なんなんだこの人は……
だしだしだしだしと板張りの廊下を勢いよく歩く足音が一つ。
そう、一つだけ。
「オレ達は子猫じゃないんですけど」
オレとフランはコノハさんに首根っこ掴まれてぷらんぷらん。リンは小脇に抱えこまれている。
リンはともかく、オレ達は完全に子猫みたいな扱いだ。フランは犬なのに。
「比喩的な意味じゃ子猫だからいいんだ。お前ら今日からオレの可愛い子猫ちゃんな」
「はぁ、コノハさんがタチですか。確かにそんな感じですけど。リンにも言ったんですが、そういう趣味は今んとこないんです」
「お前誰からそんな汚れた隠語を聞いたんだ。しかも今のところなのか?」
「将来的に目覚めるかもしれないんで」
「そうか。目覚めたらオレが美味しく頂いてやるから楽しみにしとく」
え、この人はガチでそういう趣味あんの……。
しかし、指先だけの力で子供とは言え二人分の重さを軽々と持ち上げるって、どんな腕力してるんだこの人。
そう考えていると、板張りの廊下の突き当りの部屋に入り、脱衣所らしき場所を通り抜け、ヒノキ張りの広い浴場へと辿り着く。
「さて、ここが風呂だ」
「見りゃ分かりますけど」
「そうか、んじゃ脱衣所で服脱ぐぞ」
……なんでわざわざ浴場まで連れて来たんだ?
「母上は基本的に考えなしだ。あまり深く考えるな」
「おう、考えなしの大統領と呼んでくれ」
なんで自慢げなんだよ……この人の思考回路が本当によくわからん……。
そう思いつつも浴場へと戻るとようやく降ろされる。
「さ、ちゃっちゃと服を脱げ。脱がないとエロティックに脱がせるぞ。こんな風に」
「服に手をかけるなぁ! やめろっ! 自分の娘にやれ!」
「旅立つ前にやったから、次はもうちょっと育ってからやる」
既にやってんのかよ!
「お前のお袋さんどっかおかしいんじゃねえの。何処とは言わないけど頭とかさ」
「言ってるではないか。ただそれには同意しておく」
声を潜めてもどうせ聞こえるので堂々と言ってやる。つか、娘にすら匙を投げられてんのかよ。
もうあの人の事は考えても仕方ないのでさっさと服を脱ぐ。
もたもたしてると本当にエロティックに脱がされる。下手したらそのまま食われるかもしれない。
そして服を脱ぎ終えたら、ちゃっちゃと浴場へと向かう。
リンは元から殆ど着てないのですぐに脱ぎ終え、フランも殆ど脱ぎ終わっている。
「クソッ、脱ぎづれえっ!」
「なにやってんですか……」
そしてコノハさんはもはや苦戦とかいうレベルではなく、泥沼試合な状況だった。
改めて見ると、この人の服は振袖だ。
淡い薄紅色の生地に、より赤い緋牡丹らしき花が染め抜かれた逸品で、コノハさんの美貌を引き立てているのだが……明らかに脱ぎ辛かろう。
「というか、なんで振袖なんですか?」
「趣味だ」
なんだ、ただの自業自得か。放っておいてさっさと風呂に入ろう。
さて、浴場に足を踏み入れると同時にリンに繊維の塊のようなものと、柔らかい石鹸のようなものを渡された。
「たわしと石鹸だ。使い方は分かるか?」
ああ、これたわしか。なんかの植物の繊維みたいだけど。何の植物だろ。へちまたわしっぽいけど、その割にはなんか真ん丸いし。
「石鹸を泡立たせてこれで擦ればいいんだろ」
「そうだ。湯船に浸かる前に体を洗えよ」
「そのくらいはわかってるよ」
打たせ湯の方へと向かい、身体全体の埃などを洗い流し、全身が濡れたところで石鹸を泡立たせる。
そして全身をたわしで擦っていく。
へちまたわしみたいな感じだが、こっちの方が硬いな。しかしこれはこれで中々いい気持だ。汚れがガンガン落ちる。
「うわ、垢もガンガン落ちてる」
擦れば擦った分だけ汚れと垢が落ちていく。やっぱ水浴びだけじゃ限界があったんだなぁ。
そう思いつつも全身を擦り続け、泡だらけになったところで再び打たせ湯で泡を洗い流す。
大分さっぱりした。なので、次は湯船に入る。
やはり風呂で一番なのは湯船に浸かる事。そして湯船はやはり泳げるくらい広いのがいい。
