石段を登った先には美女が居た
階段が長い。とにかく長い。いやもう長いとかいうレベルじゃないなこれは。もはや永いって感じだ。
何しろもう十分近く上ってるのに、まだ中腹って所だ。これじゃ旅に出る奴が旅立つ前に疲労困憊しちまうよ。
「宿を取ってからくればよかったな……そうしたらこれも置いて来れたのに……」
そういって担いでいる大鉈を見る。重すぎるわこれ。軽く十キロ以上はあるんだぞ。
そんなもんを当たり前のように担いでるから重そうには見えないだろうが、実際にはちゃんと重いんだからな。
階段なんか上ってるから足に負担がかかるんだぞ畜生。
「まぁ、今更降りるわけにもいくまい」
「そーなんだけどよぉ……」
もうこの場に捨てていっちまおうかな。
いやいや、捨てちまったら拙いだろう。
そんな感じに迷いつつもオレ達はとにかく階段を上り続けた。
リンは慣れているのか、全然平気な様子だし、フランはもともと身体能力が高いのと荷物が軽いのも相まってスキップでもしてるように上っていく。
苦労してるのはオレだけだ。
まぁ、別に足が痛いとか疲れたとかそういうわけではなく、重いものを持ってるから階段を上るのが大変というだけだ。
何しろ肩に担いでるものだから重心が後ろに寄っていて落下しそうになるのだ。
「ああー……めんどくせぇ……」
「あともう少しだ。我慢しろ」
「はいはい……」
その後、ぶちぶちと愚痴りつつもオレは何とか最後まで階段を上り切った。
階段を上り切った先は見た目通りの神社で、数多くの参拝客が詣でている。
何かのイベントがあるわけでもないようなのにこの数なのだから、この神社の規模が分かるという物だ。
「えっと、私は司祭様にあってきますので……こっちだと、宮司って言うんでしたっけ?」
「案内しよう」
「ふぇ? でも、お祈りするんじゃないんですか?」
「ご神体に直接お参りした方がご利益がありそうだろう。行くぞ」
「はぁ……」
何か随分と強引だなぁと思いつつもリンの後をついていく。
ずんずんと境内を突き進み、本殿の中へと入り込む。
しかし、随分と広い本殿だ。普通、本殿って言うのはもっと狭いものだと思うんだが。だって人が入るべき場所じゃないし。
いや、それだったら入っちゃ不味いんじゃ……でも誰も止めないし、いいのかな。
そんなことを考えていると、その本殿を突き進んでご神体が奉納されているのであろう扉をリンが当たり前のように開く。
さすがに拙いんじゃ……と思ったが、予想とは違い、扉の先にはさらに部屋があった。
「ここがご神体が安置されていない本殿だ」
勝手知る我が家の如くリンが更に足を進める。
本当に大丈夫なのかと思いつつもそれに追随し、リンの言ったわけのわからない言葉について言及する。
「安置されてないってなんだそりゃ」
「勝手に動き回るからな」
何それ怖い。ここのご神体は妖怪かなんかか。
そう思って周囲を見渡した時、きがくるった。
あれは、なんだ。
わからない。りかいできない。りかいしてはいけない。
わかってはいけない。わからなくていい。
そう、わからない。
それでいい。
わからない。それがしあわせ。
わからない。そうでないと、しんでしまう。
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。
「それ」
「へふっ……」
額を弾かれて正気に戻った。
「大丈夫か?」
「ふえ……? え、あ、はい……大丈夫です
、すんません……」
そして、オレの額を弾いたのか誰なのかを認識して、驚いた。
凄い美女だった。
匂い立つようなとか、妖艶とか、艶やかとか、もうそういう次元じゃない。
美しいから美しい。そう表現するしかないくらいの美人。この人が美人じゃなかったら、世界中の人間が不細工になる。
「おかえり、凛。ともだちか?」
声もとんでもない美声だった。脳が蕩けるとでもいうべきだろうか。
天使の声が現実に聞けるとしたら、こんな声なのかもしれない。
「はい。ただいま帰りました。こちらはニーナと、巡礼の旅の途中だそうなので道中を共にしたフランシスカです」
「ふむ、そうか。よく来たな。ゆっくりしていくといい」
そして、リンはとても親しげにその美女と会話をしている。
「もしかして……なぁ、もしかしてもしかするのか?」
「なにがだ?」
「ええと……お前のお袋さん?」
「うむっ。私の母上であり、この神社の神体であり、軍神である」
「……はぁ?」
コイツはいったい何を言ってるんだろう。
「ははははー、信じられんのは分かるが、確かにオレは軍神でこの神社の神体だ」
「は、はぁ……現人神ってやつですか?」
「おう、それだ。よく知ってんな」
ぐしぐしとその現人神である美女がオレの頭を撫でた。撫でると言うよりは頭を押しつぶすという感じだが。
「ほう……なるほどなぁ。苦労したんだな」
「は?」
またいきなりこの人は何を言ってるんだ?
