フランの頭の撫で心地はすごい
結局、オレの体調は四日で完調した。リンの予想とあまり変わらない日数だった。
まぁ、三日目にはもう十分に動き回れていたので、三日という見立てもピタリ当たっていたのかもしれないが。
さておき、完調したオレはすぐ近くに転がっていた大鉈を見下ろしていた。
あの時のミノタウロスみたいな討魔が使っていて、オレがあのミノタウロスを殴り殺すのに使った鉈だ。
そして、その鉈の柄に手をかけ、持ち上げた。
重い。重い、のだが、持てないわけではない。
体重が軽いのでバランスが取り辛いが、極普通に持てるし振り回せる。まぁ、振り回すとこっちも振り回されてしまうのだが。
一度、横薙ぎに振るう。大鉈はすぐ近くの木に激突し、鈍重な刃は表面を斬り砕き、そのまま木をなぎ倒した。
まるでブルドーザーが激突したようなありさまだ。
「いいな、これ」
力があるオレにとっては切れ味のある剣よりも、頑丈で長くて重い剣の方が有利だ。
長ければ間合いが得られる、重ければインパクトの威力が高くなる、頑丈であればどんなに乱暴にぶん回しても壊れない。
この大鉈はオレにとって最適な武器と言える。まぁ、扱い難くはあるんだがな。流石に柄が太い。力が強くても手がでかいわけではないのだ。
とは言え、長柄かつ頑丈で重量のある武器と言ったらポールウェポンが一番なんだが……生憎と、ポールウェポンは高かったのだ。
元々ポールウェポンは使いこなすのに腕力と技量が要るため、使用者が少ない。戦争でならば有用な武器だが、個人用の武器としては剣や槍に劣るのだ。だから数が少なく、高価になってしまう。
加えて言えば、長柄の武器は重心が前方に寄ってしまうので、以前のオレの腕力では使いこなせなかった。今なら問題ないと思うが。
それにデリックもポールウェポンには習熟していなかったので、教えられたのは本当に触りだけだった。そんなわけで結局剣を買ったのだ。まぁ、その剣は壊れたが。
この大鉈は一応分類としては剣だが、ポールウェポンの代用品としても十分な長さと重量がある。
刃渡りは軽く一メートルはあるだろう。刃の分厚さもそれに比例し、当然ながら重量もそれに比例する。
うん、やっぱりオレにとってぴったりな武器かもしれない。
「しかし、なんでこれは消えなかったんだろうな」
討魔の鎧は消えていた。なのにこれは消えてない。それが不思議だ。
「ふむ。考えられるのは二つだ。元から現世に存在していて、それを討魔が拾って使った。あるいはお前が奪い取ったので、所有権がお前に移った事で消滅しなかった、だ」
首をひねっているとリンが解説してくれた。
「ああ、後者だわ。奪い取って殴り殺したから」
「であればそれは既に現世の物だ。既に構造も、チカン? されているはずだ」
「置換ねえ。よくわからん仕組みだな。それもお袋さんの受け売りか?」
「うむ。母上は何でも知っているのだ」
相変わらず凄いお袋さんだ。
「まぁ、とにかく行くとしようか。だいぶ時間も食っちまった」
「ああ、そうだな」
背負い袋をしっかりと背負い直し、大鉈を肩に担ぐ。さすがにこれは腰に差したり、背負ったりというのは無理だ。普通に地面にぶつかる。
肩に担いで移動というのも少々疲れそうだが、武器が無いという状況よりはマシだ。
「フラン、お前も準備はいいか?」
「大丈夫ですよー」
既にフランシスカともだいぶ仲良くなり、フランシスカの事は愛称のフランで呼ぶようになっていた。
そのフランも準備を終えて、背負い袋を担いで準備万端なようだ。
「んじゃ、ちゃっちゃと出発だ」
「おーっ!」
拳を振り上げて意気込みを表明するフラン。思わずその頭を撫でる。
オレとフランではフランの方が身長が高いが、手を伸ばせば極普通に手が届く高さだ。
「ふゃぁぁ……」
「ふぅ……」