全身をしっかりと伸ばしてくつろがなくちゃな。
さて湯船へと向かうと既にリンは洗い終えていたのか湯船に浸かっており、オレもその近くに入る。
お湯の温度は余り熱くなく丁度良い。打たせ湯は結構熱かったんだがな。
「いい湯だなあ」
「うむ、全くだ」
ふやける。なんというか、存在そのものが。とろけそうだ。
「はぁ……」
へりに背を預け、全身を伸ばしてくつろぐ。ああ、気持ちいいな。
ぼうっとしていると、ふとフランが居ない事に気付く。見渡してみると、泡塗れになって身体を洗っていた。
「犬だ」
「犬?」
シャンプーしてる犬みたいじゃん、あれ。
そのまま暫くぼーっとしてると、オレの三倍近い時間をかけて身体を洗い終えたフランがピカピカになって湯船に浸かる。
「ふわぁー、広いお風呂ですねっ! 」
そういってフランがすいすいと湯船を泳いでいく。普通はマナー違反だが、まあいいか。
「フランは水練が上手いな。ニーナは泳げるのか?」
「それなり」
故郷では魚を獲ったり、洗濯しに行ったりと川にまで行く機会は多かったし、夏には泳ぐ為だけに行くこともあったのでそれなりに泳げる。
「リンは泳げるのか?」
「私もそれなりだ。母上は泳ぎが嫌いなのでな、余り教えてもらえなかったのだ」
「ふうん……泳げないのか、コノハさん」
「別に泳げないわけではねえけど」
「うおああっ!?」
背後からの声に驚いて振り向くと、そこにはコノハさんがいた。
いつの間に後ろにいたんだよ……つうか、当たり前のように会話に混ざってくんなよ。驚くだろ!
しかし、凄い。何が凄いって、コノハさんの体が。
胸はでかいのに、ウェストはかなり引き締まっているし、ヒップもバランスよく、まさに撫でまわしたい尻とでもいうべきだろうか。なんか親父臭いけど。
何より、それら全てが完璧なバランスで成り立ってるのが凄い。黄金比って言う奴だろうか。完成された完璧な形だ。
まるで彫刻を見てるような気分にすらなってくるが、生きてる人間だけにとんでもなくエロく見える。
既にモノは無いというのに、それが立ってくるような気がしてくるのだから凄い。
「見ての通り、オレは泳ぎが不得意だ」
「いや、見ての通りって言われても……」
エロい体してると泳げない法則でもあんのか、この世界は。
「ああ、分からんか。オレの身体は見た目以上の筋肉の塊なんだ。筋肉は重いんだ。沈むんだ。別に泳げないわけじゃないが、不得意なんだ」
ああ、そういう事か。確かに筋肉は脂肪と比べれば重いからな。でも浮きはするからそういう問題なんだろうか。
「何より、振袖は袖が長いだろ。だから水の抵抗が強くてな」
「なんで振袖で泳ぐのが前提なんですかねえ……」
脱げよ、水着着ろよ。無いならもっと泳ぎやすい服装で泳げよ、あるいは裸で泳いじまえよ。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花だからな。だからいつでもどこでもオレは振袖だ」
「それ、喋らなければって但し書きつきませんかね」
「あと剣持ってなければっても言われるな」
既に言われてんのか。
「まぁ、結局のところ水の上は走ればいいわけだし、無理に泳げるようになる必要はねえし」
無茶苦茶言ってんな……でも、オレの身体能力は既に非現実的な領域まで来てるし、そのうち水面を走るくらいは出来そうだな。
「ところで、湯加減はどうだ?」
「あ、いい感じです。やっぱ風呂は最高ですね」
「だよなぁ。いやあ、いい気持ちだ」
そういうと、何故かコノハさんがオレとリンの腕を引いて引き寄せる。
何が目的かは分からんが、とりあえず疚しい気持ちがあるようには見えないので、そのまま大人しく引っ張られる。
「ああ、この感じ、懐かしいな」
「はぁ」
へりに背を預けたコノハさんがオレとリンに腕枕をし、オレ達の体重を自分の身体に預けさせている。
そうすると自然と頭の辺りにコノハさんの胸が来るのだが……うん、凄い胸だ!
