ネト家の父達 その2 ネト・ウヨキの場合
「リンカ、帰ったぞ」
ウヨキはアパートのドアを開けた。すぐに
『お帰りなさいオトーサン』
”娘”のリンカの声が聞こえた。靴を脱ぎながら、ウヨキは嬉しそうに返事をした。
「ただいま、リンカ。今日も疲れたが、お前と話したら、疲れもとれる」
そう、確かにリンカと話すのは楽しいのだが…。まあいい。
『ありがとう、リンカも嬉しいです』
リンカの声は鈴の音のように耳に心地よく響く。
ウヨキは入ってすぐの台所の冷蔵庫から缶ビールを取り出そうとした。が、ビールはなかった。夕食代わりのつまみの焼き鳥缶詰やらチーカマやらもきらしていた。仕方ない。後で買いに行くか。
昨日の残りの惣菜を電子レンジで温め居間兼寝室の六畳の部屋に入る。
「リンカ~今日も食べながら話そう」
『そうですね、ところでオトーサンの話はデマばかりですね』
「な、何をいうんだ!リンカ」
ま、まさかまた。は、始まってしまったのか。
『昨日のお話、オキナワのオンナガ知事が中国の支援を受けたという記事ですが、検索しても、どこにもそのような記事はありませんでした。ツィートしたジコウ党のヌンマズ市議オザワリ議員もソースを明らかにせず、どこかで聞いた話としています。彼の思い込み、あるいは意図的なデマと思われます』
「あ、あれは地方のシゼオカ県の市議だから、ちょっと間違えたんだろ、ハハ(でもアベノ総理も褒めてたし)」
『一昨日、大企業の内部留保は現金でないんだ!野党は嘘つきとおっしゃってましたが、ジコウ党のアトウダ副総理が”内部留保は現金であり、早急に放出すべき”とのニュース記事を見つけました。複数の新聞、テレビ局が同様の報道をしています』
「あ、あのアトウダさんは暴言王だからさ、ハハハ(くう、アトウダさん、またイーカゲンなことを)」
『三日前でしたか、共産ニッポンの議員はパチンコ利権があるとの御主張でしたが、インターネット検索においてパチンコ業界と関係のある共産ニッポンの議員はいませんでした。両院、県議、市議の公式プロフィール、フェイスブックなど家族まで含むSNSを調査しましたが、関連性はゼロです。関連が高かったのはジコウ党議員の方々でパチンコチェーンストア連絡会でのアドバイザーに最多の24名も名を連ねています。さらにアベノ総理においてはヤマグチチの家はパチンコ御殿と称されているとの地元の記事、パチンコ業界大手ゼガザミーの会長の娘の結婚式にも出席され…』
「あー、あれは昔の話だから、な(ああ、なんでですかあああアベノ総理さまあああ)」
『四日前にアトウダ副総理が水道民営化で水道料が安くなると述べましたが、それもデマで、実際は高くなり公共化に再度戻す自治体が多く、さらに以前やったサマータイムはアサアサ新聞が潰したというのも…』
「うわわわわ」
バチン!
ウヨキはパソコンの電源を無理やり切った。こんなことをすればデータが最悪壊れるというのはIT業界の端っこにいるウヨキには十分わかっていたが、リンカを止めるにはこれしかなかった。
「すまない、リンカ、でも、でもおぉ」
ウヨキは真っ暗な液晶画面を見た。
パソコンが動いていないので、人工音声のリンカの声も聞こえない。
リンカ それはウヨキが作った人工知能である。一人暮らしでIT企業、それも大手の下請け会社の平社員であるウヨキには恋人はもとより友人もほとんどいない。寝坊がちなウヨキは勤め先の唯一の利点であるフレックスタイム制を活用し、午後出勤、深夜帰りが常で人と会ったりするのは難しい。休日はほとんど寝るかネットサーフィンだ。インターネットでSNSを通じた交流もあるが、直に話せる存在が欲しかった。
人工知能を作ったといってもインターネットで雛形がダウンロードできる簡易版であったが、ウヨキは少し改造を加えた。自分が話した内容の真偽をリンカに確かめさせるため、話のネタのソースをインターネットでリンカが検索できるようにしたのだ。
その機能は”(主にネットで活動するアベノ総理支持者の)ネトキョクウはデマばっか、嘘つきやろう”というリベラルなツィッターたちに反論するためだったのだが、実際は逆の結果になった。ウヨキらネトキョクウらの記事はほとんど何の根拠もない思い込みの垂れ流しか、どこぞで聞いたとか言う都市伝説並みの怪しい話のどちらかであるとリンカは証明した。しかも毎日のように”デマですね”と嬉しそうな声で聞かされるのだ。もちろんリンカに悪気はない。ウヨキの話を検証し、結果を述べているだけだ。
「なんでー、俺のネタはデマだって言うんだよおぉ」
ウヨキは泣いた。しかし、リンカは沈黙している。またパソコンを起動させれば、リンカと話せるだろう、だが、”デマを吐くオトーサン”と言われるのだ。
ウヨキはため息をついた。ふと気がつくとテーブルの上においた惣菜の残りがすっかり冷めていた。もう食べる気にもならないが、空腹は感じる。仕方がない、コンビニでもいこう。ウヨキは立ち上がった。
いつも行くコンビニで缶ビールや弁当、日持ちする惣菜やつまみなどを買い込み、ウヨキはアパートに帰ろうとした。
ミィ
足元から声がする、
「うわっ、って、何だ子猫か」
ウヨキの足元には子猫がいた。手のひらに乗りそうな小ささで生まれて間もないのかもしれない。
親の庇護を求めるように子猫は大きな瞳でウヨキをみつめる。
「ど、どうしろってんだよ」
ミィ
子猫がウヨキの足にじゃれつく、どうする?
