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悲しくなんてないんですから。

「よく温まったかい?」


 寝室に恐る恐る入ると天井が真っ黒なのだが、夜空のように光が差し込んでいて星空を眺めているような気持ちになった。

 大きなベッドに腰掛けているルカはニコリとして、天井を指差す。


「面白いよね、元は黒と赤の格子柄の部屋だったんだけど天井だけ真っ黒でね。寝るときに楽しめるような工夫をしてみたんだ」


 そういえばルカはあの下種なおじいさんの後釜であった。ルカの横に誘い込まれ、こじんまりと座ると肩を抱かれる。

 ビクリと肩が跳ねて、ゆっくり深呼吸をした。


「ル、ルカは凄い考えを持つんだね」

「そうかな。アリシア震えてない?」

 

 深呼吸をいくらしても、震えは治まってくれなかった。

 ジャーマニーに何度か、婚約者なんだからという理由でキスをされたことはある。


 キス以上は拒み、経験も何もない。

 この空気に耐えられない。


 ギュッと目を瞑って、恐る恐る肩に掛けていたカーディガンを下ろす。

 下にはネグリジェを着ていて、ルカの手を握った。


「アリシア…」


 低い声で名前を呼ぶルカは肩から手を退けて、床に片脚を付き、私の真正面に向き合った。


「私はアリシアを好き勝手にしようと思って、結婚を申し込んだわけではないんだよ?湯冷めするといけないから毛布をきちんとかけてね」


 脱いだカーディガンは肩に戻され、反対側に回るとコロンと寝転ぶルカ。

 私は初めてこの屋敷に入ってきた時のことを思い出した。


 ーーー結婚するといっても強要はしないし、夜会とかに参加してくれるだけで助かるから。


 …私は夜会にさえ妻として出ていたらいい。それなら最初から頼んでくれたら良かったのに。


 外側を向いて眠るルカに悲しくて涙が出るのは、優しいルカに心を許していたからだろう。ほんの少し期待していたからだろう。

 ルカが望むなら、私は侯爵家の妻として完璧にこなそう。小さい頃から何に対しても望む対応をできるように育てられてきた。妻として横に立っているだけなら、誰よりも上手くできる。婚約者から好きな旦那様に変わっただけのことだ。

 


 (優しくするなよ、ばかやろう)


 寝静まった夜に、ルカの寝息を聞きながらポソリと呟いて眠った。




 目が覚めると窮屈で、もぞもぞ動いてもビクともしない。一体何事かとゆっくり目を開けると漆黒の髪が鎖骨をくすぐった。

 腕は後頭部と腰をロックオンで。抱きかかえているような寝方に叫びそうになると、ルカの抱き締める力が一層強くなる。


 どうしたら良いのか分からずパニックになっていると、首筋からリップ音が聞こえて低音ボイスが耳をくすぐった。


「おはようアリシア」

「ひゃあっ!!!な、え!」


 体を解放されて飛び起きるとキスされた首筋を手で隠す。顔は自分でも分かるほど真っ赤で、ドッドッドッドと心臓はうるさい。


「首まで赤くなるんだね」


 朝に強いのか、ルカは腕を伸ばして直ぐに通常運転だ。私が起きる前から起きていたに違いない。


「ルカがしたんでしょ!」

「ごめんね、いつの間にか抱きしめちゃってて。アリシア抱き心地が良いものだから」

「……ルカは抱きしめちゃう癖があるんだね、罪だね」

「え?…アリシア?」

「あ、何でもないの」


 妻の私が無自覚タラシのルカを見てなくてはいけない。使命感のようなものと、侯爵家の妻としてしっかりしなくてはという責任感で立ち上がった。


「アリシア、どこ行くの?」

「ちょっと気合を入れに!」


 何事も形から入る私は、侯爵家の妻たるもの身なりを整えることから始めた。

 自室に戻るとリナちゃんが笑顔で群青色のミニドレスを取り出し、ササッと髪をまとめてくれる。


「アリシア様、お美しいですわっ!お似合いですわっ!」


 べた褒めしてくれるなんて今まで無かったから、どう反応していいか分からない。

 照れくさくて俯くしか出来なかったのに、リナちゃんは笑顔で会食の部屋へと連れて行ってくれる。


「ルカ様もきっと惚れなおしますわねっ!」

「そう、かな」


 惚れられて無いけれど、昨日見たいって言ってくれていたし少しでも魅力的にみえるなら、単純に嬉しい…。


 そんな思いを抱えて会食の部屋へ着くと、着替えたルカがダージリンを優雅に飲んでいた。

 朝日に包まれた明るい部屋に漆黒の髪が目立つ。紺色のテーラージャケットを羽織っている姿は気品を感じさせ、子爵だった私には場違いではないだろうかと物怖じしてしまった。


「アリシア!そのミニドレスとてもよく似合っているね」


 私の気持ちなど知らないルカは陽だまりのような暖かい言葉で私を包んでくれる。


 こんなにもルカやリナちゃんに色々としてもらって、優しく接してもらって、幸せすぎて壊れるのが恐ろしいくらいだ。



「あ、ありがとう…」


 自分らしさで、その優しさを返せていけたらいいなと思う。

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