嫌な予感
夢を見ていると自覚出来たのは何故だろうか。その理由は分からないが、オレはこの状況が夢であり、またこの夢がオレの夢でないことを直感していた。
淡い、淡い夢だ。
確かにそこにあるのに酷く不確か。
まるで幻灯機で映し出された古い映画のようだ。
夢の内容は至極詰まらないものであったと言える。
人々が生きていき、そして死んでいく。
その死は時に不幸な事故であったり、天命であったりした。
それと同じように、人は生まれていく。父親と母親の間で紡がれた愛が形を成し、この世に生まれ落ちる。
そんな風に繰り返されていく、一つの村の情景。
それは途方もなく平和で、だからこそつまらなくて、それ故に尊い。そんな夢。
昨日と変わらない今日が訪れ、今日と変わらない明日が訪れるのだろうという確信の下での日々。
しかし、そんな日々はやがて打ち砕かれる。
村は焼かれ、住まう者たちは殺されていく。抵抗する者は無論のこと、戦う術を持たない子供ですらも、誰も彼も容赦のない皆殺しだ。
やがて村に動くものが何一つとして存在しなくなり、村は滅んだ。
だが、村に住んでいた者たちの想念と魂が残った。
無念、怨み、憎悪、憤怒。そんな負の感情が渦巻き、また同時に同胞の死を悼み、慈しむ心もまた渦巻いた。
その想いと魂がやがて一つの塊を生み落し、それはこの世に生まれ落ちた。
生まれ落ちた者は己を生み出した者たちを滅ぼした者たちとの戦いに身を投じた。
永く、辛く、苦しい戦いだ。
幾つもの出会いと別れ。その戦いに身を投じ続ける理由は、使命に殉じているわけではない、ただ生まれ落ちた理由に従っているわけでもない。
それは義憤と言えるものだろう。
自分を生み出した者たちの無念と、抱いていた想いを分かち合ったために。
滅ぼされた者たちは異界に住まう破滅の軍勢等に抗い続けたまつろわぬ民であった。
人々の暮らす世界を愛していた為に、人知れず世界を守る戦いに身を投じていた者たち。
その尊い想いに感銘を受け、自身もまたその使命に生きた。
そうして、その戦いは今もまだ、続いている。
目が覚めた。
足先の冷たさと、身体の上の重さを感じつつ、オレは自分が昨日寝入った場所と同じ場所、森の中の開けた場所に寝ている事を確認する。
やはり、あれは夢だったのだろう。
「さむ……おも……」
オレに圧し掛かっているリンを横に転がしてから、オレはそっと起き上がる。
冬の足音も近づいて来た秋晴れの朝は寒々しくも清々しい。
深く深呼吸して肺いっぱいに冷たい大気を吸い込めば、あっという間に眠気も消えた。
「変な夢だったな……」
言いつつ、未だに火のついている焚火に薪を投入して火を強める。
そして火から降ろしておいた昨日の夕飯の残りが入った鍋を火にかける。
朝食は一日の活を得るためのものであると同時に、睡眠中に低下した体温を取り戻すためのものでもある。
そのため、朝食に摂るのは昨日の夕飯の残り……と言うよりは、昨日の夕飯を朝食用に残しておいたものを食べる。
それとは別にドライフルーツと堅焼きの黒パンを食べる。何がしかジャムがあればもっとよかったのだが、あいにくと時期ではなかったので売っていなかった。
「はぁー……寒いなクソが」
火にガンガン薪をくべつつ悪態をつく。今日は尚更寒い。昨日と比べてみると、かなり気温は下がっているだろう。
朝方リンがオレにべったりくっ付いて寝ていた辺りからもそれは伺える。
オレもリンも未だ幼女の範疇なので体温が高く、くっ付いてると非常にあったかいのだ。そのためか、朝になってみるといつの間にか抱き合うくらい近くで寝ていることが多い。
まぁ、夏なら互いに蹴り飛ばしていそうだがな、などと思いつつ、オレは朝飯のスープがだいぶあったまったのを確認してから、小さめの鍋に水を注いで火にかける。
