誤解の、はじまり
はあ。
学校が終わってからも、出るのはため息ばかりだ。また……香織と気まずい時間を過ごさねばならないのか。
寄り道でもするか、なんて気持ちのまま、下校しようとすると。
「おい真一、正門のところに妹さんが来てるぞ」
「……へっ?」
突然のクラスメイトの言葉に、変な声を上げてしまった。
「『真一兄さんを呼んできてください』ってさ。おまえの妹、幼く見えるけど、すっごいかわいいじゃん。まだ中学生だよな?」
「あ、ああ、ありがとう。……香織が?」
訳もわからず、正門前まで急ぐと……正門のちょっと奥に、白いカチューシャをしている、髪の長い中学生が見えた。香織に間違いない。
……高校まで来るなんて初めてなんだが、いったいどうしたのやら。
「香織、いったいどうしたんだ?」
「……あっ」
正門で声をかけると、香織は俺の方を振り向いて、目があった瞬間に下を向いてしまった。
「………………」
「………………」
無言。このままでは埒があかないので、持っていた鞄を地面に置き、香織の顔を両手で挟み上げて聞いてみる。
「ここまで来るとは……なんかあったか?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
一瞬で、香織の顔が真っ赤に染まった。口をぱくぱくと金魚みたいにしているが、言葉は聞こえない。
「……どうした?落ち着け」
「………………あの、あの」
香織の視線が泳いでいる。俺は香織の顔を支えている手に少し力を入れた。
「……別におまえに危害は加えないから、とにかく落ち着け。落ち着いたら要件を言え」
手に力を入れたら、香織は一瞬びくっとして、泳いでいた視線を俺に戻し。
「………………家の鍵、なくしちゃって……」
消え入りそうな声で、そう言った。
しかし、香織はなぜ俺の高校まで来たのか。俺にスマホで連絡すれば………………あ。俺、香織の番号もメアドもラ〇ンも知らんわ。逆も然りか。
うちは共働きだから、帰りが遅いんだよな。ならここまで来たのもおかしくはないのだが……
「香織、家で待ってた方がよかったんじゃないか? どうせ俺は部活やってないんだから、すぐ帰るし」
「…………高校を、見ておきたかったんです」
おお。話しかけたら返してくれた。今日はいい日かもしれない。
「高校?」
「はい。受験するかも……しれないので」
今朝、父さんが振っていた話題がここで出てきたか。香織は賢いから、どこの高校でも大丈夫だと思う。
「……そっか。納得した」
「…………兄さん」
「……………………ん?」
ああ、俺か。『兄さん』とか香織に呼ばれたのなんて、兄妹になってから数えるくらいしかないんじゃないかな。
「どうかしたか?」
「……高校、楽しいですか?」
「? そうだな……楽しい、と思う」
高校自体は楽しくなくはないんだ。家の……香織のことが頭から離れなくても。
「……そう、ですか……」
「………………」
「………………」
「………………」
うーむ。会話が弾まない帰宅途中。
俺はどうやって香織に接したらいいのか、いまいち勝手がつかめないので、下手に話しかけて自爆するよりはマシと思い、ただ歩くだけで無言を通してみる。
「……ごめんなさい」
「…………んは?」
「突然、高校まで押し掛けちゃって……め、迷惑、でしたよね?」
「………………」
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
別に気にしてないのに。こいつは、なんでこんなに卑屈になってるんだろう。
「俺は、迷惑なんて一言も言った記憶はないぞ」
「……でも、思ってますよね……きっと……わたしが、どんくさいから……」
「そんなこと思ったことすらない。……ところで、香織。なんで敬語なんだ?」
「……だって……」
「……?」
「……兄さん、わたしのこと、嫌いですよね……」
「はあ?」
「……だって、ご飯の時はいつも、ひとりで先に済ませちゃいますし……」
「………………」
「いじめられてたわたしをかばってくれた時も、その後で先生にこっぴどく怒られちゃって、迷惑かけましたし……」
「………………」
「……わたし、兄さんに迷惑ばかりかけてるから、だから、嫌われてるんだろうな、って……わかってます」
「いやわかってねえよ!」
「ひっ」
俺が思わず声を荒げてしまい、香織がビクッとした。
「あ、すまない。……俺はむしろ、香織が俺を嫌ってるとばかり思っていたんだがな、この一年間」
「…………ごめんなさい」
「だからなんで謝る。肯定の意味か?」
「ち、ちがっ……だ、だって……」
「……だって?」
「…………わたしが泣いてるときに、手をさしのべてくれるような優しい人が、兄さんになってくれたのに……嫌うわけ、ありません」
「…………」
「……なのに、わたしはいつも、『ありがとう』すらうまく言えない、情けない妹で……言えないでいたら、ますます言えなくなって……こんなわたし、キライ……大キライ」
香織が下を向いたままそう言って、すすり泣きをはじめた。誰だ、香織を泣かせた奴は。…………どう見ても俺だな。
俺の態度も、知らず知らずのうちに香織を傷つけてたのかもしれない。俺が、なついてくれない香織に傷ついたのと同様に。
仕方ない。
「……俺は、香織のこと、好きだぞ」
「……ふぇっ!?」
「今日はわざわざ高校まで来てくれて、嬉しかった。本音だ」
俺が恥ずかしさをこらえてそう言うと、泣いていた香織は顔を上げて俺の方を見るやいなや、顔を全面赤くした。
「……あ、あ、あのあのあの」
「今までこんな機会なかったからな。なあ、俺たち……うまくやれるかな?」
俺は、まじめな顔で香織を見つめて、そう聞いてみた。
美久の言っていた、きっかけってやつが、今日の出来事だろう。香織とこんな話をしたことは、確かに今までなかったから。
「…………………………はぃ」
香織は、真っ赤な顔のまま目をそらして身を屈めながら、そう答えてくれた。声は小さかったが、そこに嫌悪感はないように思う。
「そうか。なら、改めてよろしくな」
「……あ、あの、わ、わたし初めてでよくわからないですけど、ふつつか者ですがよろしくお願いします……」
「……いや、俺も初めてだがな。よろしく頼む」
義妹ができることが、人生で何度もあるわけがない。まあ、初めての義兄妹だ。うまくやっていけたらいいな。
このときの俺は、そんなふうに気楽に考えていたのだ。
「は、はい。……兄さんが、彼氏になっちゃった……あわわ……」