オレは誰かを殺してでも生きる
……うん。やっぱり、闘技場で剣闘士として金を稼ぐのが一番だよな。今の状況じゃ何をどうしたらいいのかすら分かんないレベルなんだから。
「オーケー、あんたらの提案に乗らせてもらうとするよ」
オレがそういうと、男があからさまにほっとしたようにため息をつく。
「ようし、そんじゃあ今はしっかりと体を休めてファイトに備えてくれ。次のファイトは三日以内にはあるだろうからな」
「おうよ」
男は来た時と同じくポットを手に部屋から出ていき、ローブ姿の男も同じように出ていく。
ふむ、オレを置いていったってことは、どうやらこの部屋はこのまま使っていいらしい。
まぁ、ありがたく使わせて貰うとしよう。相部屋とか大部屋で雑魚寝は好かんからな。
「ま、やれることもないし……寝るか」
そう独りごちるとオレはシーツを引き上げて目を閉じた。
体が休息を求めていたからか、さざなみのような眠気が押し寄せ、オレはあっという間に眠りに落ちて行った。
それから三日ほどが過ぎた。その間に特筆すべき事は特になかった。
いや、強いて言うなら、あの男――名前はデリックというらしい――の名前を知ったくらいだ。
既に奴隷ではないオレは部屋に閉じ込められているわけではないので、多少は出歩いても構わないのだが、自由に歩き回れるわけでもないので出歩く気力も無くて部屋でぼーっとして過ごしていた。
「しかし、いつになったらファイトが始まるんだ……?」
今までに何度か剣闘場で興行が行われていた事はわかっている。勉強になるだろうと見に行ったからな。
戦争の再現のような事をしたり、剣闘士同士で戦ったり、犯罪者らしきもの十数人がしっかり武装した剣闘士等に惨殺される試合も見た。
正直、戦争の再現やら虐殺は見ていても一切勉強にならなかったが、剣闘士同士の試合はかなり参考になった。
そこで分かったのが、剣闘士同士の試合は、プロレスに近い。
そりゃもちろん全く同じではない。まずプロレスのように台本は無い。勝敗だって決められていない。
あるのはただ、観客を楽しませようという意図のみ。
両者ともに決死の思いで戦っているが、そこでしっかりと観客を楽しませるのだ。まぁ、要するに試合を長引かせる。
トドメを刺せる場面でも刺さなかったりとかといった感じだ。それ以外は本当に真剣にやってる。
ああでも、凄い強いって評判の奴は相手を瞬殺してたな。それでも観客は熱狂してたからいいのかもしれないけど、それは前評判があったからだろうな。
「オレはどうしたらいいんだろうな……」
そう、問題はそこなのだ。オレはどのように振る舞うべきか、なのだ。
オレは別に戦いが出来るわけでもないし、八歳児という絶望的なハンディキャップが存在している。
オレを死なせるような真似をしないとの言質は取っているが、それでも不慮の事故というものがありえる。
そうなるとオレは本気で相手を殺しにかかった方がいいのだが、そうなると人気を取ることが出来るのか……。
人気よりも命が大事と言えば大事なのだが、人気を取れなけりゃ剣闘士としての価値が失われる。つまりは契約が終わりになりかねない。
金を稼ぐ手段が消えるというのはかなり致命的な事態と言える。それと、あの歓声を浴びることが出来ないというのは非常に残念でもある。
「ぬがああああっ! オレはどうしたらいいんだ!」
相手を本気で殺しにかかって安全を可能な限り盤石にするか、自分の命をチップに金と名誉を取るか。
ずっと考えているのだが、これにまったく答えが出ない。本当にどうしたらいいんだ。
そう思っていたところで部屋の扉が開かれる。そして部屋の中にデリックが入ってくる。
「あんだよ、何か用か?」
このデリック、たびたびこの部屋にやってくる。それはメシを運びに来るのであったり、暇だからと顔を出しに来たりとだ。
「おう。用事があるから来るんだ。それ以外で来たことがあったか?」
「こないだ酔っぱらってオレに管を巻きに来た奴は誰だ」
「んなことする奴は誰だ。ったく、ふてぇ野郎だ」
「お前だお前」
ちなみに、雑談をする中でオレが特別待遇だということも知った。
普通の剣闘士なら相部屋で雑魚寝だ。流石に男女別に分けられはするらしいのだが。
で、何故オレが小部屋を一人で使えているのかというと、オレがあまりにも幼すぎるからだ。
そりゃ八歳の剣闘士なんて前例がなくて当たり前。大抵はあの少年のように食い殺されている。
しかしオレは生き残って剣闘士になった。剣闘を開催している側も、どう管理していいか困ったので一人部屋にしたらしい。
