狂い神
焼いていた肉の全てを喰い尽しても飢餓感は収まらない。
もはや焼いている時間すらもまだるっこしく、少し表面に火を通しては次々と肉を喰らっていった。
そうして飢餓感が癒えた頃には、クモの肉はだいぶ減っていた。
とは言え、元が二十メートル超のクモだけにまだまだ肉は残っているが。
「はぁ……やっと収まった」
これで居て腹が膨らんでいると言う事も無いのだからとんでもない話だ。食べた端から全部消化してるんだろうか。
「ぬし、燃費悪いのぉ」
オレの暴食の光景を見ていた玉藻が呟く。確かに、とんでもない量の肉を食ってたしな。燃費が悪いと思うのも仕方ない。
「普段はこんなに食わねえよ。デカくなった後はとんでもなく腹が減るんだ」
「まぁ、活身術はそういうもんじゃからな」
かっしんじゅつ?
「なんだ、その、かっしんじゅつ? ってのは」
「読んで字の如く、身を活かす術じゃ」
読んでの字の如くなんて言われても、口で言われてどうやって読めって言うんだ。
「まぁ、ありていに言って己の肉体を用いて行使する不可思議な術の総称じゃ。魔法が魔力であれば、活身術は体力、精力、精気、肉体そのもの……様々な肉体に属すものを使う」
「オレの場合はなんだ?」
体力が目減りした感じはしないし、精力や精気なども特に感じた事は無い。
とすると残った肉体なのだが、むしろ増えてると思うんだが……。
「ぬしの場合は肉体じゃろ。事前に取り込んでおるものを用いて肉体を活性、成長させているんじゃろう。その反動で飢餓を感じる、と言ったところか。似たような術を使う者もたまにはおった」
「ふーん……」
オレ以外にも使える奴が居たんだな。
「これ、他になんか術は無いのか?」
「あるが、ぬしに教えられるようなものはないぞ」
「なんでさ?」
「人間でいえば、軽く十数人分の精気を使い切るような術ばかりしか知らんからの、わしは。炎やらを気合いで弾く術なら教えられると思うが、わしは元々炎や氷は効かんので使ったことが無い」
タマちゃんは役に立ったと思ったらすぐに役立たずになるんだから……。
まぁ、とりあえずオレの空腹も収まったし、後はリズにメシを喰わせてやらんと。
「リズー、オレ達はメシ終わったから……」
リズの方へと振り返った時、リズの斜め後ろに、何か白い直立する物体が見えた。
それは嫌に軟性の動きで蠢いており、明らかに人間以外の何かであった。
すぐ近くに転がしていた大鉈を拾い上げ、走り出そうとしたとき、リズが叫んだ。
「見るな!」
来るなでも、大丈夫でもなく、ただ単に見るな。
わけのわからない強制。だが、その言葉に含まれている焦燥と切迫感が、半ば反射的にオレを振り向かせていた。
「いかん……やつめ、あんなものまでここに封じていたのか……」
玉藻が焦りと苛立ちを交えた言葉で吐き捨てる。
リズも玉藻も、あの白い何かが何なのかわかってるのか?
「玉藻……あれは、何なのか聞いてもいいのか?」
「……構わん。アレは、神だ」
「……神?」
なぜこんなところに神が居るんだ?
「神とは言っても、荒神だがな。それも、とびっきりの悪性だ。近づけば狂い、触れれば喰らわれる。ぬしが見たのはその中でも最悪に近い。あれは、見ただけでも狂う。狂えば二度と戻っては来れんぞ」
「……そんなにヤベエのかよ、アレは」
どう考えてもそれは神の領域の存在じゃない。邪神だとか、そういった側の存在だろう。
この世には光の神と闇の神が存在するが、闇の神は悪の神でもなければ、邪神でもない。
闇とは昏い死の象徴であると同時に、安らかなる安寧、夜の眠りを意味する。
世界が昼だけでは立ち行かないように、闇が、夜が存在する事でこの世界は調和を保っているのだ。
闇も光も、ただの側面でしかない。闇の神であると同時に光の神である神も存在するように。
だが、あれは明らかに違う。
ただ人を狂わせ、喰らう。それはただの害悪でしかない。
「本当に神なのかよ、アレは」
「神だ。ただし、人々に信仰される事によって生まれた概念体だがな」
概念体……?