量が少ないので水は大してかからずにお湯になり、暖かい湯気を立て始める。
お湯が沸いたのを確認してからオレは金属製のコップに黒い顆粒を幾らか放り込んで、それにお湯を注いだ。
すると黒い顆粒はお湯に溶けて香しい香りを放つ液体に早変わりする。
まぁ、いわゆるインスタントコーヒーと言う奴だ。
「うーん、マンダム。なんつって」
ふざけた事を言いつつ、そのインスタントコーヒーをちびちびとやりつつ身体があったまるのを待つ。
この世界にインスタントコーヒーがあると知ったのは驚きだったが、なんでも魔法を使って作っているらしい。
コーヒーを一瞬で凍結させた後、それに圧力をかけて作るそうで、一瓶で金貨四枚もする高級品だ。
節約すべきだとは思ったのだが、これくらいの嗜好品は許されるだろうと思ってつい買ってしまったのだ。
酒や煙草は買っていないから、まぁトントンと言ったところだろう。
そうしていると、コーヒーの香りでリンが目を覚ます。これが旅立ってからのお決まりの風景だ。
「おはよう、ニーナ」
「おう、おはよう」
リンは寝起きがいい方らしく、目を覚ましたらすぐに柔軟運動を初めて、暫く素振りをする。
オレもそれに倣って、デリックに教わった剣の振り方を確かめるように素振りを行う。
本当に基本しか習っていないので、やれることは少ないのだが、まぁやって損は無いのでやっておく。
運動をすれば身体も大分温まり、お腹も空いてくる。そうした時間になったら、暖めておいた昨日のスープで朝食にする。
「ところで、妙な夢を見たが、ニーナは何か見なかったか?」
「あん? 夢?」
拷問に使えそうなくらい堅い黒パンをスープでふやかしていると、唐突にリンが尋ねかけてくる。
その問いかけで思い出すのは、今朝に見たあの夢。
見知らぬ村で人々が暮らし、その平和が破られ、全ての人々が死に絶え、そののちに生まれた奴が村を滅ぼした奴との戦いを始める夢。
「私が見た夢は、恐らくは鬼族の村が討魔に攻め滅ぼされ、何者かが討魔との戦いに赴く光景であった。お前も見たか?」
「その前に討魔ってなんだ」
「そうか、シェンガ以外ではなじみが薄いか……。討魔とは具体的に何者かはわかっていないが、世に生きる全ての生命に仇なす者等の事だ」
「妖怪か?」
「妖怪ともまた違う。討魔は名の通り、全てを討ち滅ぼす。そこに人間、畜生、妖怪の区別は無い。そして意志疎通すらも不可能だ」
妖怪は別に居るのか。いや、そもそも妖怪が居るのか。まぁ、今はどうでもいい。
「まぁ、概要はわかった。たぶん、オレが見た夢もそれと同じ夢だ」
「そうか……であれば、あれは何らかの警告かお告げか?」
「オレには何とも言えんな。嫌な感じはしなかったが」
言いつつ、スープでふやかしたパンを腹に収め、残るスープも飲み干す。
腹もくちくなった所で食器を【サモン・ウォーター/召喚水】で軽くだが洗い流す。
あの夜には殆ど分からなかったが、オレの魔力は結構多い方なのだが、それでも早々魔法を連発出来る程に多くはないらしい。
【フレイムスロワー/火炎投射】なら二十発、【サモン・ウォーター/召喚水】なら十五回も使えば魔力は空っぽになる。
そのため、出来るだけ量は節約する。まぁ、【サモン・ウォーター/召喚水】一回分くらいなら、十分と経たずに回復するので、そこまでカリカリする事はないのかもしれないが。
「何故かはわからないが、私はあの村を探した方がいいと思うのだ。いや、ただの直感ではあるのだが……」
「行かなきゃ拙いのか?」
「行かなくてはならないわけではない。だが、放っておいて進むというのも気が進まない」
「ふむ……」
正直、何が起きるか分からない場所に突っ込んでいくのは反対だ。しかし、オレはシェンガへの道が分からず、リンを置いて行ってオレだけが先に進めば野垂れ死ぬ可能性もある。
