魔法ってのは難しいな
街には活気があった。
道行く人々の数は多く、開かれている市場では様々な珍品や名品が並んでいる。
町並みには節操がない。あれやこれやと混ざり合い、とりあえず取り入れてみましたと言わんばかりの有様だ。
絨毯を売っているらしき店ではペルシャ風っぽい絨毯の横には日本の茶道で使う緋毛氈のような絨毯があり、かと思ったらその横には金属で織られたタペストリがぶら下がっている。
道行く人々の服装も無茶苦茶だ。
古代ローマ風のトーガっていう服みたいなのを着てる奴もいれば、全身を覆う中世の騎士の甲冑のようなものを身に着けている奴も居る。
それだけに飽き足らずに、デニム生地みたいなものの服を着てる奴もいるし、左前で和服らしきものを着てる奴や、媚びを売ってるのかと疑わんばかりのメイド服を着てるやつもいる。
文化が無茶苦茶だ。日本よりひどい。少なくともオレの住んでいた村は全員麻の服を着ていたのに、この町の混沌具合はなんなんだか。
「どうだ、この町には活気があるだろう。お前の村なんかとは比べもんになるまい?」
「それより、なんで男も女もメイド服を着てるのか教えてくれ」
オレの視線の先にはメイド服を着た男と女が居た。その前には紳士服みたいなものを着た四十がらみの男が歩いている。
細面の優男が着ていたのを見たのが唯一の救いだ。もしも筋骨隆々な大男がメイド服を着ていたのなら、オレは自分の目を抉るか、その男を殴り殺すか、あるいは見なかったことにしていただろう。
「うん? なんでって、奴隷の仕事着は皆あれだろう」
「……男専用の服とか無いのか?」
「男と女で服を分けるのも変だろ」
その考え方の方がもっと変だろ……オレの村じゃ少なくとも女しかスカートは履いてなかったぞ。
「オレの村だと、ああいうスカートは女しか履かないものだったが……」
「ふむ。とすると、お前の村はシェンガの方に近いのかもしれんな。シェンガの方は男女で衣服を分ける風習がある」
「そうなのか……」
思わぬところで自分の故郷の情報を得られたな。しかし、シェンガってどこだ?
「で、シェンガってどこだ?」
分からないことは即質問する。聞くは一時の恥っていうしな。ここで聞き逃して後で聞けなかったら拙いだろうし。
「シェンガってのはここから東の方にある国でな。早馬で駆けて半月くらいの距離だ。あの国は独自の文化と風習が強くてな。七百年前の大分裂戦争の時に橋が架けられて陸続きになるまで、殆ど交流の無かった国でもある」
「ふぅん……おっさん意外と物知りだな。なんでそんなこと知ってんの?」
「昔は冒険者をやってたんだ。その後に奴隷になっちまったがな」
「そりゃまた運の悪い事だな。なんでまた奴隷なんかになっちまったんだ?」
「冒険者の扱うものは大概高い。それを借金して買って、払い切れずにな……まぁ、冒険者やってたから剣闘士もそんなに大変ではなかった」
「ふうん。払い切れねぇようなもん買ったおっさんも案外間抜けだなぁ」
「いやな、本当なら払い切れたはずなんだ。けど、膝に矢を受けてしまってな。治療を受けられる状況でもなかったから、冒険者生命は終わっちまった。そうなりゃ金も稼げねえってわけでな」
「そらまた運が悪いな……」
デリックも苦労してんだな。
「ところで、おっさんの家は何処なんだ?」
「もうちょっとだ」
さっきからそういってばっかりで全然着きやしない。デリックがあっちこっち見て回ってるせいもあるが。
しかし、見る限り物価はどれもこれも安い。
鶏肉らしきものの串焼きが二本で銅貨一枚。黒パンは一籠で銅貨三枚。白パンだと一籠で銅貨八枚だ。
オレの現在の所持金が金貨百四十八枚。あの試合のファイトマネーは金貨百五十枚だったのだ。腕の治療で金貨一枚と、しばらくの間の雑費で金貨一枚を支払ったのだ。
そして、金貨は一枚で銀貨が十枚。銀貨一枚で銅貨十枚になる。つまり、オレは白パンを両手で抱えきれないくらいに買える。
しかし、物価が安いのもあるが、それ以上に剣闘士が高給取りというのもあるのだろう。聞けば水夫の日当が一日銀貨二枚程度だというし。
剣闘士は一回の試合で水夫の五百倍以上を稼ぐという事だ。
そりゃもちろん剣闘士は毎日試合が出来るわけではない。月に一度も試合をすれば、よく戦う方なのだという。それでも相当な高給取りだろう。
