不穏
薄暗い空間で、一人の男がベッドに横たわっている。寝ているのだろうが、酷く苦しそうに呻いている。
「……ぅ……黙れ、怨霊が……」
物騒な言葉を忌々しげに吐きだすと、自分の声で起きたのか瞼をハッと開ける。重そうに身体を起こし、長々と溜息を吐く。
「また、あの夢……。少し、急ぐか。レオ・カプシュレインあたりに……」
「知ってたよ。結衣お姉ちゃん、一時期すごく元気なかったもん」
夜の守谷結衣宅。
家の前で告白された結衣。告白したのが水をかけられた友人。それでも三男のレオだけは自分以上に知らないはずと思って、長男のルイは「結衣のやつ失恋したって知ってたか?」 と尋ねた。
「……は?」
「ほら、ボクが夏休みにどっか行こうって誘ったのだって、結衣お姉ちゃんの気晴らしになるかと思ったからだよ。七月中旬から下旬くらいかな? あの頃すごく暗かったでしょ」
「知らん。むしろ静かでいいと思ってた」
「うん。そういうやつだよ」
レオが呆れたようにこぼすも、その目に軽蔑の色はない。兄弟だからか、それともこういうものだって割り切ってるのか。功治には思いっきり蔑まれたのに。
道化のようだ、とルイは自嘲した。娼婦の息子、とかつて歯牙にもかけなかった弟がこう振る舞って、それなりに目をかけてやったつもりの功治は裏切り行為をした。
「最近はまあ、前よりましになったよ。春花さんや奏さんもいるし」
「……そうか。それならいい」
「一応後継者問題に関わってる人物なのに、ルイはズボラだなー。争う気あるの?」
「そりゃああるさ。父上のご意向が全てだ。あと……」
不意に口ごもるルイ。しかし間をおかず発言される。
「ボロボロで戻った神官達のためにもな。どういう形であれ、決着は必ずつける」
「そうだね……」
それは最終的にどちらかが死ぬ事とお互い了承済みの上で、強気に言うルイと、ドライに受け流すレオ。
「つまらん事を聞いたな。俺は部屋に戻る。仕事を片付けるから、誰も来るなよ?」
「勉強中って札かけとけばいい話じゃん」
「まあ、な」
後ろ手でドアを閉め、椅子に座りパソコンを起動させる。その際にユージェルの言葉で呪文を唱える。こちらに来てから気づいたが、パソコンやテレビは魔法を通しやすい。やがて画面にぼんやりと男の姿が映し出される。
「ルイ・イゴルド。待っていたぞ」
すぐ近くから話しているようにも遠くから囁きかけているように聞こえる不思議な声。画面の男はフードを被っていて容姿は分からない。
「ルーカス兄上。定期報告をしに参りました」
「話せ」
ルイにすら偉そうな態度をとる画面の男の名は、ルーカスというらしい。
「ユイ・モリヤには魔法が効かないという特性以外、いたって普通の人間です。ユージェルの庶民と変わりありません。人より料理が出来て、またそういう面が異性を惹きつけるなど、家庭的で好意を寄せられやすい面があるようですが、抜きん出た特徴とは思えません」
「異性? 告白でもされたのか」
「はい……」
「その人間の記憶を消すように」
「え!?」
功治の睨みつける顔が浮かぶ。同時に、言うとおりにしたら今までのように戻れるのでは、と考えるルイ。しかし、そんな風に操るような事をして、友人と言えるのだろうか。
「ユイ・モリヤにそういう人間は必要ない」
「それは、確かに。しかし……」
「どうした。まさか反逆する気でもあるのか? ないだろう? 僕に従うだけで王の椅子に座れると知って、そんなこと……」
「速やかに実行いたします」
「期待しているぞ、ルイ。今日はこれまで」
画面を消して、椅子に身体を預け天井を見上げるルイ。
「ルーカス様、か……」
本当の長男。三人に異世界へ行けという命令を下した人間。というと語弊があるか。父王が神官に王位をどうするか相談したところ、そのトップ――――ルーカスが異世界へ行くようにと進言した。父はそれを鵜呑みにして実行させた。
「何考えてんだか分かんねえな。とりあえず、言う通りにすれば王になれるって言うからその通りにしたが。異世界まで来る事に何の意味があるんだ?」
もしや王位簒奪――いやそれはない。神官になった長男は、今のシュリーと同じく王位継承権はないのだから。
気が重い報告を終えたあと、ルイは気持ちを切り替えるためにも、二次元美少女潮来くるみファンサイトを巡った。
「お前もう彼女いるし、守谷さんとはただのいとこなんだし、遠慮しろよ」
