コイツうぜぇ!
痛い。まるで、焼けつくような猛烈な痛み。
眠い。今にも意識が落ちていきそうだ。
怠い。猛烈な倦怠感と、全身の関節の痛み。インフルエンザのようだ。
苦しい。呼吸が、うまくできない。
身体が動かない。全身の筋肉が、弛緩していく。
「はっ、かっ……はっ……」
呼吸をするだけでも精一杯。全身の筋力を使って、何とか呼吸を繰り返している。
ふざけてる。一匹の毒グモが、なんでこんな強力な作用をする毒を持ってる。
挙句、血が止まらない。出血毒、だろうか。
なんでクモが出血毒なんか、持ってんだ。
「り、ずぅ……は、やく……」
眠くて、怠くて、眠くて。
もう、意識を手放してしまいたい。
だが、意識を手放せば、死ぬ。
だから、意識を手放すことは出来ない。
背中の激痛が問題にもならない程の眠気と、倦怠感。
こんなものに、抗いきれるわけが、ない。
「は、やくぅ……」
舌が回らない。そのくせ、五感の全てがクリア。
痛みも、視界も、全て明瞭。
それが嫌に恐怖を掻きたてる。
このままでは、本当に、死ぬ。
……ふざけんな。そんなもん、認められるか。
死なない。オレは絶対に死なない。そんなもんは断じて認めない。
眠気だの、倦怠感だの、そんな甘ったれた事を言ってられるか。
絶対にオレは生き延びる。死なないんだ。
歯を食いしばる。必死で意識を繋ぎとめる。
ここが正念場。断じて、断じて意識を失ってはならない。
そうやって、どれほど過ぎたか。たぶん、一分やそこら……長くても三分程度だったと思う。
リズは強かったし、リズの身に着ける防具も見た目にたがわぬ一級品だったらしい。
リズの持つ槍は易々とクモの身体を突き破り、切り裂き、穿った。
しかしクモの牙も爪もリズの鎧に通用する事は無く、ことごとく全てが弾かれていた。
そんな状況では勝負などあっという間についた。
「ニーナ! 今すぐ治療する! 【アンチドート/解毒】!」
空中に呪文回路が構築されていく。素早く緻密。リズって、魔法も使えたのか。
そう思っていると、その呪文回路が完成され、その効力を発揮する。
その瞬間に、オレの身体を襲っていた全ての異常が消滅する。
眠気も怠さも筋肉の弛緩もない。背中の出血はまだ止まっていないが、何れ止まるだろう。
「たす、かった……」
あと少し遅れていたら、永眠していたかもしれない。
そう思うと感謝の念も一入だ。
「背中も治療する。【キュア・クリティカル/重傷治癒】」
暖かいエネルギーが背中の傷を包み込む。
そして背中の傷が高速で治癒していく奇妙な感覚。
しかし、それが中途で終わる。
ある程度は治っている。だが、傷が途中から治って行かない。
「傷が……治らない?」
そして、その感覚が錯覚でない事を証明するように、リズが呆然としたようにつぶやく。
「どういうことだ、それ……」
「わからない……【ネクローシス/壊死】の力か、【ヘイフリックリミット/治癒阻害】の呪いか……【アポビオーシス/天寿】の呪いとは思えないけど……」
随分と、科学的な臭いのする呪いだな、そりゃ……。
そう思いつつも立ち上がる。背中の傷はかなり深く、痛むが、動けないわけじゃない。
「リズ……この傷、治す当ては、あるか?」
「……ある。呪いに詳しいものなら居る」
「それは、あの、羅強って奴か?」
「ちがう。羅強じゃない」
そう言いつつ、リズがオレの事を引き倒し、そのまま抱き上げるようにして持ち上げた。
「お、おい、自分で歩けるって」
「だめ。少しでも出血を抑えないと……」
なんでお姫様抱っこされなきゃいかんのだ……。
「急ぐ。舌噛まないように、口、閉じてて」
「あいよ……」
言われた通り、口を閉じる。
そしてリズが走り出す。
オレよりもよっぽど足が速い。
もしもリズがオレの前世の世界にいたとすれば、百メートル走から千五百メートルまで全ての世界記録を塗り替えていただろうほどだ。
その途轍もない速度によってリズはあっという間に広間を飛び出し、入って来た入口とは反対側にあった通路へと突き進む。
まるで壁が迫ってくるようにすら思える程の速度。
そんな速度でリズが走り続けるうちに、獣臭がし始める。
あの羅強とかいう奴が居た部屋と同じような……しかし、それに混じって甘い匂いもする。
お香のような、甘い香り。そんな香りが漂っていて獣臭を打ち消している。
そして、通路が終わりを告げ、部屋に飛び出して見えたのは、羅強と同じ巨体を持つ獣だった。
ただ、羅強とは違い、それが何なのかはすぐにわかった。
狐。そう、巨大な、軽く二十メートルはありそうな狐。
黄金の、それこそ光を放っているようにすら見える黄金の獣毛。
瞳の色すら金色。一種、異様な雰囲気を感じさせる金色の瞳。
そして、身体から伸びる、九本の長大で美しい尻尾。
そんな巨大な狐が地に臥していた。
「おお……? リーゼロッテか。久しぶりでありんすなあ」
親しげなのか、それとも何か確執があるのか。
親しみと憎しみのようなものが入り混じった、廓言葉。
なんで廓言葉なんだろ……。
「ごめんなさい、今は話している余裕がないの。ニーナの傷を見て欲しい」
「ふむ……? 人間か。ここに人間が来るのは何千年振りのことか……とんと久しい事は分かりんすが」
ずい、とその狐がオレへと顔を近づける。
その金色の瞳を覗き込んだ瞬間、視界がゆがんだ。
それを異常と察知して、頭を振ってそれを振り払う。失血の所為か……?
