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あの夏、きらめく水の向こう

作者: 早海和里

 熱血先生――という言葉が実に良く似合う先生だった。


 何事にも全力投球で、一切、手抜きなし。

 金八先生が理想の教師像なんだと言う辺りで、先生の熱さ加減は分かって貰えると思う。

 小学校の先生ならいざ知らず、そういうノリで中学校教師というのは、ちょっと大人ぶりたい年頃の中学生達からは、正直、嘲笑の対象になる事が少なくなかった。


――あいつ、またやってるよ。

 てな具合である。


 二十九歳、独身。

 短気で怒りっぽいし、すぐ怒鳴る。

 大酒飲みで、きっと関白亭主になりそうな感じの性格。

 ちなみに言うと、血液型はB型。


 彼女出来ないの、何となく分かるよね……というのが、大方の女子の見解だったのだが、そんな先生をあたしは嫌いじゃなかった。


 というか……

 うん。

 はっきり言う。ここにこうしてこんなことを書くぐらいだから、勿論、好きだったのだ。しかも「大」好きだった。


 性格にはやや難があったのだが、要は、顔が好みだったのだ。

 とは言っても、別にイケメンという訳ではなく、むしろ童顔で二十歳前後にしか見えなかった。一人称が、「俺」でも「私」でもなく、「僕」だったのも、まあ、好みだったのかも知れない……典型的なひとめ惚れである。


 今思えば、当人にはそれが何となくコンプレックスだったのかもと思う。だから尚更、理想の教師像というものに固執していたのかも知れない。内外共に、「大人の男」に見られたいという願望の裏返し的な感じだったのか……




 ところで、先生は国語の教師だったのだが、先生の授業には毎回、「君たちに読んで貰いたい本」という趣旨で、先生がセレクトした本を紹介してくれるコーナーがあった。


 些少ながら演劇の経験があるという先生は、色々な声色を使い分け、大げさに身振り手振りを交え、本のあらすじを実に面白おかしく語ってくれた。つい、その本を読んでみようかなという気にさせる程に、実に見事なパフォーマンスだった。


 他の子たちの反応はいまいちだったが、それは、本好きのあたしには堪えられない、至福の時間だった。とにかく楽しかった。

 初めは顔に一目惚れだったけど、そんな事もあって、あたしの先生に対する「好き度」はどんどんと上がっていった。


 とは言え、中学生のあたしは超が付く程に奥手で、気になる男子の一人や二人はいたけれど、告白とかそういう類の事には無縁で、年に一度のチョコの祭典も当然のごとく他人事。そんな女の子だったから、先生が好きとはいっても、授業中に目をハートマークにして先生の姿を追いかけるのが精一杯で、ドラマチックな事など起こる要素など微塵もなかった――。


 なかったのだが、思いがけないことが絶対に起きないと言い切れない所が、まあ人生の面白いところである。



――とある夏の事。その事件は起きた。



 その先生は、運動神経が特別悪いという訳ではないのだが、実はカナヅチだった。

 ある日、夏休みのプール指導で、プールサイドで監視係をしていた先生は、男子生徒の悪ふざけで、何とプールに突き落されてしまったのだ。


 勿論、先生がカナヅチだと知った上での悪戯だから、始末が悪い。

 幸いな事に、先生はカナヅチなんだけど、バタアシだけはどうにか出来た様で、25mを面かぶりのバタアシで泳ぎ切って、事無きを得る――という伝説を、見事に作り出した。……熱血パワー恐るべしである。


 さてここで、先生は考えた。

 今回はバタアシで凌いだものの、しかしこれは教師として、いささか格好が悪いのではないか、と。そして決意する。


「ここは一つ、泳げるようになってやろうじゃん」と。


 泳げない人が泳げるようになるというのは、並大抵の事ではない。しかも大人になってからというのは、余程の決意がないと出来るものではない。


 それでも、そこは熱血パワーのなせる技なのか、先生はこう考えたのだ。

 ここで頑張って僕が泳げるようになれば、「人間、頑張れば出来ない事はない」という事を身をもって生徒たちに示せるではないか、と。


 そこまで考えれば、後はもうやるしかない。

 という訳で、先生は迷うことなくその決意を実行に移したのだった。

 先生は、同僚の体育教師に頼み込んで、水泳の個人指導をしてもらったらしく、それから一年後、見事、背泳ぎをマスターする事に成功した。


 ちなみに何故、背泳ぎなのか……?といえば、

 初心者には難しい息継ぎをしなくていいから……という訳で。


 流石に、クロールでスイスイというレベルには行かなかったものの、背泳ぎでなら、25m泳ぎ切れるというレベルまで到達し、カナヅチの名前を返上する事には成功したのである。熱血パワー、恐るべしである。




