第一章 巻き込まれた男。 4
こういった事が有って再び自宅のリビング。
「もうしょうがないか……」
鉄心は何かを決意したかの様に深く頷く。
『ガチャ』
その時、リビングのドアが無造作に開いた。
「親父~何だよ~急に話って」
リビングに入って来たのは一人の少年だった。Tシャツに黒のジャージを履いている。無造作に伸びた髪をガシガシとかきながら欠伸交じりに鉄心に声をかける。
「うん。まあ取り合えず座れ雄一」
鉄心はそういうと息子である早坂雄一を対面に座らせる。
「ふあ~ねむ。なあ早くしてくれよ? 午後には恵一達と遊ぶ約束してるからさ」
雄一は半眼のままそう尋ねた。さっきまで寝ていたのがありありと見て取れた。
「まあ、焦らせるな。うん。まあ。その。大切な話が有ってだな」
鉄心は言い辛そうにそう言った。それに雄一は不審そうな表情をする。
「? 何だよ。早く言えよ」
「うん。分かったじゃあ言おう……雄一。お前、明日から別の高校に通う事になったから」
『…………………………』
鉄心がそう言うと室内が静寂に包まれる。
「……ん? 親父。ごめん。良く聞こえなかったわ。もう一回言ってくれる」
「うん。お前は」
「はい」
「明日から」
「うん」
「別の高校に通う事になったから」
「はいはい」
『…………………………』
再び静寂が訪れる。
「あれ? 親父続きは?」
「いや、これで終わりだけど」
「はあ~終わり……っておい! 何急に言い出してんだ! 明日から転校? 何で! 親父転勤でもすんのか?」
「いや、しない。しかし、まあ転校は本当だ。父さんの昔の知人が学校の理事長をやっていてな。是非、お前を入学させたいとの事だ」
「いや。無茶苦茶だろ。嫌だよ。別に転校しなくても今の学校で俺は十分だし」
唐突な提案に雄一は当然拒絶反応を示した。
「うん。お前の気持ちは分かる。だがこれを見てみろ」
そう言って。鉄心は学校のパンフレットを取り出した。
『私立武林高校』
パンフレットにはでかでかとそう書いて有った。鉄心はパンフレットを捲る。
「ほら見ろ。校舎も出来たばかりだから凄い綺麗だろ?」
鉄心の指差す教室の写真は真っ白で大学の教室の様に一段一段段差が付いていた。さらに黒板は無く。黒板の変わりにタッチパネル型の画像が映し出されていた。
「生徒は教科書を持っていかないらしい。全部学校に置いといていいそうだ。宿題もプリントアウトした物を教師が渡す。だから基本ハンドフリーで学校に行けるわけだ」
「ふ~ん。まあ確かに凄いけど」
「だろ! ほら見ろ。学食だって凄いぞ。和洋中全て揃っている。更には一流シェフが作っているらしい。しかも! だ。学生は幾ら食べても無料だ! 凄いだろ!」
鉄心はその後も熱心に学校の説明を続けた。
「室内プールが!」
「室内ジムが!」
「柔道場が!」
「武道系の顧問は元金メダリストが!」
「医務室も大学病院並みに充実している!」
初めは興味深そうに聞いていた雄一だったが、途中からは半眼で鉄心を見ていた。
「どうだ? 行きたくなっただろ?」
鉄心が爽やかな笑顔でそう尋ねる。すると雄一は素の表情を浮かべた。
「ていうかさ……何かスポーツ施設多すぎじゃね?」
『ギク!』
腰に罅が入ったかの様に鉄心が動きを止める。
「いや、ていうか何だよこれ。第一柔道部から第五柔道部まであるけど。柔道部多すぎだろ。ていうか武器庫って、戦争でもするのこの学校は? 弓道は分かるけどボウガン部って何? 何を的にしてんの?」
「う。そ、それは……」
鉄心が明らかに挙動不審になる。それに雄一は警戒心を露にした。
「親父……この学校怪し過ぎるだろ。何なんだ一体?」
雄一が問い詰めると鉄心は額に汗を流しながら沈黙した。だがやがて意を決した様に口を開く。
「まあ……何だ。ちょっと授業で武術があるというか……武術にちょっとだけ力を入れている学校だな。うむ。しかしまあ、準備運動程度。ほぼ無いと言っても良い」
鉄心がそう言うと何かに納得したように雄一は頷いた。
「そっか。じゃあ母さんに相談して来よう」
雄一が爽やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
「まてぇええええええええええええええええええええええええええええ!」
その雄一の足に鉄心は抱きついた。
「それだけは! それだけはやめろ! 母さんと父さんが離婚しても良いのか!」
