0101 カーチェ
開校祭の初日が終わった。
午前中は客の入りがほぼなかったが、午後からはほどほどに入った。ほとんどがマリアベル様と交流をすることが目的だったが、北部生が入らなければこんなもんだろう。
そのマリアベル様も、セディを連れて帰った。
今は勉強会メンバーで後片付けや明日の仕込みをしているところだ。
「……カーチェさん、少し良いかしら?」
ホール部分の掃除を終えた頃、ユーリ――ユリーシア・オーブリーが話しかけてきた。
顔、声、態度の全てが、不安だと言っている。あたいの仕事が終わってから声をかけたみたいだけど、本当はセディが帰ったらすぐに聞きたかったんだろう。
「あの白い方のことか? だったらセド様とマリアベル様を信じろとしか言えないんだが」
「違うのだわ……いえ、白い方も気になるのだけれど、もっと大きな括りのことで……」
白い方。
それが髪も肌も白い、一〇見える少女の呼び名だ。
(名前を名乗らないのに受け入れる、あたい等もあたい等か)
白い方はあたい等だけでなく、セディやマリアベル様にも名乗っていない。
訳ありなのは全員が察しているが、誰も氏素性を知らない訳ありを、貴族が受けるのは珍しい。セディ達と剣呑な空気になったのならなおさらに。
セディに大分毒されたな、と感慨深くなるのも仕方ない。
「大きな括りって言われても、具体的にじゃないと答えようが」
「……開校祭で、何が起こるんですか?」
あたいは頭を掻きながら、辺りを見渡した。
誰も彼もが手を止めて、こっちに注目をしている。
噂になっているわけではないが、学校に漂う不穏な空気を察している者は多い。開校祭の警備という名目で派遣されたにしては多すぎる兵の数。剣呑な空気を隠さずに自主的な見回りをする北部生。
そしてセディと白い方とのやり取り。
(最後ので、セディが何か知ってるって確信されたか)
あたいはまあ、セディの実質的な婚約者だ。
全てではないにしろ、ある程度は知らされていると考えてもおかしくない。正直なところ「セディに直接聞け」と突き放したいが、世の中にはやって良いことと悪いことがある。これは当然の如く後者だ。
「正直に言うと、起こるのか起こらないのかも分からねえ。起こるとしてもどこまでの規模なのかも、まったく予想がつかねえ」
あたいが知ってることなんて、ここにいる連中と大差ない。
しいてあげるなら、冥導星の吸血鬼が王都にいるってくらいか。
(……これだって、フォスベリーのお嬢様みたいのは掴んでるだろうしな)
セディはまったく気にしていないが、ここにいるお嬢様方は位が高い。
あたいとユーリを除けば、男爵家以上のご令嬢ばっかだ。派閥の上位にいるようなのが多いから誰かは絶対に知ってるし、信憑性の高い噂として共有されてるだろう。
「なら、セドリック様はどう思うってるのかしら? 例えば、最悪の場合とか……」
目を見れば誰かに強要されたかは分かるが、今のユーリにそれはない。
これはユーリの心の底から出た問であり、間違いなく全員が聞きたいことだ。なら、答えないわけにはいかないな。
「……想像込みになるけど、いいか?」
ユーリは頭を縦に振った。
「知っての通り、セド様はエルピネクトの次期領主だ。さすがに戦場には……いや、幻獣を討伐してたな、この前。……まあ、それを除けば、戦場に出たことはない。でも知識としては、エルピネクトと奈落の歴史を知ってる。あたい等が学んだものよりも、深い歴史をな」
領地の歴史なんてのは、普通は領主一族や寄子くらいしか知らない。
でもエルピネクトの歴史は、ここ四〇年の王国史を語る上で外せない。
だから概要くらいは王立学校で教わる。だがそれは本当に触り程度。フィクションが入った戯曲なんかの方が詳しく知れるくらいだが、セディは違う。
エルピネクトが経験した、天導星との戦いの歴史を、全て叩き込まれている。
セディの異質な戦闘スタイルがその証拠だろう。
「そのセド様が考える最悪だから多分――王都が奈落に沈むんじゃないか?」
セディが考える最悪――そんな形で責任を押し付けたのに、肺が呼吸を忘れる。
昼食会でフラヴィーナ様から吸血鬼の話を聞いた時、セディが子どもみたいな悪あがきをしていたのは、コレか。セディは次期領主で、誰にも責任を押し付けられない。だから、最後まで悪あがきをする。
(今は、どうなんだろうな? 覚悟、決めてんのかな?)