 ところで、中学時代のあたしは、運動神経皆無の女の子だった。

 体育は苦手科目の筆頭に挙がっていたし、小学校以来、かけっこはビリが当たり前という鈍足の持ち主だったのだが、健康の為にと親に強制的に行かされたスイミングのお陰で、水泳「だけ」は得意だった。


 低学年の頃、3年ほど通っただけだったのだが、それでも4泳法をマスターし、個人メドレーを泳げるぐらいの泳力を身に付けていた。運動音痴のくせに、水泳となると、リレーの選手に選ばれるぐらいの実力だったのである。


――そんな前置きを経て、話は水泳大会の事になる。


 一応ひと通り泳げるとはいえ、自分的にはクロールが得意だったから、その辺の種目に出たかったのだが、泳げない子も含め、クラス全員が何らかの種目に出なければならなかったので、結局、あたしは誰も泳げないバタフライを泳ぐ事になった。

 バタフライ……一応泳げるけど、実はめちゃくちゃ苦手だった。

 何しろ基礎体力がないのだから、体力勝負なバタフライは、結構途中でバテてしまうのだ。


 そんな訳で、ちょっと気が重い感じで迎えた水泳大会当日――



 リレーに出るはずだった女の子が、お腹が痛いと言いだして、急きょ代役が必要になった。


 種目は背泳ぎである。


 クロール、平泳ぎあたりなら、代理はいくらでもいるのだが、背泳ぎが出来る人となると、これも案外限られていて、結局、あたしに白羽の矢が立った。

 あたしが運動音痴なのは周知の事だったから、あたしが泳げる事を知らない男子からは「大丈夫かよ〜」などと言われつつも、あたしはちょっとドキドキしながらスタート地点ヘと向かった。実は、このリレーにはサプライズ企画が用意されていて、それは――


『祝、熱血先生、泳げるようになりました記念』


 という事で、熱血先生を含めた先生チームが、今回は特別にリレーに参加する事になっていたのだ。


 勿論、先生が泳ぐのは、唯一25m泳げる、背泳ぎ。


――ということは、あたし……先生と背泳ぎ対決するってこと!?


 き、緊張します。ドキドキです。だって、先生と並んで泳ぐんですよ?

 先生のデビュー戦って事で、歓声が飛び交いギャラリーは大盛り上がり。

 加速するドキドキ……


 背泳ぎは一人目だから、高まる緊張感の中、あたしはプールに入り、壁面の取っ手に手を掛けてスタンバイする。ちらっと見た、1コース向こうの先生の顔も、結構緊張していたっけ。


「ピィーッ!」


 ホイッスルの音と共に、大きく体を伸ばし、壁を蹴って水に身を躍らせる。

 そこから先は、多分、何も考えていない。


 腕を回すごとに上がる飛沫が、陽の光に反射してキラキラと輝くのを見ながら。

 切れ切れに耳に届く歓声を聞きながら。


 ほんの数十秒……頭の中は空っぽで、ただ体が覚えている動作を、繰り返し、繰り返し……


 そして、ゴール。

 その瞬間に、次の選手が頭の上を飛び越えてプールに飛び込んだ――



 ええと、済みません……

 あたし、勝っちゃいました。

 先生のデビュー戦なのに、先生を押しのけて1位。

 ちなみに先生は2位でした。


「勝てると思ったのにな〜残念っ!」

 そんな先生の声が、今でも耳に残っています。


 あたし、あんまり目立たない生徒だったし、多分、先生とまともに会話を交わしたこともなかったけど……先生はあの夏の日の事、覚えてくれていますか……?

 それは今でも、あたしの中でキラキラとした思い出になって、心の片隅に残っているんですよ――




 あたしたちが卒業して何年か後に、先生がめでたく結婚なさった事、風の便りで知りました。

 やっぱり、先生は関白亭主になったのかなあ……なんて思いながら、ちょっぴり残念に思った事は、誰にも言えない秘密です。






【 あの夏、きらめく水の向こう 完 】


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