「ほほう。ぬし、【チャーム/魅了】を払ったな。これほどの抗魔力とは驚いた」
「は?」
今のはこいつが何かしたのか?
「それより、ニーナの傷を。傷が治らない。何かの呪いだと思う」
「ふむ……【ネクローシス/壊死】か。毒として撃ち込まれよったな。これは【アンチドート/解毒】では払えん」
「あなたなら消せるはず。手を貸して」
「いやじゃ。なんでわっちがそんなことをしてやらにゃならん」
コイツぶっ飛ばしてぇ。廓言葉なんだか婆口調なんだかわかんねえ珍妙な喋り方しやがって。
「なら、どうしたらやってくれる?」
「そうさなぁ。わっちは腹が減っている。ちいとばかし、げびぞうがしたい」
げびぞう……? なんだ、げびぞうって。
前の話口からすると……何かを喰うってことか?
「わかった。少しだけならいい」
「違う。リーゼロッテ、ぬしではありんせん。ニーナというたか? ぬしの精気を少しばかしわっちにおくんなまし」
こいつ、廓言葉を使ってんのは相手を馬鹿にするためにじゃねえか?
だって、こいつの顔、さっきからスゲェ馬鹿にした感じで笑ってるもん。
「精気ね……どうやってくれてやりゃいいのさ」
「血か、肉か……あるいは、わっちと床に入るか。どれでもわっちはようござんす」
やっぱこいつの喋り方スゲェむかつく。馬鹿にされてる感じがする。
「死なない程度にならな……血くらい、好きなだけ持ってけ。だから、治してくれ」
馬鹿にされてるが、現状じゃこれを治せるのはコイツだけだ。
なら、コイツに頼るしかない。ムカついてもそれしか手段がないのだから仕方ない。
「交渉成立でありんすね。先払いでちぃとばかし血を貰いおす」
ぞろりと牙の生えた口から、赤い舌が伸びた。その舌がオレの背中の傷の周囲を這う。
そして、傷をほじくるように、舌が蠢いた。
「がっ……!?」
目がくらむような激痛。
わざわざ傷口に舌を突き刺して血を舐めようなんて、このクソ狐が……!
「テンメェ……! イテェじゃねえか……!」
「ひけけ……血をくれるといいなんしたのはお前さんでありんすぇ」
確かにそう言ったが、わざわざ傷口を舐めろとは言ってねぇ……!
