傍観者の記す学校生活
ちょっと変わったな、と思いました。
いつからかは分からないけど、多分つい最近のことです。
「ねぇ、カナちゃん。 消しゴム借り、」
「悪いけど1つしか持ってないから、別の人に借りてもらえる?」
「え、今なん、」
「それに昨日も消しゴム持っていってなかったっけ? 新品同然だったんだから1日で使い切るワケないでしょ?」
───立原カナさん。
私、林堂七美が居る3ーCのクラスメイト。このクラスでは大人しい方の地味な私と違って、立原さんは悪い意味での有名人。
このクラスで行われているいじめ、その被害者が彼女なのです。
「七美、次美術だよ? 美術室に行かないと」
「あ、うん、今すぐ行く…」
書いている日記帳を閉じて、教科書を探す。
次は移動らしく、美術室に向かおうと……
「そのくらいの荷物、自分で持てないとか…アンタも子供じゃないんだし」
もうすぐ高校生でしょ?と出た廊下では2人のクラスメイトが対立していました。2人共女子で、片方はカーストトップ、片方はカーストワーストトップの立原さんでした。不愉快そうなトップと違って、いつもよりも少し感情が…面倒そうに息を吐くワースト。それに周りは凍りつきました。
まさか、彼女が反抗するとは夢にも思わなかったかのようです。
「……どういうこと? さっきも私に消しゴム貸してくれなかったし。 トモダチの言う事もお願いも聞けなくなるほど頭おかしくなっちゃったの、カナちゃん」
彼女…髙木栄理子さんがイラついたように口を開きました。とても恐いです。彼女は剣道をしていて、大会でも賞を取るほどの腕前の猛者。あんな性格でも外受けは良いから、先生達はあまり彼女の本性に気付かない。同じ部活の後輩が竹刀で叩かれたという噂もあるけど、結局は泣き寝入りするしかなかったと思う。だって大事になってないし、彼女もとぼけているから。
「大丈夫だよね? 荷物、持ってくれるよね? 頭はおかしくなってないよね? そうだよね?カナちゃん」
ニッコリと、最恐の彼女は荷物を差し出す。立原さんはだんまりと、無表情でそれを見下ろした。周りも早く持てよ、という雰囲気に。立原さんはというと、目の前の髙木さんを見て…
「いや、頭がおかしいのはアンタだろ、バカか?」
今度は雰囲気ごと凍りついた。
「………は、」
「アンタ、「友達」って言葉の意味分かって言ってる? 自分に逆らわずに従順に使いやすい都合の良い人のことは「パシリ」って言うんだよ、知ってた?」
「な、なに、」
「「友達」の言葉の意味を「パシリ」と履き違えてどのツラ上げて私に「トモダチ」って言ってんの?」
言・い・か・え・し・た。
しかも中々の正論!! 論破だよロンパ!! ワーストがトップに言い勝ったよ凄い!!
髙木さんも苦虫噛み潰したみたいな顔でワナワナ震えてる!!
一方で立原さんはそんな髙木さんに一瞥もくれずにさっさと教室へと向かおうとしている。
「ま、待ちなさいよ!!」
そんな叫び声にも振り向かず、輪になって彼女らの対決を見物していたクラスメイト達の間を通り抜け…いや、道を譲られ、開くそこを歩く立原さんでした。
そんな彼女から、なんというか、不思議と目が離せなかった。
美術の授業中、私の席は後ろの端の方のため、偶然にも視界に入る前の方の席の立原さん。大きな机に数人が集まって座るタイプの授業で、無表情でスケッチブックに描き込む姿がよく見えています。
先程も考えた通り、私は彼女がちょっと良い方向に変わってきていると思います。でも、その反動なのか少し慌ただしくもなってきています。
…………あ。また。
「ねぇ、立原さん…何やってるんだろう……?」
「……私に聞かないでよ」
友達にも分からないようでした。
立原さんは時々何かを払うような動作もしくは空中に肘や裏拳、体を思い切り反らすなど、そんな奇妙な行動を取っているのです。更に例として挙げるのならば、国語の授業中に「黙れこの煩悩が!!」と突然キレたり、「いい加減にしないと潰すぞ変態」と呪いのような言葉を廊下でぶつぶつ呟いたり、と。
そのせいでクラスメイトが自然と彼女から遠ざかっていきましたが、立原さんは全く気にしていないみたいでした。
今までのパシリのようないじめられっ子の姿がまやかしのように。
「えー、近頃この付近で不審者の通報がありました」
先生の連絡を聞いている人の方が少ない中、私は話を聞きながら日々の習慣になっている日記を書いていました。
「特徴は……えー、と…白いキャップに緑のジャケット…ですね。 被害に遭ったのは夕方5時から6時頃で……男女問わず、だそうです。 「何色が好きですか?」と問いかけてくるそうですので、絶対に口を利かずに家まで走って逃げるか、近くの建物に入るようにしてください。 答えるまでずっと背後を追ってくるようです。 出来る限り早くその場から離れて警察に連絡を───」
確かにここ最近は物騒になっています。
「───また、ニュースで皆さんもご存知と思いますが、殺人などで亡くなられた学生の方もいらっしゃいます。 身の回りのことに警戒して、自分の身は自分で守れるようにしてください」
私は立原さんを見ました。
頬杖をついて、ぼんやりと先生を見ていました。その逆の手で空中をつまむようにしているあたり、近くに幽霊とか何かが取り憑いているのかなって思ったり思わなかったりで……あ、くしゃみ。カゼかな?
