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あの人の誕生日

 始めまして。行方奏(なめかたかなで)、十六歳の女子高生です。ただいま八月下旬の焼かれたアスファルトの上を荷物大事に抱えて歩いているので、汗だくでお見苦しい姿なのは勘弁してください。


 何で歩いているの、それでどこへ行くのかって? 聞いてください! この私の悲話を!



 あれは高校受験の日でした。


 担当の先生の合図で始まるテスト直前になって私は、シャーペンの芯が一向に出ないのに気づいたのです。

「あの、よかったらどうぞ」


 机に置かれた受験票から名前が分かりました。守谷結衣(もりやゆい)さんでした。ライバルを減らすチャンスだったというのに、彼女はシャーペンを貸してくれたのです。


「お人好しなのですね。シャーペンも安くないとか仰ってたのに」

「だってこういう時だし……そもそも春花ちゃんがあげれば問題ないんじゃ」

「粗忽者にそんな義理はありませんわ。全く結衣様のご好意を受けるなんて……鏡で顔と体型を御覧になったことはないのかしら」


 結衣さんの隣の席には見たこともない美少女がいました。顔の肉がパンパンで全身に溢れる脂肪の塊な自分と比べると、いっそ死にたくなるくらいに。


 しかしその件で逆に冷静になったからなのか、高校には合格しました。そして入学までの約一ヶ月。結衣さんのことを考えると食べ物が喉を通らない日々。



――入学式――


「おい、誰だよあのちょっと可愛い子」

「ちょ、あいつあのデブスじゃね!?」


 私は彼女と同じ高校に入学できました。周りがチラチラこっちを見てくるのが鬱陶しいです。こっちは貴方達の言った事、全部覚えてますから。


 そして入学式であの春花さんを真っ先に見つけました。春花さんは素晴らしいスペックの持ち主のようで、新入生代表で彼女が壇上に立ったとき、「あれだよ例のお嬢様、桜川春花(さくらがわはるか)」 とか噂されてるのが聞こえました。……ちょっと可愛くなった程度じゃ、太刀打ちできないのは理解できます。

 でも諦めない。仲良くなることの何が悪いの。何とか結衣さんに話しかけて私の存在を……。


 隙がない! 常に春花さんが近くにいる。なんとか一人のとこ、せめて春花さんがいないところ……並んだら私の粗が目立つ。あっ、図書委員なんだ、図書室で本でも借りて……。

 





「婚約者だ」


 図書室の一角が修羅場と化しました。キラキラな男の人……二年の超モテ男、神栖累さんが結衣さんの肩を抱いて所有物であると宣言していたのです。スペック高いのは友人だけではなかった、だと。

 私が呆然としている間に場の空気はみるみる変わりました。一人の女の子を集中的に敵視するというギスギスした雰囲気。

 あの時、私は自分が善人ではなかったことを思い知りました。春花さんもいないし、これで私が助けたりしたら、株が上がって私は一気に親友格に……そう腹黒い計算をしていた時でした。


「ちょっとあんた、あの子の知り合い? まさか友人とか言わないわよね」


 不意に、背後から名も知らぬ女生徒にドスのきいた声で問われ、私は答えました。


「し、知らないよ!」


 卑怯者はどこまでも卑怯者なんですよね。言ってから後悔に襲われるも、後の祭り。しばらく距離が縮まることはありませんでした。自業自得ですけど。




 一躍有名人となった結衣さん。無理もないでしょう。学園の話題をさらう美形生徒会長のいとこであると知られたのですから。でも結衣さんにとって幸いだったのは、春花さんの存在と、同学年の石岡朱里くんのサポートが得られたことでしょう。彼らは数々の嫌がらせから結衣さんを守っていたようでした。


 ところで、私は結衣さんを守ろうとして朱里くんに警戒対象として認識されました。いや、こっそり防ごうとしてただけなのに……あの人なんでいつも先回りしてるんだろう。下駄箱に朝早く行けば「ここに用事か? お前クラス違うよな?」 休み時間に彼女のロッカーを見回りに行くと「へえ、よく会うな」 誤解です!


 今はもう、朱里くんが睨むから近づくこともできません……。


 そうこうしているうちについに一学期も終了。そしてもう八月の末です。だから私は歩いているんです。学校じゃ結衣さんに近付けない。だから彼女の自宅へ行くんです! どうしてそうなるんだって? 私、賭けに出たんです。あの噂が本当なら、私、一発逆転が出来るかもしれない。


 想像以上に古風な家のチャイムを鳴らす。「はーい」 若い女性の声が近づいてくる。


「はいはい……あれ? えっと……」


 運命の女神は私に微笑みました。結衣さんがすぐ出てくれるなんて。奥のほうで何か朱里くんが睨んでるけど、彼の様子を見ていると、むしろ強気になれると思いました。


「どちらさまでしたっけ?」

「あの、私、行方奏。高校入試の時、シャーペンお借りしました」

「……そんな事もあったような。あの時の人? ごめん、よく覚えてないけど」


 途端に結衣さんは笑った。ここにきて私は、知らない人からちょっと知ってる人になった。


「もしかして、その時のお礼とか? その荷物」

「それもあるけど、もっと大事な、これ……」


 鞄から綺麗な包装の品物を取り出す。


「結衣さん、お誕生日おめでとう!」


 後ろで三兄弟が唖然としたのが見えた。やっぱ知らなかったか……。






「すみませんすみません貴女の誕生日を祝わないなんてわたくしという人間は!!!!」


 私が結衣さんにプレゼントを渡してから数分で春花さんが来たんだけど、ここ盗聴……いややめよう、春花さんが睨んでる。


「だって私、誕生日なんて自分でも覚えてないし。それに春花ちゃんとこだって、おじいさんが偏屈で誕生日を祝う習慣がないっていうんだから別に……」

「そうですけど! あの頑固ジジイ、『誕生日を祝うとは鬼畜米英よりもたらされた悪習である。日本には数え年という立派な風習がある』 とか言って他人にも押し付けるのですから! 嫌なら自分だけそうしていればいいのに! 父も他のは西洋被れなのにこの習慣だけは継承してるとか意味分かりません!」