フランの評ではオレの髪はサラサラで気持ちいいとのことだが、フランの髪もそれに劣らずサラサラで、毛が細いからか非常に柔らかく、見た目に似合わずもふもふとした質感だ。
そして、そのアクセントとなるのが耳だ。茶色い髪の毛と同色の毛に覆われた耳は柔らかく、しかし確かな存在感を手に帰してくる。
ふにふに、くにょくにょとした感触は触っているだけで胸が躍る。
フランも犬系の獣人だからなのか、撫でられると心地よいらしく、オレにされるがままになっている。
それをよしとして、オレは存分にフランの頭の撫で心地を堪能する。
「ニーナ?」
「うるさい、今いいとこなんだ、邪魔するな」
「あ、ああ」
口うるさいリンは封殺し、フランの頭をなで続ける。
フランの撫でられて気持ちいいところはこの三日で既に把握済みだ。
耳の付け根が一番弱いのだ。ここをなでると……。
「ふにゃあ……」
ほうら、一発で骨抜きだ。こんなに気持ちよさそうにしやがって。
「ふ、ふへへへ……ここか? ここがいいのか?」
「は、はいぃ……! も、もっと撫でてくださぃ……」
「なんて欲しがりやさんなんだ! お望み通り、たっぷりと撫でてやるぜ……!」
こりこりふにふに。ああ、至福だ。撫でてるこっちも気持ちいい。
この心地よさ、まさに天上にも上らん心地。こんなにもオレを惑わせる頭の持ち主にはお仕置きが必要だ! そう、たっぷりと撫でてオレの恐ろしさを思い知らせてやらなければ……。
「どうだ? ここがいいんだろ? ほら、どうだ、気持ちいいだろ?」
「ふ、ふやあぁ……だ、だめですぅ……そんなに撫でられたらぁ……」
ぱたぱたぱたとフランの外套の下で何かが揺れる音がする。フランには尻尾もあるのだ。ふわふわの毛で覆われた短めの尻尾だ。
尻尾が勢いよく揺れているのは気持ちよくて楽しい事の証拠で、獣人族はこれを制御する事は不可能なのだ。
「へっへっへ……こんなに可愛い顔しといて、欲しがりやさんたぁ驚いたぜ……ふへへ……」
首筋をくすぐるようにしてやると身をよじらせながらも尻尾の勢いはとどまる事を知らない勢いで強くなっていく。
へへへ……なんてかわいい奴なんだ。このまま思う存分撫で尽してやるぜ。
「どうだ、ここもいいのか?」
「はひゅう……おなか撫でちゃらめれすぅ……!」
「ならこっちか?」
「ひゃううっ! せ、背中はもっとらめれすぅ!」
「へっへっへ! その割には尻尾が揺れてるじゃねえか! 尻尾は正直だぜ?」
「そ、そんなぁ……」
なでなでさすさすと、フランのあちこちを試す様に撫でていく。
こんな聖職者の癖してこんなに欲しがりやさんとは驚いたぜ!
「いい加減にしろ」
「ぐげがっ!」
星が散った。頭頂部を何か堅いもので殴りつけられたのだ。
「何すんだぁ! 殺す気か!」
怒鳴りながらも振り返る。この状況でオレを殴る奴はリンしかいない。
そしてリンはと言えば、左手に持っていた刀の鞘でオレを殴ったらしく、鞘を見分していた。
「こんなことで時間を喰っていてはいつまでも旅が再開できんだろう」
「む……そういえばそうだった……」
いかんな、フランの頭を撫でていると、つい最初の目的を忘れてしまう。
ちゃんと自制しないといかんな。いや、フランの頭を撫でたらこうなってしまうから、撫で断ちをしなくては……。
「あの、もうやめちゃうんですか?」
そして腰砕けになってしまったのか、しゃがみこんでいたフランが上目づかいにオレを見て来た。
その潤んだ目と、寂しそうにぺたんとしている耳を見た瞬間、再び撫でたいという欲求が燃え上がる。
「くっ……! くぅぅ……!」
思わずフランの頭に伸びる右腕を根性で押し戻す。くそぉ、なんて魔性の女なんだ……フラン……!
「さ、さぁ、いくぞ!」
「ああ、往くぞ」
「残念です……」
ええい! 物欲しそうな目で見るな! 撫でたくなるだろうが!