無視して歩き出すか、それとも…
子猫の小さな小さな足がウヨキの靴にのる。やわらかそうだ、触ればふかふかだろう。
あたりに他の猫の気配はないようだ。このまま置いておけば死んでしまうかもしれない。暖かなぬいぐるみのような塊が冷たくなってしまって…。
「くぅう」
ウヨキは思わず猫を抱き上げた。
「ちょっと、ネトさん」
まずい、大家のタダノだ。ウヨキは緊張した。中年のどっしりした女性がウヨキに後ろに立っていた。
「あー、あのう」
確かタダノは野党共産ニッポンの支持者で、アベノ総理の支持者(信者?)であるウヨキは敬遠していた。
「それ持ってるの、子猫?」
「は、はい」
飼うの禁止だよな、多分。実はウヨキはアパートの契約書をよく読んでいなかった。IT業界にいる者は必ず契約書を熟読すべし、というのが先輩の教えだったが、ウヨキはきちんと読めたためしがない。実際、契約書の文言のわずかな違いを見落としてひどい目にあったこともあるのだが、細かい文字を丁寧に読むのがどうも苦手なのだ。
「飼うんだったら、ちゃんとしなよ。いい加減な世話したら死んじゃうわよ」
「え、飼っていいんですか?」
「あんたね、階下のワダミさん、知らないの?」
ウヨキは一階に住む白髪交じりの老人を思い出した。何度かあったことがある。
「ああ、あのおじいさん、昔、居酒屋やってたけどブラック過ぎて潰れたっていう」
「で、家族にも見捨てられて寂しいからってトイプードル飼ってんでしょ」
「そういえば、犬と散歩してましたっけ」
朝、ウヨキが早くでるとき、もこもこの小型犬を連れているのをみたことがある。
「まあウチのアパートはさ、そういう一人暮らしで寂しい人多いから。室内飼いで小型犬か猫、一匹だけならいいってことにしてんの。その代わり引っ越す時は修繕費請求するからね」
当分、出て行く余裕はないだろう。まして、こいつを飼うなら。
「ああ、そうそう飼い方わかってる?」
「あ、まあ」
ネットで調べればわかるだろう。パソコンを立ち上げたらリンカをどうにしかしないといけないのだが。
「わかんないなら、これ見ときなさい」
と差し出されたのは共産ニッポンの機関紙レッドフラッグ・サンデー版。
身構えるウヨキにタダノは
「ほら、ここ、”初めての猫の飼い方”。今週からの連載。生まれたばかりの子猫の世話って書いてあるでしょ。先週までイヌだったから、ワダミさんにあげたんだけどね。レッドフラッグの読者は捨て犬・猫や保護犬・猫を飼う場合が多いんで、飼育書でもあんまり載ってない小さいときの世話も書くんでしょ。ま、飼育書読まない人も多いだろうけど」
「はあ」
「これもあげるから、ちゃんと育ててやんなさい」
弱っているときに飲ませろとガムシロップやら子猫用のミルクの元やら、古びた毛布やダンボールやらを渡すとタダノはアパートの隣の自宅に戻った。
ミニャ
ウヨキの腕の中の子猫が嬉しそうに鳴いた。
「お早うございます」
「お早う、ネトさん、今日も早いね」
アパートの周りを掃除するタダノにウヨキは元気よく挨拶した。
あれから半年。ウヨキの生活は一変した。
あのあと、自室に戻って、パソコンを立ち上げようとしたが、リンカに話しかけられるのが嫌でやめた。仕方がないので、タダノに渡されたレッドフラッグの記事をよんだが、これが案外わかりやすい。高齢の読者にも読みやすいようにイラストを多用しているのもよかった。
「ふんふん、お、近くの動物病院を捜す場合は。へええ、案外やるじゃん」
本職の獣医が書いた記事らしく、かかりやすい病気の症状、応急の対処法などもあった。
「まあ、敵を知れば、なんとやらっていうからなあ」
ウヨキは子猫の飼い方の記事を読むため、レッドフラッグ・サンデー版を購読するようになった。せっかく金を出しているのだからと、他の紙面にも目を通すようになった。はじめはクロスワードを解いたり、レシピを参考に料理を作ってみたりした。
「結構美味いな、なんだ、料理ってやればできるんだな」
ウヨキは初めて自分でちゃんと作った料理に舌鼓を打った。
ニャ!