特段急ぐ旅と言うわけでもないので、危険でなければ行っても構わないのだが、確実に安全と言う事は出来ない。
さて、どうしたものか。
「いや、すまない。忘れてくれ。今の私の役目は旅の先導だ。足を止める程の事でもない」
「そうか?」
「うむ」
とは言うものの、リンの挙動はあからさまに不審だ。行かないと決めて数秒と経っていないのに貧乏揺すりを始め、きょろきょろとあちこちを見回している。
「さて、食事も摂った。道はまだ長い。行くとしよう」
「ああ、そうだな」
食器をひとまとめにして袋に放り込み、その袋を背負い袋に放り込んで立ち上がる。
そして剣と革鎧を身に着け、履いている靴の紐をしっかりと結び直したら出発だ。
そして、歩き始めて数分と経たずにオレのイライラは最高潮に達していた。
なぜイライラしているのかと言えば、リンがうざい。
数歩歩いては後ろを振り返り、爪を噛み、落ち着き無く刀の調子を確認したり。とにかく見ていて鬱陶しい。
最初の数分は我慢していたのだが、度々こっちを何か恨みがましいような目で見てくるのが鬱陶しくてたまらない。
そして、オレはため息をつきながら決断を下した。
「リン、引き返すぞ」
「え? 何か忘れ物でもしたのか?」
「違う。村を探しに行くぞ」
「村? あの夢の村を探しに行くのか!」
「ああ、そうだ。探しに行きたいんだろ」
ああうぜえ。
「ほら、そうと決まったらさっさと引き返すぞ。幸い殆ど進んでねえからすぐに戻れる」
「ああ! では行くとしよう!」
そういってリンは走り出す。
そんなに遠くまで行ってないんだから、走るほどの距離でもないというのに。それほどまでにあの村を探したかったのだろうか。
なんとなく出発した事に対し、悪い事をしてしまったなと思いつつも、オレはリンの後を追って走り出した。
ほんの数分で昨晩野営した場所まで戻り、オレとリンはあの村の探索を開始した。
当てもなければ目印も無い。まさに暗中模索と言わんばかりの探索なのだが、リンは一切の迷いなく突き進んでいる。
「おい、リン」
「うん? なんだ?」
「お前、何処に向かってるんだ?」
「分からん。適当に歩いているからな」
剣を抜いて斬りかかりたくなる衝動に襲われたが、そんなことしても何の解決にもならないので我慢した。別に返り討ちになるだろうから堪えたわけではない。
ここでリンを斬り殺したらシェンガへの道案内が消えるし、道中の護衛兼仲間も消える事になる。それは避けたい。
とは言え、いつまでリンの好きにさせてやるか……と思った直後、歩いている森が開けた。
野営した場所とは開け具合が異なり、それこそ村一つが簡単に収まる程に広い。
しかし、そこに村のようなものは無く、ところどころに元は家の土台だったのだろうか、土がいくらか盛り上がっているのが伺えるだけだった。
「ここがあの村か?」
「……恐らくそうだろう。あの光景はよほどの昔だったのだろうか……」
「どうだろな、森の中だから、家は簡単に朽ちるだろうしなぁ……」
それに、あの夢の光景が確かなら村は焼き払われはしなかったが、家は殆どが打ち壊されていた。
打ち壊されれば家が瓦解するのを待つ必要も無く、土中の微生物が建材を分解してしまうだろう。
ここらの建築様式なのか、家には殆ど石材が使われず木材で賄われているし、村としての体裁を無くすにはそれほど時間はかからないだろう。
とはいえ、それでもかなりの年月が経っているはずだ。最短でも、十年単位の時間が流れているだろう。
もうここには村としての価値は無い。ただの森の中の広場でしかない。
「気は済んだか?」
「……ああ、すまなかった。私のわがままで旅程を遅らせてしまった」
「別に一日二日の遅れでもないから気にするな。どうせ気儘な旅だろ」
どこか沈んだ様子のリンを励ますように、勤めて気楽な風に言う。
