0106 カーチェ
殿下とフォスベリー様を抱えながら、外の様子を窺うと、地獄が広がっていた。
「……あいつらは、ちゃんと逃げたんだろうな?」
「お客様の中に騎士様がいたから大丈夫だと思うわ」
「まあ、吸血鬼よりはマシだからな。あたいも……荷物を持ってなきゃ突破できますし」
「殿下を持って帰ってくれるなら、捨てられても構わないわよ?」
「両方捨てなきゃ無理だからなしですね。……殿下だけ捨てていいなら、頑張りますけど」
セディじゃないけど、あたいも殿下は嫌いだ。
キャンキャン吠えてるだけだし、フォスベリー様に結構迷惑かけてるし、なにより気に食わないのがまだフレデリカに粉かけてるってこと。
脈ないんだから、いい加減諦めろってんだまったく。
「なら、仲良く共倒れになるのかしら? 殿下と二人っきりでないからマシだけれど、なかなかに困るわ」
「あたいも困るけど……手助けしてくれるって思って良いんだよな?」
いつの間にか、扉の前に立っている白い少女に向かって声をかけた。
常識で考えれば、一〇歳にしか見えない少女に助けを求めるのはどうかしている。だが、セディはこの白い少女を温存した。
それだけで頼りにする根拠としては充分だ。
「……め。あの……が……」
頼りにしたいんだが、あたいの言葉が耳に入っていないみたいだ。
小声でぶつぶつと何事かを呟いているが、聞こえない。だが不思議と、誰かへの恨み言を口にしている気がする。
「……なあ、大丈夫か?」
あたいの質問に答えず、白いのは扉を開け放った。
自分の家の庭に出るような気軽さで前に出て、
「あの――クソ豚があああぁぁぁっっっ!!」
亡者の群れが黒い槍に串刺しにされた。
「何が、何が動くなだ! 何が命令だ! 契約で縛られてなければ、八つ裂きにする所業だと分かっているのか!!」
……なんというか、各方面に同情したくなる光景が広がっていた。
荒ぶるほどにまでにストレスを溜めていた白いのはもちろん、それに蹴散らされる有象無象の亡者共にも、あの激情の対象であるセディにも、同情しか出来ない光景だ。
「ねえ、カーチェさん。あれは、マナの具現化ではないかしら? あれが出来るのは吸血鬼のみと聞いているのだけれど、そういうことなのよね?」
「ハッキリと聞いてねえけど、多分」
どこでこんな化け物を見つけたんだと文句を言いたいけど、よくよく考えたら目の前で勧誘が行われていた。
(あの人たちはもう、なんで化け物と契約するんだよ!?)
奈落領域と戦争しているくせに、なんで利用するって発想が出るのか理解できない。
いや、理由は分かる。化け物を殺すために化け物をぶつけるって理論は分かる。でも思いついても実行するか?
普通はしねえけど、普通じゃないからエルピネクトの領主なんてやれるってことなのか?
「周囲の亡者は掃討しました。どちらへ向かいますか?」
「……本館を目指してくれ。あそこなら人が多くて安全なはずだ」
「分かりました。先導します」
人目を気にしてなのか知らないが、白いのは無数の槍を具現化するようなマネはしなくなった。一本のハルバードを手に、近づく亡者共を薙ぎ払っていく。筋力はおそらく、見た目通りでしかない。それを武器の重量や遠心力で補っていた。
武人として認めざるを得ないほどに、その武は極まっている。
どれほどの時間を武に捧げたのか、想像すらできないほどに。
「――こっちにくるなんて意外ね。セドリックはどうしたの?」
本館までたどり着くと、マリアベル様が立ちふさがった。
近く亡者を武器にして、押し寄せる亡者共を撃退する姿は、どこか喜劇じみている。
「一人で足止めをしている。これを置いて、エドワードなる者と合流しだいすぐに戻る」
「そう……私の助けはいるのかしら?」
「間違っても姉は連れてくるな、と言っていた」
「理解したわ。なら、救護室にでも放り込んでおきなさい」
短く言葉を交わすと、マリアベル様は戦いに集中する。
戦っているのはマリアベル様一人ではないが、一番目立っていて、一番戦果をあげている。もう一人でいいじゃねえかって活躍ぶりだが、相手は無数の亡者だ。
いつ途切れるか分からない以上、一人で戦うのは得策ではない。
マリアベル様もそれは分かっているだろうが、英雄的活躍が必要な物量差だ。セディはこれを見越して、マリアベル様を呼ぶなと言ったのだろうか?
