小説っぽい言葉について考える(2)
さて前回は、過去の名作小説における、特定の5つの文章表現(唇の端を歪める、ため息をつく、眉間にしわを寄せる、目を見開く、瞳を輝かせる)の使用回数について、調査した結果を表にまとめ、御報告させていただきました。
ところで、少し考えていただきたいのですが、皆さんは、御自身の実生活上での他人との会話で、先に挙げた5つの表現をつかうことがありますか?
筆者はありませんし、逆に会話の相手の口から聞いたこともほとんどありません。皆さんも、おそらく同じではないでしょうか。筆者がそのように考える根拠は、皆さんの小説の中にあります。つまり、これらの表現は、小説においても会話文で使用されることはほとんどなく、所謂「地の文」で使用されているという事実です。
では、もう少し踏み込んで、意地の悪い質問をしましょう。なぜ、皆さんは実生活や御自身の作中においても、会話文中でこれらの表現をつかわないのですか? さらにもうひとつ、皆さんはこれら5つを御自身の「自然な行動」として、実際に人前でとったことがありますか?
最後の質問については、思わず「ため息をついた」ことくらいはあるかもしれません。ですが、それにしたって、これ見よがしに人前に晒す態度ではありません。他の4つについても、自然とそういう行動が出るということは中々ないと思います。
要するに何が言いたいかのというと、これら5つの表現に見られる行動というのは、現実的に考えると非常に「演技じみている」ように思えてならない。自身の経験として実感がないから、筆者としては「生きた表現」とは思えないのです。
ましてや、小説を「書く」ということをしない「純粋な読者」にとっては、なおさらではないでしょうか。
果たして、過去の著名な作家たちが、どのような考えに基づいて、現代の小説に多く見られるような「小説っぽい表現」を使わなかったのかはわかりません。また、前回も申し上げましたとおり、これらの表現を使ってはいけないということもないと思います。
ただ、そこにある事実に気付かないまま、或いは気が付いても目を背けて考えないという行為は、小説を書く側の人間の態度としてどうなのか。文章表現とは何なのか。そして、小説とは何なのか。
この項目については敢えて結論を書かず、問題提起にとどめ、終わりたいと思います。