0103
天使、悪魔、吸血鬼に代表される外導星の化け物達。
人類にとって不倶戴天の敵であるこれらと関わり合いになる機会は非常に少ない。貴族・軍人・冒険者などの戦闘の専門家でもない限り、一〇〇年単位で遭遇することはない。
これは僕であっても例外ではない。
エルピネクトは天使が住まう天導星の奈落と隣接しているが、実際に戦っているのは姉上や騎士達。次期領主の教育の一環で、動いてる天使を見る機会はあった。でもその時は、命の危険なんてほぼない護衛体制を敷いて。
だから僕にとって今日が初めての日なのだ。
――奈落の脅威に身をさらしたのは。
「お、おい――エル」
「ちょっと黙ってろ殿下――」
循環器系マナ回路、幻体技、グロリアを駆使した、三重の身体能力・五感強化。
姉上やメイド達によってたかって鍛えられた防御術。
運動エネルギーをマナに変換して衝撃を消す魔法。
第四位冒険者が相手でも、サシで戦えば持久力勝負で勝ちを拾える性能であると自負している。夏に討伐した熊の幻獣も、これらを駆使して勝ったから。特に三つ目の運動エネルギーの変換は、世界が変わるほどの衝撃があった。
これらを十全に駆使してなお――吸血鬼は化け物であった。
「粘るな家畜」
「当り前だ塵芥」
一歩距離を詰める間に、一〇合斬り合った。
度を越した三重の身体強化と、あるはずの反動をマナに変換し、相手の攻撃に触れることだけに集中して、ようやく合わせている。
もうね、こっちはね、目がチカチカして頭に霧がかかるくらいの負荷があるの。
かなりの無理をしてるってのに、吸血鬼は余裕綽々って。これだから化け物は。
「……おい殿下。死にたくなかったら僕の後ろ――いや絶対に動くな」
甥っ子が動こうとした瞬間に、斬撃が三合飛んできた。
「何が……」
「頼むから黙ってて余裕がないのというか危機感なさすぎもっと本能を磨けよモヤシ死ぬぞマジで自殺したいなら止めないけどお前が死んだら僕に迷惑がかかるんだよそんなんことも分かんないから僕にバカにされてんだよ気付いてるいや気付いてるわけないよね気付いてたら気絶するか発狂するかマジで黙ってるもん少しは気付けよバカヤロー!!」
攻撃を捌くことに集中しすぎて、普段の鬱憤を垂れ流した気がする。
でもこのくらい言わないとコイツ黙らないし動かない。だってバカで可愛くない甥っ子だもん。おかげで右肩をざっくり斬られた。
「……グロリア」
歯を食いしばりながら、グロリアの中にある治癒の魔法を発動。
怪我が長引けば首と胴のお別れ会を開かないといけないので、全力でマナを消費する。
「屠殺に手間をかける趣味はないのだがな」
「はんっ。慣れない速度で剣を振るから、結果的に手間がかかるんだよ素人」
僕と甥っ子がまだ死んでない理由は、まさにそこ。
仮に父上が相手だったなら、初撃は防げても次で首が落ちる。何の鍛錬もしていない、一般人が出せる速度で剣を振られても、だ。
「お前の本来の戦闘スタイルは、魔法か何かを使った中距離戦ってとこだろう? それも物量で面制圧する類の。初手でそれをされたらなす術なかったんだけど、選択しなかった理由は何だろうね? 日没すぐで力が出せなかった? 殿下の殺し方を指定された? もしくは別の理由?」
グロリアを正眼に構えながら、ゆっくりと距離を詰める。
相手の反応を見ながら、初動を見逃さないようにしながら、甥っ子を背にするまで後二歩の距離にまで近づいた。
「賢者のマネ事とは見苦しいな」
「あっはっは、マネ事をするまでもないね。自分じゃポーカーフェイスだと思ってる間抜け相手なんて、質問しただけで答えが分かるもん。ねえ、教えてくれない? 家畜って蔑んでる人間にボロ負けして、消滅する寸前のところを家畜に助けられて、助けた恩を首輪に屠殺業者のマネ事をさせられている寄生虫さん」
意識を失いかけるほどの重圧が、吸血鬼から放出された。
これは魔法みたいなちゃちな手品ではない。化け物がただイラついただけのこと。生物としての本能が、怪物を畏怖しただけのこと。
僕はさらに二歩進み、吸血鬼と対峙した。
「図星を突かれたからって、反応したらダメだぞ」
「気が変わった――」
それ以外の言葉はないが、何を意味するかは分かった。
心を鎮めるために深呼吸をして、グロリアを握り直す。