これは熟達した剣闘士、あるいは自由民の剣闘士と同じ扱いらしい。まぁ、それはラッキーだと受け止めているが。
ああ、自由民っていうのは一般市民の事だ。剣闘士がみんな奴隷っていうのは間違いらしい。まぁ、殆どが奴隷であるのも確からしいが。
「んで、何の用なんだ? また嫁さんの愚痴でも吐きに来たのか? だったらお帰りはあちらだ」
「ちげえよ。お前のファイトの日程が決まった。四日後だ」
「へえ……相手は?」
ようやくか、という安堵と、そんなに早くか、という不安。その不安を押し留めるようにして先を急かす。
「相手は死刑囚だ。二人の男を毒殺した悪女でな」
「へぇ。公開処刑か」
「まぁ、そうなるな。女は女同士で闘るのが定番だ。今戦える女剣闘士はお前ともう一人しかいねえからな。それでお鉢が回ってきた」
「なるほどな。で、どんなシチュエーションで戦う事になるんだ」
「どんなって、普通だよ、普通」
「その普通がわかんねぇから聞いてんだよ……」
こちとら剣闘士歴三日だ。しかも訓練も受けてないと来た。普通は長期の訓練を受けて剣闘士として戦う事になるのだ。こりゃお先真っ暗だぜ!
まぁ、相手は剣闘士ってわけではないからマシではあるけど。
「うーむ……まぁ、とりあえず服は着れる。乳には布を巻いて隠すんだ。死刑囚もな」
「乳なんかまだねぇよ」
「死刑囚は武器を持たされん。剣闘士は何を使ってもいい。相手によっちゃ奪われるかもしれんから、そこは気をつけろ」
「んで、他には?」
「うーむ……ファイトマネーは安い。楽な試合だしな」
「だろうとは思ってた」
「ああ、女剣闘士は基本的に防具をつけちゃならん。盾はつけてもいいが」
「ひでぇ話だ」
「まぁ、相手は死刑囚だからな。武器も持ってねぇから、楽にやれるはずだ」
「そうか……で、どうやって戦えばいいんだ? オレはすぐに相手を殺していいのか?」
どうやって戦えばいいのかはいまだに分かってない。もう面倒なのでこいつに意見を聞いてみる事にした。
「うーん……どう戦うっつっても、普通にだよ。お前は本気で相手を殺しにかかればいい。それでいいんだ。剣闘士が相手なら、相手も必死で生き残ろうとするからな。死刑囚は逃げ回るから追っかけ回せ」
「そんなもんか……」
要は、命を大事にガンガン行こうぜってことか。矛盾してる気もするが、まぁ気にしないでいこう。必死でやればいいんだろ、結局は。
「それじゃあ、四日後に備えてしっかり体調を整えておけよ。この試合を乗り越えたら、美味いメシを喰わせてやるからよ」
「おっ、マジか? もうオートミールは飽き飽きしてたんだよ」
毎日毎日オートミールばっか。たまには野菜やら肉が食いたい。豚とか牛とか贅沢言わないから、せめて動物性蛋白質が食いたい。
「おう。魚と肉どっちがいい。選ばせてやるぜ」
「んじゃ肉だ」
「よし来た。豚のステーキをがっつり食わせてやるぜ」
「約束違えんなよ?」
「お前こそ、ちゃんと約束護れよ」
「おうよ」
そういうとデリックは満足げに頷いてから部屋を出て行った。
オレはそれを見送ると、座っていたベッドから立ち上がり、作り付けの机の上に放られていた牙を手に取った。
「今度も生き残る。それだけだ」
オレの栄光を象徴する猛獣の牙に誓いを立てた。
そう、今度も生き残る。ただそれだけでいい。オレは生き残るんだ。
四日という時間は瞬く間に過ぎた。
そして試合の始まる直前、オレとデリックは控室に居た。
手には剣。それを振り回して調子を確認している。
そして、オレは困惑を感じていた。
「なんか、軽いな」
そう、軽い。武器が軽いのだ。少なくとも、前ならばもっと苦労していただろう。
「確かにグラディウスは他の武器よりゃ軽いが、子供に振り回せるもんではねぇんだが……」
デリックの言葉に微かに首を傾げるが、オレのステータスが発揮され始めたのではないかと考える。
オレのステータスは脳筋万歳な構成である。十歳になればステータスが正常に発揮され始めるとは聞いたが、もしかすれば他に条件があるのかもしれない。十歳になればステータスが発揮されるとしか聞いてないし。
「うーん……ステータス……ゲームだとレベルアップで上昇するが……」
「うん? なんだって?」
「あいや、なんでもない」
思わず口に出ていたが、案外それは間違ってないのかもしれない。
何しろステータスなんてゲームみたいなものが出ているのだ、レベルが出てきたっておかしくない。
以前のオレと今のオレで何が違うかと言えば、剣闘士になった事と、あの猛獣を殺した事だ。
その猛獣を殺した事でレベルアップして、多少なりともステータスが発揮された、とか?