「知るか馬鹿! やっぱり怪しい所じゃねえか! ふざけんな!」
こうして親子喧嘩が始まった。だが二人ともガタイがでかい為、喧嘩というよりも親子格闘になっていた。
そんな格闘の最中、鉄心が見事な足払いで雄一を投げ飛ばすと、そのまま背中に乗って雄一を制圧する。
「いいか! 母さんにだけは言うな! 雄一! 頼むから!」
「馬鹿野郎! それが人に物を頼む態度か! 降りろ畜生!」
雄一がバタバタと暴れるが、鉄心はびくともしなかった。その雰囲気は武士そのものだった。
「母さん! 母さん助けて!」
「わあ、お前何言ってんだ! 反則だろう!」
母親に助けを呼ぶ雄一に鉄心は慌てた様にその口を塞いだ。それは最早、親子喧嘩でも何でもなく。ただの誘拐犯の様だった。
「はぁ……はぁ……分かった雄一。取引しよう」
「ムグ……ああ? 何だよ」
首だけで鉄心を睨む雄一に、鉄心は説得する様に強い視線を返す。
「お前が欲しがっていたバイクを買ってやろう」
その言葉が聞こえると共に雄一の動きがピタリと止まる。
「確か五十万だったよな? 入学祝いとして俺が買ってやる」
鉄心が苦悶の表情を浮かべながらそう言った。ちなみに鉄心の月のおこづかいは三万円だ。
「………………」
雄一が何かを考える様に目を閉じる。そしてしばらくするとカッと目を開いた。
「友情が五十万程度で買えると? 舐められた物だな! 俺は買収には屈しない!」
「お前屈しない割りに大分考えてたな……分かった。他に何が欲しいんだ?」
「PSVITAが欲しいな」
「分かった買おう」
「後、アイフォン」
「…………分かった。百万以内でリストを作れ。全て買ってやるから」
「そうか……親父。俺、ちょっと新しい学校に興味が出て来たわ」
「ぐぬぬ……それは良かった……」
鉄心は意気消沈した様に雄一の背中から降りた。雄一は軽く胸の部分を払うとソファーに座り直る。
「で? 親父。本当の事を教えろよ。これはどんな学校なんだ? どうして俺が選ばれた?」
「うむ。まあしかし、一つ確認しておくぞ。お前は自分の意思でこの学校に入学する。母さんにはそう伝えろ」
「分かってるって。うるせえな。さっさと話せよ」
「うむ。まあ簡単に言うとこの学校は武道専門校だ。武術界のエリートを育成するというのを目的としている」
「は? じゃあ俺駄目だろ。武道の経験なんて無いぞ?」
「ああ、だがまあお前は特別だ。さっきも言ったが理事長と俺が古い知人でな。俺の息子だという事なら武術の経験が無くてもいいとの事だ」
「へ~そう。じゃあ俺はここで何をすればいいんだ?」
「別に普通に学校に通えば良い。部活にも所属しなくても良い。今の学校でも帰宅部だし、別に関係無いだろ? それにここに入学すれば、就職口も斡旋して貰える。一流企業に面接なしで入れるそうだ」
「おお! 何だよ親父。良い事尽くしじゃねえか! 入る入る! 俺武林高校に転校するよ」
雄一が軽い調子で頷いた。それに鉄心はほっとした様に頷く。
「そうか。だが母さんには武術の学校という事は内緒だぞ。ばれたら大変な事になるからな」
「うん。分かってる。母さんにこんな事を言ったら無事じゃ済まないからな」
二人はブルブルと震え上がった。それは何かを思い出している様だった。
『ガチャリ』
するとその時、リビングのドアが唐突に開いた。
「ただいま~ガンちゃんの散歩終わったよ~」
リビングに入ってきたのは柔和な笑みを浮かべた女性だった。童顔のその顔は一目見れば女子高生の様に見える。だが着ている服のセンスが地味で、何処かおばさん臭かった。
『ガサガサガサガサ!』
ゴキブリの様に素早い動きで雄一と鉄心が机の上に広がっていた資料を集めた。それは親子らしい素晴らしいコンビネーションだった。
「? どうしたの? 二人とも」
『な、何でもないよ~』
誤魔化す様な卑屈な笑みを浮かべながら資料を隠す。
「ふ~ん。まあ良いわ。さて、ご飯を作ろうかしら」
そう言って鉄心の妻であり、雄一の母である鏡子はキッチンに向った。動きは鉄心と同い年とは思えないほど軽い。
「ふんふ~ん」
鼻歌交じりに準備するその姿は二人が恐れる様な女性には見えない。
「折を見て母さんには説明する。良いな?」
「おう。気をつけろよ親父。母さんがキレたら俺達二人とも殺されかねないぞ」
ひそひそと男二人が話す。
「ふふふ、どうしたのかしら。今日は仲良しね」
そんな様子を鏡子はキッチンから微笑ましそうに眺めていた――。