「口減らしに売られ、その後は奴隷剣闘士。挙句にゃ町に居づらくなって出奔すれば、ここに来るまでに奴らと戦ったか。波乱万丈の人生だな。日輪の力借りるか?」
「え、ええと……あの、なんでオレのこと知って……」
オレは何も言ってないし、考えてすらいなかった。
もしかして、記憶を見る魔法とかでもあるのだろうか。
「なに、ちょっと見りゃ分かるさ」
そういってその美女はからからと笑った。
その美貌には蓮っ葉な口調と、その粗野な態度は似つかわしくないのに、それが嫌に似合っている。
いや、美女だから何やっても似合うのかもしれないな……。
しかし、言ってる事は滅茶苦茶だ。ちょっと見れば分かるとは言うが、何を見たというのだろうか。
「ニーナ、母上のやる事にいちいち驚いていては身が持たんぞ」
「はっはっは、いやあ、照れるな。そんなに褒めてくれるな」
「誰も褒めておりません」
なんなんだろうこの母娘……。
「さて、ここに来た目的も大体わかった。信徒フランシスカ、よくぞ参られた。お前を歓迎しよう。暫く逗留していくがよい」
「ふぇっ、は、はいっ!」
ああ、フラン、居たんだっけ。
「ニーナ、お前は信徒というわけではないな。しかし、その心意気やよし。気に入った。うちの娘を慰み者にして構わんぞ」
「うええっ!?」
「母上っ! 勝手に私を慰み者にしないでください!」
なんなんだこの人……。
「冗談はさておき、その力を求める姿勢は嫌いじゃない。稽古はつけてやる。暫く逗留して行け」
「あ、はい」
悪い人、ではないんだよなぁ。
って、考えてみたら神なんだっけ。
……もしかしてこれが神のスタンダードなのか……? 神ってファンキーなんだなぁ……。
「リン。よく帰って来たな。いや、出発してからまだ二か月と経っていない気もするが、まぁ十年くらいなら誤差だからな」
神って時間の単位も大雑把なんだな……。
そんなことを考えていると、リンとお袋さんが親子の会話をし始めたので、オレはすぐ隣のフランに声をかける。
「なぁ、リンのお袋さんが神ってことは、リンも神なのかな……?」
「ふぇえっ……そういえばそうですね……やっぱり神様なんでしょうか? 武神でしょーかっ?」
「そもそも神様って何居たっけ……?」
オレが覚えてるのは、農耕神エル=アドロスだけだ。農民に武神だのなんだのは関係なかったのだ。
さて、この世界には神がたくさんいる。
それこそ冗談抜きで八百万の神が存在する。掃除の神や殻剥きの神も居るんだそうだ。
とは言え、有名どころは少ない。それでも軽く三十柱以上は居るのだが。
そして、その中からどの神を信仰するのも自由だし、信仰しないのも自由だ。
信仰しても利益があるとは限らないし。
とはいえ、信仰する者は多い。信仰して不利益は無いから信仰する方がいいのだ。
神官は基本的に癒しの神か、戦いの神を信仰するらしい。戦いの神は僧兵が多いそうだ。
何故彼等だけを神官と呼ぶのかというと、明確に神から力が与えられていると分かるから神に仕える者として神官と呼ばれるんだそうだ。
「私が覚えてるのは、戦いの神のエル=バルサルド。癒しの神のエル=キュアル。あとは大地を駆ける獣の神のエル=アミタスだけです」
「オレは農耕神エル=アドロスしか知らん」
そういえば、リンのお袋さんって名前なんなんだ?