「救護室はどこ?」
「こっちだ」
白いのとあたいの順番が入れ替わる。
校内に亡者がいない以上、白いのが先導する必要はない。最短距離で救護室に到着すると、そこもまた戦場であった。
「包帯が足りないぞ! 誰か持ってこい!!」
「鎮痛剤はその棚にあるから使え! 血が出た? 動脈が斬れてないなら適当に傷を塞いどけ!! 優先順位を間違えるな!」
「回復魔法は戦えるヤツを優先だ! 非戦闘員にかけてる余裕はねえ!!」
マリアベル様や白いのは事もなく潰していたが、数え切れない亡者とは砦を落としうるほどの脅威だ。
患者が救護室の外にあふれている程度で済んでいるのは、被害が少ないと言うしかない。
「待ってたわ、カーチェちゃん。思ったよりも早かったのね。殿下は邪魔にならないよう廊下に転がして、ついてきて。あ、白いあなたは、この聖印を首からかけてね。見えるように、目立つように、そんな感じで。じゃないと、エー君が斬っちゃうかもしれないからね」
患者に回復魔法をかけていたフラヴィーナ様が、有無を言わさずにあたい達の手をひく。
殿下は言われたように適当に廊下に転がして、フォスベリー様もここで降ろす。どっか安全な場所を探すかと思ったが、どうやら救護室の手伝いをするようだ。
気絶して文字通りお荷物の殿下とは出来が違うな。
「……異教の神の印を下げろと?」
「いきなり斬られたくないでしょ? 斬られても文句言えない立場なんだから、贅沢言わない。標的を狩るためなら、どんな不名誉も背負うんじゃないの?」
「……貴様、何処まで知っている」
「狩人がいるって、神様からお告げを受けただけよ」
うさんくせー。
いや、フラヴィーナ様に神の声が聞こえるって部分については、疑う気はない。神聖魔法を使ってるから、疑う余地はない。
ただ、お告げってなんだよ。
白いのでさえ、何ってんだコイツって顔してるぞ。
「……まあ、時間もありませんからね。進むならなんでもいいです」
「そうね。セーちゃん一人で頑張ってるものね。早く援軍を送ってあげないと」
おかしい。援軍を送るっていう至極まっとうな話題なのに、うさんくささが抜けない。
この人を基準にすると、神官という存在を誤解してしまいそうだ。
「エー君、ジョゼちゃん、おまたせ。二人を奈落の底に招待してくれる案内人を連れてきたわ」
空き教室にいたのは二人。
探していた《黒剣》エドワードと、彼のパーティーメンバーである精霊使い、シルディーヌ。
「どういうつもりだ、ラヴィ。元凶を殺すために俺達を温存するのは分かるが、なんで吸血鬼がいる。ご丁寧に雨と嵐の女神の聖印までくっつけて」
「プリュエール様のお告げだからよ。元凶を殺したがってる狩人がいるから利用しなさいって」
「……ゲーアノート様を信仰してなくて良かったな。どんな理由であれ、奈落の連中を率先して利用なんてしたら奇跡を取り上げられるぞ」
討魔の軍神ゲーアノート様は、神々の中でも過激だからな。
その具現である討魔士――クルセイダーなんて、頼んでもないのに奈落領域を潰しに行くような連中もいるし。偶にエルピネクトにも出没して、行方不明になるって噂もあるし。
「ゲーアノート様の神官じゃないから大丈夫よ。そんなことよりも、早くセーちゃんを助けに行ってあげて。たった一人で吸血鬼を足止めしてるよ」
「俺にとっちゃどうでもよくないんだが……カーチェ嬢。君はそれは信用してるのか?」
「白いの自体は信用してねえけど、白いのを契約かなんかで縛ったセド様とマリアベル様を信用してる」
白いのを本館に連れてくることは、かなりのリスクだ。
マリアベル様や、ここにいるメンバーは白いのを吸血鬼として認識しているが、他の連中には姿さえ見えていないだろう。
それほどまでにこの白い吸血鬼は、存在感を薄められるのだ。
「契約なら、信用しても……いいと思う。吸血鬼にとって……見栄や誇りは命より重い。狩人なら……標的を殺せる機会を……逃すわけがないもの」
「ジョゼもそう言うなら、信用しよう。――だが、妙なマネをしたら殺す」
「構わない。アレを殺せるなら、どんな苦汁も飲み干してみせる」
声はギラついているのに、気配が全くない。
吸血鬼とか抜きにしても、この隠密性は脅威だな。
「話はついたようだし、私は救護室に戻るわね。みんな頑張ってね」
どこぞのうさんくさい神官は、それだけ言い残して消えていった。
セディの援軍にならないのかって言いたいけど、神聖魔法の使い手として優秀だからな。あの人が抜けたら瓦解が早まりそうで、強く出れない。
「……アレは気にしないで、行くか。喫茶店の会場でいいんだよな?」
パーティーメンバーにまで、そういうもの扱いされるって、相当だな。
だがまあ、援軍としては充分か。黒剣に加えて、精霊魔法の使い手も加わったからな。戻る際に亡者の大群に襲われたけど、白いのと黒剣だけで片が付いた。
ジョゼはマナの温存ってことで何もしなかったけど、あたいは何も出来なかった。
するまでもなく片が付いたからな。
(なんて言うか、あたい、いていいのかな?)