物思いに耽ようとすると、突然両肩を掴まれた。
「な、ななななななななな、奈落にしずずずずずむって、どういうことですかああ!!」
「やや、やめ、やめろユーリ! ただの、ただの予想で想像だから!!」
ガクガクと前後に振られること数分。
あたいじゃなかったら吐いてるぞ。
「……お、落ち着いたか?」
「あ、あい……取り乱してごめんなさい」
気持ちは分かるから強くは言わない。
あたいも逆の立場なら、似たようなことしたからな。
「で、でも、どうすればいいのだわ? 奈落に沈むってことは、外導星が絡んでるってことよね。天使か悪魔かは知らないけど、わたくし達に出来ることなんて……」
「戦えないなら逃げればいいんだよ。満席になってても客を全員逃がせるように動線確認と、避難訓練もしないと不味いな。――よし、明日に響かない程度にディスカッションすっぞ。死にたくないなら真剣にやれよ」
手を叩くと、いくつかのグループに分かれて話し合いが始まった。
あたいは誰もいなくなった厨房スペースでお茶の準備を始める。セディに毒されたといえ連中はやんごとなきお嬢様。お茶とお菓子があった方が口が滑らかになる人種だ。給仕役が一人いた方が、結果的に議論が進むのだ。
「手伝いますよ、カーチェさん」
「ありがたいけど、いいのか? 混ざれば建設的な意見が聞けるぞ」
「最後にすり合わせるからいいのよ。それに裏方も重要なお仕事だわ」
テキパキとお菓子の準備をしているが、よく見れば手が震えている。
議論するよりも身体を動かしたいってことなんだろう。
「……戦えなければ逃げればいいって、言ったわよね」
「逃げなきゃ死ぬからな。戦闘は専門職に任せればいいんだよ」
「なら、カーチェさんはどうするつもりなの? 武官科で上位に入っているのって、そういうことなのよね?」
「あー、まあ、うん。覚悟はしてるな……」
ユーリの手が止まる。
震えが大きすぎて、クッキーをつまむことができないのだ。
「……あたいはさ、これでも貴族令嬢なんだわ。剣が好きで続けてるけど、戦場に出たことはもちろん、実戦だって経験してない。男の中に混じっても、何かと気を遣わるんだ。女の中でも似たようなもんだけどさ」
変わったことをする奴ってのは、和から外れやすい。
北部は武が重視されるからあからさまじゃないけど、宙ぶらりんなのは変わらない。
「セド様や、ユーリくらいなんだよね。腫れ物扱いしないで付き合ってくれるの」
「そんなことはないのだわ! ドロテアだって――」
「あれは同類だから別」
ユーリの護衛としての立場を確立しているドロテアのことは、羨ましく感じている。
「あたいはな、気心知れた相手が死にかけてる場面で、手を出さない自信がないんだよ。セド様は殺しても死なないように仕込まれてるだろうけど、ユーリとか、他の連中は違うだろう。少しくらいは、役に立つ……」
言ってて恥ずかしくなってきた。
ユーリが震えているから、口が軽くなったか?
「ともかく、そういうことだ。明日からは念のために魔剣を持ってくるけど、騒ぐなよ」
「……カーチェさん、魔剣を持ってたのね」
「硬化がかかっただけの数打ちだけどな。武官科に入るのが決まったお祝いにって、親父に渡されたんだよ」
良い人ではあるけど、肝っ玉が小さいのが欠点かな。
血を見るのが苦手じゃなくって、権力に弱いから。セディが挨拶に来たら平伏しきって話にならないかもしれない。
「お茶会――」
いつの間にか震えが止まっていたユーリが、あたいの目をまっすぐ見ていた。
「カーチェさんがいないと、お茶会の質が下がるのだわ。だから……」
「死ぬつもりはねえよ。あたいは孫に囲まれて老衰で死ぬって決めてるからな――ほれ、さっさとお茶を出すぞ。遅れるな」
配る時間を考えれば、もうホールに出ないと不味い。
セディに毒されたお嬢様方は、味にうるさくて困るんだよ。