「ほれ、あそこが俺の家だ。おい?」
「ん? ああ。いい家じゃないか」
物価について考えているうちにデリックの家に辿りついていたらしい。
デリックの家はそれなりに大きい。剣闘士の訓練士も高給取りなんだろうか。
そう思いつつもデリックの後に続く。
「今帰ったぞ、リウィア」
リウィアというのはデリックの嫁さんの名前だろうか。その呼びかけに応じたのは金髪の肉感的な美女だった。
対するデリックは熊男という形容がピッタリの大男だ。
「美女と野獣、か」
こんなムサイおっさんがこんな美女を嫁に貰ってたら、世の中の優男はいったいどんな美女を嫁に貰えばいいんだろうか。
くだらない事を考えていると、そのリウィアとやらが穏やかな笑みを浮かべつつオレに近づいてきた。
「な、なんだ……?」
一言も喋らずオレに歩み寄ってくるその姿は何か異様な恐怖心を煽った。思わず後退りする。
美女なだけに何か怖い。美形って怖い、オレ覚えた。
そしてついにオレの背が壁についた。最早逃げる事は出来ない。
「う、うお……うおおおお!?」
瞬間、リウィアがオレの脇に手を差し込み、オレを持ち上げた。
そしてそのままくるりと回って、笑みを深くした。
「まぁまぁ……本当に可愛らしいわ! あなたがニーナちゃん?」
「いいから降ろせぇっ!」
「あら、ごめんなさい」
なんなんだこいつ……会ってから一分と経ってないのにマイペースだと確信したわ。
「すまんな。リウィアはのんきな奴なんだ」
「ああ、今ちょっと話しただけで確信したよ」
デリックの申し訳なさそうな声に返事を返しつつも、なんだってこんな良家のお嬢様みたいな人とこの熊男が結婚できたのか疑問に思う。
「……リウィアとは昔パーティーを組んでた仲だ」
「へ?」
「リウィアを見ると大体誰でも同じようなツラする。なんだってリウィアと俺みたいなのが? って顔をな」
顔に出ていたらしい。いやまぁ、こんな美女と野獣が結婚してたら誰だって疑問に思うよな。うん。
「しかし、冒険者ね……」
リウィアは線が細い。筋肉がついているようにも見えないし、その手にも肉刺があるようには見えない。
とすると、魔法使いとかそういう奴だろうか。あの闘技場でオレを治療してくれた奴みたいに回復魔法とかを使う奴なんだろうか。
「まぁ、なんでもいいだろ。ほれ、早くメシにしようぜ。リウィア、準備は出来てるな?」
「もちろん。たくさん作ってあるから、ニーナちゃんもたくさん食べてね」
「へーい」
デリックに誘われて来たのだ、元からご相伴にあずかる気だ。
そしてオレはリウィアが腕によりをかけて作ってくれた夕食に舌鼓を打ち、久しぶりに……と言うか、生まれて初めてと言えるくらいに豪華な夕食を楽しんだ。
そして夕食を終えた後は暫くの談笑を楽しむ。話の内容は、主にデリックとリウィアの昔語りと、オレの故郷の話。オレの故郷の話はそんな面白いもんでもないと思うんだがな。
しかし、この時間もそう長くは続かないと考えると少し残念だ。
元々剣闘士は余り外出出来る立場ではない。無論、全くできないというわけではないが、余り長時間の外出はできない。なので、オレは日付が変わる前には帰らなくてはならないのだ。
「それでね、その時にデリックったら自分から炎の壁に突っ込んじゃったのよ。火への抵抗力を上げるために【パワーズ・オブ・レジスタンス/四大元素への抵抗力】をかけてたお蔭で大したことはなかったのだけどね」
「間抜けだなぁおい」
「あの時は床が滑ったから突っ込んじまったんだ! 本当の俺なら華麗に潜り抜けてたっての!」
「華麗に炎の壁を潜り抜ける、か」
ライオンの火の輪潜りは見たことがあるが、熊の火の輪潜りは見た事無いな。
「……お前、なんかひでぇこと考えてなかったか?」
「何を根拠に」
「俺の顔をニヤニヤしながら見てたら分かるってえの」
それもそうか。
「しかし、魔法か。便利そうだよなぁ」
魔法、呪文、秘術、秘跡と色々と呼び方はあるが、やってる事は結局一緒らしいそれ。
それは物質や動作の持つ意味を用いて、世界そのものに働きかける事で現象を引き起こすという技術であるらしい。
習得には魔力が必要ではあるが、生物は本来からして魔力というものを持つらしく、学べば誰にだって使えるんだそうだ。
「ニーナちゃんも使ってみたいの?」
「使えるのか?」
