0107
(……し、死ぬか……と、思った)
プライドが異様なほどに高い吸血鬼のことだから、僕が父上の息子だって知ったら隙が出来るかなって思ったんだ。
それだけ、だったんだ……。
(何したの……ねえ、父上。コイツに、一体……何したの?)
ヘドロみたいなマナを放出するわ、他には目もくれずに僕を殺しそうとするわ、タガを色々と外し過ぎだろう!
(……現実逃避はここまでにするとして――想像以上の化け物だったわ)
名前を伏せて、ここぞという場面でヘイトを爆発させる作戦は、上手くいった。
吸血鬼が僕に攻撃する寸前に、白いのが奇襲を仕掛けたから。いやね、走馬燈が走って時間がすっごい遅くなってたから、あの奇襲が完璧だったって断言できる。身長以上にデカイ戦斧を良く使えるなって、感想を持ったくらいだ。
なのにあの吸血鬼は、ヘドロとなったマナを盾にして防いだのだ。
もちろん、僕以外は一流が集まっている。白いのが失敗しても、次々と攻撃を加えていった。エドワード君は神聖魔法と剣術を組み合わせた連撃を。魔法使いの女性は炎を使った牽制を。カーチェは高速機動によるヒットアンドアウェイを。
だがもっとも苛烈に攻めていたのは、白い吸血鬼だ。
奇襲による初撃が防がれた後も、至近で戦斧を振るい続けるだけでなく、数え切れないほどの武器をマナで具現化しては、弓矢のように撃ち出したり罠として利用したりと、僕だったら軽く二〇回は死んでる。
だってのに塵芥な吸血鬼は、それはもう完璧に防ぎやがる。
認めたくないけど、芸術的なくらい完璧に。
「舐めていたぞ、家畜――否、セドリック・フォン・エルピネクト。よもや言葉のみで、小生を三〇も殺すとは」
「……ついにボケた? いくら不老不死だからって、精神は摩耗するってこと?」
僕に話しかけるなんて余裕があるな、ボケたみたいだけど。
というか、話しかけんじゃねえよ。攻撃したら何も出来ずに死んじゃうから、グロリアを構えて突っ立ってるだけなんだよ。
情けなくて泣きそうだよ!
「貴様のような凡俗には分からぬ、真理があるのだ――領域起動。収穫の時来たれり」
グロリアから与えられた視界が、妙なマナの流れを捉えた。
ヘドロのようなマナが脈動し、細い管のような何かが僕達に絡みつく。その管が、僕の中にあるマナや何かを吸い上げようとするのを視認し、グロリアを床に突き刺した。
「グロリアっ!! 全力で吸収しろ!!」
吸血鬼がなぜ吸血鬼と呼ばれるのか。
理由は前世と変わらず、連中が血を吸うからだ。だが、連中が血を吸うのには、二つの理由がある。
一つは、吸血鬼同士が行う、親愛としての吸血。
もう一つが、吸血鬼以外と行う、食事としての吸血。
前者の吸血は僕達に関係ないから別にいいとして、後者の吸血は嗜好品の摂取に近い物があり、吸血という形を取らない場合もある。
もちろん、ポピュラーなのは噛みついて吸うことだけど、ハッキリ言って効率が悪い。
だからなのかは知らないが、吸血鬼の中でも魔法に長けた個体は、吸血以外の手段で食事をする。目の前の塵芥が行うように。
「やはり魔剣だったか。よもや小生の奈落と拮抗するとは。よほど特殊な効果を持っているようだが、無駄が多いぞ」
「全員聞け! マナを吸われている! じり貧になる前にコイツを殺せ!!」
拮抗で、無駄が多いか、その通りだよ塵芥っ!
ああ、認めてやるとも吸血鬼。お前は間違いなく、父上が動く案件だよクソったれ!
(このヘドロは、コイツの胃袋そのもの。冥導星の奈落領域の内側でのみ発動できる、コイツ自身という名の奈落領域。マナだけじゃなくて生命力まで吸い尽くすとか、どんだけの大食いなんだよっ!?)
グロリアのマナ吸収能力をフル活用して、最大限妨害しているけど足りない。
生命力を吸われたらすぐに詰むから優先して消去したけど、おかげでマナ吸収を妨害しきれない。吸収速度を三分の一にするので手一杯だ。
(父上はきっと、これを展開される前に殺したんだろう)
あの人の武は極まってるから。
僕も体験したことあるけど、見えないんだよ。速過ぎて見えないんじゃなくて、こっちの盲点に潜り込んで認識できなくなるって意味で、見えないんだよ。
ああ、もう。
なんで父上じゃなくて僕が相手してんの!?
