オレは助かったのか
焚火の音がする。ぱちぱちと木の爆ぜる音。木の燃える香りが鼻腔を擽る。
それと共に、お腹の空くいい香り。濃厚な肉の香りと、トマトソースの甘酸っぱい香り。
その二つが調和して、何とも食欲をそそる匂いがする。
「う……腹減ったぁ……ぐっうぅ……!?」
軋む身体を起こし掛けた瞬間、全身に走った激痛に身悶えする。
とんでもなく重症の筋肉痛と骨折と……まぁ、とにかく全身が滅茶苦茶痛くて、その痛みの種別も波のように押し寄せるのや、針が突き刺されるようなものや、響くように痛む気持ちの悪い痛みなど、様々な痛みが混然一体となって押し寄せてくる。
「はぐ、ぐがが……!」
「大丈夫ですか?」
「うごご……?」
呻きつつ、かけられた声の主を仰ぎ見る。
女の子、だろうか。いや、男の子かもしれない。いまいち性別が分かりにくいが、たぶん女の子だろう十歳と少しくらいの子供。
服装はかなり長めの外套を着ていてよくわからない。ただズボンを履いてるわけではないようだ。
ああ、そうだ、あの時に見た子だ。あの時は直感的に女の子と思ったが、落ち着いてみると男の子のようにも見える。
「見た目は酷くないですけど、体中の骨が折れてたんですよ。魔法治療はしてありますけど完全ではありませんから、まだ暫く痛みます」
「ぐぐ……完全に、治せねえのか……?」
「出来るはずですけど……重体なのを治したら後は身体の治癒力に任せた方が強い体になるんですよ」
ああ、そうか……負荷も回復するのか。その負荷は直さないでいた方が骨や筋肉は強くなるわな。
しかし、負荷も回復出来るってことは疲労回復に近い事も出来るんだな、回復魔法とやらは。幾らなんでも便利すぎやしないか。
そんなことを考えつつ、手や肩を見る。特におかしい様子は無いのだが、やはり痛くて堪らない。
「無理はしないでくださいね。あ、私はフランシスカです。よろしくおねがいしますねっ!」
語尾の方の語調が強く、はきはきとしてはっきりとした雰囲気を感じる喋り方だ。
そういう喋り口は余り嫌いじゃない。
「あ、ああ? フランシスカ? オレはニーナだ。いででで……」
喋るだけでも腹筋が痛む。もう起き上がるのは止めて転がる。
しかしフランシスカか。一応女性名だが、一応ってだけだからな。女かどうかわからん。偽名の可能性もあるし。
そんな事を考えていると、近くの木立の陰から人影が現れる。リンだ。
両手一杯に薪を抱えている所からすると、薪を集めていたらしい。
「ニーナ! 目が覚めたのか!」
そして、オレが目を覚ましていることに気付いたリンが薪を放り投げて駆け寄ってくる。
やべえ、あれ突っ込んでくるんじゃねえか。
今突っ込まれたら悶死する。
しかし、オレは動ける状況ではなかった。
そして、リンはオレの予想にたがわず突っ込んできてオレに抱き付いた。
「よかった! 本当によかった!」
「ぎゃおああああああ!! いでええええ!! やめろおおおおおおっ!!」
「どうした!? き、傷が痛むのか!?」
オレの身体のあちこちをまさぐり始めるリン。やめろ、服を脱がそうとするんじゃねえ!!
「いいから退けろぉっ!!」
渾身の力を振り絞ってリンを突き飛ばし、オレは悶絶した。いてぇ、死ぬ、死んでしまう。
なんであんな戦いを乗り越えた後でリンに殺されかけなきゃならんのだ。
「う、す、すまん……本当にすまん……」
「そう思うんなら抱き付くな! 殺す気か!」
「そ、そんなつもりはなかったんだ! 本当だ!」
「そのつもりで抱き付いてきてたんならぶっ飛ばしとるわ!」
ああクソッいてぇっ! なんでこんなに痛いんだ畜生!