今更、抜ける気はねえけど、ここにいるのはあたいを除いて全員が一流。
セディだってそうだ。攻撃がダメダメなのは変わらないが、守備に徹すればマリアベル様や吸血鬼ともやり合える。
(……いや、迷うなんて贅沢だな。ただ敵を斬ればいいだけの話だ)
覚悟を決めるとすぐに、セディと吸血鬼が残る体育館の前に到着した。
「カーチェ嬢、知っていたらでいいが、アイツに作戦とかはあるのか?」
「白いのを奇襲に使うとは思う。隠蔽するような態度だったから――ああ、あと、自分の素性も隠してたな。殿下がセド様の家名を呼ぼうとしたら、不自然に怒鳴ってたから」
「なら、名前を呼ぶのも極力避けよう。――吸血鬼、お前は見つからないように別行動だ。アイツが隙を作るまでは絶対に出てくるなよ」
「………………遺憾だが、心得た」
白いのは気配のみならず、姿まで消した。
「じゃ、入るぞ」
エドワードが先頭となり、裏口から中へと侵入する。
正面から行くと中の様子を窺うことなく接敵するからな。裏口から入ると厨房スペースに出る。そこからセディが吸血鬼と対峙しているであろうホールを覗くと、予期しなかった光景が広がっていた。
「……なあ、楽しそうにお茶会を開いているように見えるんだけど、俺の気のせいか?」
「あたいにも、お茶会やってるようにしか見えないな。ただ、セド様は楽しいわけじゃないと思うぞ。普段は飲まねえロイヤルミルクティーを淹れた後があるし」
「学問の話……を、していると。禁忌とか……真理とか……そんな単語が聞こえます」
時間稼ぎって考えれば悪くはない。
切った張ったするよりも危険は少ないし、会話から相手の情報を集めることが出来る。
(でも、吸血鬼を前にしてお茶を飲む精神は理解できない)
セディなりに合理的な理由があるのは分かるよ。
感情的に動いても、動いた後は理性的に落としどころを探るから。でも、よく常識外れなことをするからな。だから茶狂いって呼ばれるんだって気付いてんのかな?
「――さて、時間稼ぎはここまでにしようか」
セディが席を立つと同時に、あたい達は吸血鬼を囲うように展開した。
吸血鬼はあたい達に目もくれず、セディだけを意識している。それなのに、腐臭にも似たマナに晒されるだけで、心臓が止まってしまいそうになる。
「そう言えば、塵芥な寄生虫以下共は、決闘とか名乗りとかが好きなんだったよね? 個人的にはまーったく理解できない文化だけど、特別サービスとして名乗ってあげようじゃないか。塵芥と僕との間には、浅からぬ因縁ってのがあるからね」
この空気の中、よく軽薄な態度が取れるものだと感心しながら、あたいは全体を俯瞰する。
セディはよく理解できない行動を取るけど、大体の場合、合理的な理由がある。ましてや、わざわざする必要のない説明しているときは必ず。
「人界へようこそ、寄生虫以下の塵芥殿。僕の名前はセドリック・フォン・エルピネクト。お前を殺した《告死蝶》ケイオス・フォン・エルピネクトの跡取り息子だよ、お目々ガラス玉な節穴野郎」
変化は劇的だった。
腐臭のようなマナが、真っ黒なヘドロとなって具現し、体育館全体を包み込む。
あたい達が囲っているのを忘れたように猛り狂い、血走った眼光でセディを凝視する。セディだけに放たれた殺意は、余波だけであたいの意識を薄れさせるほど。何かあると予想していなければ、これだけで死んだであろう。
あたいは、それに耐えるので手一杯で、動けなかった。
吸血鬼がセディを殺すために身体を傾け、
「――――ッッッ!!」
無防備となった首筋に、白い吸血鬼が戦斧を振るった。
――カチッ、と。
――何かが鳴った音を聞いた気がした。