放課後になりました。私はこの後家に帰って高校受験のために勉強をします。
一時日記を中断して家に帰ろうと…
「ねぇ、立原さん、最近チョーシにのってな~い?」
何かが落ちる音、驚いて目を向けると、髙木さんに並ぶスクールカーストトップの渡部桜さんが立原さんの机の近くに居ました。さっきの音は渡部さんが立原さんの机の上の物をはたき落とした音だと私は思いました。彼女達の足元には、教科書やノート類が落ちているから。
それでも立原さんの表情は変わらず、怯えも見えませんでした。長い沈黙の後、彼女は口を開きました。
「………別に」
「え~、そうかなぁ? だって最近、私のおねがいもエリちゃんのおねがいも聞いてくれないしぃ~」
立原さんがノートを拾おうとしてしゃがんで手を伸ばした時、そのノートを渡部さんは踏みつけました。立原さんが顔を上げれば、渡部さんは「あっ、ごめんね、ノートあったんだ!」とにこやかに笑って別のノートをグシャッと踏みつけました。無視されたことが気にくわなかったようです。
「それで話の続きなんだけどぉ、折角この私がトモダチとして遊んでやってあげてるんだからさぁ、そのスジ?セーイ?ってゆーの? 立原さん、それくらい返すことってダイジじゃないの?」
ごくりと、口の中に溜まったツバを飲み込みました。これに立原さんはなんて返すんだろうか。渡部さんの傍には彼氏の池上隆介君がやってきています。
「あっ、そういえばぁ、前においしいものおごってくれるって言ったのにすっぽかしたよねぇ? 今日、この後、そのヤクソク果たしてくれなぁ~い? 私、ケーキが食べたいなぁ~? ねっ、リューくんっ♪」
断れば池上君が立原さんを無理矢理にでも連れて行こうとするでしょう。ボクシング部所属の池上君の拳は私達からすれば恐怖以外で表しきれない。痛いのが嫌だから、私達は言う事を聞くしかないのです。
「…足、どけてくれる?」
「え~? どうしよっかな~?」
「どけろっつってんだよ このぶりっ子ドブスが」
怒気が見え隠れする静かで恐ろしい声色。ガッと音がつきそうなほどにノートを荒く引いて取り上げた。
遠くから見ている私でも分かるくらいに豹変した立原さん。その感情の矛先は勿論渡部さんと池上君。近くで見ていた彼女達はやっぱりと言っていいほどに驚いていた。
立ち上がった立原さんのその表情は怒りと嫌悪で歪んでいる。
「そんな低級なイヤガラセして楽しいとかアンタらの脳みそ腐ってんじゃないの? 精神年齢5歳児か? 小学校にもう一回1年生から入学し直して道徳習ってきた方がいいよ。 おすすめするよ、私は」
「は、はあっ!? イミ分かんないんだけどぉ! ヒドいよ立原さんっ、私をいじめてそんなに楽しいの!?」
毒のマシンガンに対抗する彼女はさしずめ女狐だろう。事実をねじ曲げて、自身を悲劇のヒロインの如く魅せる。さすが、演劇部所属の、嘘泣きだと見抜けづらい嘘泣き。
わざとらしくビクッと震え上がり、彼氏を涙目で見上げます。その色気に誘われたように池上君はにやけて、強気の笑みで立原さんに近付きました。
「おい、立は、」
胸元を掴みあげようとした次の瞬間、私の視界が赤色に染まった。突然すぎることに声が出ない。
立原さんが一瞬で池上君の目を潰して、叩きつけて、頭を掴んでいるその手とは逆の手で拳が見えないくらいに何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も拳が真っ赤に染まっても彼の顔が潰れてもまだ続くまだ続くまだ続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く続く無慈悲な殴打が一面を真っ赤に「分かった?」
冷徹な声にハッとした。はっとしたら視界は真っ赤じゃなかった。
「うっ……あっ………!?」
掠れた小さな声に目を向ければ、立原さんは池上君の頭を掴んでいるだけだった。
あの赤の空間は一体何だったのか、と私も汗を流す。遠くに居るのに、間近に死に神が待っているような、心臓を握られているような非現実的な悪寒。
「分かったなら黙ってろ筋肉ダルマ」
お呼びじゃねぇんだよ、と、ギロリと立原さんが睨めば、池上君はひっと喉を引き攣らせて固まった。
なんだろう。凄く恐くて、声も出なくて、浅く呼吸しか出来ないのに、今すぐこの場から立ち去りたいのに、足は縫いついたように動かなくて、立原さんから目が離せなかった。
「とにかく、私はアンタらにパシられるとか冗談じゃないから」
バッグを持って身支度を済ませた立原さんは口をパクパクとさせている渡部さんの前に立った。
「いい加減そのぶりっ子治した方がいいよ、くそキモイから。 アンタこそ精神叩き直せよ」
汚物を見るような目と表情で、立原さんは渡部さんの隣を通り去っていった。
渡部さんはガクガクと震えている。膝から崩れ落ちて、身を守るように自分自身を抱きしめている。
と思ったら、
「もごおっ!? うえっぶっ…!? っ!?」
「えっ、なっうげえっ!? うご、おえ!?」
突然口元を押さえて悶え始めた2人に驚いた。
え、なんで? どうし
─────ツツッ
「ひっ!?」
ドゴッ!!
首筋を何かがなぞったと思って振り向けば…
「っんとに油断も隙もないな…」
そこには何か見えないものを押さえつけているような立原さんが居た。力がかなり入っているのかギリギリと擬音がつきそうなくらいに。
「あのパン何に使うかと思ったらかなりナイスでザマァと思ってちょっと見直したのに…」
「……え?」
「あ、」
凝視しているとパチ、と彼女と目が合った。相変わらずの無表情だけど、少し申し訳なさそうな気まずいような顔をしている。
「……ゴメン」
「へっ?」
その一言がものすごく意外で呆気にとられていると、立原さんは何かを捻り上げるように手を動かすと、早歩きで立ち去っていった。