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1.私と変態なあいつ

 満月が朱く染まると、それはやってくる。


 カタカタと窓が揺れる。

 コンコンとガラスが叩かれる。


「アマリエ」


 甘い毒のような声で名を呼ぶ男。

 こちらへおいでと誘って、ここを開けてと誑かす。


 のそり、とアマリエはベッドから這い出て、この世の者とは思えない美貌を携えた深夜の訪問者がいる窓へと近づいた。


「アマリエ」


 目が合うと、途端にとろりと蕩ける男の笑顔。

 男はコツリと鍵の場所を指先で叩いて催促する。



 ――鍵を開けて。



 アマリエが近づくにつれて男の血のように赤い舌がちろりと唇を舐めた。

 今宵の月と同じ色の瞳を細め、弧を描く口から鋭い犬歯が覗いている。


 アマリエは無言のまま手を窓へと伸ばし、喜色満面な男に向かい、にこりと笑った。


「悪霊退散」


 言い放ち、すぐさま笑顔を引っ込めたアマリエは、シャッとカーテンを引いて男の視線を遮った。


「ちょっ、アマリエ!?今日こそ許してくれたんじゃないの?!カーテン開けっ放しだっただろ!!」

「黙れ妖怪。地獄の底へ帰れ」


 ふう、と息を一つ吐いてアマリエは窓から離れた。

 今日が朱月(あかつき)の日だということをうっかり忘れていたのだ。

 アマリエは「歳かな…」と呟き、壁に掛けてある暦帳の今日の日付に赤いインクで印をつけた。歪な丸になったがまあ分かれば良いだろうと、ポイッとペンを机に放って、まだ「ここ開けてよー!」と喚く声が聞こえる窓を睨みつけた。




***



 いつからか、朱い月が昇るとこうやって訪れるこの男。

 初めて男に窓を叩かれた日は、アマリエは朱月を見上げていた。


 ふた月に一度、朱く染まる月。

 それは魔を呼び寄せる。


 朱月に、魔に、魅入られたら最後、地獄へ連れ去られてしまうよ。


 アマリエの住んでいる地域にはそんな古い言い伝え――子供に夜更かしをさせないための怖い話と言うべきか――があったが、幼い頃からこの月を見上げるのがアマリエは好きだった。単純に綺麗だと思ったからだ。


 その日も朱月を見上げ、そろそろ寝るか、と思った頃だった。

 不意に目の前に現れた美貌の男。アマリエはぱちぱちと瞬きを繰り返し、窓越しに男の瞳を見つめた。

 それはたった今まで眺めていた空に浮かぶ朱月そのもので、綺麗だな、とアマリエは素直にそう思った。


 けれども一瞬前には何も無かったはずの窓の外。そこに突如現れた男のことを、変質者だと思ったアマリエは「痴漢退散!」と叫んで護身用の胡椒を投げ付けてやった。

 もちろん窓は開けたのだが、風向き如何では室内にも胡椒が舞い込むだろうと予想してそれはもう見事な早業で窓を開閉した。

 男が「げっ」とも「ぅえ!?」ともつかない声を発した後、盛大なくしゃみに涙と鼻水を垂らす美貌の変質者を窓越しに見届けてすぐにカーテンを閉じ、「私は何も見なかった」とアマリエはベッドに戻ったのだった。



 それからというもの、ふた月に一度の朱月の晩になると男がアマリエの部屋の窓を叩きに来るようになった。




 この男。恐ろしくめんどくさくてその上しつこい。

 朱月を堪能し終え、窓から入り込む温かな朱い月の光――人に言わせれば毒々しい光らしいが――を身に浴びながら眠りに入った頃合いを見計らっているのか、ふかふかなベッドの中で夢の扉をいざ開こうという時に男はやってくる。


 己の訪いを告げるよう必ず窓を叩き、妖しい笑顔で開けてとねだる。初めは胡椒で撃退していたが、その内アマリエはめんどくさくなってしまった。

 朱月が見られないのは残念だけど、男の鬱陶しさには敵わない。朱月の日はカーテンを引いて無視することに決めた。


 男も力ずくで室内に押し入るつもりは無いようなので、布団を被ってやり過ごせばいつの間にか男はいなくなる。それでも一晩中「開けて」と囁かれ続けると満足に眠れるわけもなく、アマリエは布団の中でただじっとして男の美声を子守唄にうとうとするだけだった。