「まぁ、ちと物足りんせんが、これで許しんす」
激痛を堪えていると、唐突にその舌が離れていく。
激痛が消えた事で強張っていた背中の力を抜く。クソッ、ぜってぇ後でぶっ殺してやる。
「血はくれてやったろ……早く治せ」
「気の早い人でありんすなぁ。まぁ、こっちに来なんしぇ」
言われた通りにリズが一歩踏みでる。
ただ、何か下手な真似をしたら、その手の槍をすぐにでも突き刺せるようにしているが。
「ひけけ、なあにも悪い事はしんせん。ちゃんと治してやりんす。【サッキング・ポイズン/毒吸収】」
じわ、と背中の傷が熱を持った。そして、背中から何かが抜け落ちたような感覚。
その何かは濁りのある白い液体で、空中を漂ったかと思うと、クソ狐がその液体を舌で掬い取った。
「これで毒は消えんした。もう治癒も効きんすぇ」
「……【キュア・ミドル/中傷治癒】」
リズがオレの背中の傷へと治癒をかけた。
今度こそ正のエネルギーはきちんと最後まで効果を発揮し、オレの背中の傷は跡形も無く消え失せた。
「ん……治ったな。もう大丈夫だから降ろしてくれ」
「わかった」
大人しくちゃんと降ろしてくれたので、背中の様子を少し触って確認する。
特におかしい所はない。火傷の治癒痕のせいでガサガサするけど。
「して……リーゼロッテ、その女の童はなんでござんすぇ? ここで人間を見るなんざ、久しくありんせん」
「……ニーナは私の星。危害を加えるつもりなら、あなたでも許さない」
ちきりと音を立ててリズが槍を構えた。
また、随分と気の入った様子だ。
それほどまでにここに封印された魔王を解き放ちたくないのか。
それほどまでに思われる魔王ってのは、一体どんなもんなんだか……。
「おお、こわいこわい。そんなに睨まんでも、わっちはなぁもしんせん」
「あなたは嘘ばかりつく」
「ウソはつきんせん。ぬしらが勝手に勘違いするだけですぇ」
ムカつくなぁ、こいつ……。
「リズ、こいつにもう用はないんだろ。さっさと行こう」
「……ん、わかった」
「んじゃ、行こうぜ」
「うむ、うむ。それでは出発でありんすえ」
何ナチュラルに会話に混ざってんだクソが。
そう思いつつも、クソ狐を務めて無視して歩き出す。
そしてオレに続く、二つの足音。
……どうして足音が二つもするのか。とても嫌な予感を感じはしたものの、オレは後ろへと振り返った。
オレのすぐ後ろには、リズ。
そして、その後ろに、金髪の子供。
「……誰だ、お前」
そう言うと、その子供は厭らしい笑みを浮かべる。
「ふくく……わっちが誰なのか、ぬしならすぐに分かろう?」
ああ、こいつぶっ殺してぇ……!
そう思いつつ、その子供と同種の笑みを浮かべているクソ狐へと視線を向ける。
「おお、こわいこわい。そんなに睨まれては穴が開きんす」
「ふざけんなあっ! なんだこのチビジャリは!」
「わっちの尻尾の一つを使った分身でありんすぇ。名は……玉藻でようござんしょ。ぬしらについていきんす」
「ついてくんなっ! つうかうるせえ! 同時に同じ内容を喋んな!」
なんなんだこいつは本当によお! うざったくてたまんねぇよ!
そう思ってガキの方を睨み付けると、じわりと涙を浮かべる。
「そんなに邪険にされては、ウチ、泣いてしまいそう……」
「泣け。喚け。そして死ね」
「酷いお人でありんすなぁ、ほんに泣いてしまうかも?」
既に笑ってる時点で泣き真似は明らかだろうが。
つうか、本当に帰れよ……なんでついてくるんだよ。
「ん、無明は、実はお人よし。たぶん、手助けしてくれる」
「ん~? それはぬしら次第でありんす。わっちにちいとばかし精気をくれたら手伝いんす」
堂々と血だの肉をよこせと、これのどこがお人よしなんだ……?
「やろうと思えば、無明は無理やり精気を奪い取れる。ちゃんと手順を踏んでる時点で、普通の妖怪とは違う」
「ウチはぁ、悔しそうにしてる人が好きなんすよ。だからぁ、ちゃんと約束を守った上でぇ、そうするとぉ、悔しそうにするのが面白いんすえ」
「やっぱこいつうぜぇ。つうか一人称と喋り方を統一しろ。一貫性がねえぞ。それが一番ムカつく」
「ん~……いやでありんす」
こいつ、ぶん殴っても許されるよな。
つうか、リズの言ってる事にかぶせるようにムカつく事を言ってくるが、どっちが本心なんだか……
リズの言ってる通りだとするとあの態度は照れ隠しだが、ガキの方の態度が平然としすぎてて本心でそう言ってるようにも見えるからなぁ……。
「……まぁ、いいや。とにかく、いくぞ」
「ん、いこう」
「行きんすえー」
……なんなんだ、この珍妙な集団は。
オレは革鎧を着て大鉈を持った女の子。
リズはしっかりとした鎧に槍を持った銀髪のエルフ。
そして最後に、狐耳の生えた金髪に金眼の着物姿の少女。
やべえ……このパーティーモドキ、スゲェ意味不明だ……。
玉藻とかいう名前が付けられた奴は、本当に役立つのか不明だし……前途多難だ……。
「はぁ……まぁ、いざとなれば囮くらいにはなるか」
「ん……そうだね。逃げる時に投げつければ、敵がたまもを食べてる間に、逃げれるかも」
「ぬしら、とんでもない相談をするならわっちの居ないところでやりなんし。というか、平然とわっちを囮にしようなんて、ひどいお人たちでありんす」
いいんだよ、お前、妖怪だから人権ねえし。
むしろ、人間にすら基本的人権が無いような世界だぞ、ここは。
まぁ、ぐだぐだ言ってないで、とにかく進むか……。