「おい、オレの怪我はどんなもんだったんだ?」
「え? あ、ああ。ええと、確か、右肩と右肘が脱臼して、指と手首は殆ど折れていたな。肋骨が二本折れて、四本にヒビが入っていた。肺にも穴が開いていた……はずだ」
「なんだそりゃあ、重症じゃねえか……」
そりゃこの痛みも納得だちくしょう。
などと思っていると、フランシスカが苦笑してさらに詳しく説明を始めた。
「もっとひどかったですよ。全身の筋断裂もしてましたし、腕の骨も橈骨と尺骨二本とも両腕折れてましたし、足も両方腓骨と脛骨が折れてました。どうやったらあんな有様になるんですか?」
「とんでもねえ重症じゃねえかよ!」
尺骨だの橈骨だのがどれなのかは分からんが、両手足全部折れてたということはわかった。
加えて言うと、腕はまだしも足は攻撃を受けていない。つまりはオレの筋肉の負荷で折れたという事になる。
自分の筋肉の負荷で骨が折れることがあるのかは知らんが、そうとしか考えられない。
「ええ、本当にとんでもない重症でしたよ。どうしてあんな事になったんですか」
「いや、なんか凄いバケモノと戦って……」
「なるほど……その割には外傷は余り無かったようですが」
「うーん……多分、自分の全力の出し過ぎで折れたんだと思う……あははは……」
いや、笑うしかない。相手の攻撃じゃなく、自分の力でこんな有様になるなんて。
「と言う事は、あなたはベルセルクなのですかっ!?」
「あん? ベルセルク?」
ベルセルクと言うと、バーサーカーの事だろうか。確かにそれっぽい気はするが、オレは正気を失ってはいなかったと……思う……んだけど、なぁ……?
本当にあの時のオレって正気だったんだろうか?
「すまん、ベルセルクと言うのはなんだ? 余り聞き覚えが無いのだが……」
と、オレの心証を代弁するかのようにリンが言う。実際にリンも分からなかったのだろう。
「ベルセルクと言うのは神の神通力を授かったと言われる戦士の事で、一度戦いに赴けば野獣よりもなお荒々しく戦い、鬼神の如き強さを誇るのですっ!」
と、フランシスカが言う。それはなんだか誇らしげで、そのベルセルクと言うのが好きなのだろうなと思えた。何しろピコピコと耳まで動いて……耳?
改めてフランシスカの顔をよく見ると、顔の横に耳が無い。
そして人間なら耳のある個所よりも少し上の方に、耳があった。
頭髪と同じ茶色い毛に覆われた、ぺたんとした耳。それが忙しなくぱたぱたぴこぴこと動いている。
獣人だ。それもかなり人間に近い。オレの故郷にも獣人は居たが、かなり毛深かっただし、歯も獣に近くてもっと獣っぽかった。
こんなに人間に近いタイプも居るんだなぁ。
「なるほど、要は途方もなく強く、まるで獣のように荒々しく戦う戦士の事だな」
「はい、そんな感じですっ」
「しかし、フランシスカ殿は、そのベルセルクと言うのが好きなのか?」
「はい! 死を恐れず戦いに赴き、必ずや勝利を掴むとても勇ましい方々なのですっ! 今までたくさんのベルセルクの方とお会いしてきましたけど、ニーナさんくらい小さい子は初めてみましたっ!」
ふうん。でもオレは死ぬの怖いけどな。
「それに教会の聖典によると、獣人の守護聖女であるアリス様もベルセルクだったそうなのです」
「ふうん」
ベルセルクは知らなかったが、守護聖女の方は知ってる。
この世界に住む全ての人型種族に一人ずつ存在する伝説上の人物で、全員アリスと言う名前なのだ。
とは言え、人間側で広まってるのは、エルフ、獣人、オーガ、オークくらいで、竜族や巨人族などの守護聖女の事は殆ど伝わっていない。オレも知らないし。そもそもいるのかも分からない。
確か獣人族の守護聖女のアリスは山よりも巨大な獣に変化する事が出来て、たった一人で巨人族の国を一つ滅ぼし、オークの国も一つ滅ぼし掛けたがオークの守護聖女と死闘を繰り広げた末に引き分け。
その後にどこだかの戦いに赴いたのだが、その時にエルフの守護聖女と共に姿を消した、だったかな。
教会の聖典ではあるのだが、おとぎ話としても楽しめるので大抵誰でも知っている話だ。
「それで、ニーナさんはベルセルクなのですか?」
「わかんね。神様とかその辺りの事はよくわからないし、死ぬ事は怖かったし。でも獣っぽいかと言われたらそうかもしんない」
あの時の怒りに燃えていたオレは確実に何かしらタガが外れていた。
死ぬとかいう考えの前に、アイツをぶっ殺してやると言う考えが先行していた。
そこからすると確かに死ぬ事は怖くなくなっていたのかもしれない。
「ふうむ。とはいえ、ニーナさんが勇猛果敢な戦士であることは分かりましたっ」
「ああ、そう。それで、オレも聞きたい事があるんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「お前なんなんだ?」
「えっと、それってどういう意味なんでしょうか?」
ああ、流石に質問が端的過ぎた。喋るのが辛いから短くしゃべるようになってしまってる。