屋上で二人の男が話をしている。石岡朱里と、その友人である小塙光だ。床に座り、背をフェンスに預けてまったりとしながらの雑談。
「でもお前は知っているんだろう? 光。こっそり教えてくれてもいいだろ。結衣が心配なだけだから」
「言ってる意味分かってんの? 居候先のいとこの失恋した相手を教えろってさ、相当な悪趣味だぜ?」
シュリーは昨日の件から結衣の好きだった相手が気になっていた。いや、むしろ恋人である葵が自分以上に気にしているからこそ、結衣の好きな相手が知りたくて仕方ない。
なにやら葵は自分が結衣とどうこうなるのではと気にしているらしいし。相手を突き止めてそいつと結衣がくっつけば葵の心配も消えるだろう。世話になってる相手でもあるし、恋のキューピッド役くらいはしてもいい。
「なおさら教えらんねー。お前のやってることは余計なお世話だよ。いいか? 友人として忠告するけど、守谷さんの失恋相手にこれ以上つっこんでやるな。今のお前、独り善がりになってんぞ」
「……そこまで言われたら、何も言えないな」
目線を光から青空に移す。そういえば……。
「なあ光、お前なんで結衣が好きなんだ?」
会った時には既に片思い状態だった。弟のレオも結衣が好きで片思いだが、その期間が昨日の男含め誰より長いのは光じゃないだろうか。
「……中一の時だな」
結衣本人以外には周知の事実なので、光は臆する事なく話し始める。
中学入学後、初めての調理実習。マナーの悪い女子がいて、嫌いな食材をこっそり捨てようとした。
「食べ物を粗末にするなんて最低!」
と、それを見咎め、声を荒げて捨てようとした女子にビンタしたのは、そう、守谷結衣。
その声で野次馬も集まり、自分のした事が公になった女子は大泣き。正論は守谷さんのほうなんだが、女の涙ってすげえよな。殴るまでしなくても……とクラスの同情はマナーの悪い女子へ流れ、結衣さんは一人でいることが多くなった。かくいう俺も、当時は気の強い女だな、そんなに大食いなんか? くらいにしか思ってなかった。
問題は次の調理実習。俺達の班で忘れ物したやつがいて、食材が足りなくなった。
「よかったら、どうぞ」
まさかの相手が申し出てきた。守谷さん。それを見て俺は。
「……え? 何? 貰ったら前みたいに殴る?」
彼女は、寂しそうに笑い「なんか、余計だったね」 と元の班に戻った。
「最低だな光」
守谷宅に居ついた最初の日から、彼女の家の窮状を知っているシュリーは、ジト目で光を見る。
「……反省してんだぞ、これでも」
ぐうの音も出ない様子でうつむく光。苦い思い出のようだ。
「それで、後から考えてあの時は酷い事を言ったと気づいてそのまま気になって……って感じか」
「いやすぐ気づいたよ、殴られたもん」
「え、結衣に?」
「違う。桜川さん。その時は友人だったし。あとお袋。桜川さんからチクられた」
「ああ……」
激しく納得したシュリーだった。
「桜川さんからは『お前だけは認めない』 の仰せつきだったぜ。お陰でろくに近寄れやしねえ……自業自得なんだけどな。お袋からも『あんな母親思いの子を! お前なんか家事手伝いもろくにしないくせに』 って言われるし……。まあそんな訳で、その日のうちに自分のしでかした事を悟って、謝る機会を探して今にいたるんだな。守谷さん本人は忘れてそうなのが肝だ」
「割と壮絶な過去があったんだな」
「まあな。……お前よりはな」
「え?」
「さあて、そろそろ昼休みも終わりだし、教室戻ろうぜ」
「あ、ああ」
先に立ち上がった光に続いて、シュリーも後を追う。
「あ、結城くん……」
見晴らしのい通学路。小学生の鉾田千枝は離れて歩く片思いの結城礼緒を見つけた。
同居しているいとこの女子高生が礼緒くんを誑かしてると信じ、最寄の番号や交番に何度通報したかしれない。変な女がいると。
結局、礼緒くん自身が望んで側にいると判明し、あたしは礼緒くんから怒られた。しかも、それを恋敵に庇われるというこれ以上ない惨めなおまけつき。
おかげであたしのした事はクラスの皆は誰も知らない。でも礼緒くんはあたしを見てくれない。他の人には気づかれない程度に、あたしを無視する。あたしは、いまだにどうしていいか分からない。でも礼緒くんを見かけると、自然に目で追ってしまう。
離れて歩く礼緒を、近づかないよう、離れないようついていくのが精一杯の、今の日々。
