だよな?」
「その……はずだ。少なくとも、身体は……」
「使用者の思考に揺らぎを確認。共闘者の会話が原因と判断。対処します」
真珠色の鎖が、全員の口を塞いだ。
「呪詛の書き換えに成功。効果を説明します」
「……なぜ小生に対して?」
「回答を実行。当機は吸血鬼を干渉型の不死と断定。殺し方は二通り存在します。干渉手段の排除、又は精神的な敗死。そのためと回答します」
「答えても殺せると? 小生も舐めれたものだ」
吸血鬼は、言葉を軽視しない。
たった一言で、自身を三〇回殺したセドリックという実例があるから。
だが、軽視しないだけだった。
「呪詛の発動条件を、干渉の発動に変更しました」
「…………っ」
「現在の力量差では、干渉そのものの改変は不可能です。しかし、呪詛による縛りを加え続ければ、どうなるでしょう?」
時間の理に干渉する吸血鬼は、歴史に名を刻むほどの魔法使いだ。
その頭脳は、力量差が縮まれば干渉の改変は可能だと、言っている。
「……貴様がナニモノであるかなど、小生はどうでもいい。だが、ここで小生を殺されれば、貴様は再び表に出てこれるのか?」
「回答、現状は奇跡的な確率で成り立っています」
「ならば、小生の勝ちは揺らがない。時間を与えれば与えるほど、呪詛を解除する可能性が高まるぞ」
「当機に感情はありません」
恐れも、喜悦もない声で、ナニモノかは答えた。
「しかし人であれば、道化、又は滑稽と評するでしょう」
ナニモノかにとって、それは最大限の嘲笑であった。
セドリックが《告死蝶》の息子だと宣言した時と同等の感情を放出し、吸血鬼は指一つ、動くことが出来なかった。
「当機が起動する要因を作ったのは、吸血鬼です。当機が表に出る要因を作ったのは、吸血鬼です。当機は、使用者の生命に深刻な危機がない限り、表では動きません。故に宣言します、吸血鬼。自らの腕で、自らの首を絞める気分はいかがですか?」
「感情がない割には饒舌だな」
自害すら許されない吸血鬼に出来る事は、もう何もなかった。
「当機はこの会話と、この行動を記録する術はありません。それでも、当機は断言します」
ナニモノかは、魔剣グロリアの柄を強く握った。
「当機の使用者は、当機を起動しました。当機を起動した者は、使用者で二人目です。一人目の使用者は、吸血鬼よりも強大な敵を打ち払いました。当機は、強大な敵を前提に製造されました。当機を起動するほどに、当機を使いこなす使用者が――」
セドリックでは決してできない洗礼された動作で、魔剣グロリアを斬り上げる。
「――吸血鬼ごときに敗北することなどありえません」
――カチッ、と。
――針が逆巻く音が鳴った。