過去
北浜功治から告白された翌日、結衣の足取りは軽かった。された時はただただ驚くだけだったが、誰かから好意を示されること自体は嬉しいものだ。まして失恋で自信を喪失していただけに、余計に優しさが身にしみてしまう。
そんなわけで、告白を断ったというのに、今日もまた功治のぶんの豪華なお弁当を作って登校した結衣だったが。
「やあ、守谷さん」
とてもあっさりした対応だった。前日告白し事実上ふられた相手と話しているとは思えないほどに。
「あ、えーと、これ、お弁当なんですけど」
「今日も? ありがとう! でも今日は累からじゃないんだね」
「え?」
「え?」
何か不自然だ。喧嘩したような雰囲気だったよね、昨日の時点では。
「あの、昨日のことなんですけど……」
「え、昨日? 昨日……ごめん、勘違いじゃなければ、昨日は会ってないよね?」
忘れがちだったけど、彼らは魔法使いだった。
累が何かしたんだ――でも何故?
「何でお前が婚約者なんだって聞かれた。まさか異世界の人間の都合だとか話すわけにもいかないだろう? 黙っていたら出て行って、今朝方、お前の戸籍が存在しないってどういうことだと詰め寄られた。……仕方なかったんだ」
校舎裏にて、嘘に一部本当のことを交えて結衣に伝えるルイ。伝えたあと、結衣は神妙な顔つきになり、溜息を一つついたあとは、諦めた表情でルイに言った。
「そうだね。……知られたら、まずいしね」
迷ったが、金をとったんだなとルイは思う。彼女のトラウマは深い。
「うん。でもこれでよかったのかも。ルイも親友を失わずにすんだわけだし」
「……」
今度はルイが沈痛な面持ちになる。果たしてこれでよかったのか。記憶を消したから今まで通り。リセットしたから今まで通り。自分が体験した事を、あいつは覚えていない。便利だけど、何かが違うような……。
「じゃあ、行くね」
「ああ……」
そうだ、俺も昨日出来なかった生徒会の仕事を片付けねば。
「一日で溜まっちゃったよね。昨日俺が体調不良で早退なんかしたから……」
「気にするな。誰にでもそういう時はある」
生徒会室にて仕事にとりかかる役員達。会長の累と副会長の功治の仕事は多い。特に功治は昨日の分までと張り切り、それに付き合う形で累も下校時刻まで残った。
「ああ、これお弁当箱。いつもありがとうって伝えてくれよ」
「ああ……」
並んで帰っている時に渡される。ここ最近繰り返されていたこと。昨日はしなかったこと。
「結衣さんって本当に料理上手で、家庭的でいいよなあ」
「あいつに言ってやったら喜ぶぞ。あと、料理は趣味で特技なんだから、いくらでも作らせればいいんだ」
「何だよひどい言い草だな」
「お前も、喜ぶだろ? 弁当があったら……」
「あれ? 母親いないの話したっけ?」
しまった、とルイは思う。しかし、功治は笑ってまあ、俺が勘違いしたんだろう、最近そういうの多いみたいだからと流した。
「何か最近うっかりしているから、そんな事もあるよな。なあ累」
「ん?」
「俺のこと、気遣ってくれてるんだろ? ありがとな」
「別に、俺はそんな……」
「なんだよ、男のツンデレはきもいぞ」
「……」
「でもさ、俺はお前を蹴落としてまで、とか思わないから。いいんだ」
「………………なさい」
「ん? 何か言ったか?」
無償の愛を注ぐ人間をこっそり裏切る後ろめたさに、いつまで耐えればいいんだろう。今にも許してくれと叫びそうだ。そんなことをしても、オムレツが卵に戻らないように、記憶は戻らないのに。ただの自己満足に過ぎないのに。
「そろそろバイト始めようかなあ」
その日の帰宅は春花と奏の三人とだった。
「まあ。それではどこかはもう決まってますの?」
春花がほんのり笑って問う。言葉遣いといい、雰囲気といい、いつもながらお嬢様してて可愛いと結衣は思う。
「んーん。まだ。でもほら、就職にも有利っていうしね。前から考えてたんだけど、三兄弟が来て伸び伸びになっちゃて。夏休み中にある程度は家事を叩き込んだし、これで自分の時間がとれるから」