「しょうがないよ、もう百歳近いんでしょ? 今更変えろって言われても出来ないよ。お父さんも親孝行じゃない」

「わたくしが不幸なのはどうするのですか――! 友人の誕生日、知っていたらわたくしが一番に……うう」


 嘆く桜川春花さん。ネットで調べた噂だけど、彼女の会社には誕生日という概念がないというのは本当だったらしい。最近アニメ化したラノベ作品も、何故か主人公の誕生日の逸話がバッサリ切られて、代わりに両親の結婚記念日になってたと祭りになったこともあるとか。ま、私には好都合だったけど。お孫様にもしっかり概念が継承されてるようだから。


 チラと横目で話題の三兄弟を見るとこちらもばつが悪そうにしている。不思議な事に、彼らは外国出身なのに春花さんと同じように誕生日という概念がないそうだ。……あれ、どこの外国から来てたんだっけ? まあいいや。


 再び結衣さんに目を戻すと、泣き崩れている春花さんを抱きしめていた。羨ましい……。出会う順番が違っていたら、今頃は私がそこにいたかもしれないのに。


「せっかく来てくれたのに慌ただしくてごめんね。そうだ、よければ夕飯食べてく?」


 苦笑しながら結衣さんが言った。彼女が母子家庭なのは知ってる。彼女が作った料理……。


「簡単なものだけど」


 謙遜なのはテーブルに並べられた料理を見ればすぐ分かった。プレゼント、喜んでもらえたのかな?




 図々しくおかわりまで頂いたあとは片付けを手伝わせてもらう。礼儀ですよね。春花さんは習い事とかで食べてすぐ帰った。「……調子に乗らないで」 という声を帰り際に耳元で聞いたけど、私にあたるのは筋違いでしょ。貴女と違って私は、次はいつスポットライトが当たるか分からないんだからいいじゃん!


「今日はありがとう、奏ちゃん」

「う、ううん、別にそんな……」


 ニコニコしながらお皿を洗う結衣さん。そんなに……


「誕生日、祝われたことなかったの?」


 一瞬、彼女の手が止まる。しかしすぐに再会して六人分の洗い物を始める。


「八月の末生まれだよ? クリスマスやお正月と並ぶ祝いにくい時期じゃない?」

「みんな宿題に追われてるから?」


 それを言うと結衣と奏はクスクス笑った。しかしどちらも苦笑のように感じられるところを見ると、二人とも苦労した覚えがあるのかもしれない。


「春花ちゃんとこも誕生日ないも同然だけど、うちもそうだし」

「そうなの?」

「うん……死んだお父さんが誕生日を嫌がってた。お母さんも大事な人がそうだったからって」

「うーん。言っちゃなんだけど、変わってるね」

「でしょ。でもそれ以上に……」



 私がお母さんを殺しかけた日だから、私は誕生日が嫌い




 さすがに奏の表情が曇った。


「なんのことって思った?」


 洗い物が終わって慣れた手つきで手を拭く結衣。


「……何かあったの?」

「起こしたの。昔ね、周りの人が誕生日を自慢するのが羨ましくて妬ましくて。お母さんにわたしも祝われたい、何か買って帰ってきてよねってねだった」


 けど、忘れて帰ってきた。遅くまで起きてた結衣はプレゼントが無いのを見て大泣きした。


「私が嫌いだから忘れたんだ」 「買ってこなきゃぐれる、あんたなんかお母さんじゃない」


 母は雨の中走った。最初のケーキ屋は閉まっていた。二つ目のケーキ屋は売り切れだったので、アイスケーキにした。


 結衣はしぶしぶ食べた。「こんなのが欲しかったんじゃないのに」


 その翌日、母は咳をしていた。元々裕福じゃないから風邪薬はケチった。その咳は何日も引かなかった。


 ある日、母が職場で倒れた。意識不明。肺炎拗らせたとか言われたけど、小学生の自分には理解できなかった。何ヶ月か入院した。その間、電気代とか水道代とか払うことが出来ずに……。


 幸い、千加子は回復した。それから結衣は家事手伝いを積極的にした。お母さんが死んだら、私はひとりぼっちだ。長生きしてもらわなきゃ。もう苦労はしたくない。自分が独り立ちするまで。





「私は春花ちゃんのお父さんお祖父さんの考え好きだな。誕生日システムなんていいことないよ。昔そう言ったら、やけに喜ばれたけど……」


 あくまで明るく何でもないことのように話す結衣。


「……私、余計なことした?」


 対照的に奏は激しく落ち込んでしまった。


「まさか! でもちょっと複雑かも」

「ごめんなさい……」

「違うよ! ほら、ここで喜んだら、人でなしっぽいっていうか」

「そんな事ないのに」

「奏ちゃん、変わってるんだから」


 結衣は拭いた皿を仕舞いながら話す。やがて全て仕舞い終わった時、奏に向き直って言った。


「ありがとう。誰かに祝われるって初めてだった」

「じゃあ、これ言われるのも初めてかな。生まれてきてくれてありがとう」

「……」


 結衣は涙目でそっぽを向いた。


「変なの。本当に変なの。シャーペンくらいで」


 その反応を見て、今日がまともに知り合えた日となったことは、むしろ正解だったと喜ぶ奏だった。

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