そして冒険が始まる
デリックの家に戻ったら、唐突にデリックが家から飛び出してきた。
そして辺りを見回し、どこかへと走り出そうとする。
「おーい、誰か探してんのか?」
まぁ、それはオレだろうけど、と思いつつも走り出したデリックの背中に声をかける。
「あ、ああ! ニーナを……って、何処行ってたんだお前は!」
「ああ、散歩」
声をかけたのがオレだと気付いたデリックがとんでもない勢いでオレに詰め寄ってきた。
「このアホ! 心配したんだぞ!」
その言葉と同時、オレの頭に拳骨がお見舞いされた。
「いでぇっ! 拳骨するこたぁねえだろ!」
「早々に出歩くようなバカにはこんくらいしなきゃならん!」
「あーはいはい! それはオレが悪かったよ!」
「ったく……本当に心配したんだからな」
「え、あ、うん。いや、その、ごめん」
んだよ、いきなり本当に心配そうな顔すんじゃねえよ。思わず素直に謝っちまったじゃねえか。
「それで、お前、何処行ってたんだ」
「ああ、なんかオレに用があるってやつが来てそいつと話してた。背中の火傷に効く薬をくれてさ、これが効いてなぁ」
「そうか……」
「あん?」
なんでまたそんな随分と悲痛そうな表情を。背中に大火傷を負ったから……って感じじゃねえな。
「いや、少し話がある。まぁ、中に入れ」
「ああ、分かった」
言われた通り、デリックの後をついて家に入る。
テーブルに突っ伏して寝ていたリウィアの姿は既に無い。部屋に戻ってベッドで寝てんのかね。
そう思いつつ、テーブルについたデリックの対面の席に着く。
「あー、そうだな……色々と聞きたいこともあるだろ? まず、お前から質問してきていいぜ」
「んじゃお言葉に甘えて。まず、あの半魚人どもは?」
「シー・デヴィルどもは逃げ帰った。恐らく親玉が倒されたんだろうよ」
「そうか……んじゃ、次。あれから何日経ってる?」
「まだ一日だ。いや、お前が怪我を負って治療を施してから一日中寝てたから、二日か」
「丸一日寝てたのか……」
まぁ、そのくらいで済んでよかったと考えるべきか。
「じゃあ、オレが背に火傷を負ったのはなんでだ?」
「あの狼が呪文を使いやがった。まさか、あんな隠し玉を持ってたとはな……お前の背に【フレイムジャベリン/火炎投槍】が直撃したんだ」
「なるほどな……」
まさか、あんな獣が魔法を使えるとは……武器が牙だけだと侮ったオレが馬鹿だったってことか……。
「オレが聞きたいのはこれで全部だ。で、お前の方にも話があるんだろ?」
「ああ……まず、背中の傷は高位の神官なら傷痕も消せるそうだ。腕の傷の方は、背中を治療するのに手一杯で神官の魔力が切れた」
「そうか」
感染症を起こしてるとかって感じでないのはわかってたから別にいいが……しかし、高位の回復魔法の使い手になると傷痕すらも消せるのか。形成外科要らずだな。
「……そしてだが、闘技場は、お前を解雇する事を決定した」
「は?」
いったいどうしてそうなる? なぜ? と思って、解雇される理由に気付いた。
「背中の火傷か……」
「ああ……」
背中の傷は恥ずべき物であるという考えがバルティスタ共和国にはある。
正々堂々と戦ったのなら傷は正面につく。背中に傷があるということは、逃げ出した背中を斬られたということだ。
そして、それを隠すために背中にわざわざ火傷を負うという手法もある。