魔法というからには勉強とかが必要なんだろう。そう考えると少々気が重い。元々、頭を使うのは嫌いなのだ。体を動かす方が好きなのかと言われると、どっちかと言えば頭使う方が好きではあるんだが。
「そんなに難しくないわよ。ほら、見てて」
そういうと同時、リウィアが差し出した手の先に不可思議な図形が構築されていく。
それは何かに似ているということは無い。だが、そこに何か、力というものが脈動していることが分かった。
「これは呪文回路。これを構築する事で式として、ここに魔力を流し込むことで式を成立させて結果を生み出すのよ」
「なるほど……で、どうやってやるんだ?」
「出来る、と思うのが大事よ。やってみて」
ううむ……出来ると思うのが大事と言われても困る。
とりあえず、リウィアの作ったその図形を見つつ、自分もそれを構築しようと考える。
「…………」
「出来ない?」
「無理」
簡単に出来たら苦労しないよなぁ……。
そう考えていると、リウィアが席を立って、すぐ近くの棚のようなものの中を漁る。
そして取り出してきたのは羊皮紙らしきものだった。
「お、スクロールか。何のスクロールだ?」
「【シールド/盾】のスクロールよ。この間作ったばかりだから使えるはずよ」
デリックの言葉によるとアレはスクロールか。とすると、魔法のアイテムみたいに、それだけで魔法を使うことが出来るのか?
「ニーナちゃん。これを使ってみて。これには既に回路が構築されているの。あとは力を流し込むだけで使えるから、感覚を掴むのにはちょうどいいはずよ」
「あ、うん」
言われた通りにスクロールを受け取り、それを開いてみる。
スクロールの中には言われた通り、先ほどのものとは違う図形が描かれている。そして四方に魔法陣のようなものがあるが、これは関係ないんだろうか? まぁいいや。
「つっても、力って言われてもな……」
「だよなぁ。俺もついにはスクロールも使えなかったんだ。ワンドは使えたんだけどな」
「普通はスクロールを使う方が簡単なはずなんだけどね」
うーん……どうやればいいのやら……。
不思議に思いつつも、スクロールを手に念じてみる。
力を込めるって言われてもなぁ……あれかな、昔の漫画みたいに、手から気弾を放つみたいな?
……なんか違うような気がするな。
うーん……むむむ……ええい、とにかく気合いを込めろ。出来なけりゃ出来ないでなんとかなるさ。
「ぬぬぬ……うおっ!?」
ぱしんっ、と音がしてスクロールが弾け飛び、オレの目の前に不可視の力場が現れた。
それは目にも見えないのになぜか確かに存在していると分かり、オレの思う通りにその力場は動いた。
「これが魔法?」
「出来たのね、おめでとう」
そういってリウィアがオレの頭を撫でる。
……なんか複雑な気分だな、頭撫でられんのって。故郷の両親で慣れたと思ってたが、やっぱ慣れない……。
「それじゃあ、もう一度さっきのをやってみて。今度はもっと簡単に出来るはずよ」
「分かった」
言われた通りに意識を集中し、リウィアが構築した図形を空間に描き出す。
先ほどの苦労がなんだったのかと思うほどに呆気なく図形は構築された。
「うん、出来てるわね。呪文回路もすごく素直。後は力を流し込むだけで使えるわ」
「どれどれ」
試しに力を流し込んでみる。
その瞬間、オレの手が燃え盛った。
「ぬわああああああっ!?」
驚き転げまわり、手を振り回して火を消そうとするも、火は全く消えない。
近くにあった水瓶に手を突っ込むも、火は全く消えようとしない。
「落ち着いて! その火は魔法の火よ。ニーナちゃんには熱くないわ」
「うええっ!? あれ、確かに熱くないな」
炎という先入観だけで熱いと錯覚して、実際に熱かったような気がしたのだが、確かに手が焼けるような感覚はしない。
水瓶から手を抜いてみると、やはり手は燃え盛り続けているが熱くは無い。不思議な感覚だった。
「それは【フレイムスロワー/火炎投射】っていう魔法なの。炎を放つ魔法なんだけど、習熟するまでは遠くに飛ばせないのよ」
「……出来そうにないな」
窓から外に向かっ手を振ってみるが、炎は揺れ動くばかりで手から離れようとはしない。
習熟すればって話だから、練習が必要ってことなんだろうか。あんま気は進まないな。正直心臓に悪いわ。