今になって名前を聞いてない事を思い出した。
「オレの名はエル=シルト=コノハ。コノハでいいぞ」
「ひゃいっ!?」
フランが悲鳴のような驚きの声を上げるが、オレも驚いた。今の内緒話聞こえてたのかよ……どういう聴力してんだ……。
「オレの聴力は十メートル先の針の音も聞き分けるぜ」
……今の口に出してないぞ。まさか、心の声も聞こえてるとかいうんじゃねえだろうな……。
「まさか、流石に聞こえはしねえよ」
「ウソだっ! 絶対聞こえてる!」
聞こえてないってウソ扱くんだったら心の声に返事するんじゃねえ!
「まぁ、細けぇ事は気にすんな。でだが、オレは結構マイナーな方の神だし、そもそも神霊に昇華してるわけじゃなく人間だ。オレを信仰しても力は与えられん」
「は、はぁ……じゃあ、リンさんは普通の人間なんですか?」
「ああ。そもそも、リンは拾ったからな。血縁関係はねえよ」
「ああ、そういえば言っていなかったか。母上は生みの親ではなく、養母だ。生まれたばかりの私を拾って育ててくださったのだ」
「衝撃の事実じゃねえか……」
さらっと言うなよ……いや、この世界だと結構捨て子は多いから、それほど深刻に言う事でもないのかもしれんな……。
「あれ、って言うかサラッと流してしまったけど、コノハ?」
「ああ、愛と勇気と親しみを込めてコノハちゃんって呼んでいいぞ」
愛と勇気を込める必要があるかはともかく、フレンドリーに接していいと言うならそうさせてもらおう。
「じゃあ、コノハちゃん。リンと一緒にいた人もコノハって名前だったけど、兄弟ではないんですか?」
「ああ、アイツか。アイツは弟のような兄のような同一人物のような……まあ、血縁関係はあるから、叔父であってるだろ。あとやっぱちゃんづけで呼ぶのやめて、予想以上に恥ずかしい」
「なんですかそれ……」
弟のような兄のような同一人物のようなってなんなんだ……? 血縁関係があるのはわかったけど……。
「まぁ、正直オレとアイツの相関図は複雑なようでいて単純だが、説明するのが面倒だから聞くな」
「いや、そう言われると気になるんですけど……」
「なら同一人物だ」
「いえ、それじゃ分かりません」
「じゃあもう他人でいいよ、めんどくせえ」
フリーダムだな、この人は……。
「母上が面倒くさがったら話は聞けんから諦めろ」
「ああ、そう……」
最低でも八年の付き合いがあるリンが言うと説得力が凄いな……。
もうこの人のことが全然わかんない。会話してるだけで疲れる人って初めてだ……。
「さて、話がひと段落ついたところで、お前らに言いたいことがある」
「え? ああ、なんですか?」
改まられるとなんか迫力あるな。美人なだけに真面目な表情すると緊迫感が凄い。
「お前ら何日風呂入ってねえんだ?」
「そういえば、旅に出て以来入っていません。無論、行水程度はしていますが」
「旅に出る前は公衆浴場には行ってましたけど、旅の途中ではお風呂に入れなかったので、沸かしたお湯で身体を拭くくらいでした」
「なんだよお前ら、一か月近く風呂入ってないのか」
全く、あきれた奴らだなとため息をついて見せる。
「そういうお前も同行していただろうに。まさか一人だけ風呂に入っていたわけではあるまい?」
「そーですよっ。お風呂に入ってたところなんて見てませんよっ」
やれやれ、まさかそんな勘違いをしていたとはな。
これは全く何の自慢にもならないが、笑い話にはなるだろう。
「お前ら、貧しい農村にとって、まず燃料を優先すべき事柄ってなんだと思う?」
「それは煮炊きの類だと思うが……いや、まさか……」
「……ニーナさん、もしかして……?」
ようやく分かったようだな。
加えて言うなら、風呂を沸かすためだけに大量の水を用意するなんて無駄な労働力の使い方はしない。
「ああ、そうさ。オレは生まれてこの方風呂なんざ入ったことねえ……!」
全く自慢にならないというか、言ってるこっちが悲しくなってくる。
オレは前世では日本人だったのだ。水が豊富なお国柄なだけあり、ほぼ毎日風呂に入っていたのだ。
それなのに水浴びすら早々できない環境はつらかった。
けど人間は慣れるものだ。気付けばオレは三日に一回程度水浴びをするだけで済ませるようになっていたのだった……。
「うん、まぁ、そんなこったろうと思った。お前ら臭うぞ。風呂に入れ」
そして、全員そろってまともに風呂に入ってないオレ達はコノハさんに抱え上げられて風呂に連れて行かれるのであった。