「ええと、お前は何者で、なんでオレの治療が出来たんだ、とか。そういう感じの」
「えっとですね、私は神官の修業中の身でして、各地の教会への巡礼の旅を行っているのですっ」
「ああ、アコライト……侍者なのな。巡礼の旅ってことは、プリーストに昇格出来る瀬戸際なのか」
「はいっ! 全ての教会を巡れたら、私も晴れて司祭になれるんですっ!」
この世界に於いて、神官と言うのは神に対する信仰心から魔法を使えるようになった者の事を言う。
そしてその立場の強さは魔法の強さに比例する完全な実力社会らしい。
と言うのも、魔法の強さ=信仰心であるからだ。何しろ、神官の魔法は神に与えられた魔法だからだ。
自身を強く信仰する者にこそ力が与えられる。文字通り信じる者は救われるという奴だ。
であるからこそ、魔法が強ければ信仰心が高く敬虔な信者であるという事の証左。だから魔法の強さに比例した立場が与えられる。
聖地や教会の巡礼は、己の信仰心を更に強めるためのものであるらしく、大抵ちゃんと効果があるらしい。まぁ、無い奴もいるらしいが……。
ちなみに神官たちは祈りを捧げる事で脳味噌に呪文回路が焼き付けられるらしい。
なんか怖い印象があるため、神に祈りは捧げても呪文を授からない者も居るそうだ。
まぁ、呪文回路が既に焼き付けられているため、力を通しさえすればすぐに発動出来るという利点もあるらしいが。
「ってことは、オレを助けることが出来たのもそのおかげか」
「はい! 困っている方や傷つき倒れる者を助けるのは当然のことですからっ!」
にっこりと笑ってフランシスカがそういう。ああ、なんか犬っぽい。すげえ頭撫でてぇ。
そう思うと自然と手が伸びて、その迂闊な動きでオレは悶絶した。
「うぐごごご……! ぐぐ……ま、まぁ、オレを助けられた理由は、分かったけど……な、なんでまたこんなところに?」
正直、オレの運の悪さは折り紙つきだ。あんなふざけた状況になった事からもそれは予想できる。
だからこそ、フランシスカが偶然通りかかるなんて運の良すぎることが起こるとは思えなかった。
「あ、あのですねー……えへへ、えっと……」
なにやらばつが悪そうに、ごまかす様にフランシスカが笑う。なんか都合の悪い事でもあるのか?
「フランシスカ殿は私達の後をついてきていたそうなのだ」
と、リンがそういった。ああ、それなら納得。
通りかかったんじゃなくて、最初から後ろにいたんだから……。
「私、癒しの魔法には自信があるんですけど、攻撃の方には自信が無くてですね、えっと、その、えへへ?」
要するに、オレ達の後をついてきて旅路の安全を確保していたという事らしい。
要はオレ達に無断かつ無料で護衛をやらせていたという事だ。
ごまかす様に笑う姿はかわいいが、それとこれとは話が別だ。
「リン」
「ん、ん? な、なんだ?」
なんで挙動不審なんだこいつ。
「拳骨しといて」
まぁ、オレを助けてくれた恩もあるし、それで勘弁しといてやろう。
オレの怪我を治療してなかったら代金請求して、払えなかったら身ぐるみ剥いで放り出してたところだから、十分穏当だと言えよう。
「む、う、うむ。わかった。覚悟めされよ、フランシスカ殿」
「ふ、ふぇぇっ!? た、助けてあげたじゃないですかぁ!」
「困っている方や傷つき倒れる者を助けるのは当然のことですから!」
先ほどフランシスカが言った言葉を一言一句違わず言って見せる。
「で、でもでも、本当なら治療にはお金が要るんですよっ! それで貸し借り無しと言う事で!」
「じゃあ金払うから殴らせろ」
「だ、だめですっ! 修業中の身ですから多額の金銭は受け取れませんっ!」
「無償で助けてくれるなんて素晴らしい神官様だな。金は払わなくていいらしいから遠慮せずガツンといけ、リン」
「分かった」
ぐっ、と拳を握りしめてリンが一歩フランシスカに近づく。
そしてフランシスカが立ち上がって後ずさる。
「何、一発だけだ。ちょっと我慢すれば済む」
「嫌ですようっ! だってリンさんの拳骨すごく痛そうですもんっ!」
「母上直伝の拳骨は痛いぞ。頭が割れるかと思うほどだ。実際、母上は岩を拳で割るから、やろうと思えば割れるのだろうな」
久しぶりにリンのお袋さん自慢聞いた気がするけど、聞けば聞く程にお袋さんの想像図が怪物になっていく。
「さぁ、覚悟!」
「ふぇええんっ! いやですぅーっ!」
走り出したリンとフランシスカ。
鍛えているリンの足は速いが、獣人は元来からして肉体のポテンシャルが普通の人間より高い。
運動は不得意そうだが、その恵まれたポテンシャルでフランシスカは何とかリンから逃げている。
場所が森の中だと言うのも好都合のようだ。獣人は本能的に森や山の動き方を心得てるらしいし。
追いかけっこは暫く続き、やがてバテてしまったフランシスカがリンに拳骨される事で終わった。
その後、めそめそと泣き出してしまったフランシスカを慰めるのに苦労したのは余談だ。