「無茶言うなエルピネクト! どうにかできねえのか!」
「どうにかしてるから、マナ程度で済んでんだよバカ野郎! 何もしなかったら数十秒で干からびてグールの仲間入りだ!!」
エドワード君に怒鳴って少しだけスッキリした。
そもそもの話、父上と比べたら誰だって力不足だ。僕は当然のことながら、エドワード君や白い吸血鬼も同様に。
(問題は、グロリア一本では足りないってこと。でもグロリアが二本、三本あったところで、扱える者がいない。また、遊兵は僕しかいない、か)
この詰みかけた状況をどうにかできるのは僕だけであり、グロリアだけである。
ならまずは、グロリアについて考えなければいけない。グロリアの本質から何からまで、基本に立ち返る必要がある。
(グロリアの性能は、マナの吸収と変換。何も知らなくても、自分のマナを蓄えたり、攻撃魔法に変換したりすることが可能。使い方に気付けば魔法をマナに分解したり、慣れれば運動エネルギーの変換も出来る。――ただ、複雑になればなるほど、マナの変換率は落ちる……というよりも、吸収する前にマナを消費する)
つまりマナの変換という機能を発動するために、マナを消費するということ。
例えば、マナ一〇〇を消費して威力一〇〇の攻撃に変換する場合、マナ一〇〇とは別にマナを消費する。この消費量は変換の難易度によって変わる。
(グロリアの本質は、剣ではなく杖。なら、状況を覆す魔法を使えばいいだけの話)
落ち着いて、グロリアをよく見る。
確かに全力でマナを吸収しているが、あくまでもヘドロそのものを吸い取っているに過ぎない。内側に蓄えた膨大なほどのマナは、一片たりとも使用していなかった。
「――グロリア。どれだけのマナを消費してもいい。どんな手段でも構わないから、吸血鬼の奈落を壊す方法を教えろ」
命令することに意味があるかは分からないが、グロリアには意思がある。
問いかければ意思表示をする時もあるし、熊の幻獣に殺されかけた時は自発的に助けてくれた……と、思っている。グロリアに意思があるからこそ、僕はここまで生き延びてこれたと言えるが、意思があるからこその不安もある。
機嫌を損ねたら、力を貸してくれないってことだ。
幸いなことに、グロリアはマナを消費して切っ先に何らかの魔法を発動させた。加えて、マナを見通す視界に、五つのポイントが示された。いま、僕がいる場所とそれらのポイントを結び合わせると、六芒星になる……気がする。
「すぅ……はぁ――」
道が示されたのなら、後は駆けるだけ。
グロリアを傾けると同時にマナ回路を起動。脚力の強化に全力を注ぎこみ、脇目もふらずに走り出した。
「この期に及んで、小生が貴様を軽視すると思うのか?」
思わないけど、僕は対応なんてしない。
茨のように変化したヘドロのマナが、僕の命を刈り取りに来た。グロリアの機能を使えば容易く防ぐことは出来るが、足を止める必要がある。それは、遠回しな死を意味する。
詰み寸前の状況を打破するために走っているのに、その足を止めるなどあり得ない。
それに、僕は信じている。
「――よもや、あの豚を狙うヒマがあると思っているのか?」
僕を狙うことで生じる隙を、見逃すバカはこの場にいないって。
ヘドロの茨を刈り取ったのは白い吸血鬼だった。身の丈ほどもある巨大な戦斧を投げ、茨のついでとばかりに塵芥を攻撃した。
「しつこいぞ、我が愛娘。反抗期を気取るのはよいが、小生の手を煩わすな」
「貴様の娘になった覚えなどない!!」
僕を狙うたびに、塵芥に傷が増えていく。
傷と言っても瞬き一つで消えるほどのもの。だが数を重ねるたびに傷は深く、深く、刻まれていった。
「――っ!」
もちろん、僕も無傷ではない。
四肢欠損こそなかったが、肉は抉れ、二の腕が通りそうな大穴まで出来たほど。グロリアの治癒魔法が、死人でない限り戦線に復帰させるほどに強力でなければ、とっくに死んでいた。
「……これ、で……六つ!」
断言するが、軽く一〇回は死んだ。
前世で「死ななきゃ安い」という言葉があった気がするけど、安くはない。
コツコツ貯めてきたグロリアのマナは九八%ほどなくなり、僕の精神もズタボロ。身体からはギシギシという軋み音が聞こえるようだ。
……まあ、身体に関しては治したばっかだから、ただの幻聴だけど。
「さて、グロリア……ここからどうしろと?」
ポイントにグロリアを突き刺すごとに、マナの減少速度が下がっていたのは感じた。
だから何か起こると思うんだけど……――っ!?
「おいエルピネクト――お前何したっ!?」
知るかバカっ!
と言いたいけど、言う気力は残ってない。
六つ目のポイントにグロリアを突き刺した時点で膝が地に着き、グロリアに寄りかからなければ、五体投地のマネ事をする羽目になるからだ。
「…………後は、頼む」
グロリアを突き刺したポイントから、真珠色の線が伸び、シンプルな六芒星を描く。
真珠色の魔法陣が完成すると、マナを吸い取られる深い感覚が消える――どころの話ではない。魔法陣から、マナと生命力が供給されるという、逆転の現象が起こったのだ。
供給源は、間違いなく吸血鬼。
先ほどまでと異なり、ここからは時間が経つごとに有利になる。フラグになるから言葉にしないが、負ける道理など――。
「言ったはずだ。小生は――貴様を軽視しない、と」
完璧な奇襲だった。
誰もが塵芥に意識を割き、それ故に生じた隙を突かれた。
茨などという悠長な攻撃ではない。槍が、矢が、斧が、剣が、怒涛の如く僕に降り注ぐ。
僕を含め、誰一人対応できないはずの奇襲は、
「……………………グロ、リア?」
真珠色の真球に阻まれた。
おそらくは、塵芥の心血を注いだ攻撃だったのだろう。
「言ったはずだ。あの豚を――狙うヒマがあると思っているのか、と」
白い吸血鬼の戦斧を映す塵芥の眼に、驚愕の色が浮かんでいた。
――カチッ、と。
――何かが鳴った音を聞いた気がした。