「概念の神は人々の想いから生まれる。そしてその神は人々の想いによってその在り様を変える。信仰する者が居なくなれば、その神は存在しながらも存在し得なくなり、狂う」
「なら、アレは、元はまともな神だったのか?」
「元は、な。今ではもう、狂気を撒き散らす邪なる存在でしかない。概念であるが故に、殺すことも出来ないのだ」
それは、まるで核兵器。
作ってしまえばそう簡単に廃棄する事も出来ない。廃棄することが出来なければ、いつ人間に対して牙を剥くかもわからない。
気付かぬうちに独りでに生まれてしまうなんて辺り、核兵器よりもよほど性質が悪そうだが。
「それで、アレはどうしたらいいんだ?」
「どうにも出来ん。あれは天災と同じだ。精一杯出来る事をやった後は、牙を剥かぬよう祈るしか出来ん。我が本体であれば滅する事も出来ようが、今のわしでは無理だ」
クソが……なんだよ、そりゃあ。ふざけてやがる。
「だが、解せぬ。わしに滅せるものがコノハに滅せぬ道理が無い。なぜ滅しておらぬ?」
「知るか……面倒くせぇとかその辺りだろ」
「……そうかも知れぬな。彼奴は面倒臭がりだ。それに、奴もあれで女。アレとは相性が悪い。その辺りの理由やもしれん」
「女だとなんかまずいのか」
「まずい。あの神は女神だ。そして自身よりも美しい女を酷く嫌う。己が二度と見れぬほどの醜女だからだ」
ああ、そりゃ相性は悪そうだ。
あの人、不細工とは対極に位置する存在だし。
――――ツーゴモーリ。
背後から、何か、声が聞こえた。
その声を聴いたとき、背筋が凍った。
いや、全身が凍った。何一つ身動きが取れない。
「っ……!? ま、ずい……! やつめ、山の神だったのか……!」
声が、でない。呼吸だけは出来てるのに、眼すらも動かせない。瞬き一つ出来ない。
それなのに五感はしっかりと働いていやがる。
――――ツーゴモーリ。
また、声がした。さっきよりも、ずっと近い。
何かが、移動している音がする。
一本足の何かが、ぴょーん、ぴょーん、と、飛び跳ねて移動している。
それは徐々にこちらに近づいてきていて、オレの方へと、向かって来ている。
「くっ……! 南無三!」
そして、玉藻が走り出したのが視界の端に移った。
玉藻がオレの背後に飛び出した直後に、何かが飛び跳ねる音が消えた。
それと同時にオレの身体が動くようになった。
もうその時には恐怖という感情よりもまず、玉藻の安否を確かめるのが先だった。
オレが助けた命なのに、オレを助けるために死ぬなんてそんな事は許さない。
オレが望んでいるのは問答無用のハッピーエンドだけ。ここから全員生きて生還する。そんなハッピーエンド。
そして、オレの祈りが天に通じたのかどうか、振り返った先には玉藻が静かに立ち尽くしていた。
あの、白く蠢く謎の物体は居ない。玉藻が倒したのだろうか?
「玉藻……?」
声をかけて暫く待つ。しかし、なんの反応も無い。ただ静かに立ち尽くし続けているだけ。
いったいどうしたのかと玉藻の正面に回って、後悔した。
そこに居たのは玉藻であって玉藻ではなかった。
ニタニタと厭らしい笑みを浮かべて、何処か遠い所を眺めている。
玉藻の浮かべていた厭味ったらしい笑みとは違う、粘性でドロドロとした感情の渦を感じさせる笑み。
「憑かれた……」
いつの間にかリズが背後にまできていた。
憑かれたと言うのはやはり、見ためからの予想通り……玉藻が、先ほどの神に憑りつかれたと言う事なのだろうか……。
「狂った神は、人に憑く。人に憑いて、己の責務を果たそうとする」
「責務……?」
「神としての、責務。仮初の肉体を得て、責務を執り行う事で、信仰を取り戻そうとしている。もう、誰も信仰してはくれないのに」
ふざけてる。そんな身勝手な、無意味な理由で、人の身体を奪い取るなんて。
「一度信仰を失った神が再度信仰される事は殆ど無い。それが土着の神であるならあるほど。滅んだ村の信仰していた神が、こんな風になる。そして旅人の身体を奪う」
「どうにか、できないのか」
「責務を全て果たせば、神は抜ける。だから大抵の旅人は助かる。けど、山の神は、難しい」
「……どうして」
「山の神の責務は、山の木を数える事、山を栄えさせ守護する事……そして、年に十二の子を産むこと」
そんなのは、無理だ。
人間はどう頑張ってもそんなに多数の子を産むことは出来ない。
何より、ここには男なんて居ない。玉藻に子を孕ませるなんてことは出来ない。
「ひとつ、ふたつ」
ふと、玉藻が喋り出したかと思うとオレとリズを指差し、数を数えた。
そして、またニヤニヤと天井を眺め始めた。
「責務を一つ果たした」
「……今のが?」
「私達を木だと思っている」
……予想以上に、その神とやらは狂っているらしい。
「玉藻を、こんな状態のままにはしておけない。ニーナ、てつだって。無明のところまでたまもをつれていく」
「言われるまでもねえよ」
どうせ、今は動けないのだ。そうであるなら、無明の所に行くくらいは何の問題も無い。