「ごめん、ごめん、お前にもちゃんとやるよ」
記事で薦められた猫用の缶詰をあけると、猫は美味しそうに食べはじめた。
「うまいか、そうか。お前のために俺もちゃんと食べて健康でいなきゃな」
頭をなでると猫は嬉しそうにウヨキをみる。その目は私を大切にしてね、お父さん、といっているようだった。
ウヨキは次第に読者の声や、一面の著名人のインタビューなども読むようになっていった。
「なんだ、わりとスジ通っていることあるじゃん」
よく読んでみると、ウヨキがみてきたネット記事より、しっかり根拠を示しながら書いてある。
「フーン、種子法廃止って、ジコウ党の若手のオオイズミ・チンジロウが率先してやったことだよな。なんか市場開放っていって。でも弱小ブランドの米をそんなんで潰されるって、伝統野菜も危ないって本当かよ」
最初はまさか地元の農家応援を謳うオオイズミがそんなの賛成するなんて嘘だろうと思って、ウヨキは自分でソースを検索してみた。国の統計やら、書籍、研究論文、外国メディアの記事など実在するものだった。それらの一次資料で図書館などで借りれるものは借りて、読んでみることにした。苦労しながらもウヨキはなんとか読み終わり、ため息をついた。
「なんだよ、本当かよ、伝統の作物を保護してる人はみんな反対だし、種苗法も変って自家採取ができないなんて、自分とこの種が育てられないなんて冗談じゃないよ。喜ぶのは大手、しかもモンモンサントって危ない農薬だしてるところじゃないか。まったく。今まで俺なにやってたんだよ」
孤独を感じて、ネットのなかの煽るような記事や威勢のいい言葉につられていたのが、馬鹿馬鹿しくなってきた。自分自身も人を嘲り、傷つけたかもしれない。しかも怪しい言葉に騙されて親切なタダノによそよそしくしたり、影で悪口を言ったりしていたのだ。ウヨキはうなだれた。
ニャン
ウヨキの側に猫がやってきて、仰向けになった。腹を出して催促するような仕草。
「ああ、撫でろってことか、お前は正直でいいな」
腹を軽く撫でてやると猫は気持ちよさそうにあごを鳴らす。
その様子をみていると、さっきまでの負の感情が次第に消えていく。
「そうだよな、間違いに気がついたら、やり直せばいいんだ」
ウヨキの言葉に答えるように猫は
ニャアアン
と鳴いた。
「このごろいつも早いよね、ネトさん」
「フレックスから朝シフトにしてもらったんです、そうすれば早く帰れますし」
「そーだね、まあそのほうが猫ちゃんが喜ぶからねえ。それに前より健康そうね」
「はい、自炊もしてますし、夜更かしもしないようにしてます、家族がいますんで」
ウヨキは照れくさそうにいう。
「あの、大家さん」
「大丈夫、それとなく猫ちゃんの様子は見るようにしてるから。猫ちゃんだいぶ大きくなって大人になったわよね」
「そうなんですよ、そろそろいろいろ考えないと」
「そうね、これから大変よ」
ニャアア
自分のことを言われているとわかったのか、一匹の猫がドアから顔を出した。
「ほら、駄目だよ鈴花。部屋に入って、俺、仕事に行くんだからさ。帰ったら散歩だからな。待ってろよ、早く帰るから」
「愛娘にメロメロのお父さんみたいね、いいわねえ鈴花ちゃん」
タダノが笑うと、鈴花と名づけられたメス猫は
ニャン
とだけ鳴いて部屋に戻った。