オレの背の傷は火傷で、それは背中全体に及ぶ程の大きさだ。刀傷を隠したにしろ、単純に火傷を負ったにしろ、それは結局敵に背を向けた証明になる。
剣闘士として、そして小さな勇者という評判を持っているオレにとって、それは致命的な悪評となる。
やもすれば、闘技場に押し寄せる観客が減る要因になりかねない。
オレが傷を負った経緯を話したとして、それが虚偽ではないと証明する事も難しいのだから。
それらを勘案した上で、闘技場はオレを切るという結果を選んだのだろう。
「とはいえ、そう簡単にはいそうですかって頷けるもんでもないだろう」
「ああ、まぁな」
別に剣闘士を止めさせられること自体は構わないとは思っているが、話を合わせておく。
世の中にはゴネ得という言葉だってあるのだ。まぁ、向こうは元から謝罪するつもりだったろうからゴネる必要も無さそうだが。
「手切れ金の金貨三百枚と、木剣だ」
そういってデリックが金貨が詰まっているのだろう袋と、木製の剣を机の上に転がした。
「木剣? 貰っていいのか?」
剣闘士にとって木剣は特別な意味を持つ。剣闘士にとっての木剣とは、無事に幾つもの戦いを乗り越えて引退したことを証明する証なのだ。
「お前は二回興行をしたからな。元々木剣を与えるのは主催側の意志か、観衆の意志による。主催側が構わんと言ってるんだから構わんだろう」
「そうか……」
とはいえ、こんな木剣貰っても仕方ねぇな……と思って持ち上げたところで、自分の名前が刻まれている事に気付く。自分の名前を刻印するとは知らなかったな。
「金はありがたく貰うけど、木剣は持ってても邪魔になるな……」
故郷に送ればいいのだろうけど、故郷の場所もわからないんでは送りようがない。
「悪いけどこの木剣預かっててくれねぇか?」
「おお、そのくらいなら構わんぜ。いや、部屋も余ってるし、お前の部屋を用意してやるよ。暫くそこに住めばいい」
「え、いいのか?」
闘技場……というよりは、興行主に解雇されたオレの居場所は無い。そういえばオレの持ち主だった興行主にあった事すらないな……まぁいいや。
要するに、オレは剣闘士を引退すると同時に、住所不定無職処女のニーナになってしまったわけだ。
そこで住所を貸してくれるというのは願っても無い申し出だった。
「なんか世話になってばっかりでわりぃな」
「なに、先行投資ってやつだ。お前はぜってぇビッグになるぜ。その時になったらメシでも奢ってくれや」
「オーケー、任せとけ。皇帝だって喰えないような豪華なメシを喰わせてやるぜ」
「はっはっは、楽しみにしとくぜ」
要は、パトロンになってくれるという事だろう。この場合は保護者になってくれるという奴だ。
なら、オレはそれに対してデカイ人間になる事で恩を返せるってわけだ。
だったらなってやろうじゃないか。デカい人間ってやつに。
その時になったら、本当に皇帝だって喰えないようなメシを喰わせてやる。
「とはいえ、これからどうすっかなぁ……」
とりあえず、住居は問題ない。生活費も問題ない。今のオレの所持金は金貨四百枚とちょっと。これはかなりの大金と言っていいだろう。
何しろ水夫の日当が銀貨二枚であり、喰っていくだけであれば一日に銅貨三枚程度の収入があれば十分に食いつないで行ける。
