オレは、ねーちゃんだからな
討魔の拳が迫る。
その拳をオレは横に飛ぶことで回避し、がら空きの胴体へと力いっぱい剣を振りぬいた。
肉に剣が食い込む手ごたえ。そして途中硬いものに激突するが、それも砕き、剣は反対側へと通り抜けた。
「え?」
討魔の上半身が地に転げ、下半身もまたバランスを崩して地に転げる。その討魔の肉体はすぐさま血膿となって地面に吸い込まれていく。
なんとも、至極あっさりと倒せてしまった。見た目は人間よりもずっと強そうだったのに、反応は鈍いし動きも遅いし、そもそも防具自体が柔かった。
「なんだこいつ、弱いぞ?」
「足軽は大した脅威ではない。束になって来ても何ら問題なく倒せる」
言いつつ、リンが走り出す。
慌ててその後に追随し、すぐにリンに並走する。
「じゃあ、なんだって逃げる必要があるんだよ! あの程度大したことねーんだろ!」
「討魔は、そもからして現世の住人ではなく、幽世の住人だ。幽世の住人である彼奴等は仮初の肉体を通じてこの世に働きかけている。その肉体を滅ぼした所で意味は無いのだ」
「肉体が滅んでんなら動きようはねえだろ?」
「そう簡単にはいかん。肉体を破壊したとて魄は破壊できん。魄が残っていれば新たな肉体が創られる」
「つまりは倒しても復活するってこったな!」
「ああそうだ!」
それはまた何ともクソッタレな話だ。
倒しても倒しても死なないとは。
正確に言えば蘇るのだろうが、結局のところ死なないのと何も変わりはない。
無限に蘇る相手と、怪我をしたら治るのに数日かかる人間じゃ、結果なんか見えてる。
「加えて言えば、奴らの力の強大さは魄の量に応じる。あの数の足軽の魄が集えば、私達ではどうにもならん! 共食いを行わない事を祈る他無いぞ!」
「ああそりゃまたヘヴィな話だ!」
「またヘヴィって言ったな! お前の荷物はそんなに重いのか!」
「言葉の綾だチクショー!」
悪態をつきながらオレとリンは森を駆け抜ける。
背後からは足音の類は聞こえてこない。
だが、相手がどんな力を持っているかわからない以上、そう油断する事は出来ない。
奴らから逃げ切るまで、必死で走る。今すべきことはそれだ。
ふと、目の前が歪んだ。疲労によるものかと一瞬思い、直後にその考えは捨てた。
歪みは酷くなり、それは渦巻くようにして凝り、次の瞬間には先ほど見た足軽と同じようなものが現れていた。
「くっ……異界が形成され始めている……まずいぞ!」
鎧袖一触。走り抜け様に足軽はリンの手によって切り捨てられ、目の前を塞ぐものを切り裂いて進む。
オレも同様に右手に持っていた剣を振るって足軽を切り捨てつつ、リンに遅れないよう走り続ける。
「異界ってなんだ!」
そうして、おおよその足軽を切り捨て、走る事に集中できるようになった段階で疑問を尋ねかける。
「幽世の住人が現世に干渉する事で生まれる空間だ! 詳しくは知らんが長居すれば精神に異常を来たし、死ぬ!」
「そいつはまた、くそったれ過ぎる!」
「とにかく走れ! 完全に異界化する前に脱出出来なければ、異界を形成している者たちを始末するまで出れん! 異界になれば、討魔の力は更に増す! もうどうにもならんぞ!」
「ふざけてやがる!」
討魔は殺しても死なないと聞いた。それじゃあ、異界化とやらが完了したら、オレ達の死は確定するってことになる。
なんてクソッタレな話なんだ。ヘヴィにもほどがある。
そもそも、一体どこまで逃げればいいのか。あの木を越えた先か? それとも森を抜ければいいのか?
