あれからどうなったんだ?
今回は閑話的な話です。殺伐とした話が続いたので、息抜きのような感じで。
意識が覚醒した時に見えたのは白いシーツだった。うつ伏せになって寝ているらしい。
「まぶし……」
窓から降り注ぐ陽光がオレの目を焼き、思わず左手を上げて光を遮ろうとして、腕と背に奔った引き攣るような激痛に転げる。
「んぎっ……いだだだ……」
いったいなんなんだ……と思ったところで、オレが昨晩背中に大火傷と腕に噛み傷を負った事を思い出す。
恐る恐る起き上がってみると、背中の痛みはそれほど酷くはなく、どちらかというと腕の痛みの方が酷かった。
腕の痛みは昨日と変わりないように思え、背中の痛みは酷い日焼けをして風呂に入っているような感じだ。
つまり、凄いヒリヒリする。
「うう……いでぇなちくしょう……」
呻きつつ、周囲を見渡す。少なくとも、ここが闘技場のオレの部屋じゃない事はわかった。
オレの部屋には窓なんかないしな。
ならいったいここはどこなんだろうかと首を傾げ、ベッドから降りる。
背中は未だ突っ張って痛むが、歩けない程ではない。
痛みを堪えつつ部屋の扉を開き、そこから顔を出す。
そこではリウィアが机に突っ伏して眠っていた。どうやら、デリックの家のようだ。
「……心配かけちまったみたいだな」
リウィアの顔を覗き込むと隈が出来ていた。自惚れでなければ、オレの看病を夜を徹して行っていてくれていたのだろう。
それに感謝を感じると同時、自分の無力さを恥じた。
もっと、強くなりたい。
あんな無様を晒さないくらいに。狼如き、鎧袖一触と薙ぎ払えるくらいに強くなりたい。
腕に未だ刻まれた狼の牙による傷痕はオレの弱さを攻め立てるように痛み、強くならなければならないとより一層強く思わせた。
「……まあ、何にしろ今は身体をなんとかしないとな」
強くなるにしてもなんにしても、こんな無様な状態のままじゃそれ以前の問題だ。
とりあえず、背中の状態がどうなっているかが分からない。
首を巡らせれば肩の辺りは見えるのだろうが、首を捻ると滅茶苦茶痛いのでやりたくない。
鏡でもあれば少しはマシなんだが……と思って部屋を見回した所で鏡を発見する。
恐らくリウィアが使っている鏡なのだろう。ブロンズ製の鏡だ。
その鏡に背を向けて服を脱ぎ、背中を映す。
痛みを我慢して首を巡らせて鏡を見れば、オレの背中全体が映し出されていた。
「こりゃ酷いな……」
背中全体が真っ赤で、ところどころが引き攣ったような傷痕が残っている。
背中全体に大火傷を負ったのは間違いないらしく、どうやらそのあとに治療が施されたらしい。
ケロイドにならないといいんだがな……ならなかったとしても、背中全体に白い治癒痕が残るか。
まぁ、自分の身体に傷痕が残ったところで死ぬわけでもないし、命が助かったのだからよしとしよう。
「しかし、町に帰ってきたのは分かるが、半魚人どもはどうなったのやら……」
窓の外を見やってみると昨日よりは減っているが、人の往来はある。
少なくとも半魚人を撃退したか、半魚人どもが逃げて行ったのは確かか。
誰かに聞けば一発だが、リウィアを起こすのも忍びないと思いつつ服を着込む。
そういえば、この服は誰の服だ?
オレは服を一着しか持ってなかったからオレの服ではなさそうだが、リウィアとデリックが子供サイズの服を持っていたとは思えないし……。
まぁいいや。既に着てたんだからオレのもんだ。
「さて、と……」
昨日と同じ場所の椅子に座りつつ、これからどうしたものかと考える。
本来なら闘技場に戻らなきゃいけないのだが、今はそんな状況でもなさそうだ。
とりあえず、どっかに行ってしまったのだろうデリックを待つか……と考えたところで、何かを感じた。
「……?」
こっちを射抜くような何か。それは視線というのかは分からないが、何かがこちらを伺っている。
それが窓の外からだと直感的に理解すると、オレは窓に歩み寄ってそこから外を眺めた。
人の往来が多い。こちらに目線も向けずに歩いていく者たちは除外していいだろう。
では、いったい誰がオレを伺っているのか……と思ったところで、オレは思わず呟いていた。
「痴女だ……痴女が居る……」
上半身殆ど裸。胸にサラシを巻いてるだけ。下半身は緋色の袴らしきものを履いてるだけで、上着を着ていないものだから太腿の辺りが殆ど丸見え。下着すら丸見えだ。
どう考えてもこれは痴女だろう。
いや、待て、相手はオレと同じ年頃に見える。ならば痴女ではなく、痴少女とか痴幼女とか言うべき相手ではないのか……?
