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殆どの人は、嘘をつくのが下手である(2)

 前回は、小説の良し悪しを論じる指標の一つとして、あくまでも創作物であるその小説に真実性を見出せるかどうか――噛み砕いて言えば、そこに書かれた作り話を(少なくともその話を読んでいる間は)本当のことだと思わせられるかどうか――という観点があるのではないかと書いた。


 さらに、この「読み手を作品世界に引き込む力」は、一義的には、ストーリーや登場人物、物語の設定等にではなく、文章にこそある。なぜなら多くの場合、書き手の立場からすれば先にストーリーや登場人物が頭の中にあって、それを文章化しているのだろうが、読み手の立場からすれば、まず文章があって、そこからストーリーや登場人物を理解するからだ。


 読み手、つまり作り話の受け手は、まず文章を読んで判断する。従って、文章に矛盾や綻び等があれば、たとえ作者自身がストーリーや設定を良く練り込んで、魅力的な登場人物を描き、深いテーマなるものを表現できたと思っていても、読み手は「嘘っぽい」と感じてしまうのである。


 さて、そのように読み手から見抜かれてしまう「嘘の下手な書き手」というのは、往々にして二つの大きな思い違いをしている。

 ひとつは、いま論じてきたように、小説を書くという行為と読むという行為の違いに無自覚で、専ら書き手の立場から、ストーリーや登場人物、テーマや構成といったものを重視し、相対的に文章を軽んじていることだ。

 もうひとつは、そういった書き手に限って「自分は(少なくとも普段文章を書かない)人よりも文章を書くのが得意だ」と思っていることだ。そもそも自分は日本語を母語として今日まで生きてきて、一般の人よりも多くの文章を読み、また書いてきた――そういった慢心が、普段から素直に辞書を引く手を止め、その場限りの思いつきによる持って回った表現を好み、かつそれが言葉の誤用や文法上の誤りを含んでいても気付かず、読者から指摘されてもなお調べようともせず、意図が伝われば良いので間違いではないなどと自分勝手な理屈を並べ立てる。


 この二つの思い違いには、実は密接な関係があるのかもしれない。すなわち「自分は文章が得意」という前提があるから、逆に文章を軽視するのかもしれないが、その分析についてはまた別の機会に回すこととしたい。

 今回は、読み手の立場から「嘘が下手だ」と感じる文章の特徴を、誤字や脱字、言葉の誤用、文法上の誤り、ねじれ文、強調や持って回った表現の多用などといった「基本的」な観点から幾つか例を挙げていきたいと思う。



(1)誤字、脱字、言葉の誤用について


 言わずもがな基本中の基本であるが、ただのケアレスミスと侮ってはならない。読み手にとっては、これらのミスを見つけるたびに、折角それまで浸っていた小説世界から顔を上げねばならず、感情移入を妨げる大きな原因となる。


 また、こういうミスについて「あるのは仕方がない」とか「プロであれば担当の校正者が修正してくれるので気にする必要はない」などといった発言をする人を度々見かけるが、もちろんとんでもないことだ。


 誤字、脱字、言葉の誤用は、書き手であれば、まず「あってはならないミス」だと心掛けること。結果としてやってしまったときは、必ず辞書等で正確な表現を調べ、二度とミスをしないようにすること。繰り返すようだが、誤字、脱字、言葉の誤用は、書き手と読み手とで、その受け止め方が全く異なるということを自覚するように。


 最後に予防策だが、その言葉や表現に少しでも疑義が生じた場合は、面倒くさがらずに必ず辞書を引くようにすることだ。また、誤用されやすい言葉などはインターネットなどでも紹介されているので、一覧を印刷して、小説を書くときは常にそばに置いておくと良いだろう。さらに、同音異義語等については、小中学校レベルの漢字ドリルを使ってイチから学び直すことも検討すべきだ。先程も書いたが、妙な思い上がりなどは捨て去った方が良い。実際、この後に取り上げる「文法上の誤り」や「ねじれ文」については、小中学校レベルの国語を理解していないから、自分でも気付かないうちにやってしまうというという人が多い。


 重ねて言うが、嘘が下手な小説というのは、文章が下手とか表現が陳腐だとかいうこと以前の問題で、日本語による文章の書き方の「基本」が押さえられていない。

 例えば、ある文を文節に分ける、それぞれの文節を五つの働きごとに分類する、単語に分ける、それぞれの単語を自立語と付属語に分ける、活用形を理解する、品詞分類をする――などなど、全て小中学校の「国語」で習うことだが、果たしてどれだけの書き手がこれらをきちんと理解して、自らの文章に活かせているだろうか。


 かくいう筆者も、子どもの頃は「こんなことを習って一体何の意味があるんだ?」と疑問に思っていたクチである。しかし、小説を書くようになって、他人の文章を読むようになって、小説とは何かと考えるようになって、とにかく良い小説を書きたいと願うようになって、はじめてそれが重要な意味を持っていることに気付くことができた。


 次の項目以降で、その実例を交えながら解説していこうと思うが、今回は少し長くなってしまったので、一旦切ります。あしからず。

次回はなるべく早く投稿します。

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