要は銀貨二枚もの日当が貰える水夫は毎日腹いっぱいメシを喰った上で酒を楽しんだり、時には女を買って愉しんだりと言ったことが出来る高所得者だ。
オレの現在の所持金は水夫の日当にして二千日分となる。少なくとも五年や六年は遊んで暮らせるということだ。
だが、その後が無い。
バルティスタ共和国に於いて女の働き口は殆ど無いだろう事は予想出来ている。だって女が働いてるところ見た事ないし。
強いて女の働き口を上げろと言えば、娼婦と給仕くらいなもので、女剣闘士なんかは笑い物の類に入る。
もしかしたら他に何かあるのかもしれないが、大抵の女は結婚するものだし、バルティスタ共和国の自由民には無料で食料が与えられるので、一人で生きていくだけなら無理ではないのだ。
しかし、オレは剣闘士はもうやっていくことが出来ないだろうし、娼婦は願い下げ。そして自由民ではなく解放奴隷であるからして食料の配給は無い。
残された給仕という職業はそもそもからして働き口自体が滅多にない。
「やっぱ……冒険者かな……うん、それしかない」
残された選択肢はおそらくそれしかないだろう。加えて言えば、冒険者となればオレの目的の多くは達することが出来る。
この世界のまだ見ていないもの、知らないものを探索する事が出来る。
オレの故郷もそのうち探し当てることが出来るだろう。
金だって、成功すれば幾らでも手に入る。そして、冒険者となればオレは強くなれる。強くなればなるほど、死が遠ざかる。
だが同時に冒険者とは多くの危険があるものだ。
それらを天秤にかけた上でも、冒険者になるべきだろう。何しろ他に仕事が無いんだから。
死にたくなければ、強くなる。強くなるには危険を冒すしかない。死中活あり、だろうか。なんか違う気もするが。
「とすっと、まずは武器と防具……それから食料、衣類……かな」
金貨四百枚で足りるといいんだが。
「冒険者か。どこに行くつもりなんだ?」
「ああ、まずはシェンガに行ってみる。途中で故郷を見つけられればよし。見つけられなくても、まぁいいさ」
「なるほどな。ギルドには登録するつもりか?」
「めんどくせぇからしねぇ。金も心許ないしな」
この世界にも冒険者ギルドはあるが、あいにくとファンタジーによく出てくるようなギルドではないとデリックに聞いて知っている。
冒険者ギルドは冒険者の相互扶助組合であって、依頼の斡旋もしてなければ新規の冒険者の育成などもしない。
冒険者ギルドに所属するのは冒険者が殆どなのだから、新規の冒険者の育成は商売敵を作るのと同義だ。
冒険者ギルドで行えるのは仲間の募集と情報の取得。
仲間は元から期待していない。八歳の女の子が仲間にしてくれと言って来たら普通は断るだろう。オレだって断る。
そして情報は有用だが、情報の閲覧には金がかかるらしい。すぐ知れるようなものでも金貨数枚はザラにかかってしまうというのだから、金銭の心許ないオレでは利用できそうにもない。
「とすると一人で行くつもりか? それはかなり危険だぞ」
「仲間なんか得られそうにないだろう。お前、冒険者時代にオレが仲間にしてくれって言ったら頷いたか?」
「いや……そうだな、普通は断る。バルティスタ共和国じゃなく、ルシウス王国は実力主義だから力さえ証明すれば仲間が得られるかもしれんが……」
「人名みたいな国の名前だな」
ルシウス王国の名前は初耳だ。シェンガが東だから、ルシウス王国は西かね?