確かに残念ではあるが、既に住む者も居ない村がこうなるのは自明の理だ。
仕方ないと言えば仕方ない結果なのだから、割り切る他にない。そもそも、何故ここに来たのかもわかってないのだから。
「んで、お前はなんでここに来たかったんだ?」
「わからない。だが、ここに来なくてはならないと直感した」
「ふむ……まぁいいや。本当に進んでも大丈夫なんだな?」
「ああ、もう大丈夫だ。気は済んだ」
確かにリンの様子から挙動不審さは消えている。本当に大丈夫そうだな。
ならさっさと旅を再開しよう。そう思った直後、オレは嫌な予感に襲われた。
いや、それは予感ではなかったのかもしれない。
本能とか、直感とか、あるいは第六感とか。そんな何かで感じた、嫌な気配に対する警戒だったのかもしれない。
「おい、リン」
「ああ。何か、居る」
リンも気付いているのか、その左手に常に握られている刀の鯉口を切り、すぐにでも抜刀できる体勢を整えていた。
オレもまた同様に背負っていた剣を抜いて、それを静かに構える。
正直、何が起きるか分からないが、それでも剣を抜いていないよりはいくらかマシだろう。
相手が人間だったら謝ればいいだけの事だ。まあ、こんな嫌な予感をさせる相手が人間だとは思えないが……。
静かに警戒をしているうちに、次第に感覚が研ぎ澄まされていく。
森の中を何者かが走る足音が聞こえてくる。数は、多い。一人でもないし、二人や三人でもない。
十人には届かないだろう、そんなことくらいしか分からないが、相当に拙い状況だ。勘違いであって欲しいとすら思える程に。
「何人か分かるか?」
「……六、七、八。八人以上は居る。十には届いていないだろう」
リンもまた同じように察知していたらしく、オレの勘違いであるという線は消えた。
正直、すぐにでも逃げ出すべき状況だ。相手は少なくともこちらの倍の数なのだから、まともに相手出来るわけがないのだから。
しかし、迫りくる足音は全方向から聞こえる。完全にこちらを包囲して、その包囲網を狭めてきているのだ。
そういった場合は一方向から突破するのがセオリーなのだろうが、そうするにしても、狭い森の中で乱戦状態になってしまう。
相手は森の中を完全に知り尽くしているだろうし、森の中での動きも熟知している。
オレは森や山歩きの経験は深いが、戦闘を主眼とした動きなんか身については居ない。
そうであるなら、包囲される危険性を冒してでも平地で開けた場所に陣取る他にない。
リンもそう結論づけたのか、動く様子はない。
「ニーナ、敵が姿を現したら、一方向の敵をすぐさま倒してそこから逃げるぞ。囲まれれば多勢に無勢だ」
「分かってる」
そうして静かに警戒を続け、やがてその足音の主が広場に踏み込んで来た瞬間、オレは立ち込める血臭に吐き気を催した。
足音の主は戦国時代の足軽に似ていた。そう、あくまで似ていた。
服装は薄着と言うか、胴体と頭以外には殆ど防具は無く、その防具に覆われた肉体は筋骨隆々であった。
それだけに防具が無い事が目立つ。もう少し防具があれば、まだ人間に見えただろう。
なにしろ、そいつらは人間ならば誰でも持つ防具である皮膚すらも無かったのだから。
そいつらは筋肉が剥き出しだった。
兜に隠れた頭部は普通ならば伺い知れないのだろうが、背の低いオレ達にはその顔がよく見えた。
その顔は、肉のこびり付いた白骨だった。
筋骨隆々の肉体に白骨の頭部。あからさまに人間ではなく、筋骨隆々なゾンビとでもいうべきだろうか。
そんなバケモノが現れ、オレ達の前に立ちふさがったのだった。
「討魔か……!」
リンの憎々しげな声が耳朶を打った。その意味するところを理解した時、オレの目の前の奴らが、あの村を滅ぼした存在なのだという事に気付いた。
「こいつらが、討魔……」
そう呆然と呟いた直後、そいつらはオレ達へと襲い掛かってきた――――!