不意に、ポケットの底が破けて彼女の携帯電話が落ちる。礼緒から目を離し、地面の携帯へ移す千枝。拾おうとして心臓が縮まる。この携帯で彼女を何度も困らせたんだっけ。目にするのも辛いからそろそろ変えようかな……と考えながら掴み取り、違うポケットに入れる。そして目線を再び礼緒に移して……彼女はありえない光景を見た。
礼緒くんの横に、RPGの魔法使いみたいな服着た変な人がいる。
五年間通った通学路だから分かる。あの辺りに脇道はない。この見晴らしのいい通学路で、あの人はどこから来た? さっきまでは絶対いなかった。あの人間は突然現れた。嫌なものを感じた千枝は、見つからないように近くまでにじり寄る。
「……突然すぎてびっくりしました。ルーカス様がこちらにおいでになるなんて……」
ルーカス? あの人間の名前だろうか。
「いや、来た訳ではない。ほら、微妙に透けているだろう? これは立体映像みたいなものだ」
映像? テレビもないのに映像? 千枝の不安は更に大きくなる。
「しかし、人に見られてはルーカス様といえども……」
「ああ。だからちゃんと、お前を誰も見ていない瞬間を狙って飛ばしたさ」
「そう、みたいですね。誰も、車もいないし。しかしここは王宮ではないので、次からは事前に連絡をお願いしたいのですが」
「ははは。すまない」
見ていない瞬間? あたしが携帯電話を落とした時? それを狙って映像を飛ばした? そんな、アニメや漫画の世界みたいな……。
「でも媒体もなしに危険では……何か、急を要することでも?」
「媒体ならツテがあってね。まあそれは別にいい。用件だが、ルイのほうに知られたくなかったんでね、こういう形をとった。レオ・カプシュレイン、僕はお前のほうが王に相応しいと思っている。分かるだろう? 母親の期待に応えたいよな?」
「……はい」
「僕も近々そちらに向かうよ。これは定められていた事だ。くれぐれも他言せぬように。兄弟にも、当然、あの女、守谷結衣にも」
「え!? 来るって」
「ぜひ神託の少女に会いたいものだな。心からそう思うよ。因縁の……」
シャボン玉が弾けるように、映像の人間は消えた。
「……ルーカス様、何故……。ボク達がチンタラやってるから?」
要領を得ない言葉にぶつぶつと独り言を始めるレオ。その頃、資材置き場の木の影に隠れていた千枝は血の気が引く思いでへたり込んでいた。
あの女子高生のお姉さん、何か、大変なことに巻き込まれているんじゃ。
玄関からのチャイムの音に結衣は走り出す。
「はーい。あれ? 君は……」
レオくんが好きな少女、千枝ではないか。七月のあの事件以来顔を合わせていなかったが、九月上旬の今になって、何故ここに?
「あ、あたしその」
よく見ると顔色が悪い。夕暮れのせいではないようだ。
「どうしたの? もしかして、礼緒くんと喧嘩でもしたとか?」
「そんなんじゃない! さっき、あたし、あたし……」
何て説明していいんだか分からない。いとこが得体の知れない人間と貴女について話してましたなんて、信じてもらえるかどうか。もっと言うと、あたしは信頼されるような人間じゃない。どうしよう、先回りしてここまで来たけど、早くしないと礼緒くんが……。
「あ! お前! また結衣お姉ちゃんに迷惑かける気か!」
来た。今までは恋する相手だったけど、今は恐怖を感じる人間、結城礼緒。
「ちょっと、迷惑なんて――」
「守谷のお姉さん! えっと、えっと……視線に気をつけて!」
あたしはパニックになって、無意識に出た言葉を残し去った。今は、結城くんが怖かった。
「視線? 視線って……」
残された結衣は呆然としていた。突然現れ、よく分からない言葉を残して去っていった、多分嫌われてる相手。
「お姉ちゃん、大丈夫? 何もされてない?」
道の向こうからレオが駆け寄ってくる。
「されてないよ。それより、何か話したかったみたいだけど何だったんだろう」
「……またでまかせじゃないの。狼少女なんだからさ、あいつは。まともな事を言ったためしがないんだし、信じなくていいからね?」
「……うーん……」
その頃、奇しくも同じ物語を考えていた千枝。
『狼が来た、狼が来た。 大変だ逃げろ。 何だまた嘘か。
今度は本当に狼なんだ、信じてくれ。 もう騙されないぞ。 お前の言う事なんか誰が信じるか。
狼少年は自分の家畜を全て食われ、やけになってその身を狼に差し出しました。』
あんなよく分からないような事しか伝えられず、それでもあたしは侵入者に食われるんだろうか。でも、伝えずにはいられなかったの。
少女はぎゅっと自分の身体を抱きしめ、母の懐へ向かった。