「目的地はシェンガ! 出発!」
「別にいちいち口に出さんでも分かっているが……」
「ふにゅう……」
気合いでフランの物欲しそうな目を振り切り、オレ達は再び旅を始めた。
目的地はシェンガ。すべきことは未だ決まっていないが、とにかく目的地はシェンガだ。
シェンガについたら、まずは美味いメシを喰おう。フランの料理も悪くないが、やはり保存食を使っている理由から町で作るよりは劣ってしまうのだ。
それから、バルティスタ共和国とは大きく文化が違うらしいし、聞けば聞くほど日本風の国なのだ、風光明媚な場所もあるだろう。綺麗な景色なんかも見れるといいな。
それからリンのお袋さんに剣の稽古をつけて貰おう。まぁ、今の武器の使い方を教えて貰えるとは思えないが、それでも戦いの指南は役立つだろう。
考えれば考える程、シェンガに行くことはいい案だと思えてくる。
では、気を取り直して出発だ。
旅は順調に続いた。討魔と戦う事になったようなトラブルは一切起きる事無くだ。
あんなトラブルは一回で勘弁だが、運の悪さを自覚しているだけに何も起きないと逆に気味悪く感じるのだから不思議なものだ。
まぁ、何も起きなければそれはそれでいいことなんだが、後で大きなしっぺ返しがあるかと思うと怖くも感じる。
とはいっても自ら悪い事態に突っ込んでいくような事も出来ないので、今出来る事は覚悟して進むだけだ。
そして、旅はシェンガに架かる橋に辿りついた事で終わりを告げた。
それまでの道中で何かトラブル事は起こることなどなく、極々普通に旅は終わったのだ。
「ここがシェンガかぁ……」
巨大。とにかく巨大すぎる橋。どれだけ巨大かと言えば、左右の端が見えないほどだ。
橋というよりは石造りの陸地と言えるくらいだろう。こんな巨大な橋、どうやって作ったんだろうか。
そして、巨大な橋を渡った先に見えるのは、バルティスタ共和国とは全く別の町並み。
よく見えるのは遥か彼方に見える山に沿うように作られている巨大な神社のような建築物。
そして明らかに日本風の城。白亜の壁と黒光りする屋根瓦、天守閣には金のシャチホコが輝いているのが見える。
「ふわぁー、すっごく異国情緒溢れてますっ! すごいですっ!」
「そうだろう。とはいえ、私はすっかり見慣れた風景なのだが。ニーナはどうだ?」
「ああ、凄いな」
もう完全に別世界と言えるほどの領域だ。バルティスタ共和国とは文化が違うとかのレベルじゃない。
橋でとはいえ陸続きなのに、これほどまでに文化が別物とは逆に不思議なくらいだ。
そして橋を渡り切って入国となるのだが、意外な事に入国審査などはされなかった。
オレの持っている巨大な大鉈も、力持ちだなぁ、と言われただけで終わってしまった。
幾らなんでも杜撰過ぎるのではないかと思うのだが……まぁ、入れなかったら困るので別にいいか。
「んっと、私は最初にあの山の上の教会にいきますから、ここでお別れでしょうか?」
「いや、案内しよう。あそこならば私達も向かう先だ」
「そうなのか?」
「無論だ。シェンガの者は旅に出る前にはあそこで旅の無事を祈り、帰れば無事に帰れた事に感謝する。そして旅人が訪れたのならば、あそこで様々な事の成功を祈るのはよくある事だぞ。行きたくないならば別に構わんが……」
ふむ。確かにあれだけでかい神社なら霊験あらたかそうだよな。
本当に効き目があるかはともかく、祈っておいて損は無いだろう。無神論者を気取っているわけでもないし。
「オーケー、オレも行くよ。案内頼むぜ」
「うむ、任せておくがいい」
オレ達はリンを先頭に歩き出した。
目で見えている先とはいえ、この国の事をよく知っているのはリンが一番だ。
実際、歩く途中で横道に入って近道をしたりと、リンは明らかにこの町を知り尽くしている様子だ。
「この町は他国との玄関口でもあるが、やはり元がこの国特有だからな。他国の人間には町並みが分かりにくいらしい」
「まぁ、確かになぁ」
この町の町並みというか建築物はかっちりと整備されているようで、きっかりと碁盤の目のように道路が出来ている。
まるで京都にそっくりだ。建築物も似たようなものが多いから、他国から来た人間は迷うだろう。
というか、日本風の建築物には慣れているはずのオレですら迷いそうなのだ。フランなんかすぐ迷うんじゃないだろうか。
いや、獣人は方向感覚に強いというし、意外と迷わないのだろうか。
さておき、やっとたどり着いたのは神社の玄関口。要するに山に登るための表参道である。
そして、神社に辿りつくための途方もない長さの石段。
「……なぁ、帰っていいかなぁ」
「ダメだ」
ため息を一つ。こんな気の遠くなりそうな石段、上りたくないが……仕方ないかぁ……。
オレは意を決して石段を登るために一歩踏み出すのであった。