リズが言い出さなければ、オレが言い出そうと思っていたくらいだ。
「絶対に玉藻は助ける」
「うん。絶対に、なんとかしてみせる」
そして、オレとリズは玉藻の両手を引っ張って、来た道を引き返して行った。
道が、嫌に長い。
ただただ単調で長い道が、ずっと続いている。それがどれほまでに精神の負担になるか。
玉藻がのっぴきならない状態であると言うのが、それに拍車をかける。
厭らしい笑みを浮かべている玉藻を引っ叩きたくなるが、この笑みを浮かべているのは玉藻であって玉藻ではない。
無暗に玉藻を引っ叩くような事をして、余計に状況を悪化させることになったりでもしたら目も当てられない。
だから、それを我慢してずっと無言で歩き続ける。
それがさらに負担となる。重い沈黙がなおさらに心を苦しめる。
そうして、嫌に長い道を踏破して、オレ達は無明の居る部屋へと向かった。
獣臭と甘い香り。その二つが立ち込める部屋へと。
あの道を歩いた後であれば、無明の居る部屋と広場を繋ぐ通路が短く感じられた。
そして、その通路の終わりには、あの巨大な美しい毛並みを持つ無明が待っていた。
「んん……? 嫌に早いお帰りじゃのぉ。それとも、わっちに会いとうて引き返してきんしたか?」
神経を逆撫でする廓言葉ですらも懐かしいと感じた。
玉藻と、いや無明に会ってから、まだ一日と経っていないと言うのに、懐かしいと感じたのだから、オレの精神状態は相当な重症なのかもしれないな。
「無明。玉藻が、山の神に憑かれた」
「何……? 詳しく話せ」
厭味ったらしい口調を消して、無明がまともな口調で訪ねてくる。
そして、オレ達は一部始終を無明へと伝えた。
全ての事情を伝え終えると、無明は瞳を閉じて熟考を始めた。
一分、二分と、時が流れていく。
次に無明が口を開くときには、よい知らせであるようにと、名も知らぬ運命の神へと祈った。
困ったときの神頼みなんて、自分らしくないとは思う。それでも、こんな状況だからこそ神にでも頼りたくなった。
そして、たっぷりと十分ほど経ってから無明は瞳を開き、重々しい声で告げた。
「その山の神……いや、もはや山の物の怪、か。それを抜く方法はある」
「本当!?」
「我は嘘は言わぬ。じゃが……これはぬしらでも思いついておろうよ。責務を果たさせる……それだけのことじゃ」
「けど、それは無理。たまもに子を産ませるなんてことはできない」
「うむ……それを、何とかする方法があるということだ」
「本当か!? なら、それを教えてくれ! オレに出来る事なら何でもする!」
無明の言葉を聞いたときにはもう、想いが口を突いて出ていた。
こんな玉藻を見ているのはもう嫌だ。
厭味ったらしい廓言葉も我慢してやるし、次に何か食料を見つけたらオレが真っ先に毒見してやる。
だから、元に戻って欲しいのだ。
「待って。私もやる。戦闘力は私の方が高いし、咄嗟の事態にも私が対応しやすい」
「いや、オレがやる。玉藻はオレを庇って憑りつかれたんだ。なら、オレがやるべきだ」
そう。玉藻はオレを庇った。そうでなければ、わざわざあの神の前に飛び出す事なんて無かった。
なら、この事態に対してはオレが責任を取るべきだ。
「咄嗟の事態にも対応できる私がやるべき」
「違う。元はと言えばオレのせいだ。オレがやる」
「だめ、私がやる」
「いや、オレがやる」
「私がやる」
「オレがやる」
オレもリズも、一歩も譲らない。
どうしてリズはこんなにも意固地になってるんだよ、ったく。
「面倒臭いわ、ぬしら。やるのはニーナ、ぬしじゃ。ぬしがやれ」
そして、オレとリズの争いを見かねたのか、無明がオレを指名して来た。
それにオレは胸を張って答える。
「ああ! 任せろ!」
「無明! 私がやる!」
「安心せえ、危険はないわい。ニーナを選んだのも、ニーナの方が成功率が高いからじゃしの」
無明がそう言うと、空中に何かが現れた。
仄かに光を放っている、玉が数珠繋ぎになっている妙な輪。
それがオレの手元へと落ちてきて、思わず手に取る。
落ちて来たそれを改めて近くで見てみると、透明な水晶のようなものが繋がった輪で、まるっきり数珠だった。これがなんなんだろうか。
「それを腹に押し込め」
「腹に……?」
どうやって? 腹掻っ捌いて入れるのか? それはちょっと勘弁してほしいかなぁ……。
「腹に触れさせればそれでよい。後はそれが勝手にやってくれる」
「はぁ」
言われた通り、服を捲って腹に押し付けると、数珠が腹の中へと吸い込まれていった。
大丈夫なんだろうか……と思った直後、すぐにまたその数珠が現れた。
ただ、先ほどと違うのは、それが水晶のように透き通っておらず、白くなっている事だった。
「準備は整った。では、これより成すべきことを訓ずる」
数珠を眺めていると、無明がそう告げた。
そうだった、今重要なのは、これが何なのかと気にすることじゃなく、玉藻を正気に戻すこと。
気を取り直したオレは、無明の説明に真剣に聞き入るのだった。




