比喩表現は単なる言葉遊びや連想ゲームではない(2)
続きものです。
先に前話を読んでいただけると幸いです。
さて、「文章表現を論理的に考える」と聞くと、何だか難しいことのように思えるかもしれませんが、やるべきことはたった一つ――文章表現の最適解を導き出すというだけです。より具体的にいえば、一つひとつの表現に根拠を携え、その場面で最も効果のある表現を模索するということです。
余計に分からなくなったという方がいたら、とりあえず「根拠→表現→効果」という図式だけを頭の片隅に置いてください。さらに、ここで得られた「効果」が、次の表現の「根拠」となりえないかを検討し「結合」させます。すると、次のようなサイクルが、螺旋状に浮かび上がってくるということが、お分かり頂けるでしょうか。
「根拠」→「表現」→「効果」→「結合」→「根拠」→「表現」→「効果」→「結合」→「根拠」→「表現」→……
今回は、文章表現に的を絞って考えますが、ストーリーに関しても似たような図式で創り上げることが可能です。この図式を意識することで、文章表現やストーリー上の矛盾をほぼゼロに抑え、一本筋の通った小説を書くことができるようになります。いわば「小説道」の基本にして奥義といったところでしょうか。
それでは、この図式を元に、改めて「比喩表現」について考えてみたいと思います。
まず、分かりやすい話として比喩の「効果」について、プロの小説家である大沢在昌氏は「三行費やさなければ説明できないことを一行で説明できる、非常に有効なショートカットの手段」であると述べています。また、同じく島田雅彦氏は「読んだら一発で意味が理解できる」ものという認識を示しています。
筆者も「比喩表現」に関しては、基本的に御二方の考え方を支持します。つまり、比喩の効果とは「通常は長い文章で説明しなければ伝わらない事物について、誰もが想像しやすい喩えを用いることで文章を簡略化し、読み手の理解を助けるもの」と考えます。
次に、この「効果」に基づき、図式を逆に辿って「表現」について考えてみましょう。すると、実際に小説の中で行われている比喩表現に関して、様々な問題点が見えてきます。今回は、その中でも代表的な事例を幾つか挙げて、問題提起としたいと思います。
一点目は、長い文章による比喩表現について。先程の「効果」に即して考えると、通常の説明的な文章で書くよりも、長い文章で表現される比喩は本末転倒だということです。
原因としては、作者がありきたりな表現を避けようとして空回りしてしまう、そもそも比喩を使う必要のない事物をただ飾り立てるためだけに表現しようとすることなどが考えられます。
二点目は、あまり人に知られていないものを喩えに使うことについて。これも、作者がありきたりな表現を避けようとして空回りしてしまった結果といえるでしょう。
三点目は、比喩の使用者(語り手、登場人物等)があずかり知らぬ事物を喩えに使うことについて。これは少し分かりづらいと思うので、例を挙げます。
例えば、平成生まれという設定の登場人物が、物語の中のある風景を見て「まるで昭和の時代に取り残されたような」などと言ったとします。確かに平成生まれであっても、今どきネットの情報や当時の写真等で「昭和」をイメージすることは可能でしょう。
しかし、その登場人物なり語り手なりに実感のないはずのことを語らせても、あまり説得力がありません。要するに、間違いではないけれど効果的な表現ではない――表現の最適解ではないということです。
これは作者が、自身と登場人物の認識の違いを切り分けできていない――つまり客観的な目線で考えることができていないという問題にもつながります。
以上、少し駆け足になりましたが、プロアマ問わず、実際によく見られる比喩表現の問題点について、代表的な事例を挙げてみました。
心当たりのある方は、その比喩が本当に必要なのかどうか、或いは効果的に使われているかどうかといったことを、ぜひ今一度検討してみてください。
次回は、図式の「根拠」と「結合」について、今回と同じく、比喩表現を題材に取り上げていきたいと思います。
(*1)
「表現」を「エピソード」に置き換えるとイメージしやすいだろうか。
(*2)
大沢在昌『小説講座 売れる作家の全技術』(角川書店)
(*3)
島田雅彦『小説作法ABC』(新潮社)
(*4)
要するに、自己満足でしかない言葉遊びになっていないかどうか。