「命令だ。殿下とロズリーヌさんを安全な場所まで護衛。その後、エドワード君を連れて戻ってこい。間違っても姉上は連れてこないように。――以上」
残っているのは、吸血鬼と僕を除いて四人だけ。
うちで働いていたお嬢様方は、僕が吸血鬼と斬り合っている間にお客さんを連れて非難している。避難訓練でもしていたかのように迅速に。
逃げ遅れたのは、標的の甥っ子と、近くにいたロズリーヌさん、さっき吸血鬼に斬りかかったカーチェに、姿と気配を隠して潜んでいる小さくて白い化け物。
「……セド様、殿下が気絶してんだけど、荷物として扱っていいか? 優雅にお茶飲んでるけど足の遅そうなフォスベリー様と一緒に」
「好きにして。命令守ってくれるなら、どんな手を使ってもいいから達成してね、白」
カーチェに指示を出すふりをしながら、小さくて白い化け物に対して言う。
姉上が契約で縛ってなかったら、とっくに突貫してるもんコイツ。カーチェを止めるフリして白って呼んでなかったら、今頃は大乱戦。甥っ子や僕はもちろん、まだ残っていた全員が殺されてただろうから、ファインプレーだと思う。
「じゃ、あたいが戻ってくるまで死ぬなよ」
「ちゃんとエドワード君を連れてきてね。姉上じゃなかったら追加も可だよ」
二人を抱えたカーチェは、僕には出せない速度で、裏口から離脱する。
僕は気配を負えないけど、小さくて白い化け物も追っていったことだろう。
「人払いは済んだけど、何の用なの?」
「聞かぬのか?」
主語がない。
何を聞いてるのか分からない。
でも、この状況ならアレかな?
「殿下を逃がしても良かったのかってこと? 質問する意味を感じないな。だって、問題ないから逃がしたんでしょ。あんまり考えたくないけど、すでに奈落領域を展開してても驚かないよ、僕は」
思いつく限りの最悪を言っておくべき場面だと、僕は知っている。
世の中は最悪を想定してようやく、半分当たるってもんだからね。
「目端は利くようだな。護衛を付けたのもそのためだろうが、無意味だ。外は冥導の亡者で埋め尽くされている。最善ではないが、学生程度では生き残れまい」
……亡者って確か、グールとかスケルトンとかだったよな。
上位種ともなると、下手な幻獣より強いって聞いたことある。上位種はいないとしても、埋め尽くすほどの物量ともなると、援軍はすぐにはこないだろうな。
「残念ながら、僕は外に気を配れるほど強くないんですよ。出来る事といえば、殿下の冥福を祈ることと、彼女が僕の命令を聞いてくれるのを願うことだけ。――ところで、お茶とお菓子は好きですか? よろしければ用意しますが」
「ふむ、家畜の腕を見るも一興か」
「なら適当に座っててください。僕の流儀を叩きこんであげますから」
そそくさとキッチンスペースに消える。
ポットの前に辿り着き、お湯を沸かそうと手を伸ばそうとしたが、出来なかった。膝と手のひらが床についたからだ。
(……よ、よく生きてるな僕……アレがもう少し戦闘に特化してたら、マジで死んでた……いや、姉上との手合わせがなかったら、かな……)
喉の奥からこみ上げてくる酸っぱいナニカを飲み込んで、息を整える。
グロリアの柄を握り直し、真珠色の輝きを見つめながら、心を整える。
セドリックとしての感情を心の奥に押し込め、エルピネクトの次期当主という仮面を付ける。
「さて、淹れるとしますか」
僕のお茶が八〇点台止まりなのは、性格的な問題が多い。
ひどく疲れるからやりたくないけど、性格や感情といった揺らぎを理性で塗りつぶす術を、僕は姉上から叩き込まれている。本当の本当にやりたくないけど、逆を言えば必要なら覚悟を決めてやるのが僕だ。
命懸けの時間稼ぎなのだ、有利になる武器が得られるなら精神へ入る致命的ダメージなんて問題ない……いやかなりイヤだな。反動で感情的になりやすくなるし、なにもしたくなくなる。さすがに吸血鬼が目の前にいるから、反動がくるのは終わった後だけど、イヤなものはイヤ。
まあ、死ぬのはもっとイヤだから、イヤイヤ使ってお茶を淹れるけど。
(ただ、使うからには本気を出さないとな)
具体的には、目指せ一〇〇点満点ってことだね。
ここでお茶を淹れるって選択肢が出てくるから、セディは茶狂いって呼ばれるんだと思う。