どれだけ走ればいいんだ。ああ、クソ。
そう思った直後に小川が見えた。その小川を飛び越えようとした時、何かに体全体でぶち当たった。
全力でぶち当たってしまった為に、身体全体がイカレてしまうような衝撃が走った。
一体何が起きたんだと混乱する頭で起き上がってみれば、やはりそこには何もないのに、確かに何かがある。
小川と陸地の境目に、壁がある。
触れてみれば柔らかいように思えるのに、強く押せばそれは強い反発で押し返してくる。
まるでゴムのような、見えない壁が存在している。
「なんだこれ……なんだよこれ!」
剣で斬りかかって、即座に無駄と悟る。簡単に弾き返されてしまう。剣で斬るのは不可能だ。
少しでも何か分かるだろうリンに顔を向けてみると、オレと同じように壁にぶつかっていたリンが座り込んでいる。
「おい! これはなんなんだ! 何が起きてんだ!」
「境界だ……小川は、結界の境目としても用いられる……異界の境界だ、これは……ここは、もう……異界化している……出られない……」
呆然と、失意に濡れた声でリンが呟くように語った。
その内容を理解するまで、暫く時間がかかった。
ここから出られない。たったそれだけの簡単な事実を理解するのに、軽く一分はかかっただろう。
「なんだよ……それ……」
やっと理解して、言えたのはそれだけ。
ここから出られないだなんて、そんな馬鹿な。嘘だろ。冗談だろ。
ああ、そうか、冗談なんだ。
リンは冗談なんて言わない奴だが、こういう状況になったら冗談の一つくらい言いたくなるのかもしれない。
ああ、冗談だってのなら仕方ない。後でたっぷりとお仕置きしてやるが、それよりもここから出るのが先決だ。
そんな都合のいい夢想が勝手に紡がれてしまうほどにそれは認めがたい事実で、そして続くリンの言葉が甘い夢想を粉々に打ち砕く。
「ここはもう異界だ! 出られないんだ! もう出られない! どこにも行けない! 帰れない! ここで死ぬんだ! 私達は!」
「ふざっ……ふざけんなよっ! なんでだよ! どうしてだよ!」
「でられないんだ! 仕方ないだろう! ここはもう異界なんだ! 出られないんだ!」
「ふざけんなよぉっ! お前の所為じゃねえか! ここに行きたいって言ったのはお前のせいじゃねぇか! 責任とってなんとかしろよ! ここから出せよ! オレを元の場所に帰せよ!」
「私だって、でたい! けどでられないんだ! もうでられないんだ! 帰れないんだ! そんなのはいやだけど、でられないんだ! ニーナこそなんとかしろ! お前がリンをここまでつれてきたんだ! おまえこそリンを元の場所にかえせ!」
そういって、リンが泣きながら怒鳴った。
その頬に流れる涙を見た時、脳天を殴りつけられたような衝撃を覚えた。
何をやってるんだよ、オレは。
無様だ。こんなみっともなくリンに怒鳴りつける自分が。この状況が。
分かってる。リンにこの状況を何とかする力なんてない。
リンだけが悪いわけじゃない。ここに来る事を受容したのはオレだし、オレも追随して来たのだから。
道に迷うのは困るだなんて理由をつけていたけど、結局のところオレだってあの夢の事は気になっては居たのだ。けどリスクを天秤にかけて行かないと決めた。
だからこそリンが来たいと言ったのに便乗して来た。
何かあったら、リンに責任を押し付ける為に。
ダセェ。ダサ過ぎる。無様過ぎる。情けなさ過ぎる。汚い奴だ、オレは。
本当に、何をやってるんだよ、オレは。
相手は、子供なんだぞ。幾ら今のオレと同年代でも、本当は違うだろうが。
オレには、前世の記憶があるんだから。
たとえ、平和な日本でぬくぬくと暮らしていた奴の記憶でも、オレにはリンの倍以上生きてたって自負があるだろうが。
だったら、オレが何とかしてやらなくちゃならない場面だ。
それなのに、その子供に責任を押し付けて、自分の都合を喚き散らして、どうするっていうんだよ。
何にも起こらないだろうが。ここから出られるワケじゃないし、都合よく助けが来るわけもない。
喚いてたって、何も始まらないんだ。
そうだ、ここに来る事を決めたのは、結局はオレの意思なんだ。
ここにオレが居るのは、オレの責任なんだ。
なら、自分のケツは自分で拭う。
「何やってんだよ、本当に……オレは……」
自分のことを殴りつけたくなりながらも自分の顔を上手く殴るのは難しいので保留しておく。
今すべきことはこの異界から出る事であって、マゾヒズムの探究ではないんだ。