以外とあり得るのかもしれない。とすると、レベルというのは生来の素質をどれだけ解放できているかの指数だと考えられる。
レベルを上げたら同じステータスに成長するRPGと同じようなものなのかもしれない。そしてオレは、最終レベルに到達したときのステータスを調整することが出来た、という事だろうか。
……全然チート能力じゃないじゃん。いや、チート能力とは言ってなかった気がするな……ただステータスをエディットしろって言われただけで……。
「畜生、人生って甘くない……」
「そりゃそうだが、いきなり何言ってんだお前?」
どうやらオレの人生は強くてニューゲームでも、モードはベリーハードらしい。
「まぁ、何にしろ必死扱いて生き残るしかねぇよな……」
ベリーハードでも頑張ればきっと生き残れるさ、たぶん。
そう信じてオレはグラディウスをしっかりと握りしめる。
「剣を二本持ってるが、二刀流か?」
「いや、そもそも剣なんざ初めて使う」
「なら一本にしときな。二本あっても邪魔になるだけだ。下手したら奪われる」
「元々一本しか使わないつもりだ。予備ってわけでもねぇし」
「はぁ?」
まぁ、要するにオレが使うわけではないのだ。
そう、相手に使わせるのだ。
あれだよ、フェアプレイ精神ってやつだ。死刑囚にも武器を持たせてやるオレってなんて優しいんだろう、ふへへ。なんて意図は一切ない。
正直に言うと、観客がオレの事を高潔な奴だとか言ってくれるだろうという、人気取り目的がある。
それはハッキリ言って、分の悪い駆け……むしろ、損しかない賭けとすらも言える。
だが、そんな分の悪い駆けを乗り越えられなくてどうするのだ。それに、もしもオレが殺されかけたとしても、闘技場側が助けてくれるはずだ。
第一にこれを乗り越えられなかったとしたら、この先しっかりと訓練をした剣闘士相手に戦うなんて無理だろう。いわばこれは試金石だ。
素人とはいえど剣を持った相手と戦える。相手は本気でかかってくるが、それは剣闘士とて同じ事だろう。勝てなければ、何れ死ぬということ。
だから、オレは自分の命をチップにして、この先も生き残れるかを確かめる。
「まぁ、なんでもいいが、ちゃんと生きて帰って来いよ。女房にはちゃんと料理を用意するように頼んであるからな」
「応よ」
ガッツポーズを取って見せると、開き始めていた扉へとオレは歩き出す。
強い光がオレの目へと突き刺さる。歓声が波のように押し寄せてくる。
闘技場へと踏み出したとき、その歓声は更に強くなった。
闘技場一杯に詰めかけた民衆。その民衆の全てがこれから行われるショーに期待をかけている。
オレが出口から現れた事に気付いた観衆の声は、小さき勇者! とオレを呼ぶ声へと変わる。
それに対してオレは手を振って応える。
そうしていると、対面の出口から、三十を超えたくらいの女が現れる。
顔はもうなんか、疲れ切った、って感じ。なんか哀れだ。
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
観衆からは野蛮な掛け声がかかる。どいつもこいつもとんでもないストレス抱えてんのか?