「実際に人名だからな。国王がルシウスっていうんだ」
「ふうん……国王がルシウスってことは、襲名制なのか」
「いや、建国した奴がずっとそのまま国王だ」
「つうと新興国か」
「もう建国してから三千年近く経ってるはずだぞ」
「は? 三千年? 建国した奴が国王なのに?」
「ああ。建国以来ずっと同じ国王だそうだ。とんでもなく強いから竜が人間に化けてるんじゃないかって噂だ」
「とんでもねぇな……」
三千年も生きてるって何者だよ。本当に竜なのかもな……。
「それで、実際どうするんだ? ルシウス王国までならどっかの隊商についてけば安全に行けるぜ」
「いや、シェンガまでなら仲間の当てはあるんだ」
「そうなのか?」
「ああ。だから安心してくれていい」
確実とはいえないが、それなりの当てはある。やりようによっちゃほぼ確実に得られると言えるだろう。
「とりあえず、今日は装備と保存食を準備する。出発は明日明後日だな」
「また随分とせっかちだな。傷が治ってからでいいんじゃないのか?」
「何事もさっさと済ませたほうがいいさ」
それに傷が治る前に出発した方が色々と都合はよい。主に仲間を連れ回すために。
「まぁ、お前がそういうなら止めはしないが……そうだ、ちょっと待ってろ」
オレの返事を聞く前にデリックが席を立って何処かへと引っ込む。そしてすぐになめし皮の背負い袋を持ってきた。
「ほら、餞別だ。これはこう見えてマジックアイテムでな。冒険者の必須アイテムだぜ」
「へぇ……ただの背負い袋にしか見えないけどな」
そう言いつつ受け取ると結構重い。中身が入ってるようには見えないのだが。
「これは【便利な背負い袋/プラティークザック】ってアイテムでな。甲冑一式に武器と保存食を詰め込めるくらいものが入る。容量は……確か三百リットルだったかな」
「それ超えたらどうなるんだ?」
「袋が破けて中身が消える。袋も使い物にならなくなっちまう。まぁ、普通は入れようとしても入らなくなるから、無理して入れなきゃ大丈夫だ」
「なるほどな」
三百リットルとなると相当な量だな。風呂桶一杯分くらいか?
「そして何より凄いのは、どれだけものを入れても、重さは最初のままだってところだ」
「そいつは凄いな! この重さのままなのか?」
「おう。中を開けてみな」
言われた通りに開けてみると、中には皮鎧一式が入っていた。
取り出してみるとずっしりと重く、背負い袋よりも重い。なるほど、デリックの言った通り、背負い袋の重さはずっと保たれてるのか。
「凄い道具だな……高いんじゃないのか?」
「よく覚えてないが、金貨数千枚はする。四千から五千くらいだったと思うが」
「たけぇ!」
「これを借金して買ってな。まぁ、言っちまえば奴隷になったのはこれが原因ってわけだ」
「これ売ればよかったんじゃないのか?」
金貨数千枚なんだから、中古にしろ相当な値段になったろうに。
「まぁ、そうなんだがな……夢ってのは、早々捨てきれるもんじゃなくてよ……まぁ、後生大事に持ってたが、いつまでも持ってても仕方ねぇ。お前が役立ててくれ」
「おう。擦り切れるまで大事に使ってやるよ」
「そんなら俺もやった甲斐があるってもんだ。大事にしろよ。その皮鎧も餞別だが、長い事手入れもしてなかったから使えんだろうな。それにお前じゃ着れんか」
「そりゃあなぁ」
どう見てもこの皮鎧はデリックの体型に合わせたものだ。オレじゃ着るのは無理だろう。
「できりゃあ武器もやりたいんだが、今持ってるのは闘技場のもんだからな……悪いが、そっちは買ってくれ」
「そこまで世話にはなれねえさ。これだけでも十分ありがたいよ」
「ん、そうか」
本当にありがたい。何しろ金貨数千枚だ。オレの所持金の十倍以上の額だし、水夫の生涯年収に匹敵する値段だ。
そんな高額品を貰ってしまっては、なおさら気張るしかないではないか。
その期待には答えて見せるがな。
「さて、んじゃあとりあえず武器と防具でも見に行くか」
「見立ててやるよ。そういうのはまだわからんだろう」
「あー、まぁなぁ」
その日は防具を仕立てに行き、当座凌ぎとして剣を購入した。
皮鎧は金貨二十枚、剣が金貨四十枚とかなりの額だった。とは言え、冒険者の武具としては最低値のもので、かつてデリックが使っていた剣は金貨で三百枚はしたらしい。
そして、それよりも上、魔法のかかっている武具などを求めれば、金貨数千枚は下らないというのだ。
便利な背負い袋ですら安い方だというのだから驚きだ。
そしてそれを終えた後は、デリックとリウィアと共に夕食を摂って、オレはすぐに寝た。
明日から始まる冒険に胸を弾ませながら。