などと馬鹿な事を考えていると、その痴女とオレの目線が合った。
思わず目を逸らしかけた瞬間、目を逸らしたら負け、とヤンキーみたいな理屈が頭を過り、それに逆らわずにオレはメンチを切り続けた。
そして、痴女とオレの距離がほんの数メートルにまで縮まる。
ここまで来ると、相手の容姿の全容も見えてくる。
黒髪に黒目、丸顔の少女……いや、痴少女。
上半身はサラシだけだと思っていたが、よくよく見ずとも腕に籠手らしきものをつけている。サラシのインパクトがでかすぎて気付かなかった。
そして下半身は袴、なのだが、そこから太腿とパンツが丸見え。
足元は足袋と草鞋と何か狙ってんじゃないのかと思うくらいの格好だ。
全体的に見て、外人の考えた女サムライ……みたいな感じだ。
その女サムライの痴少女が、オレにメンチ切ったまま近づいてきている。
そして、やがて相手は窓のすぐ傍までやってきて、手を伸ばせば届くくらいの距離まで近づく。
「…………」
「…………」
オレも相手も無言。思わず顔を乗り出すと、相手も顔を乗り出してくる。
額と額が接触。
デコをくっつけてのメンチ切り……オレ、何やってんだろ。
「えいや」
うなじの辺りを押される感触がした直後、唇に何か柔らかい感触がした。
そして、先ほどよりも痴少女との顔の距離が更に近い。
それこそ、唇が触れあっているのではないかと思えるくらいに、近い。
いや、事実、唇が触れ合っていた。
「んなぁーっ!?」
「何をするかぁーっ!」
互いが顔を離した直後、怒鳴る。オレも相手も怒鳴る。いきなり何しやがんだ、と。
しかし、オレは顔を近づけたつもりなんかないし、ましてやキスをしようとなんて思ってすらいない。
だが、相手もそれは同じ心持ちのようであり、明らかに何かされたと言わんばかりの態度だ。
「テメェがやったんだろーが! オレのファーストキスを奪いやがって! ふざけんな!」
「それはこちらのセリフだ!」
「んだテメェ! そりゃこっちのセリフだっつってんだろうが! やるかコラ!」
思わず窓から飛び出して相手の胸倉を……掴む場所が無いのでガンつける。
「責任を相手に押し付けようとは程度が知れるぞ!」
「んだと!? それはテメェだろうが!」
オレも相手も一歩も譲らない。正直ファーストキスが同い年の少女ならご褒美の気がしないでもないが、それとこれとは話が別だ。
「テメェがオレの首を押してキスしてきたんだろうが!」
「それは貴様だろう! 私の首を押して接吻を強要したのだろうが!」
「あ?」
「んん?」
何やら話がおかしい。というか、オレも相手もうなじの辺りを押されてキスしたと言い張ってるが、コイツは腕を動かしてたか?
こいつの手は籠手で覆われてる。動いていれば目立っただろう。
じゃあ、誰がオレの首筋を押した?
辺りを見回した直後、ほんの数メートル離れた場所にオレよりも五つか六つほど年上だろう女を見つけた。
黒髪に黒目なのは先ほどの奴と同じだが、コイツもまた変な格好をしている。
青の袴に黒の前掛け、そして振袖の袖部分だけを切り取ったようなアームウォーマーを身に着けている。
前掛けが無かったら露出度は痴少女と同じくらいだろう。
「おい、お前の知り合いか、あれ」
「……そうだ」
「じゃあ、さっきみたいなふざけた真似をするような奴か?」
「…………そうだ」
「そうかそうか」
手を差し出す。その意図を測りかねたか、痴少女が一瞬目を丸くしてオレを見返してきたが、すぐに意図を察したのかオレの手を握る。
握手だ。
つまり、友好の証。手を組もうという意図の現れ。
何に対して手を組もうというのか。それは簡単なことだ。
「野郎! ぶっ殺してやる!」
「叩き切る! そこに直れ!」
オレと痴少女は獣の如く襲い掛かった。オレは拳で、痴少女は左手に持っていた刀らしき剣で。
あんなふざけた真似をした奴にヤキ入れる為に。
もしかしたら今まで一番早い動きだったんじゃないのか。そう思える程の動きだった。
だが、次の瞬間には信じがたい光景があった。
相手がしたことは極簡単だ。その手に握っていた扇子らしきものを広げて、一振り。
たったそれだけの動作で、信じがたい程の凄まじい風が吹き、オレと痴少女は宙を舞った。
「(なんだ……今の……)」
扇子を振ったくらいで起きる風じゃない。だからって魔法でもない。魔法だったら呪文回路が構築されて見えるはず。なら、別の何かによるもの。