オレもデカくなるだろうか。やっぱ、最低でもCくらいは欲しいよな、うん。
身長が何処まで伸びるかにもよるけど、百七十くらいにはなりそうだし、それくらいはないとバランスが悪い。
実際のところ、女らしくなるというのにこだわりはないが、綺麗なものは綺麗だし、可愛いものは可愛い。よりよい姿を求めるのは普通だと思う。
それが自分であるなら、よりカッコよく、あるいは美しくなりたいと思うのは当たり前だ。
理由も無く好んでダサい格好をする奴は居まい。
「お前も将来はこれくらいになるさ」
「へ?」
唐突にコノハさんが妙な確信を持って言った。
思わずその顔を見ると、静かな、凪いだ水面のような瞳がオレを射抜いていた。
でも、その眼はオレを見ていないような気がした。ここじゃないどこかを見ているように見えた。
けど、人の心を読めるような人だ。未来くらい、見えてるのかもしれない。なんとなく、そう思った。
「いいや、未来は見えんよ。オレはなんでも出来るけどな、未来だけは見えないんだ。確定した未来を見る事はオレ達には許されてない」
相変わらず当たり前のように人の心を読むなこの人は……。
「単純に、お前の骨格やらなんやらから見て、それくらいにはなるだろうって推測出来ただけだ。身長は百七十以上にはなるだろう。体格もそれに見合ったものになるだろ、たぶん」
「おー……そういうのってわかるもんなんですか」
「分かる分かる。まぁ、大雑把だけどな」
それなら結構希望があるかもなぁ。百七十センチとなればタッパは男に並ぶくらいだ。身体能力的にも有利だ。
「いやー、しかし、この感じはいいな、懐かしい。ちょっと失礼」
そういってコノハさんの指がオレの髪を撫でた時、頭が重くなった。
何が起きたのかと一瞬混乱して、髪が伸びている事に気付いた。髪を切る前以上の、腰に届く程の長さだ。
しかも、何故か黒い。
「うん、こんな感じだった。やっぱ黒髪だよなぁ」
「いや、人の髪を勝手に染めんでくださいよ」
というか、どうやって染めたんだ今の。
「ゴッドパワーでやったんだ。あと、別に染めたわけじゃない」
「じゃあ何したんですかこれ」
「生まれた時に遡って遺伝子を書き換えて、黒髪だったことにした。だから染めたわけじゃなく、生まれつき」
なに当たり前のようにとんでもねぇことしてんだこの人は!?
あれ、でもオレは金髪だったって覚えてるぞ……。
「書き換えたのは事実だけだからな。認識は書き換えてない。そうであるのが正しい、という事にしてあるのであって、そうだった、という事にはなってない。格の低い記録改竄だとそうなるんだ」
わけわかんねえ……この人は一体何を言ってんだ……いや、何をしたのかはわかるんだけど、頭がそれについていかない。
特に、どうしてそんなことが出来るんだ、って疑問が……この人、マイナーな神なんだろ? なんでこんなすごい事が出来るのにマイナーなんだ?
