第三章 戦う理由 5
「それでは早速始めましょうか」
さっきまでの殺気だった様子とは違い、瑠衣は穏やかな様子で修行の開始を告げる。
「早坂君。貴方は取り合えず、ある程度のレベルまで強くならなければなりません。だから基礎は飛ばします」
瑠衣はそう言うと雄一の前で半身に構える。
「とにかく実践で使える技を伝授しますので、早坂君はそれを覚えてください」
「はぁ……」
「では早坂君はそこに立っていてください」
瑠衣に言われるがままに雄一は気をつけの体勢を取る。すると瑠衣はフッと雄一の視界から消えた。
「金的!」
瑠衣の声と共に瑠衣の蹴りが雄一の股に差し込まれる。
「うぉ!」
雄一の頬にぞわっと鳥肌が立つ。その間にも瑠衣は次の動きを取る。
「眼!」
目に手刀。
「喉!」
親指が喉元でビタッと止められる。
「鼓膜!」
最後に手の平が耳に軽く触れた。
「こんな感じですね。とにかく相手の急所を狙い一撃で戦闘不能にしてください」
試合ならば反則のオンパレードだった。
「こんな感じって! 相手死んじゃうでしょ! これじゃ!」
さすがに非人道的過ぎる攻撃に雄一が抗議する。
「松尾流は元々が忍術の流れを汲む殺法ですから、基本は相手を殺すつもりで攻撃します」
「いやいや、怖いって! もうちょっとマイルドな技にしてよ。相手が死なない様な技で」
雄一がそう言うと瑠衣は少し考える様に首を捻る。
「そうですね……では早坂君。胴着の上を脱いでください」
「ええ! 何で!」
急な要求に雄一は自らの体を隠す様に腕を組む。すると自分の言った事の意味に気付いたのか、瑠衣が顔を赤くする。
「か、勘違いしないで下さい! 私は貴方の筋肉が見たいだけです! 技を習得出来るのか知る為に!」
「俺の体を見ただけで分かるの?」
「分かります。松尾流は見の武術ですから。観察する事に関しては松尾流の右に並ぶ者は居ません」
「そうなの?」
雄一は取り合えず瑠衣の言う通りに胴着を脱いだ。すると引き締まった体が露になる。
「ふむ……」
瑠衣はそれをジッと眺める。するとモジモジと雄一が上体をクネらせた。
「な、何か恥ずかしいな……」
「ちょ、ちょっと! クネクネしないで下さい! 気持ち悪い!」
「気持ち悪いって……君、最初に会った時よりも俺の扱いが酷くなってるね」
半眼で瑠衣を見る雄一を無視して瑠衣はうんうん。と納得した様に頷いた。
『フニ……』
「わひゃ!」
唐突に腹筋を人差し指で突かれ、雄一は飛び退いた。
「早坂君何かスポーツはやってましたか?」
「? やってないけど」
「ん……」
(鍛えて無いのにこの体なの?)
瑠衣は雄一の体を見てそういう感想を抱いた。
「体幹が良いですね。腹筋と背筋が優れています」
「へ? そうなの?」
雄一が自らの腹筋を見る。確かに筋肉で割れているが特に変わった所は無い。
「では、この技を授けましょう。早坂君。少し見ていてください」
瑠衣はそう言って道場に吊るされていたサンドバックの前に立った。
「今から放つのは松尾流の初歩の初歩」
「え、さっき基礎は飛ばすって」
「ええ、基礎は飛ばします。しかし、これは松尾流で皆が始めに学ぶ技。そして最後の奥義です。初代はこの技を使って不敗を誇りました」
瑠衣は腰をギリギリと回転させる。すると下半身だけを残し上体が百八十度回転した。
「うわぁ、気持ち悪い!」
余りに人間離れした体に雄一から本音が零れる。瑠衣はそれを気にする事無く。弓の様に体を引き続け……。
「はぁ!」
『ズボ!』
サンドバックは普通叩けば衝撃で揺れる物だが、瑠衣の拳はサンドバックを一切揺らす事無く突き抜けた。
「おおお……」
神業を目の前にして雄一が驚嘆する。瑠衣はゆっくりと拳を抜いた。
「松尾流、飴細工。雄一さんにはこれを会得して貰います」
「すげえ……けど、俺あんなに体を捻れないよ?」
「そんな事は分かっています。だから初歩だと言ったでしょ? 別に私ほど体を捻転させろとは言いません。ただ威力を上げる為、体を捻ってください。まあ取り合えずやってみましょう」
瑠衣に言われるがまま雄一はサンドバックの前に立った。そして見よう見真似で体を捻る。
「これ……怪我しそうなんだけど?」
「大丈夫です。確認しましたので、きちんと耐えられるはずです」
「じゃあまあやってみるわ」
雄一は腰を切るようにして拳をサンドバックに叩きつけた。
『ドン』
サンドバックが揺れる。
「いってえええええええええええええええええええええ!」
雄一は拳を押さえて叫んだ。拳に軽く血が滲んでいる。
「サンドバックは意外に固いですから。始めは痛いかも知れませんね」
「いやいや、折れちゃうって! こういうのグローブとかするんじゃないの?」
「拳を鍛えるトレーニングをしなければ確かに怪我をする恐れはありますが、人間の体も固い部分を殴れば怪我をする可能性はあります。だからこれから戦う時は相手の柔らかい部分を攻撃する様にしてください」
「してくださいって……口で説明すれば俺痛い思いをしなくて済んだんじゃない?」
「今の痛みはさっき、私の裸を見た分です」
(根に持っていたのか……)
雄一は意外にしつこい瑠衣に冷や汗を垂らす。
「さあ次に行きますよ。私が悪い所を修正しますから。早坂君は集中してください」
こうして、瑠衣の特訓が始まった……。