 朱月が昇った翌日は少なからず寝不足になるが、ふた月に一度のことなのでアマリエは余り気にしなかった。

 基本的に細かいことは気にしない。彼女はそういう性格の持ち主だった。




 決まりきったように窓を叩かれ、窓を開けてと催促されることに不本意ながら慣れてきてしまった頃。既にカーテンを引いていたアマリエは無視を決め込みベッドの壁側へ寝返りを打った。

 今日も飽きずに訪れた男は、深夜だと自覚しているのか余り大きな物音は立てない。けれどアマリエの耳にははっきりと男の声が届く。


「ここを開けて」

「可愛い顔を見せて」

「君の声が聴きたい」

「君に触りたい」


 まるで恋人への睦言のような台詞を吐く変質者。

 初めの出会いから既に二年は過ぎようかというところでいよいよもって危険な人物なんだろうかと漸く思い至るも、アマリエは朱月の日に訪れる男のことを誰にも話さなかった。


 ―――話せなかった、と言うべきか。


 アマリエの家は三階の角部屋、窓の外に足場無し。登れるような雨樋も近くには無い。

 二年近くふた月に一度だけ訪れるこの男はただの変質者ではないのだろうな、とさすがのアマリエでも考えていた。


 では男はどのようにしてアマリエの窓に現れるのか。

 その答えはカーテンの隙間から偶然覗いた男の背中に有り、それは別段アマリエを驚かすものではなかった。

「ああ、そうなんだろうとは思ってた」くらいの感想をアマリエは抱いただけだった。


 男の背中に蝙蝠のような羽がある。なんて。容易に人には言えない話だ。




***




 そして現在。

 ばさばさと鳥の羽ばたきにも似た音を立てながら、男がカーテンを引いた窓の外で何やら喚いている。


「悪霊でも妖怪でも無いよ!僕は悪魔だってば!」


 だからなんだと言うのか。

 悪霊も妖怪も悪魔も、アマリエの中ではどれも同じ物だった。

 どれも関わってはいけない物。


「あ、そう。聖水被って死ね」

「アマリエ!可愛い君が死ねとか言っちゃダメ!」


 自称悪魔に可愛いなどと褒められたところで毛ほども嬉しくは無い。

 ならば、とアマリエは言い方を変えることにした。


「くたばれ」

「もっとダメ!!」


「君はどうして口が悪いの!」と喚く男を「五月蠅い!」と一喝し、アマリエは眉間に皺を刻みながらベッドへと戻った。

 ああ、カーテンを閉め忘れたせいで自称悪魔の変質者と会話する羽目になってしまった。男は一度言葉を交わすとアマリエが無視することを詰ってくるので非常にめんどくさいのだ。


「アマリエ。起きてるでしょ」


 どこで名前を知ったのやら。


「アマリエ。ここを開けて?」


 ちなみに私は自称悪魔の変質者の名前は知らない。


「せめてカーテンを開けて?」


 知りたくもないけど。


「少し話をしようよ」


 今日もやっぱり五月蠅い。カーテンを閉め忘れるんじゃなかった。


「君の声が聴きたい」


 私は別にあんたの声は聞きたくない。


「君の顔が見たい」


 私は別にあんたの顔は見たくない。…あ、でも瞳は見たいかも。綺麗だからね。


 その時、ガタンッと大きく窓が鳴った。アマリエが何事かとカーテンを見ると、月明かりに透けて見える男の影が窓に張り付いているような格好になっていた。


「っ見たいなら好きなだけ見て良いから中に入れて!!」

「人の心を勝手に覗くな変態が!!」


 もういや。手で耳を塞いでアマリエは布団に潜りこんだ。

 目を瞑っていればその内眠くなるだろう。男は夜明けまでにいなくなるのだからと無理やり意識を暗闇に沈めた。


 背中に翼が生えてて、しかも心が読めるなんて、自称悪魔の変質者は、やっぱり本物の悪魔なんだろうか。

 でも変質者だし。ちっとも怖くないし。

 出会いの当初に胡椒でぐちゃぐちゃになった顔を見ているせいか、人を惑わせる美貌にもアマリエは何も感じなかった。

 地獄に連れ去りに来てるような感じも、アマリエには何となく感じられなかった。

 それが手なのかもしれないけどね。


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