「それなら、わたくしの所などいかが?」
「それ、コネ採用……やめておくよ。うん? 奏ちゃん、どうしたの?」
結衣はさっきから押し黙っている奏を見た。うつむいて顔色は悪く、呼吸も少し辛そうに、足取りも重く歩いている。
「ちょっと……もしかして体調が悪い? 大丈夫?」
近づいて手を取る結衣。
「……! あれ? ちょっと楽になった」
「もしかして、計算じゃありませんわよね」
「違う! ごめんね。遅い夏バテみたい」
「そう……?」
「うん」
本当の事なんて言えやしない。このところ毎日見る夢。
真っ暗闇の中で私は立ち尽くしている。そして縛られている訳でもないのに全く動けない。最初のうちは変な夢だと思っている。でもそこへ、アレが現れる。
突然、真正面から白い右手が何かを探すようににゅっと伸びてくる。動けないから声を出す事も出来ない。手は手探りで何かを探すような動きをしている。やがて、私に触れて
――み つ け た――
「それじゃあ、ここで」
「うん、バイバイ」
私は結衣や春花と別れた。怖い夢に怯えるなんて伝えない。頼りないって思われそうで。ホラーに定番の起きたら感触が! 手の痕が! もないんだからただの夢。第一ホラーにしたってもう秋なのに時期外れも甚だしい。
さあ、帰ったら近所をランニングでもしよう。泥のように眠れば、あんな夢も見ない、はず。
その夜、バイト先を探しながら、結衣はある事に気づいた。
「うちの戸籍って今どうなってるんだろう」
昼休みにも言ってたけど、三兄弟関連はそこは操作してないのかな。……書類の操作は出来ないかな? だってお母さんにバイトしたいって言ったら「子供は子供らしくしてればいいの」 だもん。片親の負い目なのかな……。確かに、小さい頃から家事やってて、住んでる地区には同い年の子はいなくて、子供らしい時間なんてなかったけど。でも16にもなって子供は無いでしょう。私は早くお母さんを安心させたいだけだもん。とりあえず、明日役所を訪ねて確認しよう。ルイあたり、保護者名のところに魔法かけてくれないかな……。
「こちらになります」
翌日、結衣はレオを伴って役所に出向いた。保護者云々言われたら魔法でどうにかするつもりだったが、案外スムーズに行ったので必要はなかった。
「お世話様でしたー」
「結衣お姉ちゃん、これで終わり?」
「うん。ありがとねーレオくん」
「えへへ、どういたしまして」
ルイは昨日から生徒会の仕事をそこまで? って言いたくなるほど頑張ってるし、シュリーはデートの約束。付き合ってもらうとしたら消去法でレオしかいなかった。
自宅について、結衣はさっそく戸籍を確認した。そこで、思わぬことを知る。
「……お父さんのほうの祖父母は行方不明?」
物心ついた時には死亡しており居なかった父親。その祖父母が行方不明? 事件事故に巻き込まれたのだろうか。
「ねえ、結衣お姉ちゃん。変なこと聞くけど」
ぼんやりしていたらレオに尋ねられる。
「何? 書類なら今日は待って」
「書類のことじゃないよ。その、お父さんのほうの祖父母ってさ」
一回ボク達の世界に来たことある? 書類上なのにすごい魔力の残り香を感じるんだけど。
その夜、結衣は遅くまで起きて母――千加子の帰りを待った。
「……そうね。あなたもそんな歳だものね。これを渡しましょう」
母から手渡されたそれは、古い日記帳だった。
「あなたのお父さんのよ。何が書かれていても、貴女はわたしの大事な娘だから……」
ずっと疑問だった。三兄弟は魔法使い。でも、私に魔法はきかない。他の人にきいているのは確か。それは、最初に天井から落ちてきたレオくんを庇った際に、互いが激突した衝撃でそうなったと思っていた。違ったとしたら……。恐る恐るページをめくる。
『今日、母に殺されかけた。これで何度目だろう』
押しつぶすような勢いで本を閉じる。バクバクとうるさく心臓が鳴り響く。
私の先祖は、何したの。