「母上の成すことを深く考えるのは止めろ。やることなすことすべてが予想の斜め上だ。疲れるだけだ」
そういってリンが清々しい笑顔を浮かべた。
ああ、これ、思考を放棄した人の顔だわ。確かにそれが楽だろうな。八年も一緒に暮らしてたんだから。
「ああ、そうだな……オレも深く考えるのやめるよ……」
うん、それが楽だから、それでいいや。
「で、懐かしいって何のことですか?」
「ああ、昔もこんな感じで風呂に入ってたことがあった。娘とオレの妹でな」
「娘さん、リン以外にもいたんですか」
「ああ。大昔の事だけどな」
そういってコノハさんが昔を懐かしむように微笑んだ。
その懐かしいと言った相手がここにいないと言うのは、ただここに居ないわけではなく、永遠の別離があった、という事なのだろうか。
恐らくは、そうなんだろう。
「さて、なんか湿っぽくなっちまったな。そろそろ上がってメシにでもしようや」
そういってコノハさんがオレとリンを抱え上げて湯船から出る。
フランもそれに追随して湯船から上がった。
そして脱衣所へと戻ると、オレ達の着ていた服と所持品は全てが消えていた。
「お前らの持ち物は部屋に移動しといた。服は別に用意したからそれ着とけ。下着もな」
「はぁ、どうも」
いつの間に用意したんだろ。侍女とかが居るようには見えなかったけど。
そう思いつつ、下着を身に着ける。ピッタリでなんか怖いな……まぁ、深く考えないようにしよう。
次に用意されていた服を手に取る。浴衣だ。流石にこれなら着れるな。
「浴衣の着方は……さすがにこれなら分かるか? ニーナは平気そうだが」
「まーな」
左前にならんようにして、さっさと帯を締める。帯は簡易な奴だ。たぶん、寝間着もこれを使うのだろうから寝やすいような細い奴。
本格的な帯だったらさすがに締め方がわからんから助かった。
「ほう、様になっているな」
「そうか?」
まぁ、浴衣なんて着なかったけど、左前にしないのが正式なことくらいはわかってる。
そういえばフランはちゃんと着れたのだろうかと思ってみてみると、そこには浴衣を左前にして着ているフランが居た。
「どうですか? 似合いますか? なんだかゆったりして気持ちいいですねっ!」
「なむなむー」
手を合わせて冥福を祈っておく。
「畏しや打ち靡く天の限り尊きろかも打ち続をく地の極み萬の物を生み出て統べ治め給ふ大神世の限り有りの尽尽落つる事無く漏るる事無く命を分かち霊を通はし……続きなんだっけな?」
そしてコノハさんは何やら呪文らしきものを唱えている。お経ではなさそうだけど。
「浴衣は右前に着るのだ。右側が手前に来るようにな。左前はだめだ」
リンだけはちゃんと教えてやってる。なんだよ真面目ちゃんだな。からかってやればいいのに。
「どうして左前だとだめなんですか?」
「右前じゃないとものを突っ込みにくいからだ。あと、左前は死人の着方だ」
「そうなんですか……シェンガの風習はおもしろいですねー」
まぁ、フランは浴衣なんて初めてだから仕方ねぇか。
そう思いつつ、タオルで改めて髪をしっかりと拭く。
長いと乾かすのめんどいんだよなぁ。でもちゃんと乾かさないと風邪ひくし。
「そういえば、髪の色はいつ戻るんですか?」
髪色は黒のままだ。この八年間金髪の地毛と付き合っていたので、流石に違和感がする。前世じゃ短髪で視界に自分の髪が入る事は無かったし。
「え?」
「え? ってなんですか、え? って」
「生まれた時からそうなってるってことになってるんだから、永遠に戻らないぞ」
「なんじゃそりゃああっ! もとに戻せぇっ!」
人の髪色を勝手に変えた上に永遠に戻らないってふざけんな!
「はいはい、戻せばいいんだろ。ほら」
ぼすぼすと頭を叩かれたかと思ったら、その時にはもう髪は金髪に戻っていた。
「でも黒髪になりたいと思ったら黒髪になるぞ。便利だろうから覚えとけ」
「はぁ」
確かに夜は黒髪の方が目立たないかもしれないから便利かもしれんな。何に使えるのかはともかく。
「さて、と……着替えも終わったし、メシにしようや。メシを喰ったら軽く稽古つけてやるよ」
そういってコノハさんがさっさと歩いて行ってしまう。
なんだか主導権握られっぱなしだなぁ。別に握ろうとも思ってないからいいんだけどさぁ。
そう思いつつ、オレ達はコノハさんの後をついていくのだった。