そんなくだらない事を考えつつ、オレは闘技場の中心へと歩いて行く。
そして動こうともしない死刑囚へと左手に握っていた剣を投げる。
「使えよ。丸腰の相手よりも剣持ってる方が盛り上がる」
そういうと、女はのろのろとした動きで剣を拾い上げ、鞘から抜いて構える。
そしてオレも剣を抜く。陽光を受けて鈍く輝く刃。
硬くて、冷たくて、人なんて簡単に殺せる武器。
オレはこの武器で相手を殺せるのだろうか。
何度も何度も自問自答した。けれど、分からなかった。
殺せるさ、他人の事なんてどうでもいいだろ、と嘯く自分が居る。人を殺すことは悪い事だと徳性を説く自分が居る。
結局オレは未だに人を殺すことに対する覚悟を決めかねていた。
けれど呼吸は穏やかだ。心臓もいつもよりも多少早く鼓動している程度。
殺さなければ、オレが殺される以外にない。だから、ここから出るには殺さなければいけないと、分かっているから。
たぶん、オレはもう割り切っている。殺さなければ自分が死ぬ。だから、仕方ない事だと割り切っている。
けれど、そのあと。そうして割り切って、相手を殺して。オレはそれに納得出来るのかわからない。
つまるところ、相手を殺してでも生き抜く事に、オレが納得出来るのか。
オレは自分の意志でここに立っている。金を稼ぐというだけの目的で。
そんな目的で人を殺して納得出来るのか。分からない。
「ぁ……ああ……ああああああああっ!」
咆哮。そして一拍遅れてオレの腕に激しい衝撃と金属音。
剣を拾い上げていた女がオレに向かって斬りかかり、そしてオレがそれを受け止めていた。
思案に没頭していたままに剣を受け止めていたなんて、オレも随分と生き汚いなどと苦笑する暇は無かった。
「うわっ、わっ、たっ!」
次々と繰り出される剣戟。女の細腕とは思えないほどの速度と力強さ。
オレの幼い体躯というハンディキャップが重く伸し掛かっている状況。
やはり、相手に剣を与えるなんて馬鹿な事をしなければよかったと今更になって後悔した。
だが後悔なんて後に悔いるから後悔と書くのだ。最早剣を与えてしまったことは取り消せない。ならば、その上で生き残る方法を模索するしかない。
「づあっ!」
左腕が切り付けられた。焼けつくような痛みと、肌の上を血液が流れていく感覚。
ああ、これはやっぱり、現実なんだと、認識した。
オレはまだ、この光景を非現実的に見ていたんだろうか。あの時に、猛獣と戦った時に、闘技場に響き渡る歓声で現実だと認識したはずなのに。
なんて、無様。オレはまだ甘ったれていた。
自分が甘ったれていた事を認識した瞬間にオレの頭が沸騰した。
耐え難いほどの怒り。
それは今まさにオレの命を奪わんとする女に対する物であり、未だに甘ったれていた自分への怒り。
認めろ。ここはもう日本じゃない。保障された安全なんかない。
この場に於いては、強者こそが正義であって、弱者である悪者は死んでいく。それが真実。
なら、する事は一つしかないだろう。
「があああああああああああっ!」
咆哮と共に、打ち付けられる剣にオレも剣を合わせて振るった。
激しい金属音。
何度も剣戟を受け止めていたオレの剣が圧し折れ、女の剣は手からすっぽ抜けて行ったのが視界の隅に映る。
そして、それと同時にオレは目の前の女にタックルした。
剣が吹き飛んだ事で相手に生まれた意識の空白に滑り込むことに成功したのか、相手は見事にひっくり返り、オレはその上へと馬乗りになり、膝で相手の腕を抑え付けた。
剣はもう折れた。武器はない。いや、あった。
オレは鞘を振り上げ、女へと振り下ろした。
「――――あ」
一撃で女の鼻が砕け、上顎骨が割れた。
女の指が痙攣し、身体の力が抜けた。
見るも無残な有様となった女はぴくりとも動きはしない。ただ、胸が動いていることから生きては居るのだろう。
そして立ち上がる。周囲を見渡せば、観客たちはみな指を下に下げ、殺せとの大合唱だ。
オレは無心で近くに転がっていた剣を拾い上げた。先ほどまで女が握っていた方だ。
「あたしは……人を殺した」
ふと、地に倒れ伏していた女が呟いた。鼻血が喉の奥に流れ込んで喋りにくそうにしながらも、言葉をつづける。
「二人の男を毒殺したって聞いてるだろ。でもね、本当はもう三人ほど殺してる。なんでかって言ったら、生きる為」
女は呟き続ける。オレが聞いているかどうかも確認せずに。
「最初の二人は金目当てに。次の一人は殺されそうになったから殺した。次の二人は商売の邪魔になったから。安い金で身体を売ってるのに、それを巻き上げていくからさ」
女の首に剣を当てる。後はこれを突き刺せば終わる。
「生きる為にあたしは人を殺した。あんたも生きるために人を殺す。だったら、ちゃんと生き残りなさいよ」
そういって女は笑った。鼻が潰れていても、随分と綺麗な笑顔だと、そう思った。
ああ、そうだな。オレは生きるために人を殺す。生きるための金を得る為に。だったら、ちゃんと生き残る。最後まで抗う。
もう迷わない。
薄っぺらかった決意を、強固にして。オレは生き残る。
「はんっ……頼まれなくたって、生きてやるよ」
そして、オレは一人の命を奪った。