第三章 戦う理由 6
「はぁ……はぁ……疲れた」
練習を始めて三時間。ひたすら同じ動作を繰り返していた雄一は道場の床に大の字になって寝そべる。
「短期間にしては上出来でしょう。これなら実践でも使えますよ」
瑠衣はそんな雄一を上から見下ろした。
「今日はここまでにします。帰っていいですよ。家の者に送らせますから」
(明日もやるのか……)
淡々と言われた言葉に雄一は心中で深い溜息を吐く。
「あたた……」
慣れない動きをした為か、腰の部分を押さえながら雄一が立ち上がる。
「筋肉痛ですか? あのぐらいの運動でだらしない」
「うるさいな~普段運動しないんだからしょうがないだろ?」
「ふぅ……じゃあうつ伏せになって横になってください」
瑠衣の指示通りに雄一がうつ伏せになる。その腰に瑠衣が腰を下ろした。
(え、柔らか……)
女性特有の柔らかさというか、お尻の感触に雄一は敏感に反応する。
そんな雄一の心境にも気付かずに、瑠衣は雄一の背中を指圧し始めた。
「あ……」
雄一からそんな声が漏れる。それほどに瑠衣の指圧は心地良かった。
「不規則な生活をしていますね。胃が荒れてますよ。今日から夜は必ず十一時以内に寝てください」
瑠衣の指圧は本格的で、雄一は一気にさっきまでのいやらしい気持ちが無くなった。代わりにただ体を気持ち良さが支配していた。
「はぁ……気持ち良い……」
この心地良さは男には出せないだろうなと雄一はぼんやり考える。瑠衣の指は少しひんやりしていて、体の熱が冷める様だった。
「はい。終わりです」
瑠衣の宣言と共にマッサージは終了した。若干名残惜しい気持ちを抱えながら雄一はゆっくりと起き上がる。
「ありがとう。すっげえ気持ちよかった」
素直に雄一がお礼を言うと瑠衣はぷいっと顔を背けた。
「別に、私は貴方に疲れを残して貰いたくないだけです。それが原因で脱落したら私の任務が果たせませんから」
「ふふ」
瑠衣のそんな態度に雄一は小さく笑う。
「じゃ、そろそろ帰ろうかな」
そう言って胴着を着替えようと雄一が立ち上がった時だった。
『ダダダダダ!』
急に工事現場のドリルの様な音が道場の外から響いた。
「な、何だ?」
「この音は……お父様?」
「え? お父様?」
明らかに人間の発する音では無いのに瑠衣は何故か緊張した面持ちで道場の入り口を見ている。そんな瑠衣の様子に雄一も緊張しながら道場の入り口を見た。
『バカァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!』
それから数秒して、唐突に道場のドアが開かれた……というより吹き飛んだ。
「なぁ!」
破片を防ぐ様に雄一が腕で顔を覆う。すると隣の瑠衣も驚いた様に目を丸くしていた。
『コォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』
部屋中の空気を吸い込む様な闇が雄一達の眼前に現れる。しかし、それは雄一達が感じた圧倒的な気配に対する感想に過ぎない。
(殺される……)
しかし、雄一は目の前に現れた男を見て瞬時にそう思った。今まで人生で出会った中で、男の放つ気配はあまりにも得体の知れない不気味な物だったから。
「お父様どうして……確か任務中だったはず」
瑠衣が額から汗を流しながらそう尋ねる。すると闇を纏った男は言葉を発した。
『瑠衣……その方が早坂雄一……殿か?』
放つ言葉その物が刃の様に雄一の体に突き刺さる。
「は、はい……こちらが早坂雄一殿です」
瑠衣が言葉を詰らせながら答える。それは仕方の無い事だろう。それだけの圧が男には有った。
『早坂……雄一殿』
男の目が雄一に向く。それだけで雄一の呼吸が止まった。そしてその短くて長い一瞬が通り過ぎた時だった。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
男が急に雄一に向って飛び込んだ。というか抱きついた。
「のわぁ!」
「おお! おお! 正しく鉄心殿の息子殿。まるで若き日の鉄心殿の生き写しだ」
男は号泣しながら雄一の胸に顔を埋めた。
「お、お父様……」
父親の見せる痴態に瑠衣が卒倒しそうになるのを必死に堪える。
「鉄心殿! 鉄心殿はお元気ですか息子殿!」
「え、はい、まあ。ていうか離れてください。背骨が折れそうなんで」
凄まじい力で抱きつかれた雄一が苦しそうにもがく。すると男が名残惜しそうに雄一から離れる。
「え、えっと……松尾さんこちらは……」
雄一が戸惑った様にそう聞くと、瑠衣は気まずそうに口を開く。
「こちらは……私の父親です」
「松尾跋彩と申します。息子殿。どうぞ宜しく」
跋彩はニコッと笑みを零した。しかし、迫力が薄れたわけではないので、雄一は気まずそうに頷く。
「あ、あの……早坂雄一です。お邪魔してます」
「お邪魔なんてとんでもない! 鉄心殿の息子殿がいらっしゃるなんてこんなに名誉な事はありません! ささ! 息子殿、お食事を用意してありますので。どうぞこちらへ」
跋際はそう言うと雄一を案内しようと率先して歩き出した。そんな父親を見て瑠衣が慌てた様に声をかける。
「お、お父様。任務はどうされたのです? 確か一ヶ月はかかる任務に付いていたはず。昨日家を出られたばかりではないですか」
「ふ……日本に居るロシアの秘密結社の残党狩りだ。雄一様が家にいらっしゃると連絡を受けて、直ぐにアジトに乗り込んで壊滅させたわ」
そう言う跋彩の肩を雄一が見ると確かに血のりがべっとりと付いてた。
「ささ、行きましょう。腕によりをかけて料理を用意させました。必ず満足頂けますよ」
「あ……僕もう今日は帰るつもりですので……」
雄一がそう言った時だった。
「え……」
跋彩の顔が悲しそうに歪む。強面の顔がそんな風に歪むのはギャップがあり過ぎて軽くホラーだった。
「……瑠衣。お前まさか食事の件を伝えて無かったのか?」
だが跋彩の悲しみは直ぐに怒りに変わったらしく、瑠衣の事を鬼の形相で睨み付けた。
「ひゅ……い、いえ……」
瑠衣が息を詰らせて固まる。そしてその視線が助けを求める様に雄一を向いた。
「い、いえ! お父さん! やっぱりご飯頂いていきます!」
さすがに困っている美少女を放っておけるほど、雄一も薄情では無かった。慌てて跋彩に訂正を入れる。
「お、お父さん……鉄心殿の息子殿が私をお父様と……はぁ……」
何やら跋彩は感動した様にうんうんと頷いた。さっきの怒りは何処かに消えたらしい。
「さ、行きましょう。瑠衣! 早く着替えろ!」
「はい。お父様」
瑠衣は直ぐに道場の小部屋に入った。雄一は知り合いのお父さんという微妙な立場な跋彩と一緒に食堂に向った……。