「まぁまぁ。きっといつか出来るわよ。それにスクロールは使えるようになったんだから」
「うん、そうだな」
スクロールが使えるようになったっていうことは選択肢が一つ増えたっていうことだ。これがどう役立つかは分からないが、出来る事を増やすのは悪い事ではないだろう。
と、そこでリウィアの持っていたスクロールを使ってしまったことに思い至る。
「さっきのスクロールってもしかして結構高いものなんじゃないのか?」
「あら、そんなことないわよ。シールドのスクロールだから、ほんの金貨数枚くらいだから」
「いや、結構高いじゃんかよ。借りっぱなしなのは性に合わないし、代金払うよ……って、今無いんだった。あとでデリックに渡すから……」
「気にすんな。スクロール一枚くらい屁でもねぇからな」
「つってもなぁ……」
元々この国の人間は余り金銭に執着する気質でないのは知っていたが、それとこれとは別で、心情的には納得できないのだ。
多少なりとも金銭に余裕がある状況なのに金銭を払わないというのは何とも心苦しい。
と、そこで名案が思い浮かんだ。
「んじゃあ、こうしよう。次の試合をやって、オレが無事勝ったら今度はオレが二人にメシを奢るぜ」
「おう、そんならいいぜ。なぁに、お前なら次の試合も勝てるさ」
「あらあら、楽しみにしてるわね」
うん。これなら問題ないだろ。オレは次も必ず勝つ。絶対に勝つ。勝って、必ず生き残るんだから。
そう考えた時、振動が襲った。初めに一際強い地響き。その後、名残のように地面が揺れた。
「地震か?」
「地震?」
デリックの不思議そうな声に、このあたりには地震が無いのだということを思い出す。
オレが生まれてから八年の間、一度たりとも地震は無かった。
地震はプレートの活動が原因だから、プレートの構成次第では地震の無い地というのも存在するのだ。
なら、この揺れは一体なんなんだ?
「どっかで家でも崩れたか?」
「まぁまぁ、そんなに心配しても仕方ないわ」
確かにその通りだと思った直後、家の外が騒めいた。
いや、騒めいたどころではない。
悲鳴。絶叫。そんな二つの叫びが合わさったものだった。
「ちょっと見てくる」
そういってデリックが家の扉を開き、そこから外に出る。
オレもその後に続いて外に出ると、町の様子が慌ただしい。
まるで何かから逃げるように、全員が一つの方向に向かって逃げて行っているのだ。
反対側の方向を見やってみても、特に何かおかしい所は無い。不思議に思いつつ、近くの木箱やらなんやらを足場に高い所へと昇る。
「なん、だ……あれ……」
広くなった視界にあったもの。それは信じがたい程に巨大なものであった。
そして、異形。
あれは、なんと形容したらいいのだろうか。
まさに気狂い染みた造形と言ってもいい。
巨大で、硬質で、精神病の患者が創り上げたオブジェと言われても信じられる。
クラゲの傘を取っ払って、残った部位に貝と茸とイソギンチャクを付け足したような存在。
中央よりも少しばかり右に、巨大な魚類のような瞳。その目から左下に、その目と同じようでいながら半分以下の大きさの瞳。
そんな異形が、巨大な半魚人のようなものの頭部に寄生している。
寄生されている半魚人の目は虚ろであるように見えた。
兎角に、それは信じがたい、現実とは思えないほどの光景であった。
「おい! 何が見えたんだ!」
デリックの呼びかけに、一瞬なんと答えるべきかと考えたが、その考えはすぐに捨てた。
こんなわけのわからない光景、口で伝えられるようなものではない。
「わかんねえよ! 自分でみろよ!」
怒鳴り声を上げた直後、デリックがオレと同じように壁を登り、その異形を目にする。
その瞬間、デリックは顔を蒼白させて高台からオレを抱えて飛び降り、家の中へと駆け込む。
「リウィア! 逃げるぞ!」
「え? 逃げるって……」
「いいから逃げるんだ! あれは……あれはメガデスクラスだ!」
メガデス。それがいったい何を示すものなのかは分からない。
ただ、その言葉の響きと、デリックの慌てようから、少なくともロクなものではないことが分かった。
「ニーナ! お前もついてこい! 逃げるんだ!」
「ああ、分かってる」
オレだってあんなわけのわからないものが襲来するだろう町に残っているつもりなんかない。
そして、オレの人生の中でもトップクラスに位置する苦難の夜が始まった。