しかし、その別の何かというのが何か分からない。
そして、理解不能なままにオレは宙を舞い、足から地面に着地した。
体勢を整えて足から着地したわけじゃない。風で体勢が整えさせられ、勝手に足から着地したのだ。
それはオレのすぐ隣に突っ立っている痴少女も同じようで、呆けたような顔でこっちを見てくる。
「そうカッカしたらあかんよー。人間何事も寛容が大事やー」
柔らかな響きの訛り。前世で言うと関西弁、もしくは京都弁か。柔らかい感じがするから、京都弁だろうか。
「なぁ、あの珍妙な訛りはお前の故郷の訛りか?」
「ああ、京の訛りだが、それがどうした?」
「いや、気になっただけ」
思わず痴少女に尋ねかけていたが、この世界でも普通にある訛りらしい。
ちょっとだけ、日本人かと思って、がっかりした。
日本人かもしれないと思って、オレと同じ、あるいは似たような境遇の人間かと期待してしまった。
そんなわけが、ないのに。
「はぁ……まぁ、いいや……」
「いや待て全然よくないぞ! 私の唇を奪った事はどうするというのだ!」
「オレみたいな美少女とキス出来てラッキーだろ。オレもラッキーだと思ってやるからそれで納得しろ」
正直納得できないが、これ以上話をするのも疲れる。
「私にそんな趣味は無い!」
「男好き宣言か……」
「リンちゃんいつの間にそんな大人になってもーたん?」
「ちがぁう! なんでそう極端に走る!」
「いや、なんとなく」
「えー、だって、女の子嫌いなんやろ? せやったら男の子好きなんやろ? ほら、男好きや」
「だからなぜそう極端に走るのですか叔父上!」
「面白そうやから」
「え、叔父?」
叔父? 叔父上? 叔父というと、自身の親の兄弟にあたる親戚。
え、どう見てもコイツ女だけど。
「おい、お前の叔父さん宦官かなんかか?」
「は? 何? かんがん? なんだそれは?」
「いやだからつまりな、モノを切り取ってるのかって事を……」
「モノ? モノとはなんだ?」
「いやだからな……」
なんて説明したらいいものか……。
「あー、うちの性別?」
「え、あ、うん。もう率直に聞こう、アンタは女か?」
「さー、どうやろなー。一応、男って事で通ってるけど」
オレは改めてそいつの顔をよく見る。
艶やかな黒髪は腰まで伸び、パッチリとした大きな瞳に長い睫。
雪のように白い肌の中に浮かぶ桜色に色づく唇。
日本美人というかなんというか、良家のお嬢様風美少女。
「ウソをつくなぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず絶叫した。こんな美少女が男とか、性別を間違えて生まれたんじゃなくて、世界そのものが間違ってるに違いない。
いや、そこまで壮大に話を広げる必要もない。こいつが自分の性別を偽ってるに違いない!
「本当は女なんだろ? そうなんだ?」
「さぁ、どうやろなぁ……そや、うちの性別はこの舞を見て決めてくれたらええ!」
「は?」
そういって、そいつはいきなり踊り出した。いや、舞う、という表現の方が的確だろうか。
それは確かに舞だった。
扇子を用いた舞。それは荒々しく地面を踏み鳴らし、優雅に空を舞い、そして重々しく地を這うかのような舞。
荒々しく男性的のようでいながら、女性的な優雅さを内包した舞だった。
まさに惹きつけられると言うべきか、オレはその舞から目が離せなかった。
やがて、その舞が終わる。それと同時に、そいつは胸の前で腕を交差させた状態で扇子を広げ、瞑目したまま呟く。
「これぞ赫々たる天下無双舞……」
その言葉と同時、そいつが空に溶けるように消え、その代わりに蝶が舞った。いや、それはよくよく見れば蝶ではない。
何らかの、エネルギーの塊が蝶のような形で舞っているのだ。
「綺麗だな……」
思わず呟く。何しろ、それ以外に表しようがなかったのだから。
「ああ……綺麗だな。叔父上の舞はやはり美しい」
オレの呟きに、リンと呼ばれた痴少女も同意する。本当に心の底から綺麗だと思える舞だったのだ。
そして、オレは重大な事実に気付いた。
「あの野郎逃げやがった!」
「何!? あ、確かに!」
そう、アイツは逃げていた。リンとオレの追及から逃れる為に、舞で目くらましをして逃げ出したのだ。
「野郎! 次あったら服引っぺがして性別確かめてやる!」
オレはそう怒鳴って、次こそアイツの性別を確かめてやると意気込んだのだった。目的が変わってる気がしたが、気にしない。