「リン、悪かった。後で幾らでも謝る。だから今はこの状況を何とかするのが先だ」
オレはリンに頭を下げた。少しでも知恵を借りるために。何よりも、本当に申し訳ないと思ったから。
無様に怒鳴りつけて、勝手に責任を押し付けて。そんな真似をして、そう簡単に許されるわけがなくても、オレは謝りたかった。
「できない! そんなのできない! リンはしらない!」
けど、だめだな、これじゃ。今のコイツは役に立たないだろう。知恵を借りるのはほぼ確実に無理だ。
なら、自分で考え出すしかない。既にリンが言っていた情報を思い出せ。
この異界から出る事はもうできない。なら、この異界を形成してしまっている奴を倒すしかない。
討魔は殺しても復活すると聞いた。それは真実なのかもしれない。
だが、殺したとして、すぐに復活するのか。異界は維持され続けるのか。
幾らかは力が減じるんじゃないか。それを繰り返せば倒せるんじゃないか。
それは希望的観測を含んだ、いわゆる都合のいい考えってやつだ。
けど、今はそんなものにでも縋りたい。いや、そんなものにでも縋らなくてはならない状況なんだ。
「リン、ここで待ってろ。自分の身は自分で守れるな?」
「やだ! いやだ!」
「子供じゃねえんだか……って、子供だったな。聞き分けのないお子様だな、ったく……」
ため息をつきつつも、オレは立ち上がる。
少なくともリンは未だに刀を握っている。捨てるつもりはないと言う事だ。なら、まともに振れなくとも多少身を守るくらいは出来るだろう。
本当に生死がかかれば十分後に死ぬとしても、目先の死を回避しようとするはずだ。それを信じるしかない。
「リン、いいか。これからもしかしたら異界化が解けるかもしれない。そうなったらお前はすぐに逃げ出せ。いいな?」
「……わかった。すぐ、にげる」
涙を手で拭いながらリンが頷く。
あーあー、折角可愛い顔してんのに、涙と鼻水でべしょべしょじゃねえかよ。
ポケットから布切れを取り出して、それでリンの目尻と頬を拭いてやると、だいぶマシな顔になった。
「ほら、鼻かめ」
そういった直後、言われた通りにリンが鼻をかんだ。それはもう豪快に。
見事に鼻水塗れになった布切れの汚れてない部分で鼻にこびり付いている鼻水をふき取り、布切れは投げ捨てた。流石に洗って使おうとは思えん。
「さて、オレは行ってくる。いいか、リン、そこの壁が消えたらすぐに逃げるんだぞ」
「……わかった」
少しは冷静になって来たのか、先ほどよりは落ち着いた声でリンが頷く。
「……なにをするつもりなんだ?」
「親玉をぶちのめす。もしかしたら少しの間は異界化が解除されるかもしれないからな。なに、倒せたらオレもすぐに逃げる。オレに任せとけ。何しろオレは……そう、お前よりも年上で、ねーちゃんなんだからな」
そういって、リンを安心させるようにオレは笑った。
そして、しっかりと剣を握り直して走り出した。
森の中を駆け抜けながら、静かに考える。
もしかしたら、死ぬかもしれない。
それは何もしなくても同じだろうけど、これはみすみす死にに行くようなものだろう。
何しろ、相手は不死身のバケモノと来た。対するこちらは八歳のガキンチョで、少々ばかり力は強いが、別に特殊能力なんか何もない。
誰に聞いたって勝ち目なんかゼロだっていうだろう。
もしも賭けの対象になるとしたら、大穴狙いの馬鹿や、ロリコン気味の奴が応援の意味を込めて賭ける以外はロクに掛け金が集まるまい。
オレだって不死身のバケモノに賭ける。普通はそうする。誰だってそうする。
大穴狙いをするなら少ない掛け金で当たったら御の字、外れても少額だからまぁいいや、の考えで挑むだろう。
だが、この場ではそうはいかない。何しろチップはたったの一枚。オレの命と言うチップしかない。
もちろん、負ければチップは取られる。
ドローでもチップは一度親が回収して次の配当に回されるから、次の賭けに挑むチップが無ければ自動的にオレの負け。
しかも、ふざけた事に、そのチップにはリンの命までも含まれている。
だから、勝たなくちゃならない。
オレが勝たなければオレもリンも死ぬ。
勝てば、きっと二人で生きて帰れる。
そう、きっと生きて帰れるはずなんだ。
だから、迷わない。絶対に生きて帰る。死にたくなければ、必死扱いて戦うしかないのだから。
「分の悪い賭けなんて、大っ嫌いなんだけどなぁ!」
そう叫んで、オレは共食いによって生まれたのだろう、四メートルにも及ぶ途方もない巨体を誇る討魔へと挑みかかって行った。